うさぎ穴の姫

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オルレアン、ニームに詰め寄られる

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「私は医者じゃないからね。お主にまた会えることを希望しているよ」
 老婆はそう言ってオルレアンのもとから立ち去ったが、(あれ、ダンケルクとのあのときの別れ際には老婆はもういなかったはずでは。いや、老婆はダンケルクの長い患者だから、ダンケルクに何度も同じことを言われているのだろう)とそんなふうに浮かんだ考えをさえぎるようにして、オルレアンはぐっと強く背後から肩をつかまれた。振り返るとそこにいたのは、額に汗の玉を浮かべたニームだった。
「話は聞いた」ニームははあはあ息を荒げて言った。
「なんの話を聞いたんだ? 君はまるで遠くから慌ててかけてきたようにみえる。話をじっと聞いていたようには見えないが」
「そんなことはない。そこの角で君が話しているのを聞いていたんだ。ぼくは平常だ」
 ニームは真実、激しい運動をして息を乱していたわけではなかった。ニームは緊張していた。そして怖れていた。自分が自分に課した使命に、ニームは圧倒されていたのだった。
「立ち聞きするのはよくないなあ」オルレアンはそんな常識的なことを言った。
「それは謝る。しかし君にもいいことがある」
「それは?」
「ぼくもその防空壕とやらを一緒に探してあげよう。ぼくは幼いころ、パスィヤンス病院に通っていたんだ。ぼくにはその防空壕を見た記憶がある。パスィヤンス病院の敷地は広い。病院のことに詳しくないたったひとり君だけでは見つけることはできないだろう」
「君の助けはありがたいが」オルレアンはニームの唐突な親切さに首をひねった。「しかし君はぼくに病院にこれ以上余計な詮索はすべきでないと忠告していたはずではないのか」
「そうだ。すべきじゃない」
「君は矛盾している」
「矛盾じゃない。譲歩だ」
「パスィヤンス病院についての、ぼくの見解を認めるということか?」
「ぼくが君のために動くのは、君の考えを諦めさせるための譲歩だ」
「君がいれば僕は諦められるのか?」
「君ひとりでは裏庭に入ることもできない。厳重に柵が張りめぐされ、柵にある扉には厳重に鍵がかけられているからね。それでも君は柵を飛び越えるかもしれない。もしくは鍵をなんとかして手に入れようとするかもしれない。どちらにしても病院の邪魔になる」
「どうしても裏庭に入りたいというぼくの気持ちを、院長は受け入れてはくれないだろうか」
「院長がどうするかは関係ない。そうして人に迷惑をかけてまで自分の欲求を満たそうとしている君にぼくが我慢ならないんだ」
「だから君がぼくを手伝ってくれるんだね」
「そうだ。そして、防空壕になにもないことを君に示して、君の考えがいかに馬鹿らしいことかを、君に見せつける。うさぎ探しなら病院の他でやってくれ。人に迷惑をかけない範囲でね」
「君が言えば、裏庭に入る許可が降りるのか?」
「間違いなく」
「よしじゃあ明日、一緒に行こう」
「わかった」
 ニームはオルレアンに、今日は一切行動するなよ、とわざわざ釘を刺してオルレアンと別れた。
 老婆、そうルーベは「エサをやりにきた」と言った。オルレアンにか? ちがう! あのときルーベはぼくに視線を送った。エサで誰を釣りあげるつもりだ。オルレアンか。たしかにそうだろう。そしてオルレアンを釣ることでぼくも一緒に釣り上げられることをわかっていた。だからあのときぼくに視線をやったんだ!
 ニームは暑さのない穏やかな春の日の帰り道に、不審に汗を垂れ流し続けていた。周囲から浴びせられる奇異の目にもニームは気づいていなかった。
 ルーベは先生に助けてもらった恩を仇で返すつもりか。いや、ルーベだけじゃない。町民全てだ。ブラーヴを地図から消し去ろうとするほどの恐ろしい流行病から救ってくれたのは先生だったではないか。
 でもたしかに、ぼくはそのときのことを知らない。ぼくの母や父でさえそのときのことを知らない。知っているのは老人だけだ。老人はそのときの記憶ごとこの世から去っていってしまうだろう。そして、いつしかパスィヤンス病院には、神を信じる巡礼者のような患者は消えて、無知で傲慢な愚者ばかりが集まるようになってしまうのだろうか。
 ぼくだけは!ぼくだけは裏切らない!先生を信じ続ける!
 ニームは明日に予告された終末の訪れを恐れる不信な信者のように、湧き立つ血の中に冷ややかさを感じながら、陰鬱な面持ちで帰路を歩くのだった。




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