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もちろんそのような老婆に冷静さを取り戻させるような情報を、ダンケルクは伝えるつもりはなかったし、する必要もなかった。ダンケルにとっては、老婆の口をふさぎ、気力を萎えさせることだけが目的だった。もっとも、目の前の老婆の血走った目と青ざめた顔を見れば、運がよければの仮定の話ていどでは、老婆が落ち着きを取り戻すには不十分で不確定な話には違いなかったが。
「これは内密な話だが」ダンケルクは右往左往していたのを、今度はまた椅子に座り直してからいった。「私たち医者は国からある依頼を秘密裡に受けている。それは、不足がちな軽度の精神病者を監獄に送り込むことだ。国は奴隷同然に扱える働き手を求めているのだよ」ダンケルクのいったことはウソだった。しかし老婆はウソか本当かわからないことの、負のリスクに明らかに重きを置くのは間違いなかった。「いいか、私についてのあらぬ噂を流してみろ。即刻、監獄送りにしてやるからな」
ダンケルクの脅しは本物だった。ダンケルクは自分を殺すことなくいつでも殺せるのだと、老婆は認めざるをえなかった。
すっかり意気地をくじかれた老婆は、すごすごと病院からの道を戻った。老婆は丸まった肩と折れ曲がった腰を、よりいっそう悪くしたように縮こまった姿勢でとぼとぼと歩いた。
老婆は金のなかった自分を恨んだ。金のない自分は無償という言葉に、いい知らぬ魅力を感じた。ダンケルクは自分を甘い蜜で懐柔し、手なづけ、そこから抜けようとしたときにはすでに自分は身動きがとれなくなっていった。それはさながら蜘蛛の糸に捉えられた死にかけの蛾のようであった。老婆は蜘蛛の冷たい毒牙を首の根っこに当てられているような寒々しい気分だった。老婆は金を恨んでもしかたがなかった。恨むべきは自分だった。老婆は、地味で不気味な羽の折れた蛾ながらも、ひとの目の当たらない日陰で自由に死ねばよかったと思った。自分は蝶にでもなりたいと思ってしまったのだろうか。
老婆はそれならば、この重荷を背負って生きるしかないと思った。救いの手などたのむことはでかなかった。幸運にも自分は殺されることはないらしい。自分は巣の中で生き殺しちされるのだ。それならば、巣の中でもがきながら、いまだはらわたの中で飼われ続ける娘御を祈り続けよう。その子の本当の誕生を祈るのだ。もっとも、我が身かわいさに自分を見捨てた老婆に祈られても、娘は嫌悪するだけかもしれないが。
「これは内密な話だが」ダンケルクは右往左往していたのを、今度はまた椅子に座り直してからいった。「私たち医者は国からある依頼を秘密裡に受けている。それは、不足がちな軽度の精神病者を監獄に送り込むことだ。国は奴隷同然に扱える働き手を求めているのだよ」ダンケルクのいったことはウソだった。しかし老婆はウソか本当かわからないことの、負のリスクに明らかに重きを置くのは間違いなかった。「いいか、私についてのあらぬ噂を流してみろ。即刻、監獄送りにしてやるからな」
ダンケルクの脅しは本物だった。ダンケルクは自分を殺すことなくいつでも殺せるのだと、老婆は認めざるをえなかった。
すっかり意気地をくじかれた老婆は、すごすごと病院からの道を戻った。老婆は丸まった肩と折れ曲がった腰を、よりいっそう悪くしたように縮こまった姿勢でとぼとぼと歩いた。
老婆は金のなかった自分を恨んだ。金のない自分は無償という言葉に、いい知らぬ魅力を感じた。ダンケルクは自分を甘い蜜で懐柔し、手なづけ、そこから抜けようとしたときにはすでに自分は身動きがとれなくなっていった。それはさながら蜘蛛の糸に捉えられた死にかけの蛾のようであった。老婆は蜘蛛の冷たい毒牙を首の根っこに当てられているような寒々しい気分だった。老婆は金を恨んでもしかたがなかった。恨むべきは自分だった。老婆は、地味で不気味な羽の折れた蛾ながらも、ひとの目の当たらない日陰で自由に死ねばよかったと思った。自分は蝶にでもなりたいと思ってしまったのだろうか。
老婆はそれならば、この重荷を背負って生きるしかないと思った。救いの手などたのむことはでかなかった。幸運にも自分は殺されることはないらしい。自分は巣の中で生き殺しちされるのだ。それならば、巣の中でもがきながら、いまだはらわたの中で飼われ続ける娘御を祈り続けよう。その子の本当の誕生を祈るのだ。もっとも、我が身かわいさに自分を見捨てた老婆に祈られても、娘は嫌悪するだけかもしれないが。
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