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序章 出会い

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「あれ。こんな所にペットショップなんてあったっけ?」

 六月中旬の夕方頃、梅雨の時期にしては珍しく、晴れた会社帰りのある日であった。
 社会人二年目の僕は、営業先からの直帰途中であった。散歩がてら、普段はあまり通らない山裾やますそ付近の狭い路地にて、ある看板を見上げた。

「【深海堂】? へぇ、水棲ペットの取り扱い専門店なんだ」

 なかなかボロい外観だった。建付けは悪そうで屋根スレート部分も一部が剥がれており、老朽化もさることながら、何だか個人住宅を無理やりに改装してみたいなつぎはぎ感があった。
 軒先の出っ張った青いテントは穴だらけで、鉄骨の部分はひどく錆びていた。
 薄汚れたガラス扉から中を覗くと、スチールラックの上にはいくつかの水槽が、浄化装置やエアーポンプ、水槽様LEDと共に並べられていた。
 ふと、小学生の頃に熱帯魚を飼っていたことも思い出す。

「(賃貸アパートに帰ってもやる事ないし)――夕飯までの時間潰しも兼ねて」

 カラカラカラ、っと引き戸を開けて中へと入ると、魚用の餌と、湿気の匂いが融合した独特の臭い鼻をつく。
 途中の、柱に掛けてあった鏡には、男にしては小柄かつなで肩な、不細工でもイケメンでもない、二十代半ばのぼくの顔がチラリとだけ映った。
 手を後ろで組みつつそれぞれの水槽を見やる。金魚やメダカなどの淡水魚、ネオンテトラやグッピーなどの熱帯魚、ミドリカメと言った、ありふれた商品ペットが目に入る。

「ペットかぁ。ウチのアパートはペット禁止だけど、こういう魚系はどうなんだろう?」

 音や臭いが無ければ、飼ってもいいのだろうか、などとどうでも良い事を考える。

「ん?」

 室内が狭かったので、ほぼ一瞬で眺め終えたかと思ったが、店内の奥の隅に、一般的な浴槽とほぼ同じくらいの、かなり大きな水槽が置かれているのに気付く。
 少し気になってチラリと眺めるに、少し驚いた。半分ほどぬるま湯が張られた中には――。

「い、イソギンチャク、なのか?」

 いわゆる――刺胞動物門、花虫綱六放サンゴ亜綱に属する無脊椎動物――であり、大小様々な個体が多いが、ハタゴイソソギンチャク科に見られる、一般的オーソドックスな種類に見えた。
 水槽内には、十個体ほどがひしめいているが、色や大きさがそれぞれ異った。隅には白くて手乗りサイズの個体が、次いで中央左右には様々な色の成体した小型犬くらいのが、そして黒い触手の根元部分である体幹に、小さなイボがビッシリついた個体が、真ん中に鎮座していた。
 目に見えない小さな水流に揺蕩たゆたい、触手が震える様は、こう密集して見ると、なかなか迫力があった。苦手な人からすると、グロいというか、生理的に無理というのも頷けた。
 ――にしてもこの水槽、不思議なことに、内側のガラス部分や内部の水がやたらと綺麗に見えた。今まで見てきた水槽のほとんどは、黒カビや餌の残りカス、フンが浮いているものばかりだったのに。

「……ご興味をお持ちで?」

 ビクッ。
 いき、いきなり背後から声をかけられて両肩が震える。中腰の姿勢が直立に戻ってしまうほどに驚いた。

「えと、あ、いや」

 五十歳くらいの――こう言ってはなんだけど――不景気そうな男性の顔が、薄暗い店内に突然出現した風な感じであった。
 そんな陰鬱いんうつな感じの、店長ないしは店員であろう彼に――ただの暇つぶしですよ――とは当然ながら言い返せなかった。

「申し遅れました。私は当店の店長をしております。ご覧になられている商品はオススメです。何と言っても、法規制の少ないとある南米の国にて、幾重にも重なる品種改良が施された、非常に希少な品々です。

「は、はぁ。しかし、そ、そんな希少なモノを、その、なんで――」

 こんな路地の奥に引っ込んだ、薄暗く汚れた、店と呼ぶのすら戸惑う場所に、おろすことがあるのだろうか?
 普通に考えれば大型のショッピングモールに入った有名ペットショップや、そうでなくてもインターネットで販売すれば事足りるはずだ。

「ご質問の意図はわかりますが、少し理由わけがあるのでご説明いたします。お客様は、共生きょうせいという単語をご存知ですか?」

 生物学には明るくないが、確か異種同士の生物が、互いの利益になる行動を取り合うという意味だったと思う。
 例えばシマウマとダチョウだ。シマウマは視力は優れているが、嗅覚は良くない。逆にダチョウは視力が悪く、嗅覚は優れている。肉食獣が多いサバンナにおいて、一緒にいることで、それぞれの得意な感覚で外敵から身を守る。って感じだったような。

「このイソギンチャクは人間とその様な関係を気づけます」

「に、人間と?」

 イソギンチャクと言えば魚のクマノミくらいしか聞いた事が無い。

「はい。そして共生関係にある宿主……あ、いえ、飼い主様でも、より適性が高いであろう方にのみご紹介している次第です」

「て、適正って?」

 何を持って、低いだの高いだの?

「私はこの仕事で何十年と務めております。一目お会いし、お話させていただければ、商品ペットを大切にしてくださる方かどうか、おおよそわかります」

 ボサボサの白髪混じりの髪をいじりつつニタニタと、なぜか嬉しそうに続ける。
 あまり長居は無用だなと感じ、考えながら口を開く。

「――えっと、さっき実用性がどうとか」

 とりあえず話の矛盾を見つけ出して、そこを突っついて退散しよう。なぁに、すぐにボロが出るさ。

「はい。風呂場、つまり浴槽での飼育が最もオススメです」

「よ、浴槽で?」

 斜め上の回答に、思わずオウム返ししてしまう。そもそも風呂はどうするんだ?

「ええ。ぬるま湯を張って、底に配置していきます。これらは生物的にかなり高度な自浄作用を内包しており、お湯が汚れることがありません。それどころか、一緒に入っていただければ皮膚の垢や汚れのみを摂食します。またお客様は見たところ違いますが、アトピー性皮膚炎などの皮膚病の治療も期待できます。もちろん、共生関係にある人間であれば、触手で毒を生成することもありません」

 確かドクターフィッシュ? なる魚も、人の垢だけをつついて食べるとかだっけ。

「発熱も行うため、お湯の温度は常に保たれます。もし、小尿や唾液などのを溶かしてもらえれば、それらが栄養とするため、給餌きゅうじも不要です」

 冷静に考えればそんな生物がいるとは思いにくいが、この男性の瞳の奥に見え隠れする暗くて奇異な光と、イソギンチャクが放つ、妙な存在感が気になった。
 とりあえず内容を整理した結果、無理難題を言って脱出エスケープすることとした。

「お湯の入れ替え、追い焚き、さらにはトイレでの小便も不要となり、餌もいらない。確かにすごいですけど、もう一歩かなぁ。例えば、この上に飲食までカバーしてくれたら、購入を考えるのですが」

 よしっと。逃げる算段をひねり出されたため、一安心する。
 ――が、男性の眼がギョロりと光った気がした。非常に不適切な表現だが、一瞬まるでみたいに見えた。

「出来ますよ」

「へっ?」

 僕の体温が僅かに下がる。

「触手の先端などより、あの子達は様々な体液を分泌しますが、人間に必要な栄養素を満たしています。より強い相利共生の関係性を結べれば、と考えられます。他にも――」

 必殺の言葉つるぎが避けられただけでなく、返す刃で窮地に陥った僕の頭には、何の言葉も入ってこなかった。まずい流れだ、えっと。
 ――そうだ!

「す、すみません。えと、実は手持ちがあまりなくて……」

「ふむ。おいくらほどのご予算で?」

 流石に無料タダでとはいくまい。尻ポケットの財布を取り出す。カードは見せない様にして、上手く財布の中身を提示する。

「よ、四千円と小銭しか」

 現にそれだけしか無いんだ。ふぅ、と今度こそ胸を撫で下ろしかけたその時だった。

「――いいでしょう」

「はっ?」

「こんな事を言っては、商道から外れていることが露見しますが、実は一目見た時から、お客様を気に入っていました。この方ならと。四千円てもちでお譲りしましょう。今日中にでも、車でご自宅までお運びします」

 !

「え、ぁ、と」

 喉に空気がつっかえたみたいに、言葉が出てこない。

「配送時に、取扱説明書などもご準備いたしますね。いやいや、ゆかりとはこう言ったことを言うのですなぁ」

 何故か水槽のイソギンチャク達が、こっちを見ている風にすら錯覚し、ゾワリとした。
 ……そこから後の流れは正直、あまり覚えていなかった。力なく自宅の名前と住所を告げたのだけは覚えている。

「一時間ほど後にお伺いします。本日はお買い上げ、誠にありがとうございました。水羽純みずはねじゅん様」
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