8 / 16
第8話
しおりを挟む
「今日、売り場の変更は無いんですか?」
スマートフォンの画面を眺めていたところ、斎藤は姿を見せるなり、開口一番そう尋ねてきた。
壁掛け時計を見れば、アルバイトの子達の出勤時間を示していた。
シフト表を作成しようと事務所へやって来てから小一時間、パソコンの前に座ったものの、作業は一向に進んでいなかった。
それもこれも、送られてきた一件のメッセージのおかげだ。
「好きな子が料理を作ってくれるってなった時に『何が食べたいですか?』って聞かれたら、何て答えるのが正解なんだろうな……」
「とりあえず、食べ物を答えた方がいいんじゃないですか」
要は「君が食べたい」的なジョークはやめた方がいいという賢明なアドバイスだった。
いつもの自分であれば、それくらいの冗談を挟むくらいの余裕はある。
でも、今の自分には心のゆとりがまるで無いのだ。
「食べ物かぁ……ハンバーグは?」
「………………」
「何でだよ。食べ物だろぉ……ハンバーグも……」
単なる質問に対して、ここまで答えに困り果てることになるとは思ってもいなかった。
これまでの、狙っている女の子に訊かれるのと、また訳が違う。
充輝と会えたら、なんて斎藤と話をしていた頃が酷く懐かしい。
今、こうしてその本人とメッセージのやりとりをしているこの現実をどうやっても受け止めてよいものか、未だ心の整理がつかない。
充輝から届いたお礼のメッセージに返事を返したら、また彼から連絡が来た。
マネージャーにストーカーとの一件を報告し、今後の対策について事務所と協議することになったのだという。
「ファンとして、また俺個人としても安心しました」と返事をすれば、またメッセージが返ってきた。
こうして些細なやりとりが続いている。
「で、変更は無いんですか?」
再度、斎藤に強めの口調で訊かれて、ようやく頭が切り替わった。
「あぁ、悪い。アイスのコーナーなんだけど、裏に新商品があるから売り場作って出しておいてくれないか」
販促用のポップもあるからと取り出せば、彼の眉が寄る。
「またですか……」
そう言われてしまうのも無理はない。
アイスのカップを片手に笑顔を振りまいているのは充輝で、先日その本人と話をしていた例の新商品のものだった。
今回に限らず、彼が広告塔を務める商品に関しては積極的に仕入れて販売するようにしていた。
実際ある程度の売上は出るし、何よりどんな形でも力になりたいと思うファン心理が働くのだ。
斎藤はそんな私情も含まれていることを知っているからこそ、呆れているのだ。
「さっき食べたけど味も良かったし、広めに場所取って出してくれていいから」
「………………」
「どうした?」
無言でこちらを見つめてくる相手の、言いたいことには薄々気付いている。
充輝とメッセージのやりとりをするようになって、俺は彼の名前を一切口にしなくなった。
一日に何度も話題にしていた煩い時期から考えれば、違和感も覚えるだろう。
「いえ。わかりました」
ポップを受け取り、斎藤はそのまま事務所を出て行った。
あえて素知らぬ振りをすれば、相手もこちらの意思を尊重してくれる。
本当に、年下の彼にはいつも助けられてばかりだ。
背もたれに体を預け、細く長く息を吐く。
デスクに置いたスマートフォンを手にして再び画面を見つめた。
アイドルとこんな風に話をするようになったら、もっと嬉々として喜んで、それこそ斎藤に勿体振りながら自慢してやるつもりでいた。
「…………これは一体どういうことなんだ…………」
盛大な溜め息とともに頭を抱えたら、通りすがりの同僚に「人が足りてないのか?」と声を掛けられた。
慌てて小さな画面を裏向けにして隠したのだが、相手の目はパソコンに向いていた。
表示していた勤務表を見て問いかけの意味を悟ると、「何とかなってる」と適当に言葉を取り繕った。
過ぎ行く姿を見送ってから、再度、スマートフォンを眺める。
充輝の名前が表示されているけれど、本当に彼がメッセージを送ってきているのだろうか。
実は別人、全く見ず知らずの人とやりとりをしてる、なんてことはないだろうか。
事務所のスタッフだったり、それこそマネージャーなんかが充輝になりすまして送っていたりしないだろうか。
万一そうだとして、そんなことをして一体どうなるのか。
冷静な意見を与えてくれる人もおらず、よくわからない妄想は加速していくばかり。
果たして人生でこんなにも疑心暗鬼になったことがあっただろうか。
まさに混迷を極めた時、ふと我に返る。
「…………でもな……」
メッセージをもう一度読み直してみる。
送信者は俺が手料理に飢えていることを覚えていて、改めてお礼をかねて料理をご馳走したいのだという。
そして「何が食べたいか」という質問に繋がってくるのだ。
「………………」
頬杖をつきながら、遠くの方を、あの日の夜を思い返す。
充輝はあの時、確かに自分に対して「俺のことを好きになってもらえませんか」と言った。
紛れもない告白であって、そんな相手からお礼だと言われて食事に誘われても、額面通りに受け取ることなんて到底できない。
スーパーで働くただの一般人と売れっ子のアイドルだぞ。
どうしてこんな展開に行き着くんだ。
呑気に喜ぶこともできないくらい、大いに不思議でならない。
ストーカーの一件で気が向いたのであれば、かなり惚れやすい体質だと見受けられるので、それはそれで心配になる。
でも、その場の空気で口にしたようにはとても見えなかった。
どちらかというと秘めていた想いを伝えてくれたような、そんな印象だ。
それに、そもそも彼は同性が好きだと告げた。
「そうなんだよな…………まさか……」
今をときめくアイドルで、数多の女性を虜にしている彼がゲイだとは。
信じ難いと唸りつつ、散々繰り広げてきた妄想が現実になるかもしれないと思うと、どこか落ち着かなくなってしまう。
充輝とキスをしたり、それ以上のこともするようになるのだろうか。
いやいやいやいや、落ち着け。
ここは職場だ。
「ハァ―ー……マジか…………」
このちっぽけな頭ではとてもではないが処理しきれない事柄が一気に起こってしまった。
だからといって、こうしている間にも相手はきっと返事を待っていることだろう。
悩み抜いた末、半ば自棄になりながら今純粋に食べたいものである「ハンバーグ」を入力して返信した。
スマートフォンの画面を眺めていたところ、斎藤は姿を見せるなり、開口一番そう尋ねてきた。
壁掛け時計を見れば、アルバイトの子達の出勤時間を示していた。
シフト表を作成しようと事務所へやって来てから小一時間、パソコンの前に座ったものの、作業は一向に進んでいなかった。
それもこれも、送られてきた一件のメッセージのおかげだ。
「好きな子が料理を作ってくれるってなった時に『何が食べたいですか?』って聞かれたら、何て答えるのが正解なんだろうな……」
「とりあえず、食べ物を答えた方がいいんじゃないですか」
要は「君が食べたい」的なジョークはやめた方がいいという賢明なアドバイスだった。
いつもの自分であれば、それくらいの冗談を挟むくらいの余裕はある。
でも、今の自分には心のゆとりがまるで無いのだ。
「食べ物かぁ……ハンバーグは?」
「………………」
「何でだよ。食べ物だろぉ……ハンバーグも……」
単なる質問に対して、ここまで答えに困り果てることになるとは思ってもいなかった。
これまでの、狙っている女の子に訊かれるのと、また訳が違う。
充輝と会えたら、なんて斎藤と話をしていた頃が酷く懐かしい。
今、こうしてその本人とメッセージのやりとりをしているこの現実をどうやっても受け止めてよいものか、未だ心の整理がつかない。
充輝から届いたお礼のメッセージに返事を返したら、また彼から連絡が来た。
マネージャーにストーカーとの一件を報告し、今後の対策について事務所と協議することになったのだという。
「ファンとして、また俺個人としても安心しました」と返事をすれば、またメッセージが返ってきた。
こうして些細なやりとりが続いている。
「で、変更は無いんですか?」
再度、斎藤に強めの口調で訊かれて、ようやく頭が切り替わった。
「あぁ、悪い。アイスのコーナーなんだけど、裏に新商品があるから売り場作って出しておいてくれないか」
販促用のポップもあるからと取り出せば、彼の眉が寄る。
「またですか……」
そう言われてしまうのも無理はない。
アイスのカップを片手に笑顔を振りまいているのは充輝で、先日その本人と話をしていた例の新商品のものだった。
今回に限らず、彼が広告塔を務める商品に関しては積極的に仕入れて販売するようにしていた。
実際ある程度の売上は出るし、何よりどんな形でも力になりたいと思うファン心理が働くのだ。
斎藤はそんな私情も含まれていることを知っているからこそ、呆れているのだ。
「さっき食べたけど味も良かったし、広めに場所取って出してくれていいから」
「………………」
「どうした?」
無言でこちらを見つめてくる相手の、言いたいことには薄々気付いている。
充輝とメッセージのやりとりをするようになって、俺は彼の名前を一切口にしなくなった。
一日に何度も話題にしていた煩い時期から考えれば、違和感も覚えるだろう。
「いえ。わかりました」
ポップを受け取り、斎藤はそのまま事務所を出て行った。
あえて素知らぬ振りをすれば、相手もこちらの意思を尊重してくれる。
本当に、年下の彼にはいつも助けられてばかりだ。
背もたれに体を預け、細く長く息を吐く。
デスクに置いたスマートフォンを手にして再び画面を見つめた。
アイドルとこんな風に話をするようになったら、もっと嬉々として喜んで、それこそ斎藤に勿体振りながら自慢してやるつもりでいた。
「…………これは一体どういうことなんだ…………」
盛大な溜め息とともに頭を抱えたら、通りすがりの同僚に「人が足りてないのか?」と声を掛けられた。
慌てて小さな画面を裏向けにして隠したのだが、相手の目はパソコンに向いていた。
表示していた勤務表を見て問いかけの意味を悟ると、「何とかなってる」と適当に言葉を取り繕った。
過ぎ行く姿を見送ってから、再度、スマートフォンを眺める。
充輝の名前が表示されているけれど、本当に彼がメッセージを送ってきているのだろうか。
実は別人、全く見ず知らずの人とやりとりをしてる、なんてことはないだろうか。
事務所のスタッフだったり、それこそマネージャーなんかが充輝になりすまして送っていたりしないだろうか。
万一そうだとして、そんなことをして一体どうなるのか。
冷静な意見を与えてくれる人もおらず、よくわからない妄想は加速していくばかり。
果たして人生でこんなにも疑心暗鬼になったことがあっただろうか。
まさに混迷を極めた時、ふと我に返る。
「…………でもな……」
メッセージをもう一度読み直してみる。
送信者は俺が手料理に飢えていることを覚えていて、改めてお礼をかねて料理をご馳走したいのだという。
そして「何が食べたいか」という質問に繋がってくるのだ。
「………………」
頬杖をつきながら、遠くの方を、あの日の夜を思い返す。
充輝はあの時、確かに自分に対して「俺のことを好きになってもらえませんか」と言った。
紛れもない告白であって、そんな相手からお礼だと言われて食事に誘われても、額面通りに受け取ることなんて到底できない。
スーパーで働くただの一般人と売れっ子のアイドルだぞ。
どうしてこんな展開に行き着くんだ。
呑気に喜ぶこともできないくらい、大いに不思議でならない。
ストーカーの一件で気が向いたのであれば、かなり惚れやすい体質だと見受けられるので、それはそれで心配になる。
でも、その場の空気で口にしたようにはとても見えなかった。
どちらかというと秘めていた想いを伝えてくれたような、そんな印象だ。
それに、そもそも彼は同性が好きだと告げた。
「そうなんだよな…………まさか……」
今をときめくアイドルで、数多の女性を虜にしている彼がゲイだとは。
信じ難いと唸りつつ、散々繰り広げてきた妄想が現実になるかもしれないと思うと、どこか落ち着かなくなってしまう。
充輝とキスをしたり、それ以上のこともするようになるのだろうか。
いやいやいやいや、落ち着け。
ここは職場だ。
「ハァ―ー……マジか…………」
このちっぽけな頭ではとてもではないが処理しきれない事柄が一気に起こってしまった。
だからといって、こうしている間にも相手はきっと返事を待っていることだろう。
悩み抜いた末、半ば自棄になりながら今純粋に食べたいものである「ハンバーグ」を入力して返信した。
0
お気に入りに追加
51
あなたにおすすめの小説
【完結】遍く、歪んだ花たちに。
古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。
和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。
「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」
No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。
逢瀬はシャワールームで
イセヤ レキ
BL
高飛び込み選手の湊(みなと)がシャワーを浴びていると、見たことのない男(駿琉・かける)がその個室に押し入ってくる。
シャワールームでエロい事をされ、主人公がその男にあっさり快楽堕ちさせられるお話。
高校生のBLです。
イケメン競泳選手×女顔高飛込選手(ノンケ)
攻めによるフェラ描写あり、注意。
【完結】巨人族に二人ががりで溺愛されている俺は淫乱天使さまらしいです
浅葱
BL
異世界に召喚された社会人が、二人の巨人族に買われてどろどろに愛される物語です。
愛とかわいいエロが満載。
男しかいない世界にトリップした俺。それから五年、その世界で俺は冒険者として身を立てていた。パーティーメンバーにも恵まれ、順風満帆だと思われたが、その関係は三十歳の誕生日に激変する。俺がまだ童貞だと知ったパーティーメンバーは、あろうことか俺を奴隷商人に売ったのだった。
この世界では30歳まで童貞だと、男たちに抱かれなければ死んでしまう存在「天使」に変わってしまうのだという。
失意の内に売られた先で巨人族に抱かれ、その巨人族に買い取られた後は毎日二人の巨人族に溺愛される。
そんな生活の中、初恋の人に出会ったことで俺は気力を取り戻した。
エロテクを学ぶ為に巨人族たちを心から受け入れる俺。
そんな大きいの入んない! って思うのに抱かれたらめちゃくちゃ気持ちいい。
体格差のある3P/二輪挿しが基本です(ぉぃ)/二輪挿しではなくても巨根でヤられます。
乳首責め、尿道責め、結腸責め、複数Hあり。巨人族以外にも抱かれます。(触手族混血等)
一部かなり最後の方でリバありでふ。
ハッピーエンド保証。
「冴えないサラリーマンの僕が異世界トリップしたら王様に!?」「イケメンだけど短小な俺が異世界に召喚されたら」のスピンオフですが、読まなくてもお楽しみいただけます。
天使さまの生態についてfujossyに設定を載せています。
「天使さまの愛で方」https://fujossy.jp/books/17868
そばにいてほしい。
15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。
そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。
──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。
幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け
安心してください、ハピエンです。
最愛の幼馴染みに大事な××を奪われました。
月夜野繭
BL
昔から片想いをしていた幼馴染みと、初めてセックスした。ずっと抑えてきた欲望に負けて夢中で抱いた。そして翌朝、彼は部屋からいなくなっていた。俺たちはもう、幼馴染みどころか親友ですらなくなってしまったのだ。
――そう覚悟していたのに、なぜあいつのほうから連絡が来るんだ? しかも、一緒に出かけたい場所があるって!?
DK×DKのこじらせ両片想いラブ。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
※R18シーンには★印を付けています。
※他サイトにも掲載しています。
※2022年8月、改稿してタイトルを変更しました(旧題:俺の純情を返せ ~初恋の幼馴染みが小悪魔だった件~)。
僕のために、忘れていて
ことわ子
BL
男子高校生のリュージは事故に遭い、最近の記憶を無くしてしまった。しかし、無くしたのは最近の記憶で家族や友人のことは覚えており、別段困ることは無いと思っていた。ある一点、全く記憶にない人物、黒咲アキが自分の恋人だと訪ねてくるまでは────
キンモクセイは夏の記憶とともに
広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。
小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。
田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。
そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。
純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。
しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。
「俺になんてもったいない!」
素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。
性描写のある話は【※】をつけていきます。
上司と雨宿りしたら、蕩けるほど溺愛されました
藍沢真啓/庚あき
BL
恋人から仕事の残業があるとドタキャンをされた槻宮柚希は、帰宅途中、残業中である筈の恋人が、自分とは違う男性と一緒にラブホテルに入っていくのを目撃してしまう。
愛ではなかったものの好意があった恋人からの裏切りに、強がって別れのメッセージを送ったら、なぜか現れたのは会社の上司でもある嵯峨零一。
すったもんだの末、降り出した雨が勢いを増し、雨宿りの為に入ったのは、恋人が他の男とくぐったラブホテル!?
上司はノンケの筈だし、大丈夫…だよね?
ヤンデレ執着心強い上司×失恋したばかりの部下
甘イチャラブコメです。
上司と雨宿りしたら恋人になりました、のBLバージョンとなりますが、キャラクターの名前、性格、展開等が違います。
そちらも楽しんでいただければ幸いでございます。
また、Fujossyさんのコンテストの参加作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる