うさぎ穴の姫

もも

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 でも、ぼくはここの婆さんに頼み込むなんて嫌なんですよ」ニームはそう語気を強めた。「たとえそれがぼくでなくても。それがあなただったとしてもそれを見るのさえ嫌なのです。癪に障るのです」
「まあまあ落ち着いて」
「落ち着いていられませんよ。だって」
「君はよほどその先生とやらにこだわっているように見える。君がこだわっているのはその婆さんではなくて、先生のほうに見える」
 オルレアンがそういうと、ニームは口を一文字に結んで、なにもいわず、ギュッと固く握ったこぶしで、宿の玄関扉をどんどんと叩いた。その拍子に玄関の雨よけから木屑がパラパラと落ちてきた。この扉にはベルやドアノッカーのような気の利いたものはなにもついていなかった。
「ぼくですよ、婆さん。ニームですよ。お客さんだ。困っているようだから、泊めさせてあげておくれ」
 ニームは続けざまに扉をドンドンと叩いた。すると、家の中からのんびりと重い腰を上げ、イスと床がこすれるギギっという音が聞こえたが、そうかと思うと、その鈍重な響きとは対照的な軽快な足取りが、オルレアンたちのもとへ近づいてきた。
 錆びついたドアノブがおりて、老婆よりも年季の入った木の扉がやはり重たい音を出して開かれた。そこから顔を出したのは、意外にも老婆ではなく、オルレアンが知っているよりもずっと若く見えたが、そのひとは間違いなくアンティーブ夫人だった。
「あら、ニームじゃない。それにあなたは?」
 そう問うアンティーブ夫人は、首にゴマアザラシの赤ちゃんの毛皮のようなマフラーを巻いて、耳に大きな輪のイヤリングをつけて、美しいすみれ色の長い髪を後頭部で団子上にまとめた、うら若き乙女のようであった。オルレアンはその艶のあるアンティーブ夫人を見て、たった10年ほどで、夫人を魔女のような妖艶な女に変えてしまうのだから、時の流れは残酷だと、そんなことを考えた。
 オルレアンもアンティーブ夫人の突然の登場に意表をつかれたが、それよりもずっと、ニームのほうが、夫人の登場に驚いていた。
「あ、奥さま、どうして」ニームは動揺していた。ニームは夫人の存在に驚いていたが、表情は青ざめ瞳孔は萎縮しているように見えた。ニームは夫人に恐れを抱いているわけではなさそうだった。恐れるためには、夫人を対象として見て、自分が対象に見られている意識が必要だった。ニームはそれよりもむしろ夫人の前で眠りにつきたいのだった。自分をここから今すぐ消し去りたいのであった。
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