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第15章:修学旅行の気分?で上洛
勢力地図が塗り替えられた
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最初に地図
1554年9月下旬
上野国名和城松の間
長野業政
(解放された上野の虎=黄斑)
「第何回か忘れちゃった円卓会議~」
「殿、88回目にござりまする」
祐筆もこなす政影殿が生真面目に答える。
50万石を超える大大名となった大胡家は、ここ1年で大分その内政と仕組みを新たに作り直し、領土防衛の仕組みも整いつつある。
殿の居城も大胡から那波城へと移った。
那波の名前も『那和』と改めた。
『那』は美しい・多いという意味。
『和』は平和・和やかの意味を込めたという。
普通は四書五経などから取るのが普通だが、殿はその様な事よりも意味が大事と、
『平和で和やかな事が少しでも増えるように』
という大胡の心情を表したという。
儂も大事な事じゃと思うた。
「上洛前に最終的な報告と連絡、そして相談、ほーれんそーやっていきましょ~」
ここ、新しい松の間には政賢様を始め、
祐筆役の政影殿、
外交担当の智円殿、
参謀方の上泉秀胤殿、
諜報方の真田幸綱殿、
勘定方の瀬川正則殿、
そして副将である儂が参集している。
幸綱殿、正則殿と儂が1年前よりこの会議に加わったが、これ以上話し合われることが多岐にわたると、さらに人数を増やさねばなるまい。
産業と教育、司法、そして金融経済(と名付けられた)に関する役目を作ることになっている。
そろそろこの秘密の円卓会議ではなく、評定衆を設け評定を定期的に開かねばとの方向で話が進んでいる。
これは責任ある部署の人材を育成するに数年は要するであろうな。
……儂の後釜も育成しなければならん。
儂ももう歳じゃ。
今年65。
あと3年かの。
人間50年。
我ながらよう生きたわい。
まだまだ気は誰にも負けぬが、もう体が動かぬ。
折角、良き主君を得た故、一働きしてから後進に席を譲らねばならぬな。
一抹の寂しさもあるが、これも人の常。
「やっと前久のおぼっちゃまが帰っていったので上洛出来るけど、ちゃんと留守の体制を整えていかないとね。まずきちんと認識しておかないといけないのは、今回何故上洛するかです!」
殿がいない間は、儂が総指揮を執ることになる故、改めてきちんと状況を整理して頭に入れねばならぬ。
「……じゃあ、下野の人たちはまだ内紛しているわけね。
佐竹さんちも巻き込んで」
「如何にも。
故に北条の武蔵と下総には手が出ませなんだ。古河公方が調停に入るも纏らず、その間隙を突くように里見が浸透し、下総の大半と東武蔵を手に入れ申すことに。
今では古河公方を勢力範囲に入れたとも言えます。以前から外交で好感度を上げていた模様にて」
智円殿が答える。
古河公方、足利晴氏様は憲当様のような傍迷惑な御仁ではないが、権威だけで何も出来ぬ方。
まだ幕府の権威の使いようがある上方と違って、坂東では鎌倉公方と関東管領の威が急激に低下して居る。
大胡の殿に対する上杉憲当様の不当な扱いがきっかけに、古河公方が関東管領として扱っていた北条の凋落と共に、両職の権威がなし崩し的に失墜していった。
真の戦の世になったのじゃ。
「由良のおとやんと、佐野ちゃんはどったの?
まだ忍城囲んでいる?」
「は。殿より供与された銭と兵糧を、殿の提案された付け城の築城に使わず、兵糧攻めをして早半年。今は撤退を考えている様子」
秀胤殿の報告に儂も付け足しをする。
「あの城は湿地帯の中に建っておりますれば、周りは殆どが沼にて通路となる場所は3つのみ。我攻めなどでは10万の兵でもよう落ちませぬ。大筒も届きませぬ。
故に兵糧攻めとなったのでしょうが、城主の成田長泰は端から承知。数年分の兵糧を蓄えておりましょう」
「だよね~。攻めるとすれば……水攻め! でも、やれる銭ある人いないでしょ」
「殿がおりまする」
皆がにやりと笑う。
水攻めなどどれだけ銭が必要であろうか。考えただけでも気が遠くなるわい。じゃが、一度は見て見たい気もする。
「結局、河越まで大胡領になっちゃったね。由良のおとやんに譲ったのに。
まあそのうち開城するのは当たり前なんだけどしぶといねェ、成田君。
弟殺されてガチになっちゃった? 佐野っちも出てこれないし。お蔭で武田領と平地でつながっちゃいました」
武田は今年の春、越後の北条高広を調略し反乱を起こさせ、宿敵となっている景虎殿の足を封じている間に坂東に侵入。
北条の武蔵西部、三田氏の勝沼城と辛垣城を囲み、臣従させた。狭山・入間付近の丘陵にて大胡は武田と領地を接することとなった。
河越城には太田殿が入り武田に睨みを利かせている。
武田はその勢いを駆り江戸城を突こうとしたが、そこで里見氏と衝突しそうになる。しかし両者供、諍いは起こしたくないと江戸の南にある港町品川にて会談。
里見は多摩川以南に手を出さない代わりに江戸を取ることで手打ちとなった。
現在、あまりにも手を広げすぎた武田と里見は、領地の仕置で手いっぱいであろう。
「しかたないよね。武蔵の村からどんどん、大胡に統治されたいという直訴が来るんだもん。無下には断れないし」
「しかし、内政官がもうおりませぬ。現在火急の勢いにて育てておりまするが、今はこれ以上手を広げる事、難しいかと」
正則殿が諫める。
「まったくね。他の大名は何考えているんだか。領地取ってもそこを経営できなければ反乱祭りになるのに、なぜそんなに強欲なんかなぁ。百姓の身にもなってちょうだい」
「領主と主だった士分を領地経営が出来なくなるまで減らしたのは、どなたでしたかな?」
瀬川殿がニタリと笑う。
領地経営の厳しさを誰よりも分かっている者の顔だ。
「大名が直接統治することなど、ほとんどありませぬからな。在地の国衆が代々の信頼の上で差配、年貢の徴収と徴兵をするのが当たり前。殿はそれを壊してしまわれた。今後、益々坂東南部は荒れまするな」
「そして、そこを奪い取り直接統治をなさるおつもりとお見受けいたすが、その際には多くの民が艱難辛苦を経験いたすでしょう……」
殿は儂の言葉で少し顔を顰めたが、言葉にすることでご自分の心を新たにするように力を込めた声色で次のようなことを仰られた。
「戦は嫌いだ。人死にも嫌いだ……
だけど、新しい世を作り出すのには、古き仕来りの破壊が付きもの。
今、戦の世を収め近代国家を作らねば、長い間子々孫々が苦難を強いられる。殻を壊せば、硬い殻であればあるほど割れた殻で手を怪我するかもしれない。
だが、僕の手などどうでもいい。出来得る限り人死には出さないつもりだが、妨害する者は叩き潰す!」
殿らしくない激しい言葉だ。
単なる優しい若者ではないのだ。これが本当の殿の御心なのであろう。こうでなければ尽くし甲斐、奉公のし甲斐がないというもの。
上杉の臣下であった時が地獄であったか。
儂は果報者じゃ。
最後の最後でよい決断をしたものよ。
あとはよい死に場所を見つけるだけじゃな。
「で~、品川はどうなったのん?
あそこは商業と交通の要衝。諸勢力が皆何としても抑えたいと思ってるんじゃない?」
それには智円殿が答える
「今までの経緯を追って説明し、現在の状況を整理いたしまする。
今川は湯ヶ島の砂金目当てで伊豆を取った後、勢いに任せて小田原城に迫り、そこで太原雪斎殿が動き申した。
箱根湯本の早雲寺において北条氏政殿、長綱殿と会談。北条は今川の同盟という名の臣従をいたしました。
そしてつい先週、氏康の次男、藤菊丸(後の北条氏照)を駿府へ人質として送り申した。これにて今川は相模・三河と東西に防御線を張った事になり申す」
「うえ~~。なんだか厄介な防御線だね。いつも内紛反乱起こしていそう。僕は勘弁」
「そして品川ですが、相模西部を今川が押さえ、八王子・稲城・相模原までを武田が。品川の北は里見。
品川はこの3者による独占を防ぐために江戸城にて会談が行われ、品川の自治を認めることになり申した。
新たに組織された会合衆の頭、酒屋で海上輸送を営む鈴木道胤を中心とした自警団組織、その主力が……」
「殿の支援を受けた法華宗徒と根来衆、そして風魔の残党。
これに磐梯屋を通じて鉄砲や弩弓を融通されましたが、本当に纏まると観ておいでなのか?」
風魔は箱根を捨てた。
もうそこまでしないと一族を存続することが出来なくなっていた。今は殿の支援で山岳猟兵隊として再編されている。
「だって、鈴木ちゃんとの繋ぎは熊野の流れを汲んでいる家系なので熊野権現繋がりで、歩き巫女の桜女の姉さんにつけてもらえたけど、本人がもう熱心を通り越した法華宗徒だから仕方ないよ。
他の宗門を入れるとしたら京都五山の禅宗あたりだけど人が集まらない~。
雑兵雇うのは間者対策もあるからもっと危険」
そのような内幕があったのか。
この辺りは、これから上洛した折に話を付けてくるのであろうが、先に法華宗と手を組むこと、決めてよいものなのか?
儂には分からぬ。
「これで品川は一応、独立自治を勝ち取ることが出来、その裏に大胡がいる事は周知の事実となり申した。大胡にとって、ここが大事な足掛かりとなると共に、新たなる火種になること必定。皆が心せねばなりませぬ」
儂の分からぬことと言えば、最も大事な事。
戦略と申したか。
なぜ今上洛すること必要なのであろうか。そして主敵は何処なのか。何故なのか。薄っすらとはわかっておるが、ここははっきりとさせておかねばならぬ。
「殿。今更ながらお伺いしたい。
これから大胡は誰と戦わねばならぬのでしょうか? 武田か、関東管領を擁護する長尾か、里見と宇都宮なのか。はたまた今川なのか?
儂は上野国から出ての戦の経験、武蔵中部までしかござらぬ。
お教え願えれば頑健に殿のお帰りまでお守りいたす所存」
「儂のような一介の土豪に副将は荷が重い」
と申し上げたときもあった。
じゃがそれは誰も同じ、未経験な事だと言い返された。ならば皆の信頼できる上野の武将が良いと言われこれを受けた。
「ん~。外交戦略。結構考えたけどね。まだまだ未知の所があって上洛しないと情報ないのです。畿内で起きることは結局坂東にも波及するし、使える権威なんかもよく吟味しないとだし、銭も関係する。だから早めに上洛しないと。
あと主敵ね。勿論武田。これを押さえなければ大胡は突き崩されちゃう。
地政学的にも大胡の領国真っ二つにできるから強敵になっちゃったけど、今川と同盟しているので脅威倍増。里見と組まれたらもうダメ。だからかげとらにゃんを引き入れて同盟するしかないの。
里見を退治するとしたら利根川で補給路を遮断されるし、江戸湾の制海権は強力な房総水軍が握っている。
それに里見を攻めてくれる同盟国も作れない。あっち海を背負っているから二正面作戦に追い込めない。だから里見は出来る限り外交で押さえないと。
それは智円にーちゃんに任せている。
かげとらにゃんを主敵にするには、あの武田と同盟でもしない限り無理。あそこは争ってもらわないと。だから今回の上洛のついでに越後へ行く。
賭けになるね。
できれば美濃の様子も見ておきたい。うまくすれば尾張を同盟に引き入れることも可能だし、そうすれば今川も怖くない。
つまり武田を孤立させることを前提にした上洛です!」
殿は一気に説明なされた後、冷めた蕎麦茶を啜りつつ愚痴のように皆に語り掛けた。
「できるだけ早く帰ってくるけど向こうで何があるか分かんないし、武田君と里見ちゃんが仲良くなっちゃってこっちへ押し寄せてくるかもしれない……
そうなったら誰にも止められないんじゃよ。怒りに我を忘れて目が赤くなっているし、晴信ちゃん。
光玉や蟲笛じゃもう鎮められない~。もうここまでくるとね。
僕一人じゃ全く分かりません。これから失敗ばっかすると思うけど、皆で意見出し合って進めていこうよ」
北条を追い払い独立した大名になって殿は変わった。
もう大胡の規模が大きくなりすぎたこともあるが、専制的に物事を決めることが少なくなってきたらしい。
そして智円殿に言わせると、一番大きく変わった所は「生き残る」戦略目標が「できるだけ多くの人を豊かにしたい」というものに変わってきたことだそうだ。
「自分で坂東の平和と日ノ本の経済ぶっ壊しちゃったから責任取らなくちゃ」
とのことらしい。
儂らは益々心して、殿が不安にならぬようにしっかりと支えねばなるまい。
支え甲斐のある主君を持てて、改めて幸せを噛み締めた。
そうして、儂に大胡の守備を任せ上洛の途に就いたのであった。
1554年9月下旬
上野国名和城松の間
長野業政
(解放された上野の虎=黄斑)
「第何回か忘れちゃった円卓会議~」
「殿、88回目にござりまする」
祐筆もこなす政影殿が生真面目に答える。
50万石を超える大大名となった大胡家は、ここ1年で大分その内政と仕組みを新たに作り直し、領土防衛の仕組みも整いつつある。
殿の居城も大胡から那波城へと移った。
那波の名前も『那和』と改めた。
『那』は美しい・多いという意味。
『和』は平和・和やかの意味を込めたという。
普通は四書五経などから取るのが普通だが、殿はその様な事よりも意味が大事と、
『平和で和やかな事が少しでも増えるように』
という大胡の心情を表したという。
儂も大事な事じゃと思うた。
「上洛前に最終的な報告と連絡、そして相談、ほーれんそーやっていきましょ~」
ここ、新しい松の間には政賢様を始め、
祐筆役の政影殿、
外交担当の智円殿、
参謀方の上泉秀胤殿、
諜報方の真田幸綱殿、
勘定方の瀬川正則殿、
そして副将である儂が参集している。
幸綱殿、正則殿と儂が1年前よりこの会議に加わったが、これ以上話し合われることが多岐にわたると、さらに人数を増やさねばなるまい。
産業と教育、司法、そして金融経済(と名付けられた)に関する役目を作ることになっている。
そろそろこの秘密の円卓会議ではなく、評定衆を設け評定を定期的に開かねばとの方向で話が進んでいる。
これは責任ある部署の人材を育成するに数年は要するであろうな。
……儂の後釜も育成しなければならん。
儂ももう歳じゃ。
今年65。
あと3年かの。
人間50年。
我ながらよう生きたわい。
まだまだ気は誰にも負けぬが、もう体が動かぬ。
折角、良き主君を得た故、一働きしてから後進に席を譲らねばならぬな。
一抹の寂しさもあるが、これも人の常。
「やっと前久のおぼっちゃまが帰っていったので上洛出来るけど、ちゃんと留守の体制を整えていかないとね。まずきちんと認識しておかないといけないのは、今回何故上洛するかです!」
殿がいない間は、儂が総指揮を執ることになる故、改めてきちんと状況を整理して頭に入れねばならぬ。
「……じゃあ、下野の人たちはまだ内紛しているわけね。
佐竹さんちも巻き込んで」
「如何にも。
故に北条の武蔵と下総には手が出ませなんだ。古河公方が調停に入るも纏らず、その間隙を突くように里見が浸透し、下総の大半と東武蔵を手に入れ申すことに。
今では古河公方を勢力範囲に入れたとも言えます。以前から外交で好感度を上げていた模様にて」
智円殿が答える。
古河公方、足利晴氏様は憲当様のような傍迷惑な御仁ではないが、権威だけで何も出来ぬ方。
まだ幕府の権威の使いようがある上方と違って、坂東では鎌倉公方と関東管領の威が急激に低下して居る。
大胡の殿に対する上杉憲当様の不当な扱いがきっかけに、古河公方が関東管領として扱っていた北条の凋落と共に、両職の権威がなし崩し的に失墜していった。
真の戦の世になったのじゃ。
「由良のおとやんと、佐野ちゃんはどったの?
まだ忍城囲んでいる?」
「は。殿より供与された銭と兵糧を、殿の提案された付け城の築城に使わず、兵糧攻めをして早半年。今は撤退を考えている様子」
秀胤殿の報告に儂も付け足しをする。
「あの城は湿地帯の中に建っておりますれば、周りは殆どが沼にて通路となる場所は3つのみ。我攻めなどでは10万の兵でもよう落ちませぬ。大筒も届きませぬ。
故に兵糧攻めとなったのでしょうが、城主の成田長泰は端から承知。数年分の兵糧を蓄えておりましょう」
「だよね~。攻めるとすれば……水攻め! でも、やれる銭ある人いないでしょ」
「殿がおりまする」
皆がにやりと笑う。
水攻めなどどれだけ銭が必要であろうか。考えただけでも気が遠くなるわい。じゃが、一度は見て見たい気もする。
「結局、河越まで大胡領になっちゃったね。由良のおとやんに譲ったのに。
まあそのうち開城するのは当たり前なんだけどしぶといねェ、成田君。
弟殺されてガチになっちゃった? 佐野っちも出てこれないし。お蔭で武田領と平地でつながっちゃいました」
武田は今年の春、越後の北条高広を調略し反乱を起こさせ、宿敵となっている景虎殿の足を封じている間に坂東に侵入。
北条の武蔵西部、三田氏の勝沼城と辛垣城を囲み、臣従させた。狭山・入間付近の丘陵にて大胡は武田と領地を接することとなった。
河越城には太田殿が入り武田に睨みを利かせている。
武田はその勢いを駆り江戸城を突こうとしたが、そこで里見氏と衝突しそうになる。しかし両者供、諍いは起こしたくないと江戸の南にある港町品川にて会談。
里見は多摩川以南に手を出さない代わりに江戸を取ることで手打ちとなった。
現在、あまりにも手を広げすぎた武田と里見は、領地の仕置で手いっぱいであろう。
「しかたないよね。武蔵の村からどんどん、大胡に統治されたいという直訴が来るんだもん。無下には断れないし」
「しかし、内政官がもうおりませぬ。現在火急の勢いにて育てておりまするが、今はこれ以上手を広げる事、難しいかと」
正則殿が諫める。
「まったくね。他の大名は何考えているんだか。領地取ってもそこを経営できなければ反乱祭りになるのに、なぜそんなに強欲なんかなぁ。百姓の身にもなってちょうだい」
「領主と主だった士分を領地経営が出来なくなるまで減らしたのは、どなたでしたかな?」
瀬川殿がニタリと笑う。
領地経営の厳しさを誰よりも分かっている者の顔だ。
「大名が直接統治することなど、ほとんどありませぬからな。在地の国衆が代々の信頼の上で差配、年貢の徴収と徴兵をするのが当たり前。殿はそれを壊してしまわれた。今後、益々坂東南部は荒れまするな」
「そして、そこを奪い取り直接統治をなさるおつもりとお見受けいたすが、その際には多くの民が艱難辛苦を経験いたすでしょう……」
殿は儂の言葉で少し顔を顰めたが、言葉にすることでご自分の心を新たにするように力を込めた声色で次のようなことを仰られた。
「戦は嫌いだ。人死にも嫌いだ……
だけど、新しい世を作り出すのには、古き仕来りの破壊が付きもの。
今、戦の世を収め近代国家を作らねば、長い間子々孫々が苦難を強いられる。殻を壊せば、硬い殻であればあるほど割れた殻で手を怪我するかもしれない。
だが、僕の手などどうでもいい。出来得る限り人死には出さないつもりだが、妨害する者は叩き潰す!」
殿らしくない激しい言葉だ。
単なる優しい若者ではないのだ。これが本当の殿の御心なのであろう。こうでなければ尽くし甲斐、奉公のし甲斐がないというもの。
上杉の臣下であった時が地獄であったか。
儂は果報者じゃ。
最後の最後でよい決断をしたものよ。
あとはよい死に場所を見つけるだけじゃな。
「で~、品川はどうなったのん?
あそこは商業と交通の要衝。諸勢力が皆何としても抑えたいと思ってるんじゃない?」
それには智円殿が答える
「今までの経緯を追って説明し、現在の状況を整理いたしまする。
今川は湯ヶ島の砂金目当てで伊豆を取った後、勢いに任せて小田原城に迫り、そこで太原雪斎殿が動き申した。
箱根湯本の早雲寺において北条氏政殿、長綱殿と会談。北条は今川の同盟という名の臣従をいたしました。
そしてつい先週、氏康の次男、藤菊丸(後の北条氏照)を駿府へ人質として送り申した。これにて今川は相模・三河と東西に防御線を張った事になり申す」
「うえ~~。なんだか厄介な防御線だね。いつも内紛反乱起こしていそう。僕は勘弁」
「そして品川ですが、相模西部を今川が押さえ、八王子・稲城・相模原までを武田が。品川の北は里見。
品川はこの3者による独占を防ぐために江戸城にて会談が行われ、品川の自治を認めることになり申した。
新たに組織された会合衆の頭、酒屋で海上輸送を営む鈴木道胤を中心とした自警団組織、その主力が……」
「殿の支援を受けた法華宗徒と根来衆、そして風魔の残党。
これに磐梯屋を通じて鉄砲や弩弓を融通されましたが、本当に纏まると観ておいでなのか?」
風魔は箱根を捨てた。
もうそこまでしないと一族を存続することが出来なくなっていた。今は殿の支援で山岳猟兵隊として再編されている。
「だって、鈴木ちゃんとの繋ぎは熊野の流れを汲んでいる家系なので熊野権現繋がりで、歩き巫女の桜女の姉さんにつけてもらえたけど、本人がもう熱心を通り越した法華宗徒だから仕方ないよ。
他の宗門を入れるとしたら京都五山の禅宗あたりだけど人が集まらない~。
雑兵雇うのは間者対策もあるからもっと危険」
そのような内幕があったのか。
この辺りは、これから上洛した折に話を付けてくるのであろうが、先に法華宗と手を組むこと、決めてよいものなのか?
儂には分からぬ。
「これで品川は一応、独立自治を勝ち取ることが出来、その裏に大胡がいる事は周知の事実となり申した。大胡にとって、ここが大事な足掛かりとなると共に、新たなる火種になること必定。皆が心せねばなりませぬ」
儂の分からぬことと言えば、最も大事な事。
戦略と申したか。
なぜ今上洛すること必要なのであろうか。そして主敵は何処なのか。何故なのか。薄っすらとはわかっておるが、ここははっきりとさせておかねばならぬ。
「殿。今更ながらお伺いしたい。
これから大胡は誰と戦わねばならぬのでしょうか? 武田か、関東管領を擁護する長尾か、里見と宇都宮なのか。はたまた今川なのか?
儂は上野国から出ての戦の経験、武蔵中部までしかござらぬ。
お教え願えれば頑健に殿のお帰りまでお守りいたす所存」
「儂のような一介の土豪に副将は荷が重い」
と申し上げたときもあった。
じゃがそれは誰も同じ、未経験な事だと言い返された。ならば皆の信頼できる上野の武将が良いと言われこれを受けた。
「ん~。外交戦略。結構考えたけどね。まだまだ未知の所があって上洛しないと情報ないのです。畿内で起きることは結局坂東にも波及するし、使える権威なんかもよく吟味しないとだし、銭も関係する。だから早めに上洛しないと。
あと主敵ね。勿論武田。これを押さえなければ大胡は突き崩されちゃう。
地政学的にも大胡の領国真っ二つにできるから強敵になっちゃったけど、今川と同盟しているので脅威倍増。里見と組まれたらもうダメ。だからかげとらにゃんを引き入れて同盟するしかないの。
里見を退治するとしたら利根川で補給路を遮断されるし、江戸湾の制海権は強力な房総水軍が握っている。
それに里見を攻めてくれる同盟国も作れない。あっち海を背負っているから二正面作戦に追い込めない。だから里見は出来る限り外交で押さえないと。
それは智円にーちゃんに任せている。
かげとらにゃんを主敵にするには、あの武田と同盟でもしない限り無理。あそこは争ってもらわないと。だから今回の上洛のついでに越後へ行く。
賭けになるね。
できれば美濃の様子も見ておきたい。うまくすれば尾張を同盟に引き入れることも可能だし、そうすれば今川も怖くない。
つまり武田を孤立させることを前提にした上洛です!」
殿は一気に説明なされた後、冷めた蕎麦茶を啜りつつ愚痴のように皆に語り掛けた。
「できるだけ早く帰ってくるけど向こうで何があるか分かんないし、武田君と里見ちゃんが仲良くなっちゃってこっちへ押し寄せてくるかもしれない……
そうなったら誰にも止められないんじゃよ。怒りに我を忘れて目が赤くなっているし、晴信ちゃん。
光玉や蟲笛じゃもう鎮められない~。もうここまでくるとね。
僕一人じゃ全く分かりません。これから失敗ばっかすると思うけど、皆で意見出し合って進めていこうよ」
北条を追い払い独立した大名になって殿は変わった。
もう大胡の規模が大きくなりすぎたこともあるが、専制的に物事を決めることが少なくなってきたらしい。
そして智円殿に言わせると、一番大きく変わった所は「生き残る」戦略目標が「できるだけ多くの人を豊かにしたい」というものに変わってきたことだそうだ。
「自分で坂東の平和と日ノ本の経済ぶっ壊しちゃったから責任取らなくちゃ」
とのことらしい。
儂らは益々心して、殿が不安にならぬようにしっかりと支えねばなるまい。
支え甲斐のある主君を持てて、改めて幸せを噛み締めた。
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あらすじにある通り、主人公にあるのは日本で得た中途半端な知識のみで、チートに類する卓越した能力はありません。基本的には政略・謀略・軍略といったシリアスな話が主となる予定で、恋愛要素は少なめ、ハーレム要素はもちろんありません。前半は裏方に徹して情報収集や情報操作を行うため、主人公が出てくる戦闘シーンはほとんどありません。
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