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サグラスパイダー
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「うわぁ、聞いてたよりすごい綺麗……。死ぬ前に来れてよかった」
私は目の前にある、渓谷の間にできた天然の絵画に釘付けにされる。透明な罫線が大空を背景に精緻極まる風景画が描かれていた。
これはサグラスパイダーの作ったクモの巣である。実に横幅50m、縦30mを超える力作であった。
『雨季が近づくと、フルーリッジ渓谷近辺には大量の猛獣が現れます。近隣を通過する際には細心の注意をしましょう』
カメラもテンションが上がっているのだろう。いろんな角度から大空の絵画の写真を撮っていた。良いアングルを求めて遠くへ離れたり近づいたりと実に忙しない。
最も凶悪なクモは何かと聞かれたら、グノン戦略に生物兵器として用いられたタクティカルタランチュラが有名だろう。しかし最も凄い巣を作るクモと言ったらサグラスパイダーの方に軍配が上がるはずだ。
サグラスパイダーは小指の先ほどの小さなクモで、毒性もなく、牙も弱い。しかし彼らはクモには珍しく、群れるのだ。その数、およそ1000匹。
1000匹を超えるサグラスパイダーの群れが、一斉に巨大なクモの巣を作るのだ。鳴き声もなく、光や振動で合図を送るわけでもなく、ただ一斉に、それこそタクティカルタランチュラの体より大きな巣を作りあげてしまう。
その際、彼らは仲間うちで合図を送ったりはしないのだが、ある法則性を持ってクモの巣を作ると言われている。それが今目の前に広がっている絵画だ。
私はその場をウロチョロし、ある一点を見つけるとそこで立ち止まった。両手の指で四角形の窓を作り、風景を合わせる。
「うん、ここだね。ここからの景観に合わせて巣を作ったんだね、これは」
『今なら送料無料! そして30分以内にお電話をいただけた場合に限り、同じ商品がもう一個ついてくるんです!』
「いやぁ、写真を生業としている身としては、一度は見ておきたいモノだよね、これは。これで死んでも悔いはない」
気が付くとカメラも私の隣に陣取っていた。今度は位置を変えずに、足を屈伸させて上下調整をする。腕のない二足歩行の機械がその場で屈伸している姿はなんとなく滑稽であった。
機嫌がいいのか、カメラはいつもより軽快にパシャパシャとシャッターを切っていた。
サグラスパイダーは背景の風景を模写して巣を作る。山脈の尾根が見えるところに巣を作ったときはその山脈を、海辺で水平線が見えるときにはその水面と空の境界線を、半透明のクモの糸と太陽の光で二次元の絵として再現するのだ。
巣を作りながらだと背景の景色はまともに見えないはずなのに、綺麗な絵として出来上がるのは昆虫学会でも謎とされている。だがしかし、できるもんはできるんだから仕方ない。大抵の人はそれで納得してしまうのだ。
私もサグラスパイダーの巣を見たのは2度目である。前回はまともに見ていられなかったから、今回はじっくり眺めようと思った。
あまりにも綺麗な崖の絵だったので、思わず手を伸ばして、地面から1mほどの高さにあるクモの巣の底辺の糸に触れようとする。
急に横手から衝撃。驚きつつも冷静に腰に後ろ手を回しながらよろけた姿勢を正すと、カメラが私の方にタックルしてきていた。一瞬だけ驚きつつ、その理由を察して構えを解いた。
「あ、そうだった。ありがと。思わず手袋を捨てなきゃならなくなるところだったよ……」
『なぁに、いいってことよ。相棒の背中はオレが守ってやらねぇとな』
珍しくストレートに翻訳できる台詞を選んでくる。
私は再度感謝しつつも、なんとなくその態度が生意気だったので軽く蹴っておいた。コン。
サグラスパイダーのクモの巣はその巨大さ、絵面の精緻さで有名であるが、一番の特徴はクモ糸の頑強さと粘着力だろう。
至近距離で見てもほぼ見えないほど細いクモの糸なのに、麻縄のロープと同じくらいの強度と、金属補修用のノリと同じくらいの粘着力を持っているのだ。皮膚で直接触れようものなら出血を覚悟する必要がある。
手袋や服で触れた場合はそれを捨てる必要がある。下手に引っ張り剥がそうとしたところで、どうせくっついた衣服は破れてしまうのだ。捨てるしかない。
巨大な巣、簡単には切れない糸、異様な粘着力。この3つが揃っているのだから、当然狙う獲物も相応のモノとなる。
しばらく渓谷の底で背景の景色とクモの絵画を合わせてみたり、逆に視点をズラして色変わりした景色をカメラに指示して撮影させてみたりしていると、期待していたものが来た。
鳥だ。ギョクロウと呼ばれる大型の鳥類で、見た目は普通のワシのような姿だが、羽が大・中・小と3種3対6羽持っている。
大きさの違う複数の羽を使うことで、長距離の高速長時間飛行も、単距離の低速精密飛行も得意である。
ギョクロウが3匹、渓谷の間を遠くの方からこちらに向かって飛んでくる。すごく早い。大きい羽を羽ばたかせ、中・小の羽で滑空して加速し続けている。
これは確実にいける、と思った私は少し離れた位置にまで移動して様子を眺めていた。
「捕まった瞬間からクモの巣全体を撮って。1秒間隔で連射。よろしく」
きちんと指示するとその通りに動いてくれる。カメラの勤勉さに感心しつつ、私も様子を伺う。
ギョクロウは渓谷の隙間を縫うように飛び続け、サグラスパイダーの巣の存在に気付かず、そのまま一直線に突っ込んでいった。そして当然のようにクモの巣に捕らえられた。
ギョクロウ3匹のうち2匹がクモの絵画の上に、それこそ絵に描かれた鳥のようにひっついていた。
1匹は急停止して逃げていったが、残り2匹は逃げられない。ジタバタともがいている。
このまま暴れ続ければ羽毛を剥がして逃げられるだろうが、サグラスパイダーがそれを許さない。クモの巣の根元から急に小さなクモが現れてきて、暴れるギョクロウの下へと殺到する。
サグラスパイダーの体皮は黒色である。その黒い1000匹の小虫がクモの巣の線を一斉に登ってくるので、まるで中空に絵の下書きが高速で描かれていくようにも見える。パシャパシャと写真を撮っているカメラに「もっと中央に合わせて」と注文する。
絵の下書きが完成すると同時に、ギョクロウの体がクモだらけになる。そして持ち前の粘着力の強いクモの糸を直接くっつけて拘束していく。ギョクロウはすぐに体中がクモ糸だらけになり、すぐに動けなくなった。
元々のクモの巣に合わせてギョクロウを拘束したため、黒い鳥が2匹絵に追加された。ほんの数分ほどのあっという間の出来事であった。
「うはぁ、見ごたえある光景だったね……。ギョクロウが来てくれてラッキーだったね、いいもん見れたわー」
『先生! 僕たち、間違ってました! もう万引きなんてしません!!』
「にしても、ギョクロウが高速飛行するなんて珍しいこともあるもんだ。普段は大人しい鳥なのに……」
私が青空の絵画を眺めながら満足していると、一仕事終えたサグラスパイダーたちが壁際へと帰っていく。
一部残ったクモたちがクモ糸をすりぬけて捕まえたギョクロウの体に取りつき、仲間たちが消化しやすいように噛み砕くのだ。
「さて、そろそろ帰りますか。ここら辺は雨季は怖いからね。早めに移動し……」
『緊急速報! 緊急速報! 地域の皆様はご注意ください!』
カメラが急に騒ぎ出す。カニのように左右にピョンピョン移動しながら私に警告をする。
私は何が起こるのか予想出来て、表情が凍り付いた。なるほど、ギョクロウが飛んできたのは偶然ではなく、逃走してきた結果なのだ、と。
私はギョクロウが飛んできた先の方を見つめる。遠くからドドドドドドという音が聞こえてくる。
渓谷の間を埋め尽くす砂埃を見つけて、叫び声をあげた。
「ケイロプスの集団移動だああああーーーっ!!」
『いのちだいじにいいいいいいいーーーーっ!!』
角が頭から背中にかけて8本生えている暴れ牛・ケイロプスの大群が、雨季で増水する川縁から山の上の方へ移動する際によくみられる集団移動だった。
さすがのサグラスパイダーの巣といえど、この大群は抑えきれないだろう。そしてこの大群に踏みつぶされたら、人間も人間大の中型機械も跡形も残らないだろう。私とカメラは悲鳴をあげて逃げ出した。
余談だが、私たちはケイロプスの集団から逃げ切ることができた。
なんとサグラスパイダーの巣は、さすがに渓谷の間からひっぺがされたものの、ケイロプスの3分の1くらいを捕獲して巻き込み、結果として足止めをしてくれたようなのだ。
無事に生き延びた私たちは後日見に行ったら、物凄く巨大な黒団子と新しいクモの絵画が渓谷にできあがっていた。当分サグラスパイダーたちは餌に困らないだろう。
豆知識「サグラスパイダーも、彼らの餌団子も食べられます。……想像したら気持ち悪い、うっ……」
私は目の前にある、渓谷の間にできた天然の絵画に釘付けにされる。透明な罫線が大空を背景に精緻極まる風景画が描かれていた。
これはサグラスパイダーの作ったクモの巣である。実に横幅50m、縦30mを超える力作であった。
『雨季が近づくと、フルーリッジ渓谷近辺には大量の猛獣が現れます。近隣を通過する際には細心の注意をしましょう』
カメラもテンションが上がっているのだろう。いろんな角度から大空の絵画の写真を撮っていた。良いアングルを求めて遠くへ離れたり近づいたりと実に忙しない。
最も凶悪なクモは何かと聞かれたら、グノン戦略に生物兵器として用いられたタクティカルタランチュラが有名だろう。しかし最も凄い巣を作るクモと言ったらサグラスパイダーの方に軍配が上がるはずだ。
サグラスパイダーは小指の先ほどの小さなクモで、毒性もなく、牙も弱い。しかし彼らはクモには珍しく、群れるのだ。その数、およそ1000匹。
1000匹を超えるサグラスパイダーの群れが、一斉に巨大なクモの巣を作るのだ。鳴き声もなく、光や振動で合図を送るわけでもなく、ただ一斉に、それこそタクティカルタランチュラの体より大きな巣を作りあげてしまう。
その際、彼らは仲間うちで合図を送ったりはしないのだが、ある法則性を持ってクモの巣を作ると言われている。それが今目の前に広がっている絵画だ。
私はその場をウロチョロし、ある一点を見つけるとそこで立ち止まった。両手の指で四角形の窓を作り、風景を合わせる。
「うん、ここだね。ここからの景観に合わせて巣を作ったんだね、これは」
『今なら送料無料! そして30分以内にお電話をいただけた場合に限り、同じ商品がもう一個ついてくるんです!』
「いやぁ、写真を生業としている身としては、一度は見ておきたいモノだよね、これは。これで死んでも悔いはない」
気が付くとカメラも私の隣に陣取っていた。今度は位置を変えずに、足を屈伸させて上下調整をする。腕のない二足歩行の機械がその場で屈伸している姿はなんとなく滑稽であった。
機嫌がいいのか、カメラはいつもより軽快にパシャパシャとシャッターを切っていた。
サグラスパイダーは背景の風景を模写して巣を作る。山脈の尾根が見えるところに巣を作ったときはその山脈を、海辺で水平線が見えるときにはその水面と空の境界線を、半透明のクモの糸と太陽の光で二次元の絵として再現するのだ。
巣を作りながらだと背景の景色はまともに見えないはずなのに、綺麗な絵として出来上がるのは昆虫学会でも謎とされている。だがしかし、できるもんはできるんだから仕方ない。大抵の人はそれで納得してしまうのだ。
私もサグラスパイダーの巣を見たのは2度目である。前回はまともに見ていられなかったから、今回はじっくり眺めようと思った。
あまりにも綺麗な崖の絵だったので、思わず手を伸ばして、地面から1mほどの高さにあるクモの巣の底辺の糸に触れようとする。
急に横手から衝撃。驚きつつも冷静に腰に後ろ手を回しながらよろけた姿勢を正すと、カメラが私の方にタックルしてきていた。一瞬だけ驚きつつ、その理由を察して構えを解いた。
「あ、そうだった。ありがと。思わず手袋を捨てなきゃならなくなるところだったよ……」
『なぁに、いいってことよ。相棒の背中はオレが守ってやらねぇとな』
珍しくストレートに翻訳できる台詞を選んでくる。
私は再度感謝しつつも、なんとなくその態度が生意気だったので軽く蹴っておいた。コン。
サグラスパイダーのクモの巣はその巨大さ、絵面の精緻さで有名であるが、一番の特徴はクモ糸の頑強さと粘着力だろう。
至近距離で見てもほぼ見えないほど細いクモの糸なのに、麻縄のロープと同じくらいの強度と、金属補修用のノリと同じくらいの粘着力を持っているのだ。皮膚で直接触れようものなら出血を覚悟する必要がある。
手袋や服で触れた場合はそれを捨てる必要がある。下手に引っ張り剥がそうとしたところで、どうせくっついた衣服は破れてしまうのだ。捨てるしかない。
巨大な巣、簡単には切れない糸、異様な粘着力。この3つが揃っているのだから、当然狙う獲物も相応のモノとなる。
しばらく渓谷の底で背景の景色とクモの絵画を合わせてみたり、逆に視点をズラして色変わりした景色をカメラに指示して撮影させてみたりしていると、期待していたものが来た。
鳥だ。ギョクロウと呼ばれる大型の鳥類で、見た目は普通のワシのような姿だが、羽が大・中・小と3種3対6羽持っている。
大きさの違う複数の羽を使うことで、長距離の高速長時間飛行も、単距離の低速精密飛行も得意である。
ギョクロウが3匹、渓谷の間を遠くの方からこちらに向かって飛んでくる。すごく早い。大きい羽を羽ばたかせ、中・小の羽で滑空して加速し続けている。
これは確実にいける、と思った私は少し離れた位置にまで移動して様子を眺めていた。
「捕まった瞬間からクモの巣全体を撮って。1秒間隔で連射。よろしく」
きちんと指示するとその通りに動いてくれる。カメラの勤勉さに感心しつつ、私も様子を伺う。
ギョクロウは渓谷の隙間を縫うように飛び続け、サグラスパイダーの巣の存在に気付かず、そのまま一直線に突っ込んでいった。そして当然のようにクモの巣に捕らえられた。
ギョクロウ3匹のうち2匹がクモの絵画の上に、それこそ絵に描かれた鳥のようにひっついていた。
1匹は急停止して逃げていったが、残り2匹は逃げられない。ジタバタともがいている。
このまま暴れ続ければ羽毛を剥がして逃げられるだろうが、サグラスパイダーがそれを許さない。クモの巣の根元から急に小さなクモが現れてきて、暴れるギョクロウの下へと殺到する。
サグラスパイダーの体皮は黒色である。その黒い1000匹の小虫がクモの巣の線を一斉に登ってくるので、まるで中空に絵の下書きが高速で描かれていくようにも見える。パシャパシャと写真を撮っているカメラに「もっと中央に合わせて」と注文する。
絵の下書きが完成すると同時に、ギョクロウの体がクモだらけになる。そして持ち前の粘着力の強いクモの糸を直接くっつけて拘束していく。ギョクロウはすぐに体中がクモ糸だらけになり、すぐに動けなくなった。
元々のクモの巣に合わせてギョクロウを拘束したため、黒い鳥が2匹絵に追加された。ほんの数分ほどのあっという間の出来事であった。
「うはぁ、見ごたえある光景だったね……。ギョクロウが来てくれてラッキーだったね、いいもん見れたわー」
『先生! 僕たち、間違ってました! もう万引きなんてしません!!』
「にしても、ギョクロウが高速飛行するなんて珍しいこともあるもんだ。普段は大人しい鳥なのに……」
私が青空の絵画を眺めながら満足していると、一仕事終えたサグラスパイダーたちが壁際へと帰っていく。
一部残ったクモたちがクモ糸をすりぬけて捕まえたギョクロウの体に取りつき、仲間たちが消化しやすいように噛み砕くのだ。
「さて、そろそろ帰りますか。ここら辺は雨季は怖いからね。早めに移動し……」
『緊急速報! 緊急速報! 地域の皆様はご注意ください!』
カメラが急に騒ぎ出す。カニのように左右にピョンピョン移動しながら私に警告をする。
私は何が起こるのか予想出来て、表情が凍り付いた。なるほど、ギョクロウが飛んできたのは偶然ではなく、逃走してきた結果なのだ、と。
私はギョクロウが飛んできた先の方を見つめる。遠くからドドドドドドという音が聞こえてくる。
渓谷の間を埋め尽くす砂埃を見つけて、叫び声をあげた。
「ケイロプスの集団移動だああああーーーっ!!」
『いのちだいじにいいいいいいいーーーーっ!!』
角が頭から背中にかけて8本生えている暴れ牛・ケイロプスの大群が、雨季で増水する川縁から山の上の方へ移動する際によくみられる集団移動だった。
さすがのサグラスパイダーの巣といえど、この大群は抑えきれないだろう。そしてこの大群に踏みつぶされたら、人間も人間大の中型機械も跡形も残らないだろう。私とカメラは悲鳴をあげて逃げ出した。
余談だが、私たちはケイロプスの集団から逃げ切ることができた。
なんとサグラスパイダーの巣は、さすがに渓谷の間からひっぺがされたものの、ケイロプスの3分の1くらいを捕獲して巻き込み、結果として足止めをしてくれたようなのだ。
無事に生き延びた私たちは後日見に行ったら、物凄く巨大な黒団子と新しいクモの絵画が渓谷にできあがっていた。当分サグラスパイダーたちは餌に困らないだろう。
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