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第8話
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「今日、売り場の変更は無いんですか?」
スマートフォンの画面を眺めていたところ、斎藤は姿を見せるなり、開口一番そう尋ねてきた。
壁掛け時計を見れば、アルバイトの子達の出勤時間を示していた。
シフト表を作成しようと事務所へやって来てから小一時間、パソコンの前に座ったものの、作業は一向に進んでいなかった。
それもこれも、送られてきた一件のメッセージのおかげだ。
「好きな子が料理を作ってくれるってなった時に『何が食べたいですか?』って聞かれたら、何て答えるのが正解なんだろうな……」
「とりあえず、食べ物を答えた方がいいんじゃないですか」
要は「君が食べたい」的なジョークはやめた方がいいという賢明なアドバイスだった。
いつもの自分であれば、それくらいの冗談を挟むくらいの余裕はある。
でも、今の自分には心のゆとりがまるで無いのだ。
「食べ物かぁ……ハンバーグは?」
「………………」
「何でだよ。食べ物だろぉ……ハンバーグも……」
単なる質問に対して、ここまで答えに困り果てることになるとは思ってもいなかった。
これまでの、狙っている女の子に訊かれるのと、また訳が違う。
充輝と会えたら、なんて斎藤と話をしていた頃が酷く懐かしい。
今、こうしてその本人とメッセージのやりとりをしているこの現実をどうやっても受け止めてよいものか、未だ心の整理がつかない。
充輝から届いたお礼のメッセージに返事を返したら、また彼から連絡が来た。
マネージャーにストーカーとの一件を報告し、今後の対策について事務所と協議することになったのだという。
「ファンとして、また俺個人としても安心しました」と返事をすれば、またメッセージが返ってきた。
こうして些細なやりとりが続いている。
「で、変更は無いんですか?」
再度、斎藤に強めの口調で訊かれて、ようやく頭が切り替わった。
「あぁ、悪い。アイスのコーナーなんだけど、裏に新商品があるから売り場作って出しておいてくれないか」
販促用のポップもあるからと取り出せば、彼の眉が寄る。
「またですか……」
そう言われてしまうのも無理はない。
アイスのカップを片手に笑顔を振りまいているのは充輝で、先日その本人と話をしていた例の新商品のものだった。
今回に限らず、彼が広告塔を務める商品に関しては積極的に仕入れて販売するようにしていた。
実際ある程度の売上は出るし、何よりどんな形でも力になりたいと思うファン心理が働くのだ。
斎藤はそんな私情も含まれていることを知っているからこそ、呆れているのだ。
「さっき食べたけど味も良かったし、広めに場所取って出してくれていいから」
「………………」
「どうした?」
無言でこちらを見つめてくる相手の、言いたいことには薄々気付いている。
充輝とメッセージのやりとりをするようになって、俺は彼の名前を一切口にしなくなった。
一日に何度も話題にしていた煩い時期から考えれば、違和感も覚えるだろう。
「いえ。わかりました」
ポップを受け取り、斎藤はそのまま事務所を出て行った。
あえて素知らぬ振りをすれば、相手もこちらの意思を尊重してくれる。
本当に、年下の彼にはいつも助けられてばかりだ。
背もたれに体を預け、細く長く息を吐く。
デスクに置いたスマートフォンを手にして再び画面を見つめた。
アイドルとこんな風に話をするようになったら、もっと嬉々として喜んで、それこそ斎藤に勿体振りながら自慢してやるつもりでいた。
「…………これは一体どういうことなんだ…………」
盛大な溜め息とともに頭を抱えたら、通りすがりの同僚に「人が足りてないのか?」と声を掛けられた。
慌てて小さな画面を裏向けにして隠したのだが、相手の目はパソコンに向いていた。
表示していた勤務表を見て問いかけの意味を悟ると、「何とかなってる」と適当に言葉を取り繕った。
過ぎ行く姿を見送ってから、再度、スマートフォンを眺める。
充輝の名前が表示されているけれど、本当に彼がメッセージを送ってきているのだろうか。
実は別人、全く見ず知らずの人とやりとりをしてる、なんてことはないだろうか。
事務所のスタッフだったり、それこそマネージャーなんかが充輝になりすまして送っていたりしないだろうか。
万一そうだとして、そんなことをして一体どうなるのか。
冷静な意見を与えてくれる人もおらず、よくわからない妄想は加速していくばかり。
果たして人生でこんなにも疑心暗鬼になったことがあっただろうか。
まさに混迷を極めた時、ふと我に返る。
「…………でもな……」
メッセージをもう一度読み直してみる。
送信者は俺が手料理に飢えていることを覚えていて、改めてお礼をかねて料理をご馳走したいのだという。
そして「何が食べたいか」という質問に繋がってくるのだ。
「………………」
頬杖をつきながら、遠くの方を、あの日の夜を思い返す。
充輝はあの時、確かに自分に対して「俺のことを好きになってもらえませんか」と言った。
紛れもない告白であって、そんな相手からお礼だと言われて食事に誘われても、額面通りに受け取ることなんて到底できない。
スーパーで働くただの一般人と売れっ子のアイドルだぞ。
どうしてこんな展開に行き着くんだ。
呑気に喜ぶこともできないくらい、大いに不思議でならない。
ストーカーの一件で気が向いたのであれば、かなり惚れやすい体質だと見受けられるので、それはそれで心配になる。
でも、その場の空気で口にしたようにはとても見えなかった。
どちらかというと秘めていた想いを伝えてくれたような、そんな印象だ。
それに、そもそも彼は同性が好きだと告げた。
「そうなんだよな…………まさか……」
今をときめくアイドルで、数多の女性を虜にしている彼がゲイだとは。
信じ難いと唸りつつ、散々繰り広げてきた妄想が現実になるかもしれないと思うと、どこか落ち着かなくなってしまう。
充輝とキスをしたり、それ以上のこともするようになるのだろうか。
いやいやいやいや、落ち着け。
ここは職場だ。
「ハァ―ー……マジか…………」
このちっぽけな頭ではとてもではないが処理しきれない事柄が一気に起こってしまった。
だからといって、こうしている間にも相手はきっと返事を待っていることだろう。
悩み抜いた末、半ば自棄になりながら今純粋に食べたいものである「ハンバーグ」を入力して返信した。
スマートフォンの画面を眺めていたところ、斎藤は姿を見せるなり、開口一番そう尋ねてきた。
壁掛け時計を見れば、アルバイトの子達の出勤時間を示していた。
シフト表を作成しようと事務所へやって来てから小一時間、パソコンの前に座ったものの、作業は一向に進んでいなかった。
それもこれも、送られてきた一件のメッセージのおかげだ。
「好きな子が料理を作ってくれるってなった時に『何が食べたいですか?』って聞かれたら、何て答えるのが正解なんだろうな……」
「とりあえず、食べ物を答えた方がいいんじゃないですか」
要は「君が食べたい」的なジョークはやめた方がいいという賢明なアドバイスだった。
いつもの自分であれば、それくらいの冗談を挟むくらいの余裕はある。
でも、今の自分には心のゆとりがまるで無いのだ。
「食べ物かぁ……ハンバーグは?」
「………………」
「何でだよ。食べ物だろぉ……ハンバーグも……」
単なる質問に対して、ここまで答えに困り果てることになるとは思ってもいなかった。
これまでの、狙っている女の子に訊かれるのと、また訳が違う。
充輝と会えたら、なんて斎藤と話をしていた頃が酷く懐かしい。
今、こうしてその本人とメッセージのやりとりをしているこの現実をどうやっても受け止めてよいものか、未だ心の整理がつかない。
充輝から届いたお礼のメッセージに返事を返したら、また彼から連絡が来た。
マネージャーにストーカーとの一件を報告し、今後の対策について事務所と協議することになったのだという。
「ファンとして、また俺個人としても安心しました」と返事をすれば、またメッセージが返ってきた。
こうして些細なやりとりが続いている。
「で、変更は無いんですか?」
再度、斎藤に強めの口調で訊かれて、ようやく頭が切り替わった。
「あぁ、悪い。アイスのコーナーなんだけど、裏に新商品があるから売り場作って出しておいてくれないか」
販促用のポップもあるからと取り出せば、彼の眉が寄る。
「またですか……」
そう言われてしまうのも無理はない。
アイスのカップを片手に笑顔を振りまいているのは充輝で、先日その本人と話をしていた例の新商品のものだった。
今回に限らず、彼が広告塔を務める商品に関しては積極的に仕入れて販売するようにしていた。
実際ある程度の売上は出るし、何よりどんな形でも力になりたいと思うファン心理が働くのだ。
斎藤はそんな私情も含まれていることを知っているからこそ、呆れているのだ。
「さっき食べたけど味も良かったし、広めに場所取って出してくれていいから」
「………………」
「どうした?」
無言でこちらを見つめてくる相手の、言いたいことには薄々気付いている。
充輝とメッセージのやりとりをするようになって、俺は彼の名前を一切口にしなくなった。
一日に何度も話題にしていた煩い時期から考えれば、違和感も覚えるだろう。
「いえ。わかりました」
ポップを受け取り、斎藤はそのまま事務所を出て行った。
あえて素知らぬ振りをすれば、相手もこちらの意思を尊重してくれる。
本当に、年下の彼にはいつも助けられてばかりだ。
背もたれに体を預け、細く長く息を吐く。
デスクに置いたスマートフォンを手にして再び画面を見つめた。
アイドルとこんな風に話をするようになったら、もっと嬉々として喜んで、それこそ斎藤に勿体振りながら自慢してやるつもりでいた。
「…………これは一体どういうことなんだ…………」
盛大な溜め息とともに頭を抱えたら、通りすがりの同僚に「人が足りてないのか?」と声を掛けられた。
慌てて小さな画面を裏向けにして隠したのだが、相手の目はパソコンに向いていた。
表示していた勤務表を見て問いかけの意味を悟ると、「何とかなってる」と適当に言葉を取り繕った。
過ぎ行く姿を見送ってから、再度、スマートフォンを眺める。
充輝の名前が表示されているけれど、本当に彼がメッセージを送ってきているのだろうか。
実は別人、全く見ず知らずの人とやりとりをしてる、なんてことはないだろうか。
事務所のスタッフだったり、それこそマネージャーなんかが充輝になりすまして送っていたりしないだろうか。
万一そうだとして、そんなことをして一体どうなるのか。
冷静な意見を与えてくれる人もおらず、よくわからない妄想は加速していくばかり。
果たして人生でこんなにも疑心暗鬼になったことがあっただろうか。
まさに混迷を極めた時、ふと我に返る。
「…………でもな……」
メッセージをもう一度読み直してみる。
送信者は俺が手料理に飢えていることを覚えていて、改めてお礼をかねて料理をご馳走したいのだという。
そして「何が食べたいか」という質問に繋がってくるのだ。
「………………」
頬杖をつきながら、遠くの方を、あの日の夜を思い返す。
充輝はあの時、確かに自分に対して「俺のことを好きになってもらえませんか」と言った。
紛れもない告白であって、そんな相手からお礼だと言われて食事に誘われても、額面通りに受け取ることなんて到底できない。
スーパーで働くただの一般人と売れっ子のアイドルだぞ。
どうしてこんな展開に行き着くんだ。
呑気に喜ぶこともできないくらい、大いに不思議でならない。
ストーカーの一件で気が向いたのであれば、かなり惚れやすい体質だと見受けられるので、それはそれで心配になる。
でも、その場の空気で口にしたようにはとても見えなかった。
どちらかというと秘めていた想いを伝えてくれたような、そんな印象だ。
それに、そもそも彼は同性が好きだと告げた。
「そうなんだよな…………まさか……」
今をときめくアイドルで、数多の女性を虜にしている彼がゲイだとは。
信じ難いと唸りつつ、散々繰り広げてきた妄想が現実になるかもしれないと思うと、どこか落ち着かなくなってしまう。
充輝とキスをしたり、それ以上のこともするようになるのだろうか。
いやいやいやいや、落ち着け。
ここは職場だ。
「ハァ―ー……マジか…………」
このちっぽけな頭ではとてもではないが処理しきれない事柄が一気に起こってしまった。
だからといって、こうしている間にも相手はきっと返事を待っていることだろう。
悩み抜いた末、半ば自棄になりながら今純粋に食べたいものである「ハンバーグ」を入力して返信した。
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