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第3話

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部屋の電気を点ける。
途端に明るくなった室内はごく一般的なワンルームアパートのそれだ。
男の一人暮らしとしては不便ない広さはある。
しかし、社会人にもなった成人男性の部屋にしてはクセの強い物が至る所に散らばっている。
例えば、入って直ぐ目につく白の壁だ。
一角だけ、数枚のポスターで覆われている。
そこに写っているのは全て同じ人。
年甲斐も無く自分を首っ丈にしてくれる、アイドルの長谷川充輝だった。

「ただいま……。……疲れた」

誰もいない部屋には虚しく響く。
大学入学を期に一人暮らしを始めたところ、随分と心の内が外へと零れるようになってしまった。
鞄を適当に投げ捨てる。
深夜十二時まで営業していると、しばしば日付を跨いでの帰宅になってしまう。
明日、日付の上ではもう今日になってしまったが、また朝一で準備を行わなければならない。
曜日限定の特売日なのだ。
暦の上ではもう秋なのに、外は相変わらずの熱帯夜だ。
空気の溜まった室内は余計に体を茹だらせ、引きずるような動作で空調のリモコンを操作した。
汗で纏わりつく衣服を何とか脱ぎ捨て、着替えを済ませるとベッドに倒れ込む。
今月、来月と近所の小学校や中学校では遠足やら運動会やらと行事を控えていた。
通常業務に加えてそちらの商戦に向けても備えなくてはならないため、このところ睡眠時間を削られていた。
心身共に疲労困憊で、若さを武器にするのにも薄らと限界が見えてきた。
年齢を感じ始めることが、こんなにも地味に悲しいものだとは思わなかった。
沁みるような虚しさから、さらに力は抜けた。
ふと右上を見上げると、ポスターの一つに吸い寄せられた。
非売品のそれは雑誌のプレゼント企画に応募して手に入れたものだ。
レアという面も含めてとても気に入っている。

「…………本物はすごかったな」

唇に弧を描き、小首を傾げて彼はポスターの中で無邪気に笑っている。
アップで撮られた輝く笑顔を眺めてはいつも思う。
充輝には俗に言う営業スマイルというものが無いのではないか。
それほどに青年の笑顔はいつだって自然体に見える。
好きでやっている仕事でも、笑顔でいられない時はあるものだ。
お客さんと直に接する機会も多いからこそ、笑っていることがどれだけ難しいか、こういう惚れ惚れするような笑顔に出会うと思う。
笑っている顔にはその人の良さが出ると、常々感じていた。
偶然街で充輝と会った時の、彼のあの特段に眩しいくらいの笑顔を思い出す。
太陽みたく輝きを放ちながら温かく照らしてくれて、まるで心まで安らぐようだった。
気付けば目を細めて天井を見つめていた。

「そうだ、忘れるとこだった。今日こそサタデーミュージック見ないと……」

雑誌やらスナック菓子の袋やらで散らかり放題のローテーブルからテレビのリモコンを探し出す。
小型の機器を操作して、録画したものの、なかなか観るところまで辿り着けなかった番組を再生した。
充輝という人を知るきっかけとなったテレビ番組だ。
長谷川充輝は三年前に大手芸能事務所からアイドルとしてデビューした。
メディアへの初出演は日本を代表する歴史あるテレビの音楽番組だった。
晴れの大舞台に、頑張り屋な性格と十八歳という若さもあり、きっと張り切ったにちがいない。
登場シーンからとにかく彼は一生懸命だった。
司会者とのフリートークも身振り手振りのオーバーリアクションで、歌い始めれば緊張している様子が露骨に表れた。
見ているこちらに痛々しく伝わり、印象としては正直良くなかった。
再結成したロックバンドが懐かしの名曲を十年振りに演奏してくれると知り、チャンネルを合わせていただけの俺は、見ているようで見ていない状態だった。
足をとられて底なしの沼に呑み込まれていく彼に、さらなるアクシデントが襲った。
アップを撮ろうとしたカメラに自ら顔を近付け、勢いあまって顔面を激突させたのだ。
なんて間抜けな奴だろう。
打ち所が悪かったのか、ステージの真ん中で蹲る彼をカメラはしばらく映し続けた。
生放送の番組で、ある意味鮮烈なデビューを飾っているなと、皮肉染みた眼差しを向けていた。
けれど次の瞬間、目を奪われた。
大失態を吹き飛ばさん勢いで、充輝は笑った。
ミスをしたことで逆に緊張が解けたのかもしれない。
満面の笑顔だった。
運動神経の良さを活かし、すぐさま体勢を整える。
幾分、輝きの増した表情は決して照明の加減だけではないはずだ。
無駄の無い華麗なダンスと幼さの残る可憐な歌声に、先ほどまでのたどたどしさは微塵も感じられない。
まるで別人で、いつの間にか画面を食い入るように見つめてしまっていた。
曲が終わり、ポーズを決める。
心底安堵した表情で一礼した彼を愛らしいと思えた。
いや、思ってしまった。

「あれから本当にトントン拍子だもんなぁ」

アクシデントをチャンスへと変えてしまう勝負強さ。
そんな姿に好感を持ったのは自分だけではなかった。
若い女性を中心に充輝の人気は急上昇していき、今や国民的アイドルの地位まで上り詰めた。
活動も本業の歌手だけでなく、自然な演技を評価されてドラマや映画にも出演するようになった。
また、バラエティーでもしっかりと結果を残してしまう。
ドッキリの番組だった。
関係者の間で「お人好し」と噂の充輝に災難を仕掛けたら、どんな反応をするのか試すというもの。
ニセ番組の共演者から家族や友人の分のも含めて大量のサイン色紙を頼まれるというところから始まり、新人のタクシー運転手の薦めで近道をしたつもりが思いっきり遠回りをしていて現場に遅刻してしまったり、究極的には、その日会ったばかりのテレビ局のスタッフが財布をなくして困っていると知り、お金まで貸してしまった。
 どの状況でも「自分は大丈夫だから」と笑顔を絶やさなかった充輝は、この一件で「お人好しが過ぎる」というイメージが定着し、さらにファンを増やすこととなった。
全ての面において円滑、円満に進んでいる。
これもひとえに、いつでも全力投球をモットーとする充輝の努力の賜物にちがいない。
番組がコマーシャルに入った。
ふとローテーブルの下へ目を遣ると、置きっぱなしにしていた写真集を見つけた。
今や充輝のチャームポイントとなっている屈託のない笑顔がこちらを見つめる。
何となく手にして、横になったまま開く。

「可愛いなぁ、やっぱり……」

たまたま立ち寄った書店で、二冊目となる写真集がもう発売されていることを知った。
迷わず購入したものの、いい歳をした男が青年の写真集を差し出せば、どんな店員だって驚くものだ。
物珍しい眼差しを受けながら店を後にしたのも、今では良い思い出の一つだ。
一冊目と比べて、年齢を重ねたこともあるのだろう。
幼さを残しながらも、その姿はすっかり大人びていた。
紙を撫ぜる指がゆっくりとページを捲る。
そしてあるところで手を止める。
真っ白なシーツの上に充輝は寝そべっていた。
上半身は裸で、下着のボクサーパンツもジーンズから顔を覗かせてしまっている。
出で立ちをさらにラフに見せる為、色の明るい髪は無造作に散らばっていた。
双眸を眇めてこちらを見つめている。
薄らと開く唇はまるで誘っているかのようだ。
何度見ても、やっぱり反応してしまう己の下半身を思わず凝視してしまう。
自分は一体いつから男を相手に勃つようになってしまったのだろう。
女性と付き合っていた頃はちゃんとエッチもできていたし、それは今も変わらない。
これまで同性をそういった目で見てしまう兆候なども全く見られなかったので不思議で仕方がない。
世の女性がこのワンショットに性的なフェロモンを感じて悶えるように、自分もまた、性的な色気を感じずにはいられない。
白い肌を光は艶めかしく照らす。
細身ながらも、引き締まった筋肉が肉体美を作り上げている。
街中で出会った彼を思い出す。
Tシャツの下にはこんなにも美しい姿が隠されているのかと、想像しただけで下腹部はじわりと熱を孕む。
デビュー当時は中性的な顔立ちも相まって女の子っぽくも見えたから、確かに可愛らしかった。
それがいつの間にか、真っ平らな胸板を見ても、その下にある男の証を想像しても可愛いと思えてしまうどころか、何の違和感も無く欲情していた。

「胸も無いどころか、ちゃんと付いてるってのに……」

素っ裸の女性を見なくとも、今では男の半裸姿で自分を慰めることができるようになってしまった。
試しに男性同士の「そういう動画」をインターネットで調べてみたら、これまた意外に見れるとわかってさらに驚いたものだ。
自分が気付いていないだけで素質が元々あったのだろうか。
それでも、興奮するのはやっぱり充輝を相手に想像した時だった。
組み敷いた彼の、戸惑いに揺れる瞳と視線を絡ませる。
己の手は滑らかな肌を辿り、可愛らしい胸の突起に触れる。
唇を引き結び、甘い痺れを堪えようとする姿に、自分の中の雄が荒ぶる。
人生とは本当にどうなるか全くわからない。
アイドルなんてこれまで見向きもしなかった人を応援するようになるとは思ってもいなかったし、しかも同性だ。
今の世の中、少しは寛容的な思考を持っている人もいて、職場の若いバイトの子達にはファンであることも話せる。
時にはそれが会話のきっかけにもなったりする。
まぁ、こうして抱くような妄想までしているとは流石に口が裂けても言えないけれど。
内心で独り言りながら、元気になってしまった自身を慰めることにした。


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