うさぎ穴の姫

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ダンケルク、大工と話す。

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「この町に不相応な病院だとは思いませんか?」その声はオルレアンの知らない声だった。おそらく大工の声に違いなかった。「人口1000人に満たない小さなこの田舎町に、人口10万を超える都市にあっても恥ずかしくない病院をつくる。もったいないことだと思いますよ」大工の声はしわがれていたが、黒板に爪を立てたような不気味で耳障りな高い声だった。それは、へりくだったこびるような声なのに、どこか高飛車であり、聞く者をクモの糸のように粘りっこく拘束するような声だった。オルレアンはこの声の主とこんな狭い小屋に二人きりでいては、腰のあたりがむずむずし始めて、とても長くはいられないだろうと思った。
「人口10万人を超える都市の一病院が、10万人の内の患者を全て受け入れているとでもいうのかね」ダンケルクは泰然自若とした様子でそう返した。「そうした大都市には市民の分だけ病院がある。しかしブラーヴは事情が違う。ブラーヴでは病院が続々と廃業している。私はブラーヴの町民全てを受け入れる準備をしたければならない」
大工はダンケルクの言葉にかんだかく笑って、「どの口かがおっしゃるのでしょうねえ」と言ったが、その声はニタニタと笑う大工の顔が手に取るように浮かんでくるようなものであった。「その病院たちは自主廃業をしたのではなく、廃業に追い込まれたのでしょう。あなたによって、意図的に」
「競争なきところに進化はない。競争に立ち向かうことを怖れ、しっぽを巻いて逃げたあの医者たちは人ではない。人間との競争に敗れた猿だ」ダンケルクはツバを吐くようにそう言った。
「果たしてそうでしょうかねえ」大工はくちびるの端を使って、嬉しそうに笑った。「まあ、私としては、建てれば建てるほどお金になるのでいいのですが」
「なにが言いたい」ダンケルクは大工に疑問を呈されたことにこだわっているようだった。
「私としては、あなたはよき商売相手ということです」大工はそうはぐらかした。
「そうではない」
「え?」
「おまえは私に異論があるらしい」
「異論というほとではないんですがねえ」大工はそう言って道家のように笑った。「猿はねえ、人間との競争に負けたから猿のままでいるわけではないんですよ」
「無論、直接殴り合ったわけではないだろう」
「ええ」
「しかし、この星を現在支配しているのは、人間であることは紛れもない事実」
「たしかに」
「人間のほうが猿より高等だろう。しかし高等なはずの人間にも下等な人間はいる。私たちはそのような人間を猿のような人間と言い表すことが許されている。猿はそのよくに下等の例えとして持ち出されても、我々に文句のひとつもつけられない」
「しかし、猿は人間になりたがっているでしょうか。あるいは、人の上に立ちたいと思っているでしょうか」
「そんなことは知らん。やつらに聞いてみろ」
「ご冗談」
ダンケルクはふんと鼻をならして、「しかし、もしやつらが人を倒す気概や気骨を持っているならば、やつらは下等な人間よりは上かもしれない。そうなると、下等な人間を猿のようなと言い表すことはできなくなるな」ダンケルクはそう言うと、自分の言ったことがよほど面白かったのか、大声で笑った。
「私はねえ、猿は人間になりたいとも、支配してやりたいとも思ってないと思いますよ」
大工はダンケルクにそう反論らしいことを言ったが、ダンケルクは今度はその反論を嬉しそうにして聞いた。もちろん大工もそれを承知で言ったのだろうが。
「君だってそうして猿を立派に見下している」
「いいえ、そのようなことはありません」
今度の反論はダンケルクの癪に障るもののようだった。
「では、なぜやつらは、森の中で追いやられるように暮らしている。その広い世界の、限られた片隅に」
「彼らは追いやられたわけではありません」
「ならば地上に降りてきたらいい」
「彼らには降りる必要がないんですよ。彼らはその環境に不満がなかったから猿のままいたんです」
「いいや、やつらは怠惰だったのだ」
「森の中では彼らのほうが強かったのですよ。あなたの大好きな人間よりもね」大工はダンケルクを真っ向から否定した。「そして、あなたのしたことは生き物にとっての環境と同じですよ。災害であり気候の変化であり、隕石である。あなたが一方的に変化を強要し、彼らにケチをつけている」
「そんな大それたもろではない。私はひとりの人間だ」
「それでなければ獰猛な外来種か」
「それに私は彼らに成長の猶予を与えた。一方的に即座に蹂躙したわけではない」
「つまり成長は善であり、退化や停滞は悪であるとそう主張するのですね」
「ああ、そうだ」
「そして、それがあなたの人生の哲学でもあった」
ダンケルクはその問いにはなにも答えなかった。ダンケルクはそれを哲学と呼ばれることさえ嫌悪しているようだった。ダンケルクはそれを哲学などという理解しがたくい人を遠ざけがちなものではなく、誰もが無意識のうちに習慣としている常識の類のものだと考えているようだった。
「では、あなたがそうした自分の行動を正当化している根拠は果たしてなにか」ダンケルクの沈黙を無視して、大工はダンケルクにそう問いかけた。
「生物の歴史は進化の歴史だ」ダンケルクはそう答えた。
「いいえ、その逆です」大工はそう否定した。



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