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一本目 飼い始め
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ドボボボッ。
「はぁ」
僕の溜息が混じったぬるま湯を、アパートにしては広い浴槽へと注ぎ貯めていく。中には当然、例のイソギンチャクがギッチリとひしめいており、苦手な人が見たら卒倒するレベルであった。配置は店長が行ってくれていたのだが、何やらこだわりがあるらしく、入念な調整をしていった。
未だに整理が追いつかない事だらけであったが、その内の一つとして、四千円をまだ受けとってもらえていなかったのだ。忘れているのかと尋ねてみたが、
『一週間お試しください。もし、不良品と思われましたら、返品をお受けします。お金はそれ以降で結構です』
よほどの自信なんだなと思いつつ、別に腹が痛むわけでもないからと、了承した。
さらに帰り際、一度だけ浴室を振り向いた彼は、飼育ガイドなる英語の取扱説明書を渡してくれた。
『もう一点、重要な事なので最後にお伝えします。お好きなだけ、浴槽でお過ごしいただいて構いませんが、決して寝てしまわないよう、重ねてお伝えします』
――それも別に反論は無かった。
そりゃ、浴槽で寝たら事故に直結するからね。というか、こんな気持ち悪い軟体生物の上で寝るなんて事が出来れば、って話だけど。
「まだお金は払ってないとはいえ、ねぇ」
毛の生えた腕を組みつつ、湯船の上からもう一度覗き込む。
小さいのが二つ、中くらいが七つ、大きいのが一つ。赤青黄色とドギつい色をしている個体が多いが、一番大きいのは黒、小さい二つは白という地味な色であった。
お湯の中ではそんな触手がプルプルと、あるいは、ふわりふわり、と揺れていた。それ以外の動きはあまり無いが、たまに口盤の中心たる口が、微かに閉じたり開いたりしていた。
「水槽で、それも魚を眺めるとかならまだしも」
こ、この湯船に浸かるのか?
「(けどあの店長が、すぐバレる嘘やジョークを言う様には見えないし)実用性ねぇ。百聞は一見にしかずってか?」
諦めの大息を吐いた後、観念したとばかりに、シャツとズボンを脱いで、トランクス一丁となる。
「でもまぁ、とりあえずは腕だけ――」
チャプ。
恐る恐る爪先からお湯へと沈めていき、やがて指先が触手の一本に当たる。当然かもだけど、触手の動きに変化は無く、皮膚がただれる気配もなかった。やがて意を決して、複数本の指で、青い触手に触れる。
「――う、うん?」
最初の感想としては、温かく細長い寒天に触れた感じであった。お湯の流れに合わせてそよぎ、何本かが腕に触れてくると、ちょっとくすぐったい。
ザバァ、とお湯から手を戻し、近くでマジマジと見つめる。
触った箇所の皮膚や爪に変化は認められない。むしろ感触だけで言えば、生きたプラスチックとでも言った感じで、少し面白いくらいだった。
「しかし、全身となるとなぁ。――特に肛門とかの粘膜箇所も大丈夫なのか?」
眉をひそめつつ、戸惑いながらトランクスも脱いで、脱衣所に放り投げる。標準サイズの男性器と睾丸を小さく揺らしつつ、かかり湯の後、まずは足の爪先から。
チャプ。
やがてかかと、足首、すね毛と浸かり始める内に、足先が触手に触れ始める。
「てか、踏み潰して、内蔵が飛び出たりしないよね?」
後始末が悲惨な事になりそうだと、少しずつ浸かっていき、やがて足裏が本体に届く。
ぶにぶに、っとグミみたいに柔らかく、口盤の中心にある小さな口についても、指先などを意図的に入れない限り危険性はなさそうだ。
「……にしても、僕は一体なにをしているんだ?」
平日の夜から、彼女や友人と遊ぶのでもなく、趣味に没頭するわけでもなく、風変わりなイソギンチャク満載の風呂に浸かるなんて。
まだ酒を飲みながらテレビを見たり、音楽を流しながらネットサーフィンしている方が、よほど健全だ。
グニッ、ブニョン。
片足がほぼ全て入る。そこそこ体重をかけても、潰れる心配はなく、むしろエアマットみたいな弾力を返してくる。
「よ、よし」
上縁面を掴みつつ、もう片方の足も湯船につけていく。すね、膝、肉棒、股間、ヘソから胸へと沈めていく。
イソギンチャク達は、当然なんということもなく、だがまるで受け止めるみたく、柔らかに身体を押し曲げていった。
「ふっう。大方、入れた、のかな?」
足を伸ばして、浴槽に身を預ける。
ふくらはぎや尻などはイソギンチャク本体によって受け止められて、その上は無数の触手が揺ら揺らと触れ動いていた。
無数のカラフルな触手が、身体同士の隙間から生え出ている様は、一見すると触手に食べられているみたいにも見えた。
けど見た目はともかく、何と言うか、触感だけを伝えるのなら。
「なんか。擬似的な女の子みたいに柔らかく、温かいみたいな感じがする。いや、言い過ぎなのはわかるけど」
そう、クニュっとしつつも温もりがあり、ちょっとくすぐったい感じが、以外と悪くなかった。
皮膚にも異常は認められず、嫌悪感がちょっとずつ薄れてくる。むしろ独り暮らしが長い僕にとって、自分以外の生き物がいるという環境が、割と新鮮だった。
「これは、ちょっと――思ったより面白いかもな」
次第にリラックスしてきて、ふぅ~、っと息を吐けるくらいになってくる。
イソギンチャクは個体によって硬さが若干違ったり、また温かさにも差異があったりで、多様な感じは飽きを感じさせなかった。
たまに本体がグィっと動いたり、触手に柔らかく押されたりする。
「なんか、マッサージしてもらいながら、お風呂に入っているみたいな」
不思議だ。僅かな動きと体温、そして感触だけで、随分とくつろげるものだ。それもこれも、お風呂にイソギンチャクという、あり得ない組み合わせによって生まれるものだと知らしめられた。
「世の中には知らないものが、多いなぁ」
徐々に警戒心を解いていき、はぁ~、と五臓六腑からの息を吐き出す。こんなまったりと風呂に浸かったのは、子供の頃、家族旅行で有名な温泉に行った以来じゃないかな?
ふと電子パネルを見ると、二十時を回っていことに気付く。
「――っと、そろそろ上がって晩飯食べないと」
流石にまだ浴槽内のお湯だの体液だの飲む気分には、到底なれなかった。
ザバァ。
「えっと、お湯は貯めたままでいいんだよな?」
湯船からあがりなっがら、ふと思う。これはちょっとした楽しみになっていくかもという、淡い期待感に。
娯楽が出尽くしつつある令和の現代で、風呂が楽しみなんて事自体が珍しい。もちろん、イソギンチャク風呂という、他人が持っていない物への、優越感による所も大きかった。
シャンプーの後、タオルで身体を拭いつつ、もう一度、浴槽を眺める。
相変わらず触手はユラユラと海月みたく搖れており、底の部分にて、たまに口が動いているだけであった。
「(垢とか本当に食べてるのかな?)ま、明日も覗くよ」
そうとだけ言って、顔を拭きつつ、電灯を消して後にした。
「はぁ」
僕の溜息が混じったぬるま湯を、アパートにしては広い浴槽へと注ぎ貯めていく。中には当然、例のイソギンチャクがギッチリとひしめいており、苦手な人が見たら卒倒するレベルであった。配置は店長が行ってくれていたのだが、何やらこだわりがあるらしく、入念な調整をしていった。
未だに整理が追いつかない事だらけであったが、その内の一つとして、四千円をまだ受けとってもらえていなかったのだ。忘れているのかと尋ねてみたが、
『一週間お試しください。もし、不良品と思われましたら、返品をお受けします。お金はそれ以降で結構です』
よほどの自信なんだなと思いつつ、別に腹が痛むわけでもないからと、了承した。
さらに帰り際、一度だけ浴室を振り向いた彼は、飼育ガイドなる英語の取扱説明書を渡してくれた。
『もう一点、重要な事なので最後にお伝えします。お好きなだけ、浴槽でお過ごしいただいて構いませんが、決して寝てしまわないよう、重ねてお伝えします』
――それも別に反論は無かった。
そりゃ、浴槽で寝たら事故に直結するからね。というか、こんな気持ち悪い軟体生物の上で寝るなんて事が出来れば、って話だけど。
「まだお金は払ってないとはいえ、ねぇ」
毛の生えた腕を組みつつ、湯船の上からもう一度覗き込む。
小さいのが二つ、中くらいが七つ、大きいのが一つ。赤青黄色とドギつい色をしている個体が多いが、一番大きいのは黒、小さい二つは白という地味な色であった。
お湯の中ではそんな触手がプルプルと、あるいは、ふわりふわり、と揺れていた。それ以外の動きはあまり無いが、たまに口盤の中心たる口が、微かに閉じたり開いたりしていた。
「水槽で、それも魚を眺めるとかならまだしも」
こ、この湯船に浸かるのか?
「(けどあの店長が、すぐバレる嘘やジョークを言う様には見えないし)実用性ねぇ。百聞は一見にしかずってか?」
諦めの大息を吐いた後、観念したとばかりに、シャツとズボンを脱いで、トランクス一丁となる。
「でもまぁ、とりあえずは腕だけ――」
チャプ。
恐る恐る爪先からお湯へと沈めていき、やがて指先が触手の一本に当たる。当然かもだけど、触手の動きに変化は無く、皮膚がただれる気配もなかった。やがて意を決して、複数本の指で、青い触手に触れる。
「――う、うん?」
最初の感想としては、温かく細長い寒天に触れた感じであった。お湯の流れに合わせてそよぎ、何本かが腕に触れてくると、ちょっとくすぐったい。
ザバァ、とお湯から手を戻し、近くでマジマジと見つめる。
触った箇所の皮膚や爪に変化は認められない。むしろ感触だけで言えば、生きたプラスチックとでも言った感じで、少し面白いくらいだった。
「しかし、全身となるとなぁ。――特に肛門とかの粘膜箇所も大丈夫なのか?」
眉をひそめつつ、戸惑いながらトランクスも脱いで、脱衣所に放り投げる。標準サイズの男性器と睾丸を小さく揺らしつつ、かかり湯の後、まずは足の爪先から。
チャプ。
やがてかかと、足首、すね毛と浸かり始める内に、足先が触手に触れ始める。
「てか、踏み潰して、内蔵が飛び出たりしないよね?」
後始末が悲惨な事になりそうだと、少しずつ浸かっていき、やがて足裏が本体に届く。
ぶにぶに、っとグミみたいに柔らかく、口盤の中心にある小さな口についても、指先などを意図的に入れない限り危険性はなさそうだ。
「……にしても、僕は一体なにをしているんだ?」
平日の夜から、彼女や友人と遊ぶのでもなく、趣味に没頭するわけでもなく、風変わりなイソギンチャク満載の風呂に浸かるなんて。
まだ酒を飲みながらテレビを見たり、音楽を流しながらネットサーフィンしている方が、よほど健全だ。
グニッ、ブニョン。
片足がほぼ全て入る。そこそこ体重をかけても、潰れる心配はなく、むしろエアマットみたいな弾力を返してくる。
「よ、よし」
上縁面を掴みつつ、もう片方の足も湯船につけていく。すね、膝、肉棒、股間、ヘソから胸へと沈めていく。
イソギンチャク達は、当然なんということもなく、だがまるで受け止めるみたく、柔らかに身体を押し曲げていった。
「ふっう。大方、入れた、のかな?」
足を伸ばして、浴槽に身を預ける。
ふくらはぎや尻などはイソギンチャク本体によって受け止められて、その上は無数の触手が揺ら揺らと触れ動いていた。
無数のカラフルな触手が、身体同士の隙間から生え出ている様は、一見すると触手に食べられているみたいにも見えた。
けど見た目はともかく、何と言うか、触感だけを伝えるのなら。
「なんか。擬似的な女の子みたいに柔らかく、温かいみたいな感じがする。いや、言い過ぎなのはわかるけど」
そう、クニュっとしつつも温もりがあり、ちょっとくすぐったい感じが、以外と悪くなかった。
皮膚にも異常は認められず、嫌悪感がちょっとずつ薄れてくる。むしろ独り暮らしが長い僕にとって、自分以外の生き物がいるという環境が、割と新鮮だった。
「これは、ちょっと――思ったより面白いかもな」
次第にリラックスしてきて、ふぅ~、っと息を吐けるくらいになってくる。
イソギンチャクは個体によって硬さが若干違ったり、また温かさにも差異があったりで、多様な感じは飽きを感じさせなかった。
たまに本体がグィっと動いたり、触手に柔らかく押されたりする。
「なんか、マッサージしてもらいながら、お風呂に入っているみたいな」
不思議だ。僅かな動きと体温、そして感触だけで、随分とくつろげるものだ。それもこれも、お風呂にイソギンチャクという、あり得ない組み合わせによって生まれるものだと知らしめられた。
「世の中には知らないものが、多いなぁ」
徐々に警戒心を解いていき、はぁ~、と五臓六腑からの息を吐き出す。こんなまったりと風呂に浸かったのは、子供の頃、家族旅行で有名な温泉に行った以来じゃないかな?
ふと電子パネルを見ると、二十時を回っていことに気付く。
「――っと、そろそろ上がって晩飯食べないと」
流石にまだ浴槽内のお湯だの体液だの飲む気分には、到底なれなかった。
ザバァ。
「えっと、お湯は貯めたままでいいんだよな?」
湯船からあがりなっがら、ふと思う。これはちょっとした楽しみになっていくかもという、淡い期待感に。
娯楽が出尽くしつつある令和の現代で、風呂が楽しみなんて事自体が珍しい。もちろん、イソギンチャク風呂という、他人が持っていない物への、優越感による所も大きかった。
シャンプーの後、タオルで身体を拭いつつ、もう一度、浴槽を眺める。
相変わらず触手はユラユラと海月みたく搖れており、底の部分にて、たまに口が動いているだけであった。
「(垢とか本当に食べてるのかな?)ま、明日も覗くよ」
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