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第2話 驚き、驚く

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「どういうことだよぉ。コレぇ」
 机にデコをぶつけげたまま、彼女は――いや、真は動けないままでいた。
「み、水。お、置いておくぞ」
 俺も頭の中が洗濯機のようにグルグル回っていた。当たり前だ。昨日の夜まで男だった友人が、朝になったらガチもんの女になっていたのだから。
 もっとも、端から見ている俺でこれほど動揺しているのだから、当人のショックは計り知れないものだろう。
「――えねぇ。なに? オレ、が、おんな?」
 うわ言のように断片的な単語を繰り返す。清浄な朝日が照らす室内にいるせいか、よけいに異常さが際だった。
 ――ちなみにだが、真が目覚めた後、一悶着あったのは言うまでもなかった。抱き留めた身体を離した後、女性まことじょせいだと認識するために、三十分以上の押し問答を繰り広げた。
「(最終的に俺と真しか知らない質問を、十個以上答えられたのが決めてだったな)な、なぁ。ほ、本当に(男性器チンポが)無いのか? ほ、ほら。小っちゃくなっただけとか――」
「トイレで探して来た。うっすい陰毛しげみの中を、けどなかった……」
 再び喉が砂漠のようにカラカラになってきた俺は、温くなった水を飲みつつ。
「(し、茂みって)と、とりあえず病院に行くか?」
「――どこの?」
 内科? 外科? もしくは産婦人科とかの方がいいのか?
「(そもそも何て診察してもらうんだ? 女になってしまったなんて取り合ってもらえるわけがない)う、う~ん」
 信じてもらえないだろうし、下手したら精神科で診てもらえとか言われそう。最悪の場合は警察に通報されかねない。
 仮に信じられようものなら、医学的な研究対象になってしまうのでは?
敏也トシぃ」
 うつむいたまま、喘ぐように真が呟く。
「(そんな綺麗な声で呼ばれると、なんかムズムズする)ど、どうした?」
「オレ――」
 雪が溶けるような、また硝子よりも澄んだ、けどどこか艶っぽいその声に、反射ほんのう的にドキリとしてしまう。
「ま、真?」
「……吐きそう」
「ばっ、トイレ行け!」

 バサッ、ポン。
 机の上にパンとおにぎり、ジュースを転がす。
「え、食っていいの?」
 ボサボサ頭の真はこちらの返答も待たず、キャラメルオレなるものをズズズと飲み始める。
「(あんな甘いのよく飲めるな)お前が吐いてる間に買って来た」
 どっこいしょと、胡坐あぐらをかいて座る。
 もういい加減で帰りたいところだが、この異常事態について一応は議論をした方が良さそうだ。
「俺、思い出したんだけどさ。昨日の夜に真……真? 聞いてるか」
「ん? ング――おふ、きひてるきひてる」
 次いでソーセージパンをモグモグとんでいく。さっきまでの沈痛な表情が嘘のようだ。
「(吐いた直後あとによく食えるな)怪しいおっさんから、妙な薬を買って飲んだの、覚えているか?」
 こっちも酔いのせで記憶があやふやだが、変に印象的だったため、頭の片隅に埋もれていたのを、今ごろ掘り起こす。
「まったく」
 長いまつ毛をバサバサと上下させ、大きなをパチクリとしつつ口を動かした。
「かなり酔ってたもんな。お前」
 人のこと言えないが――とは言え、アレくらいしか変わった凶事できごとなんて思い出せない。
「なぁ、敏也トシぃ」
「なんだよ」
 俺と同じく胡坐をかいた彼女まことは、だが不安気な表情と共に。
「オレ、どうしたらいいんだ?」
 いやこっちが聞きたいよ。
「どうしたらって――つうか、体調は大丈夫なのか?」
「胸が重いのと、力が弱くなって背が低くなった以外は別に。……あとはすね毛とか体毛がほとんど無くなってツルツルなのに馴れないのと、ちょっと体が熱いくらいかな?」
 とりあえず命に別状がないなら、大丈夫じゃないだろうか。
 ふと机の上の時計を見た俺は、スッと立ち上がる。
「? 敏也トシ?」
「俺も家に着いたらネットとかで調べてみるよ(期待できないと思うけど)」
 今朝は荷物が届くから、早めに家に帰る必要があった。
 そんな俺を見てか、真は慌てた様子で、机に手をつきながら立ち上がる。
「は? お前。か、帰るとか言わねーだろうな?」
「? そのつもりだが?」
 原因はわからないが、とりあえず真の無事も健康も確認できた。
 また俺がどうこうしたところで事態が好転するとも思えない。
「まぁ、何かあったら連絡するから――」
 財布と携帯を確認して、廊下へ身体を振り向けると。
 ムニュ。
「ぃ!」
 背中に柔らかくて、温かい感触が、服越しでもわかるほどに伝わる。
 そして、細い腕がベルトみたく、俺の腰に巻き付く。
「ふざけんな! 女体化こんな状態の幼馴染オレを放っておくとかありえねーだろ!」
 綺麗な女性の声で乱暴おとこな口調、違和感が半端ない。
「知らないって! 昨晩きのうだって(薬を飲むのを)俺は止めただろうが!」
 力任せに暴れれば簡単に振り払えるほど弱い拘束だが、倒れさせて頭でも打たせたら大変だ。一応は女だからな。
 グッ――ムニュ。
 察してか、やたらと腕に力を込めて、胸を押し付けて来てくる。さらには顔まで背中に擦り付け、涙ながらに訴えてくる。
「たのむっ、敏也トシ! オレが悪かったからぁ、一人にしないでぇ!」
 ここの場面シーンだけ見たら、別れ話で揉めている男女のようだ。
「(って、そんな妄想している場合か)わかった。わかったから離れろって!」
 これ以上、弾力ある胸の感触を味わい続けたら、頭がどうかしてしまいそうだ。
「――うぅ、やっぱりお前は心の友だよぉ」
 俺の上着のすそは離さないまま、だがメソメソと泣く真は鬱陶しい……鬱陶しいはずなんだが――。
「(なんか、女の子を泣かせたみたいで良心の呵責が)――と、とにかく落ち着けって」
 とりあえず運送会社に連絡し、受け取り日時を変更した後、再びドカッと座る。
「ったく……ってか、真。そもそものかは覚えていないのか?」
 魔法みたいに、パッ、と変わるのなら覚えていないのも仕方ないと思えた。しかし薬によってジワジワと、しかも一晩で変わったとなると、臓器の移動などによる肉体変化が、相当な負荷となって身体で認識されるべきだ。
 真はなぜか俺の横に座ってくる。また逃げないのかと警戒しているようだ。
「う~ん。わからないけど、まぁ、強いて言えば――」
 薄汚れた天井を見つつ、細い指を同じく細い顎に当てる。
「昨日の夜にすっげー変な夢を見た気がする」
「夢?」
 まぁなんと精神的スピリチュアルな話だろうか、っという言葉は飲み込んだ。
「なんつーか。身体の中がドロドロになって、内蔵だか筋肉だかがあっちに行って固まって、こっちに行って分かれて。みたいな? あとなんか熱かった」
 全く要領を得ないが、幼虫がさなぎになり、変態するイメージだろうか。
「(だがやはりわからん)……う~ん。とりあえずだが、女性用の服を買いに行くか? いつ治るかわからない以上、当面の生活を切り盛りせざるを得ないと思うんだが」
 意外ともう一晩寝たら元に戻ったりしないものだろうか。
「そーだな。この服だとブカブカだし。じゃあ服を買いにいくか」
「下着もな。お前、今トランクスを履いてるんだろ?」
「オレ、ボクサーパンツ派なんだ」
 心底どうでもいい。
 時計が朝と昼の狭間を刻む頃、外に出ようと準備するが――。
敏也トシ
「なんだ?」
「そいや、エリと別れた時。服と下着を一式だけ忘れて出て行った気がする」
「それは助かる。サイズ的には?」
 真が部屋の隅の小さな衣装ケースを漁る。
「イケんじゃね? ――おっ、あったった。早速、着替え……」
 着ている上着シャツに手をかけ、目の前で勢いよく脱ごうとしてくる。
「馬鹿! ちょっと廊下に出るから待て!」
 慌てて狭い廊下に出る。
「(にしても、言動がどう見ても真だ)誰かと結託して、俺をハメようとする可能性はなさそうだ」
 未だその線を捨てきれていなかった俺は、携帯で『女体化』なるキーワードを検索する。
 大半が漫画や小説、あるいは成人用エロ動画サイトに繋がった。
 他のは医学的な見地での説明や、果てはジェンダーなどのデリケートな項目が目立った。
「(安易に相談して簡単解決――とはならんよな)ったく。何がどうなって――」
「ト、敏也トシ~。てつだってぇ~」
 安普請やすぶしんの扉の向こうから、真のこれまた情けない声が響いてくる。
「どうした?」
 ガラガラ、っと扉を開けると。
「っ!」
 思わず心臓が高鳴る。ミニスカートから伸びる、きめ細かい肌に覆われた、ほっそりとした脚。
 そしてそれらによって演出される脚線美。
 ――だけならまだしも、その上の、つまりは、上半身に関して。
「(やべっ、前屈みになりそうだ)お、おい!」
 綺麗で小さい背中にはホクロ一つなく、また生命わかさに溢れており、それらが丸出しでこちらへ向けられていた。
 その上で、非力な腕と手が、ブラのホックを止めようと、プルプルと震えている。
敏也トシ、ブラがっ、止まんねっ」
 首を限界まで横へ曲げ、力む真の何とも言えない顔が。
「――いや、サイズが合ってねーんだって多分」
「あ。じゃあ、けなくていい?」
けられないならじょうがないだろ」
 それを聞いてか、脱力した輝はポトっとブラを床へ落としつつ。
「ふぅ。にしても、敏也トシにもわからせてやりてーよ。男のオレがブラを着ける時に味わう、何とも言えないあの情けなさと言ったら――」
 半笑いで、身体をこちらへ向けようと……。
「バッカ! 上半身裸でこっち向くなっ!」
 再び廊下へエスケープ。
 ドクン、ドクン。
「な、何で俺がこんな目に」
 だが一瞬、見えてしまった。真の胸部の先端を……処女色バージンピンクで、乳輪は小さめだった。
「(目に焼き付いてしまった。しかし、いくら女の身体とは言え、真の胸や脚を見て、ここまで取り乱すとは)見た目がどうであれ、ありゃ真なんだぞ? 俺」
 そう言うと、下半身のナニから少しずつ血の気が引いていく。気をつけないと、色々と危険な領域に足を踏み入れ兼ねない。
 ガチャ。
「準備できたぞ」
「ふー、じゃあ買い物……っておい!」
 真の恰好すがたに思わず、本日何度目かわからない突っ込みを入れてしまう。 
 下は赤のミニスカートに黒のハイソックス。
「いやー、スカートってめっちゃ涼しいんだな。男も採用すべきだぜ」
 露出に関して言いたい事が無くはないが、これしか着るものが無い以上は仕方がない。
「(それより問題は)タ、タンクトップて」
 レディース用の紺のタンクトップなのだが、上半身こっちは露出の問題どころではない。
 肩以降は丸出しであり、細くて柔らかな腕が綺麗だ――いや、だからそうではなく。
「あんだよ? エリの趣味だから仕方ねーだろ。下着パンツも見せっか?」
「いらん! ってか――その……む、胸のところが」
「あ?」
 ツン、っと乳首むねが上向きにタンクトップを押し上げ、形や位置がおおよそ分かってしまう。
「いや、だからしょうがねぇじゃん。ブラのサイズが合わねーんだから」
「だけどよ……」
 こんなので往来を歩いてたら、もはや痴女だろ。変な男に声とか掛けられたらどうすんだ。
 ポンポン、っと小さな手を伸ばして、俺の肩を叩きつつ。
みんなが皆、お前みたいにスケベじゃねーよ」
「いや、逆だって。男だったと知らない以上、お前はどう見てもタダの女なんだから」
「タダの女だぁ?」
 ファサ、っと肩まである艶やかな髪を軽く手で撫で払いながら、ドヤ顔で。
の間違いだろぉ?」
 ……確かに顔について、少なくとも上の下を降ることはあるまい。
 胸も標準よりかなりある方だし、身体のラインも――。
「スレンダー巨乳というドストライクの美人を前に、土下座してでも、エロいことをさせて欲しいと想えるほど、俺の心はもうメロメロで――」
「(どっちかってロリ巨乳な気が)――か、勝手にヒトの心情を捏造すんな! ったく、さっきまで泣きべそかいてた癖に」
「な、泣いてねぇし!」
 わめきそうな真へ、俺は安物の上着を脱いで差し出す。
「服屋に着くまではそれを着てろ。ちょっと不格好だが、一応(乳首)は隠せる」
 また下らない茶々を入れられることは覚悟しつつも手渡す。
「――んっ、サンキュ」
 だが予想に反して、真は顔を下に向けてそう呟くと、小さな両手で上着をしっかりと受け取った。


 ミーン、ミンミンミーン。
 外はジリジリと日差しが強まっており、日中は三十三度に迫る感じだ。
 早々に汗が浮いて流れそうな状態へと追い込まれ、早く早くと駅へ足を運ぶ道中。
「……なぁ、敏也トシ
 アパートを出て五分程度で、真の歩行速度が徐々に遅くなる。
「今度はなんだよ?」
 遠慮なく嫌な顔を作るって声を返す。
「――てぇ」
「は?」
 うつむきつつ、整った顔を少し歪ませながら。
「ち、乳首が擦れててぇ」
 ふ、ふふっ、っと言った感じで、上目遣いで、はよ助けて、とこちらへ視線を投げてくる。
「(痛いのこっちの頭だ)我慢できないのか?」
 駅まではもう少しで、電車にさえ乗ってしまえば何とか――。
「なんつーか、気持ち悪い痛みで。ツラっ」
「(どーすりゃいいんだよ)タクシーはこの辺りに来ないからなぁ」
 都市部からだいぶ離れたベッドタウンで、人や車の往来はあまりない。
「真。こう、腕を組むような素振りで、軽く胸を押し上げたら、ちょっとは固定できないか?」
 ちょっと恥ずかしいが、出来るだけわかりやすくやって見せる。
「――おっ、ほんとだ。ちょっとマシになった」
 嬉々とした表情を作り、細い腕で大きな胸を固定する。俺は軽く溜息を吐きつつ。
「あんまりカッコいいポーズじゃないから、オーバーにするなよ」
「へへ、やっぱ敏也トシは頼りになるぜ」
 縮こまる姿勢だが、汗がつたう顔をこちらへ向け、ニカッと笑う。
「調子のイイ奴だな」
「知らなかったのか?」
 今日、初めて笑い合えた気がした。


 ガー、プッシュー。
 四両編成ののろい電車へ滑り込む。
「あっち~」
 ドーンと真が遠慮なく座る。
「おい。次の駅から混むから、端に寄れって」
 車内は冷房クーラーが適度に効いており、少しずつ汗が引っ込んでいく。
「へぇへぇ……にしても。はぁ~、マジさぁ……マジなんだよなぁ」
 人心地ついたためか、意味不明な日本語にて、意味不明な現状をなぞり始める。
「今の所マジだ。とりあえず現実を受け止めろ」
「お前にはわかんねーだろうなぁ。下着パンツを履いて股にフィットする違和感が、ブラを着ける時の屈辱が――」
 窓から覗く景色は何一つ変わりない、いつもの土曜日の光景まちなみなのに。
「わからんよ」
 俺達ここだけ超弩級に異常だ。
「くっそぉ~、ネットの掲示板とかで、女になったらまず自慰オナニーって、あったけどいざ我が身に起こったらそれどころじゃねぇっての――」
 わけのわからない憎しみを勝手に燃やしている。いや、そんな板を一般人は見ねぇから。
「おい、もうすぐ人が乗って来るぞ。パンツだのオナだの……言うな」
 ウィィィ。ガチャー。
 停車駅にて、そこそこの人が乗って来る――まぁあと後二駅くらいだからそこまで気にはならないが。
「なぁ、敏也トシ。腕が疲れて来たんだけど」
「(重そうだしな)――それより、脚を閉じろって」
 だらしなく脚を投げ出す真を注意する。
「は? 誰も見てね――」
 ミニな上に細い脚を開く真の認識は、残念かつ甘すぎる。
「いや、迎えの席の学生とかおっさんがチラチラ見てんだって」
「――……あぁっ?」
 キッと真が睨むと、彼らは携帯を見だしたり、眠った振りをしだす。
「……敏也トシ、男ってアホなのかもしれんぞ」
「アホかはともかく、直情的な所はあるかもしれんな」
 もう間もなく目的つぎの駅だ。


「いらっしゃいませぇ」
 暖色のスポットライトが柔らかく照らす室内には、やはり繊細な、色とりどりの下着が展示されていた。
 この辺りで唯一の大型ショッピングモールの下着販売店へやってきた。入店して以降、なぜか動きがドンドン鈍くなっていく真を軽く小突く。
「どうした? 腕が疲れたんだろ。早く行って買って来いよ」
 こっちはタダでさえ居たたまれない状況だ。一刻も早く店から出たい。
「い、行けって。ど、どこにだよ?」
 さっきまでの威勢はどうしたことか、すがるような視線をこちらへ向けてくる。
「(あっ。また俺の服の裾を掴んでやがる)――知らねーよ。とりあえずサイズを測ってもらわないとダメなんじゃないのか?」
 スリーサイズとか言うくらいだし。
「な、なんかそれぞれで形状かたちとかが微妙に違うが。ど、どれがいいんだ?」
「俺が知るわけないだろう。店員に聞くか、お前の好みで決めろって」
「こ、好みってお前なぁ。彼女こいびとに着せる下着じゃなくて、自分オレが着るんだぞ!」
 俺らのやり取りに対して、状況がわかっていないであろう壮年の女性店員が、少し離れた所でニコニコと眺めている。
「(まさか恋人同士で下着を選びに来たとか思っていないだろうな)と、とにかく。さっさと決めてこい。俺は昨日の飲み屋街に行って、くだんの露天商がいた辺りを見て来るから」
 もういないとは思うが、念のために確認を――。
 ギュゥ。
 再び二の腕あたりに温かく、心地よい柔らかみを感じる。
「だからオレを独りにするなって! 敏也おまえだって逆の立場だったら、女性下着店こんなところに置いて行かれたくないだろぉ?」
 裾どころか腕まで掴まれた挙句、泣きべそまでかきそうな様相だ。
「い、いい加減に――んっ?」
 声を荒げるのを寸でで止める。周囲の女性客がヒソヒソと話し始め、店員すらさっきまで作っていたこやかな表情を崩し出す。
「(なんか俺を見ていないか?)――った。わかったらから離せって!」
 本日、何度目のやり取りだ。
「うぅ……頼むから放っておかないでくれってばぁ」
 客からの非難の目が俺に突き刺さる。気のせいではなさそうだ。それはまるで――なんで、あんなパッとしない男が、あんな可愛い子に横暴らんぼうな態度が取れるの? 信じられない――的な?
「(いやいや、気のせい気のせい。俺の妄想、モウソウ)て、店員さん、すみません。ちょっとだけいいでしょうか……」
 出来るだけ年配の店員に話しかける。
「はい。何でございましょう?」
 真は俺の後ろに隠れた状態だ。どう考えても逆だ。逆であるべきだ。
「え、えーと。か、彼女のサイズを測って、三点くらい下着を買いたいのですが――」
 羞恥に悶えつつも、出来るだけ平静を装う。
「かしこまりました。では、試着室までよろしいでしょうか?」
「うっ。は、はい……」
 狼狽うろたえつつも試着室へ向かおうとする真は、なぜか俺の服の裾を掴んだままだ。
「いや、待てって。さすがに試着室までは同行できない」
「(女の)身体の測定されるとか不安だって。それに独りにしないって言ったろさっき」
 再び集まり始める冷たい視線。冷房の効いた店内で、思わず冷や汗が流れる。
「だから試着室とか狭いのにそんな何人も入れない――」
 その時、心配入りません! と言った感じで年配の店員が。
「お客様。当店では広めの試着室おへやもございますので、大丈夫ですよ。ご同行されるカップル様もおられますので」
 おいいぃぃ!
「聞いてたか? 大丈夫だってさ。行こうぜ」
 進むは地獄、戻るも地獄とか本当に勘弁してくれよぉ。
 ……――シュル、ファサ。
 ようやく測定ができる状態へとこぎつける。布が擦れる静かな音が響く中、店員が目を丸くする。
「(えっ、ノーブラ?)で、ではお測りしますね」
「はーい……冷たっ」
「すみません」
「いえいえ、いいっすよ――敏也トシ?」
 っと、俺の背後から声がする。
「見てもいいって言ってんじゃん」
「いやだ」
 目の前の壁に向かって答える。真はなぜ? と言った顔でもしているのだろう。
「(実はホモとか?)――しっかし、こうやって見ると。イイ身体してんなぁ、オレ」
 鏡を見ながらであろうか、感心したような真の声がする。店員は少し戸惑いつつ。
「(えっ、オレ?)そ、そうですねぇ。お客様はかなりスタイルが良い方かと思います」
 おべっかにしては深みのある声にて呟く。
「まじっすか。いや~、照れるぜ(男だった時に会いたかったぜ)」
「真、言葉遣いを――」
 などとくっちゃべっている内に、測定を終える。
「メモしましたので、お受け取りください」
「あざーす。ええっと……おぉ」
 一刻も早く部屋から出たい俺は。
「おい。もう服は着たか?」
敏也トシ。九十三、六十、九十一だって。ナイスバディってやつだな」
「言わなくていいから早く着てくれって!」
 ってか、九十三ってかなりデカくないか?


 再び店内に戻って来た俺達は、再びうなることとなる。
「う~ん」
 特に真は。
「結構、高いんだな」
「ピンキリとは思うがな。あっちのワゴン品とか安いぞ」
 ようやく徐々に俺にも耐性が生まれてきた。だが真は、俺の指差す方向とは逆の下着ショーツを引っ張りだし。
「おぉ、このエロいのめっちゃ高いな」
 赤い装飾下着ランジェリーらしきものを広げ、マジマジと見つめる。
「ほら、透け透けだぜ。こっちはほぼ紐だし」
「買う気が無いなら戻せ。下着売り場は遊ぶ場所じゃない」
「つまんねーヤツだなお前は」
「……置いていくぞ」
「ごめんなさい」
 とりあえずさっきの店員を再び呼ぶ。
「どのような物をお求めでしょう?」
「どのような物って――」
 真を見る。
「え?」
「えっ?」
 驚いた表情を見て、逆に俺が驚く。
「いや、早く選べって」
「いやいや、どれが良いとかわかんねーし」
「だからじぶんが身に着ける下着くらい、自分で選――」
 何かを察したのか、店員が。
「まぁ、彼氏さんが選ばれるのも、別に良くあることでございますが?」
「あ、いえ。俺はコイツの彼氏なんかじゃ――」
「(閃いた)……ねぇ敏也トシィ、早く決めてってばぁ、あたし何でも着てあげるからぁ」
 後頭部あたまを椅子ではたかれたような衝撃が走る。
 小悪魔いたずらっぽく笑う真の表情は、普通の男性視点であるなら、麻薬的な魅力を秘めているとすら思えた。
「(女になったのをいきなり愉しんでやがる)て、店員さんすみません。正統派オーソドックスなのを三つほど――」
「えと、上下の両方ですか?」
「え、えぇ」
 顔を引きつらせながら、頷く。
「では……これらなどいかがでしょう?」
 大手下着メーカーがテレビで宣伝している、ありふれた物を持ってきてくれる。
「(好みかどうかはともかく。万が一みえても大丈夫)これらで結構です。色は――」
「ねぇ、敏也トシィ」
 誘惑的ふざけた声をまだ出す真に、なんだよ? っと振り向くと。
「これも着てみたいなぁ」
 こっちはただでさえ、頭の機能低下が著しい状況だっつーのに。
「はっ?」
 ソレは、一言で言えばピンクのキャミソールだが、ほぼ局所しか布が無く、その布も透けており、ある意味において裸よりも恥ずかしい格好と言えた。
 俺は思わず顔を赤くして。
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
「くくくっ、買ってくれたら着たところを見せてやるぜ?」
「いらん! ってか金あるのか?」
 店員が馴れた様子で待っている中。
「漫画家志望のオレがそんなに金を持っていると思うか? 昨日の飲みで大半を使っちまったぜ」
 テヘッ、という動作は、くどいようだが真と知っていなければ許してしまうほどだ。
「なぁなぁ、買ってくれたら、身体で返すからさ~」
 上目遣いのまま、濡れた唇を動かし、挑発してくる。
「(さっきから下着ばっかり見せられたせいか、これ以上は本当に変な気持ちになりかねない)て、店員さん。持ってきてくれた三点を買います。レ、レジはどっちですか――」
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