うさぎ穴の姫

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「いえ、いいんですよ」ニームはそういってあいまいにわらった。戸惑いを隠すためだった。目とのどが震えているのがわかった。ニームはそれがアルルに見えないように、うつむいて床をみた。
 いいんですよだって?全然よくないじゃないか!
 ニームはこころの中で叫んだ。
 お嬢様の白いほほにさしたあの紅みはいったいなんだったのだろうか。それはまるで白昼の太陽が山の稜線に沈みつつあるときの暖かい赤であった。それはまるで、白い絹を、植物の紅から抽出した色素にそっとつけて、それが絹の端からだんだんとほのかに立ち上っていくような、そんな優しい染色だった。
 あれは怒りでも恥じらいでもない。あれは喜びだ。
 なぜぼくはアルルの表情をみて、そう思うのだろう。ぼくに幸福とはなにかを語ったひと。そうだ、幼いころに聞かされたこの町でただひとりの祭司様の言葉だ。幸せとは神からの祝福だ。そして、祝福を受けたものは喜びで満たされる。そのとき祭司様は喜びについてなんと語っただろう。
 怒りや恥じらいなら、マグマの噴火のように、もっと突発的に、まるで表と裏で色の違う色画用紙を反転させるように、瞬時にして、表情に出るはすだった。特に怒りであれば、自分の意識と違うところで起こり爆発するが、そのあとは自分の意思で沈めることができるものだ。実際、アルルは一度、激情のような言葉を発しながら、そのあとすぐに自分に謝った。あれはもしかしたら怒りだったのかもしれない。
 しかしそれに続く、アルルが自身の約束の意味を粛々と述べながら、まるで遠慮がちに咲いた野薔薇のような、慎み深くも目を奪われる美しさの、その表情全体でかもしだされる微笑みは、おそらく本人も自覚していなかっただろうが、それは喜びの表情にちがいなかった。
 自分の意思とは別に表れてしまう点では、怒りと喜びは同じだった。しかし、怒りは冷めやすく、また、内側に溜め込むことのできるものだ。それはまさに火山の噴火だ。マグマだ。内側でぐつぐつと煮え続け、あるとき爆発する。怒りは冷めると、こころに岩を残す。植物が育つことのできない、枯れた岩だ。岩はこころの中に残り続ける。
 喜びはそれとは違う。喜びは泉だ。水のわきでる源泉だ。それは内側から切れ目なく押し寄せてくる穏やかな流れだ。それは自分で押しとどめることができない。押しとどめなければいけないものでもない。喜びは常に内側からわきいでて、身体全体に行き渡る。感覚は開かれ、身体はあたたまり、意識は時間の進む正しき方向を見る。
 




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