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四本目 新生活

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 んんっ。
 鉛みたく重い瞼が開く。ボヤけた視界の中は不思議と歪んでおり、けど上の方は水面みたくキラキラと光っていた。
 体温と同じくらいの液体に包まれていて、何もしなくても栄養と酸素が送られてくる。
 ――まるで、母親の胎内たいないにいるみたいな――

「ガ、ボ?」

 開いた口の端から小さな泡がこぼれて、上の方で割れて消えた。液体の中で眠っていた? のに、何で生きてるの? 舌や内頬がナニか弾力のある物に触れていた。
 ! 無数の触手くだが、口内にて小さくうごめいていることに気付く。
 まさか、ここから必要な酸素を――?

「ゴボッ」

 ザッバァ。
 あまり力の入らない手でもって上縁面を掴み、僅かなトロみを帯びた浴槽内のえきたいから、上半身を持ち上げる。
 濡れた柔らかな髪は妙に長く感じ、さらに胸にいくらかの重みを覚えつつ、激しくえづく。

「ゲホッ、げほっ、おえっ。――ハァハァ、んっ、はぁ」

 やたら艶めかしくて高い声だったなんて、その時は息苦しさに負けて気付きもしなかった。口に挿し込まれた触手を、まるで点滴の管を外すみたいに抜き、吐き出すと、唾液が糸を引いて垂れ落ちる。
 口から抜かれた触手の半分くらいが、腫れたみたく膨らだ胸や、女の乳房の先端を思わせる乳首に、だらしなく付着し、波に揺られていた。

「ハァハァ。――って、いうか、ひょっとして」

 髪以外の体毛は、なぜかやたらと薄くなっており、その細く脱毛したみたいな手でもって、底を埋めるイソギンチャクのあちこちを撫でる。

「ありがとう。、ってことだよね?」

 風呂場で泥酔して、生きているなんてほぼあり得ないんじゃないかな? 昨晩のことはあまり思い出せないけど、彼らの触手でもって、生きていられたのは間違いなさそうだ。ぼくの命の恩人――恩物? といっても過言ではなかった。
 撫でながら眺めていると、感謝の念で胸の奥が、温かくなる様にすら感じた。

「よぅし。まずはお礼の放尿オシッコ――えっ?」

 パネルの日付に、我が目を疑う。

「朝の七時半……それも月曜日のっ?」

 ザッバァ。
 急ぎ立ち上がる。何か背が少し縮んだみたいで、しかも腰がくびれてない? ってかやっぱ胸の腫れがすごいし、乳首にいたっては、ピンクのおしゃぶりみたいな形状であった。
 さらに矮小化わいしょうかを重ねているであろう肉棒ペニスは、薄い陰毛に隠れているみたいで見えなかった。

「いや、今はそれどころじゃないっ」

 今日の訪問予定の客先は、かなりややこしい相手方で、遅れるなんてトンデモナイ。
 これだけ身体がふやけてなお、まだ入浴したかったが、浴槽から出ようとする。その際、胸が揺れ暴れるため、左腕で持ち上げるみたく固定する。名残惜しくも脱衣所へあがって身体を拭く。
 ほんのり香る甘い匂いは、焦りで打ち消されて、鏡すらも見飛ばした。

「服、服はっ」

 寝室のクローゼットの中を漁る。白のポロシャツを手に持ち、袖を通そうとするが――どういうわけだ?

「む、胸の部分が」

 ――腫れた胸のせいでボタンで留められない。というか、胸以外の部分は逆にブカブカで、袖にいたっては長過ぎる。

「(おかしい)――いや、けど仕方がないっ」

 昔の夏祭りの神輿みこし要員でもらった薄い手拭いを思い出し、オッパイみたいなデカい胸を縛り、無理矢理ポロシャツを着る。
 かなり息苦しいが、客先訪問が終わったら早退して、病院へ行こう。色々な意味で。

「下はトランクスを履いて――やっぱこっちもサイズ感がおかしい」

 基本ブカブカだが、腰が膨らんでるおかけで引っかかり、一応はズレずに済む。
 そしてスボンは、やはり大きすぎる上に袖が長かったが、こちらも捲ってピンで留める。
 柔らかくなった髪を手櫛てぐしで直して、玄関にて靴を履こうとする。

「うわっ。靴もサイズが全然違うし!」

 いや、言ってる場合じゃないのはわかってるけど。詰物をして無理やり出発する。
 本当に今日は、どうなってんの?


 * * *


 タッタッタ。

「お、おはようございま~す」

 一オクターブほど高い上ずった声でもって、待ち合わせの小さな駅で声をかける。先に着いていた倉橋くらばし係長は不機嫌そうに、携帯の画面から顔を離す。

「おいコラァ。遅えぞ水羽――あっ?」

 手を膝について、ハァハァ、と息を整える。確かに胸が苦しいのはあるけど、それを差し引いても、こんなに体力無かったっけ?

「お、お前。本当にみ、水羽か?」

 係長が妙な顔で、不思議そうに覗き込む。あれ、係長、背が伸びてない? 上げ底でも穿いてんの?

「ふぅ――もちろんですけど?」

 膝に手をついて胸を上下させるぼくは、上目遣いで係長を見上げる。

「! い、いや、顔に面影はあるけど、ここまで女顔じゃなかったろっ? 背も少し縮んでるっぽいし、髪もいくらか伸びてんぞ。胸も膨らんで――ってか何より声が高すぎるぞ」

 まるで異常事態に遭遇したみたいに狼狽ろうばいする係長に対して――イソギンチャク風呂に二日浸かっていただけですよぉ――なんて言えるわけもなかった。
 言い訳を考えるも、体調の妙な変化と、胸の苦しみでなかなか思いつけない。

「つかそもそも、その格好だ。ぶっちゃけ、男装してるけど、全然オンナを隠し切れてないヤツ、みたいになってんぞ?」

 なぜか興奮気味に話す係長は、スンスン、と鼻を鳴らす。

「しかもお前。なんか、めちゃいい匂いが――」

 やがてどうしてか、目をギラつかせてくる係長が、少しばかり怖くなって来た。

「ええっと。実は、ちょっと特殊なマッサージというか、医薬部外品を試していて……」

 そうとでも説明する以外に無い。身体に変化はあるのは事実なのだから。

「く、薬の服用? いや、でも、週末を挟んだだけで、大の大人の身体がここまで変わる、のか?」

 ここで話し込むのはキツい。主に胸が。

「か、係長、その話は一旦あとで、とりあえずは先方へ。ほら、怒らせるとマズい相手なのはご存じでしょう?」

 笑顔を無理やり作って、小さな商業区を指さす。

「は? いや、それは知っているけどよぉ、立ち振る舞いも女みたいで――おい、話の途中だぞ」

 渋りつつも、一応は歩いてくれる。ただし、執拗に顔や胸、腰周りに視線を突き刺してくる。
 やがて係長だけでなく、周りを行き交う、主に男性からの視線にも気付く。っというか、なぜか今日に限って、肌が視線に敏感? って不思議な感じがした。

「(しかもなんか、同性愛者ホモというよりは、異性を見るみたいな目つきで)――あ、着きましたね」

 古ぼけたビルが立ち並ぶ道路沿いにて、やはり目立たない三階建ての建物の前に立つ。
 昔から取引があるが、購買担当者の声が大きく、協賛しろとか、PB(※プライベートブランド)を作れとか、無理難題を言ってくる。しかもその割に売上が知れているため、ウチの社長もおかんむりで、板挟みの営業部ウチとしては、お荷物なこと、この上なかった。
 ガチャリ。
 受付にて案内され、商談室へと入る。既に待っていた様子で、気難しい雰囲気オーラをかもし出す、五十歳少しの担当者だんせいが、机越しに座っていた。髪は薄く、眉間に皺を刻む様子は、まずは五分前行動が出来ていないことをチクチク言いたげな雰囲気であった。
 今日は新商品の提案で来たけど、ぶっちゃけどう切り出したもんだと――ンンッ――厄介っ。

「いやまぁ、どうぞ無沙汰――おや? 担当の水羽クンは男性だったと聞いていましたが、代理の女性ですか?」

 丁寧語の割にやや高圧的な口調の担当者――霜毛しもげさんは、驚いた顔でぼくを見下ろす。

「え? やだなぁ霜毛しもげさん。ぼくは男ですよ? ちょっと声の調子がいつもと違いますが、電話でも応対させていただいた、水羽で間違いないです」

 しかしやはり、はっ? という顔を作り、係長と似た動きで、シゲシゲと顔と身体を眺めてくる。
 ――そんなに今日の自分はナヨナヨしているのか?

「と、とりあえず水羽。資料をお出ししろ。……いや~、霜毛さん。いつもいつもお世話になっています。担当係長の倉橋です」

 名刺交換を行い、係長が取りなすも、怪訝けげんな顔を作る相手方を何とか説得して、とりあえずは商談へと移っていく。

「で、今回のターゲット層は――」

 紙資料を配布して説明していく。グラフの細かいところを示すため、立ち上がって前のめりな姿勢を作り、霜毛さんの資料の一部を指さす。
 説明に集中し、また息苦しさで参っていたぼくは、胸の服の盛り上がりを、霜毛さんにガン見されている事なんて、気付きもしなかった。
 そのせいもあってか、説明中、なぜか珍しく上機嫌で、ボクの拙い説明に、一々頷いてくれる。

「水羽クン。ここの表の見方をもう一度、教えてくれないかね?」

 そう言って、資料の一部をペンで叩く。それほど難解な表では無いが、お願いとあらば仕方がない。
 また、背筋を伸ばし、細い指で指摘する――ちゃんと聞いてる?

「で、ここは――ンッ」

 高い声が漏れ出る。

「? どうかしたのかい。水羽クン」

 霜毛さんと係長に覗き見られる中――ハァ、ハァ――と苦しげに息をつく。そう、胸の圧迫に耐えきれなくなってきた。
 にも関わらず、椅子にて力なく苦しむぼくの姿を、二人は食い入るみたくジッと見つめてくる。ひょっとしてドSなの?
 プチン――コロンコロン。
 うっそ。ポロシャツの第二ボタンが、霜毛さんの前への飛び転がる。サラシ代わりに巻いていた手拭いが、走ったり揺らしたりしたせいで、緩んできたから?
 ! お、恐ろしい事に、もはやポロシャツの隙間は女の子の谷間みたいに覗き見えた。

「お、おい。水羽」

 係長の目が怖い。心配しているというよりは、明らかに性的好奇心で見ている風であったから。

「すみ、すみませ――」

 頬を赤らめつつ、胸元を閉めようとする。だが息苦しさにより、誤って巻いている手拭いへ指先を引っ掛けてしまう。
 ズル――ぷりん。

「「!」」

 ――あちゃあ。や、やってしまった。
 肉々しい、けど柔らかそうな肉塊が二つ、はち切れんばかりに、前たての隙間から自己主張をしだす。
 自分でも流石に変では? とようやく思って来たが、急場をしのぐ方が大切さだと、喘ぎつつも小さな片手にて大きな谷間を隠そうとする。

「すみません。ちょっと、ここ最近、胸が腫れていましてぇ」

 ガシッ。
 隣の係長によって二の腕を引っ掴まれて、無理やり立ち上がらせられる。
 なん、だろう? ――ってか、酸欠と苦しさに咥えて、急に立たされたから、貧血気味で、い、意識が。

「霜毛さん。ご覧の通り、ちょっと水羽は体調が優れないみたいでして――大変、恐縮なんですが」

 係長の荒い息が耳にこびり付く。

「少しで良いので、どこか空き部屋で?」

 ――薄れゆく視界の端にて、なぜか霜毛さんは、震えるみたく笑った。
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