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第4話

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バックヤードで商品の在庫数を確認し、乳製品売り場へやってきた。
安売りをしていたスライスチーズの発注をする為だ。
予想を上回る売れ行きで、少し多めに注文しないと数が足りなくなってしまうかもしれない。
ネットか、テレビか。
どこかの媒体でチーズが取り上げられたのだろうか。
体にいいだとか、美味しい食べ方だったり、そういった話題で特定の品が突如として売れてしまうことがたまに起こる。
自分一人の情報収集力ではやはり限度があるので、後でパートやアルバイトに聞いてみよう。
手元の端末を見つめながら、そんな事を考える。
残暑も和らぎ、秋の気配漂う時期に差し掛かってきた。
雲一つない快晴のおかげもあってか、日曜の昼下がりは皆遠出をしているようだ。
都心からそれなりに離れた町の、住宅街にあるスーパースマイルは人もまばらで少し物寂しい。

「すみません。この商品って、もうワンサイズ小さいものってありますか?」

声を掛けられ、振り返る。
キャップを目深に被った黒っぽい出で立ちの青年が立っていた。
手にしたカゴの中から、彼はパン粉を取り出した。
いつも通り「いらっしゃいませ」という挨拶と共に応対しようと笑顔を作ろうとする。
ところが、顔を上げた青年と目が合った途端、全てがどこかへ飛んでいってしまった。

「……え。……何で……?」

日常に突如現れた光景はあまりにも非現実過ぎて信じ難かった。
自分の目を疑う。
何度も目を擦り、瞬かせて、見開いて確かめた。
黒のジャージを着た男なんて、その辺にいくらでもいる。
パン粉を片手にこちらの様子を窺う姿にトップアイドルのオーラなんて欠片も無い。
どこからどう見ても普通の青年で、でも彼は、長谷川充輝だった。

「充輝さん……ですよね?」

現実を前にしてもなお、疑う心が声に滲み出る。
相手はあっさり肯定しつつ、何かを思い出したようだ。
たいそう驚いた顔をする。
予想外の展開はさらに続く。

「チャック全開のお兄さん……!」
「え! お、覚えてるんですか、俺のこと」
「もちろん。忘れる訳ないじゃないですか」

果たしてそれはプラスに解釈していいものなのだろうか。
判断に迷う。
ただ、どんな印象だったにせよ、自分を覚えていてくれたことは単純に嬉しかった。
チャック全開で良かった、なんて思えてしまう。
安直な俺がそれを表情に表すと、充輝は優しく微笑み返してくれる。
整った顔立ちだからこそ形作る表情も綺麗だ。
以前のようにキラキラと光り輝くものは感じられないけれど、人を魅する彼自身の人柄が溢れ出ていた。

「お兄さん、ここで働いてるんですね。びっくりしちゃいましたよ」

若干オーバーなリアクションで胸を撫で下ろす充輝へ、それはこっちの台詞だと言わんばかりに問い返した。

「充輝さんこそ、何でまたこんな所にいらっしゃるんですか?」

街中で見かけた時とは違い、喜びよりも驚きの方が大きい。
外見からプライベートであろうことは一目瞭然だが、だからと言って何故今、この場にいるのか。
彼は少し逡巡した後、言葉を濁した。

「ちょっと、買い物に来たんです。今晩のおかずを探しに」

そう言ってこちらを見つめる瞳は、これ以上は勘弁して欲しいと訴えているように見えた。
あまり深くを尋ねるのは宜しくないと判断し、俺は早々に話題を転換させる。

「そう言えば、パン粉でしたっけ。申し訳ないんですが、うちの店に置いているのはそれが一番小さいサイズになるんですよ」
「そうなんですか。だったら、仕方ないか」

言葉とは裏腹に、充輝は明らかに安堵した。
そんな相手を見て、自分もまた肩を撫で下ろす。
相手は芸能人だ。
自分と違って、些細な問い掛けでも、聞かれて困ることもあるのだろう。
プライベートだというのにファンに捕まり、ただでさえ内心迷惑がっているかもしれない。
初対面での一件もあって気を配らずにはいられない。

「あと、キムチも探してるんですけど、売り場ってどこにありますか?」

口頭で説明できる規模の店だが、ここで別れてしまうのは惜しいと思ってしまった。
せっかく充輝と言葉を交わす機会に巡り会えたのだ。
今の時間帯は、幸いお客さんも少ないどころか、店員もパートとアルバイトが入れ替わる時間でもある。
現に自分達の周りには一組の老夫婦がいるだけだ。
もう少しだけでいい。
この時間を堪能したい。
そのくらいの欲は許されるだろうと自分で自分に言い訳をして、告げた。

「キムチですか。案内しますよ。こちらです」

彼に先立って歩きながら、時折後ろを見遣り、相手の様子を伺う。
店内を見て回っていないためだろう。
視線が忙しなくあちらこちらへ移っていく。
些かゆったりとした歩調に合わせるよう、こちらも緩めて歩く。
単純に急ぐ用も無いんだろうけど、気の緩んだ雰囲気は無防備で、それが無性に嬉しく感じられたのだ。
人知れずささやかな幸せに浸る。
青果部門と日配部門の境に漬物のコーナーはあり、そこにキムチも陳列していた。
一口にキムチと言っても、辛いものと甘みの強いもの、小分けにされた食べきりサイズもあるし、何より白菜だけでなく、大根やキュウリを漬けたものもある。
値段もピンからキリまでそれぞれだ。
さして広くもない売り場には一通りの要望に応えられるよう、取り揃えた商品が並んでいる。

「ここなんですけど、どんなものをお探しですか?」
「料理に使うんで量が多い方がいいんですよね…。どれが美味しいんですか?」

たまにこういった類の質問を受ける。
商品を提供する者の義務として、できるだけ味を確かめるようにはしている。
どんなものが入っていて、どれくらいの量で、どういった味なのか。
そうした問いにはいくらでも答えられる。
けれど、味の良し悪しというのは、結局のところその人の味覚の問題だ。
俺は陳列棚の上から下までをじっくりと眺めながら口を開く。

「味の良し悪しはその人の好みなので何とも言えませんね。しいて言うなら、値段の高いものはやっぱりそれだけ良い材料を使ってますし、安いものは、まぁ……それなりのものを使ってます。どれが充輝さんの口に合うのかは、実際に食べてもらうのが一番ですね」

何とも身も蓋もない話だ。
これで納得してくれる人もいれば、答えになっていないと不満に思われてしまうこともある。
でも、これ以上は答えようがないのだ。
曖昧な笑みを浮かべて右隣へと目を向ける。
こちらを上目に見ていた充輝は唇に緩やかな弧を描いた。
「へぇ」という小声の感嘆を聞く。
何度も瞬かせる大きな瞳は心持ち輝いて見える。

「すごい。通販番組だったら、俺、買っちゃってますよ」
「そ、そうですか?」
「商売上手なんですね。流石だなぁ」

言葉に嫌みは微塵も感じられない。
純粋に感心しているようだった。
思わぬ反応に戸惑っていると、感嘆の溜め息をついた後で充輝は問う。

「それなら、オススメはどれですか?」

黒く丸い瞳がこちらを覗き込む。
ふわりと頬を緩めた笑顔はあどけなくて、とにかく可愛らしい。
まるで射られた矢に胸を突き刺されたような衝撃を受け、目が離せなくなる。
心を鷲掴みにされ

「オ、ススメ……ですか……」
「はい。久保さんのオススメが食べたいです、俺」

にっこりと非の打ちどころのない完璧な笑顔で、名前まで呼んでもらえるなんて。
心を鷲掴みにされた俺はしばらく瞬きをするのも忘れていたけど、はたと気付いた。

「え?  久保って、何で俺の名前を……?」

舞い上がり、宙に浮いていたくらいの気持ちも素朴な疑問でぴたりと収まる。
果たして、自分はどこかで名乗っていただろうか。
覚えている限り、そんな場面は無かったはずだ。
以前声を掛けた時には名前ではなく、下着の色を知られてしまった。
記憶を辿れば辿るほど、謎は深まっていく。
眉を寄せて考え込んでいたら、くすくすと笑う声が聞こえた。
顔を上げれば、まるでいつかのデジャブのようだった。
堪え切れず、それでも控えめに笑いを零す充輝はこちらの視線に気づくと、楽しそうにヒントをくれた。

「何でって、久保さんが教えてくれたんじゃないですか」

そう言われて、糸はさらにこんがらがってしまう。
見兼ねた充輝は俺の胸元を指差した。
追いかけて見遣れば、スマイルマークの描かれたエプロンに「久保」と書かれたネームプレートが付いている。
不思議なくらい、この存在にまで頭が回らなかった。
あまりにも呆気なくて盛大に力が抜けた。

「そうか……。全然気付かなかった……」
「久保さんって本当に面白い人ですね」

本気で考え込んでしまっていた分、自分自身に呆れ返る。
間抜けにもほどがある。
けれど、充輝が楽しそうに笑ってくれていると、そんな気持ちも綺麗さっぱり消えてしまうのだ。
彼の笑顔に勝るものはない。
気付けば、自分も同じように口元を緩めていた。

「ええと、オススメですよね。そうだな……」

ふわふわと浮かれた気分はわかりやすいくらいに声音を弾ませる。
充輝も一緒になって、陳列された商品を物色する。

「でも、充輝さんは甘党だから、あまり辛くない方がいいですかね。一応、白菜ならこっちで、大根でも良ければこれが比較的甘みが強いですよ。もちろん旨みもしっかりあります」
「…………」
「どうかしましたか?」
「……甘いのが好きだって知ってくれてるんですね」
「いや……あのー……」

意外だと目を瞠った相手の反応に、俺はたちまち口ごもる。
いつもの調子でさらりと口にしてしまった。
当の本人に対して、こういった好みを「知っている」体で話してしまうのは、もしかしてあまり良くなかっただろうか。
マズい。
印象が悪くなってしまうことだけは避けたい。
弁解するように慌てて言葉を見繕う。

「そうだ、テレビ。いや、雑誌だったかな。そこでチラッと見たことがあったような気がして……」
「本当に俺のこと応援してくれてるんですね。嬉しいです。ありがとうございます」

感謝の言葉とともに、半歩、充輝がこちらへと近付いてきた。
彼との距離をぐっと近くに感じて、驚きから反射的に後退ってしまいそうになる。
それを引き止めるように、相手は俺が手にした商品を掴んだ。

「ちょうどこれくらいの量が欲しかったんです。これにします」

そうして離れていく姿はまるでスローモーションのように映った。
カゴの中にはキムチ以外にもいくつか食材が入っていて、インスタントの類は見当たらない。
料理が趣味だというニ十一歳男子の腕前はなかなかのものらしい。
こちらはファンならずとも知られている有名な話だ。
自分と言えば、一人暮らしで料理というものに必然性が伴っているものの、一向にその腕は上達しない。

「たくさん買い込まれてますね」
「帰って色々と作ろうかと思ってるんですけど、流石に買い込み過ぎかな」

カゴへ視線を下ろして、充輝は苦笑する。

「料理ってストレスを発散するのに持って来いなんですよ。手のかかる料理ほど、出来上がった時の達成感でスッキリして。ただ、作ってばっかりで食べてくれる人がいないんですよね」
「そうなんですか? 俺ならいくらでも食べますよ」
「半端ない量ですけど、全部食べてくれますか?」
「充輝さんの料理を残すなんて、そんな勿体ないことできません」

きっぱりと言い切った。
結構本気だったのだが、充輝は寂しそうに苦く笑う。
俺はまた何か言葉を間違えたようだ。
彼はカゴを覗き、中身を確認する。
その姿は様になっていて、よくこうして買い物をしているであろうことを窺い知る。
芸能人と言えど、自分とそれほど変わらない生活を送っているのかもしれない。
不意に親近感を呼び起こされる。

「俺の顔に何か付いてますか?」

見つめていることに、声をかけられるまで気付けなかった。
意識を戻せば、充輝は不思議そうな目をこちらに向けていた。

「いえっ。ちょっとぼーっとしちゃって」
「前に会った時も、そんなこと言ってましたよね」
「そうでしたっけ?」
「そんな風に見つめられると、照れちゃうんで……」

冗談とも、そして本気とも取れてしまう何とも曖昧な調子だった。
いや、本気というのはやっぱり俺の願望が見せる幻か。
困ったように笑うその表情をまるで隠すように、相手は視線を逸らす。
追いかけて、もっと見せて欲しいと意地悪を言ってしまいたくなる仕草だ。
決して口にはできない代わりに、彼へ熱い視線を送る。

「それじゃぁ、買い物も済んだので、俺はこれで」

改めて向き直った彼にはもう垣間見た動揺は残っておらず、跡形も無く消えてしまっていた。
整った顔は見知った笑顔を形作る。

「そう、ですか。ありがとうございました。また、いつでも来て下さい」

奇跡的な偶然が引き起こした再会だ。
充輝との間に「また」なんて言葉は意味を成さない。
けれどほんの僅かな希望を込めて伝えた。

「はい。また久保さんに会いに来ますね」

彼のその返事だけでも、自分は舞い上がるほど嬉しかった。


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