うさぎ穴の姫

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大工、ダンケルクを言い負かす。

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「生きるのは進化の道を歩んだ生物のみ。それは明らかだ」ダンケルクは不機嫌さを増して、そう言った。
「生き物が変化することのほうが稀である。そちらのほうが明らかです。そしてあなた自身のその思い上がりが、それをなによりも証明してしまっています」
「思い上がりだと」
「あなたは進化した生き物を選ばれた存在と考えている。そして、その最たるものが人間であると、考えていらっしゃる」
「なにも間違いはない。私がそう考えているということも、その考え方が間違っていないということも」
「しかし、ほとんどの生物は変わることをやめ、絶滅していった」
「なるほど。おまえのいうことは正しい。私は選ばれて、いま、ここに大病院を築こうとしている」
「あなたはご自分に満足していらっしゃる」
「そうだ」
「あなたの言う進化とは」
「より広範な知識と、たしかな技術を身につけることだ」
「あなたも星の数ほどいる生き物の例外ではないということです」
「私も絶滅するというのか」
「あなたのいう進化とは垂直一方向のものです。それは破滅の道です」
大工がそういうと、小屋の中から、大きな物音がした。ダンケルクが勢いよく立ち上がった拍子に、椅子が後ろに倒れたときの音のようだった。
「今から、別の大工に依頼してもいいんだぞ」
ダンケルクは大工をそうおどした。大工はそれにひるんだ様子は全くなかった。
「あなたはなぜ、私を遠方から高い旅費を払い、毎日の宿と食事を用意してまで、私をここに呼び寄せたのですか」
「おまえの噂が流れてきたからだ」
「私の関係した建築物は、その所有者を潤し、繁栄を享受している」
「私の知る近代建築の設計者に、おまえの名前をよく見た」
「ええ」
「しかし、その全てがおまえだったわけではない」
「それはそうでしょう」
「そして、おまえのつくった建築物には、すでに倒壊かあるいは放棄されたものもあるにちがいない」
「それはどうでしょうか」大工は自信満々にそうはぐらかした。
「どうせ建てるなら、名のある設計士に頼んだほうがよかろうと、おまえを選んだだけだ。おまえの評判には、常に真実らしからぬ噂が取り巻いていた。私はたしかにおまえで験担ぎをしたのだろう。しかし、それもどうせ建てるなら、という前提があるからに過ぎない」
「つまり?」
「私がもともと欲しかったのは優秀な設計士だ。優秀でいわくつきの設計士ならまあいいだろう。しかし、優秀かもしれないが依頼主にいらぬ干渉をする傲岸無知な設計士には用はない」
「だから私を首にすると」
「違約金なら払うさ。もちろんこれまでの仕事に対しても報酬は払う。もともと私の命運に神頼みなど必要なかった。私は神頼みなどしなくても、ここまできたのだから」
「そうですか。残念です」
大工は突然の契約破棄にもこだわる様子はなく、椅子から静かに立ち上がる音が聞こえた。「なにが残念ってそうですね。あなたほど名医とうたわれ町民からしたわれる人物が、職を追われ、せっかく建てたパスィヤンス病院も囚人の牢獄に変わり果てるのですから」大工は神妙にダンケルクの未来をそう予言した。
「なんだと」ダンケルクはそう聞き返した。ダンケルクもそれがただの優秀な設計士から発せられた言葉であれば気にとめなかっただろう。その言葉がオカルティックな設計士から発せられた言葉であったから、ダンケルクも呼び止めずにはいられなかった。
「名医ダンケルクとパスィヤンス病院はもってあと三年。私はそう見通します」
「バカな。私を滅ぼすような脅威がどこにある」
「それは外から来るものではありません。もっとあなたのお近くに」
ダンケルクはそう言われると、壁の外から聞いているオルレアンにも聴き分けられるほど、大きく息を飲んだ。壁越しに張り詰めた空気が伝わってきた。ダンケルクは、場合によっては、この大工を殺さなければならないと、そう覚悟を決めようとしていたのかもしれない。
「ルーベという初老のばあさんをあなたご存知でしょう」
「ああ」
ダンケルクは大工のその言葉に、いったん身体の緊張をほどいたようだった。「ルーベがどうした」
「ルーベの診療をしたところでたいした金にはならない。ルーベの足はもうよくも悪くもならない。もう施すものはないもない。しかし、まるで茶でも飲みに来るように、毎日のように来ては、自分の足の不満や愚痴をこぼしていく。あなたは時間ばかりとられる。あなたはある時、ルーベに費やした不毛な時間によって、いつか高額な患者を逃がすことになるでしょう」
ダンケルクは大工の予言にただ黙っていた。その予言はたとえば聖書の予言、いつか神の審判がくだされ地獄に落とされるというような予言よりも、よっぽど現実的な予言だったからだった。
「そのようなこともあるかもしれない」ダンケルクはおとなしくそう認めた。
「激昂したあなたはルーベをののしります。そしてルーベを出禁にするでしょう」
「そういうこともあるかもしれない」
「あなた、ルーベに重大な秘密を握られていますね」
大工がダンケルクにそう核心をつきつけると、部屋の中からなにか金属製のものが、木材とこすれる音がした。しかし、そのあとすぐ、その金属製のものが、ゆっくりと木材の上に置かれた音がした。ダンケルクは手元にあったナイフかなにかで大工を刺し殺そうとしたのかもしれない。しかし、ここで大工を殺したところで、自分は大工が予言したとおりになるかもしれない。ならばルーベも殺すのか。しかしルーベを殺してはルーベと関係が深い自分に疑いの目が向けられることは間違いないだろう。さすれば、大工が予言したとおり、自分の身の破滅は明らかだ。職を追われるどころでは済まされない。
「おまえにパスィヤンス病院を建てさせたらどうなる」
ダンケルクは大工に教えを請うた。
「私が建てても麻薬に過ぎません。一時的な鎮痛薬や幻想のようなものです。そしてそれに頼り続けると、その沼に深く沈み続けなければならないことも、麻薬と同様です」
「それでもかまわない。私はどうすればいい」
「私にパスィヤンス病院を建てさせることです。そして、時機に応じて建物の増築をすることです。そうすれば、あなたも命運はよきものに保たれるでしょう」
「わかった。おまえとは長い付き合いになりそうだな」
ダンケルクと大工が小屋から出ていくような様子だったので、オルレアンは抜け目なくその場から離れた。ダンケルクはオルレアンと対面したとき、確かに真実の一部を話したが、君にもう話すことはなあた言ってオルレアンを追い出したのは、あまりに不親切だったなあとオルレアンは思ったのだった。



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