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第三章 協会
十八話 いつかの聖誕祭
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足早に下山する神薙を慌てて追う岸堂だが、その差は次第に広まる。
「ハァ、ハァ。暑っつ、も、もう歩けへん」
「この程度でだらしないぞ」
神薙も軽く肩で息をしているとは言え、両者の間に体力と歩行技術の差があるのは歴然であった。
「はぁ――にしてもお前。ようあんだけ長時間、霊装して、こないに動けるな?」
「霊装はお前もしてただろ?」
オシダを踏みつつ、霊装の関係の話題のためか、一応の返しをする。
「俺のは一回発動したらある程度は自動で起動するからな。霊子装甲もお前ほど厚く展開して(でき)へんし。お前はあんなトンデモ性能の銃を振り回してるやん。相当な負担やろ?」
しゃべりながら残った水を飲み干す岸堂。寒さと放熱が相まって、薄い湯気が立っていた。
「……霊装を上達させる手段は主だって二つあるが、一つはやはり修煉だ」
「しゅ、修煉と申しますか」
「事実だ。霊装能力の維持・増進や霊子操作技術の向上は、全て修煉の賜物だ。俺も最初は十分と霊装状態を維持できず、弾も一発のみで射程も知れていた」
「えぇ! ほ、ほんまかいなそれ?」
神薙を生まれながらの秀才、言い過ぎるなら天才と思っていた岸堂は驚嘆する。
それもそのはず。神薙は文句や悪態をつくことはあっても、自身の弱音や過去の労苦を決して他人には語らない。
「今では、霊装中でも臨戦状態を一時間は維持できる。保有弾数も六発。射程も伸びた。――いいか、岸堂」
ガサガサ。
視界が開け、黄昏が終わる頃の星空が二人の目に映る。よくやく竹黙ヶ原から抜け出られたのであった。
聖夜であろうと、夜の帷は早々に周囲に点在する民家の上へ降り振りていく。
「研鑽の日々は自分を助ける。――少なくとも裏切りはしない」
岸堂に言い放っているのであろうが、まるで自身にも言い聞かせている様にも見えた。
「まぁ、お前がそう言うのならそうなんやろなぁ。二つ目は?」
……停留所に着いて間もなく、最終バスが到着する。寒さを感じ始めた二人は早々に乗り込む。貸し切り状態の車内にて、一番後ろの席に陣取った。
時計は十七時半を刻み、周囲はとっぷりと暮れていた。
「神薙、続き続き」
「ん? ――あぁ。精神論とも重なる部分があるが、目的を以って霊装を行使すること。つまりは意志の力だ」
「意志の力?」
「そうだ。誰か、もしくな何かを守りたい、強くなりたい、いい生活をしたい、なんでも構わない。霊装は意志に呼応する」
それは時として想像を超えた大きな力倆を産むことすらある。幾多もの荒事を乗り越えて来た神薙は、そのことについて実に良く理解していた。
「モテたいとかでも?」
「命を懸けるほどに一途ならばな。意志は霊装の根幹。願いや想いは何よりも重要だ」
「(こいつ自覚無いけど、こういうとこホンマ真面目やなぁ)ふぅ~ん」
次々に停留所へ停車するも、当然とばかりに誰も乗り降りしなかった。
整備できていない細い国道はしばらく続き、やがて遥か遠くに小さな街明かりが見えてくる。
「でもまぁ、だからこんだけ強いんやろなぁ」
「何がだ?」
「――なんでもあらへん。そういや今日の幻核生物って、危険度的になんぼくらいなん?」
「(星にしろこいつにしろ、なぜそこまで気にする)――地形が敵に利していたことを除けば、Cくらいじゃないか?」
「あの気色悪さでC+ですら無いんかぁ」
四つ目の停留所で、ようやく人が乗って来る。採算が取れているか怪しい路線であった。
「……俺からも質問だ」
「お、なんや?」
仕事終わりの解放感も手伝ってか、いつにもまして陽気に岸道は返答した。触りそうになった携帯の画面から、目を離す。
「霊魂は、実在して欲しいと思うか?」
「……へっ? なんや突然? ん~でも、まぁ。いてほしいかなぁ」
「どうしてだ?」
岸堂は人差し指で頬を軽く掻きながら。
「だって死んだ人にまた会えんねんぞ? お前だって、亡くなったけど会いたい人の一人くらいおるやろ?」
「亡くなって、会いたい人……?」
神薙にしてはひどく無警戒な表情のまま、薄汚れた窓へ視線を向ける。
「? どした神薙?」
「ボーッっとなどしていない。――おい、そっち詰めろ。他の人が座れないだろ」
街へと近づいて来て、ようやく乗客が増えてくる。
中には大きなプレゼントや持ち帰り用の、やや豪勢な食べ物を持っている人達が少なからずいた。
こと日本においては、一年でもっとも浮かれる日なのかもしれない。その雰囲気に感化された岸堂が、大仰に腕を組む。
「忘れてたけど、今日はクリスマスやな」
「浄土真宗の門徒が、何を言っている」
「何ゆーとんねん。ウチの寺なんて近所の子を呼んでクリスマスパーティーするで?」
「信教の自由……便利な言葉だな」
ふと、携帯の振動に気付いた神薙が左手で取り出すも、星宮からであった。
『チキンを予約し忘れていたからスーパーで買っていいか? ケーキはチョコレートでいいか?』などと、神薙にとって極めてどうでもいい連絡であった。
抜け目なく岸堂が、隣から覗き見る。
「女か?」
「(確かに生物学上は女か)そうだな」
「ホッシーか?」
「(星宮のことだったな)そうだな」
「夜、二人っきりか?」
「知らん。が、所長も一緒だと思うぞ」
許すっ! っと大きくえらそうに頷きつつ、やがて手を合わせながら、外へ目を移す。
「ああっサンタさんっ。どうかこの憐れ極まりない二十五歳♂に、優しくて可愛い彼女をくださいっ!」
周囲の客がクスクスと笑う。
「おい。次、車内でふざけたこと言ったら、窓から叩き落とすからな」
* * *
街へ入ると、キラびやかな聖夜の光が、店先から散見するのが見て取れた。若い男女は元より、家族も、学生達も、あるいは高齢者にすら、力を抜いた笑顔がこぼれていた。
岸堂と異なり、無表情の神薙は言葉を漏らす。
「宗教にこれほど関心があり、また無関心な国など、この国だけだろうな」
――どゆ意味? との問いかけに、だが何でもないと返す。
岸堂の突拍子もない雑談を適当にいなしている内に、事務所の最寄り停留所に着く。報酬については、協会から連絡があると、神薙は降り際に口にした。
「ほなな、探偵はん。メリークリスマス」
「じゃあな」
弱いビル風が神薙の回りをぐるりと一周する。襟元のボタンを留めたあち、携帯を取り出す。
「冷えるな。――さて、とりあえず琴船さんに報告だ」
事務所を目指しつつ、携帯にて琴船へ連絡を取る。
アプリによる数回のやり取りで、琴船も、早々に帰宅したいらしいのが感じ取れた。要点だけを説明し、後は報告書でと進める。
その間、すれ違う人々の顔には、やはり小さな笑顔の灯が幾つも見られた。
「……で、神薙君。報酬についてだけど」
ふと立ち止まって、思った。
――遥か昔、遠き西方の国に生まれた伝説の聖者は、数多の奇跡を起こしたという。ひょっとしたらその一つが、こんな極東の島国の住民にまで、喜びという名の奇跡を、配慮してくれたのかもしれないのでは? と。
「(聖誕祭)――か」
「え、なに? 神薙君?」
「あぁ、すみません。報酬は岸堂にも配慮してやってください」
「貴方が討伐したんでしょ? ……ふふっ、まぁいいわ。クリスマスプレゼント代わりね。じゃあ、メリークリスマス」
電話を終了し、事務所があるビルの角にて立ち、ふーっと白い息を吐きつつ。
「個人的には、先に報告書をまとめたいんだが――」
見上げると、窓辺から零れる事務所の光から――早く早く――っと急かす声が、聴こえる様であった。
「子供じゃあるまいし」
誰にも見られず、僅かに笑う神薙は建物へと入り、事務所を目指す。
ガチャ。
温かい空気と共に――。
「もどりました」
「おかえり神薙君! お疲れ様だったね」
「あっ、薙君!」
事務所内は、全て百円均一の飾りにて、こじんまりと、だが精一杯の装飾がなされていた。
去年買った雪だるまの小物がどこからか引っ張り出されて、部屋の隅には点灯する小さな樅の木の玩具が置かれていた。
「ったく。また盛大にやったな」
呆れる神薙は、だが肩の力が抜けていた。
「てか、薙君。帰ってくるなら、事前に連絡してよ~。せっかくクラッカー鳴らしてメリークリスマスしようと思ってたのに」
こいつ二十三歳ですよ? っという視線を所長へ向け――まぁまぁ――っと苦笑いする所長も、安っぽいパーティー用の帽子を被らされていた。
「所長、家族の方は大丈夫ですか?」
「あぁ、小一時間くらいなら大丈夫だよ。ウチは息子ももう大きいからね」
「薙君、見て見て!」
普段、応接用に使っている机の上には安っぽいクロスが引かれていた。一応は料理の盛り合わせが置かれており、さらに温かいスープや、切り分けられたライ麦パンも添えられていた。
「薙君はこっちの席だよ」
指定された席の前には、三割値引きシールが貼り付けてある、刺身の盛り合わせと、熱燗が配膳されていた。
「(セール品か、星らしいな)日本酒の熱燗とは、お前にしては気が利く。八十点」
「やった~! 高得点!」
「だが、次からは醸造アルコールの入っていない純米酒にしてくれ」
「――ははっ、外は寒かったろう。さぁ、ゆっくりしようか」
笑顔の望月所長、破顔する星宮、苦笑する神薙。
『楽しい心は良い薬である。押し潰された魂は骨を枯らしてしまう』
「(旧約聖書の箴言、十七章二十二節)だったろうか」
小声である書物の一節を神薙は思い出す。やがて、各人のグラスへ飲み物が注がれたのを確認した星宮が、満を持した様相で。
「二人とも、いい?」
「早くしろ。腹が減っているんだ」
「星宮さん。どうぞ――」
「では……メリークリスマス!」
鳴り響く祝音。皆が箸でもって、電子レンジで温められた料理をつつく。
……幸せとは何だろうか? 貨幣の様に、あればあるだけ喜ばしいものなのだろうか? それとも、失って初めて気付く、小さな不幸みたいなモノなのだろうか?
『どうした? 蒼一。手が止まってるぞ?』
……将棋の盤面を目の前にした、あり日しの記憶が、目蓋の裏の一コマにそっと潜む。答えはわからないままであった。
「あれ? 薙君なんで、左手でお箸持ってるの?」
「……今日は左手の気分なんだ。両利きなのは知ってるだろ?」
友をかばった右手の熱を、机の下で隠したまま冷ましていたのであった。
「おっと、そうだ。神薙君。夕方に一件依頼があってね」
控え目に飲み食いする所長が、タイミングを見計らって口にする。
「――わかりました。内容を携帯に転送しておいてください。後で目を通しておきます」
「ねぇねぇ、薙君。ケーキなんだけど~、やっぱりね~」
「どうせ二種類買って、それぞれ食べたいとかだろ」
「ぎくぅ」
雪は降らなさそうだが、室内、この街、この国、あるいはもっと広域で今日ほど笑顔があふれる日も、そうそう無いのであろうな。
神薙がゆるい相槌を打って進む中、所長へ目配せをした星宮は、何やら机の下から取り出し始める。
「え、えーっと、あ、あのね。薙君」
可憐な成人の彼女は、神薙へ向かって小さな包みを差し出す。
「こ、これっ。クリスマスプレゼント!」
「……」
既に五合ほど熱燗をあおっている神薙だが、全く酔いの動静を示さず、星宮の贈り物を静かに受け取り、開封する。
中には、神薙の名前が刻印されている、銀色の上質な栞が封入されていた。神薙は二つの指で大事そうに取り出し、室内の白色灯にそっとかざす。
「――ふむ、悪くない」
「よ、よかった! 喜んでもらえて」
「ははっ。良かったねぇ、星宮さん」
手を取り合う星宮と所長。どうやら星宮が所長に相談し、選び抜いた贈り物の様だ。
「――そうだ。俺もお前に渡す物がある」
「えっ!」
思わず星宮は両の手で口元を抑えてしまい、所長も少し驚いた後、にこやかな表情を取る。
「(なんだかんだ言って、神薙君はやっぱり星宮さんに優しいんだなぁ)ちょっとしたプレゼント交換会だねぇ」
「(薙君がプレゼントなんて、なんだろう?)ドキドキがやばい♪」
取り出した包装紙はA4ほどの大きさで、十センチメートルほどの厚みがあり、中々の重みを感じさせた。
笑みに溢れる星宮は、僅かに頬を紅潮させつつ、丁寧に包装を取り外す。
――それは本であった。丁寧な外装で、三百頁以上はありそう題目は【政治家と政治屋】
「「……」」
木枯らしの幻聴が、星宮と所長の外耳道を突き抜けた。
「一月末までに感想をまとめて俺に提出しろ。原稿用紙で三枚以上だ。あ、表紙は枚数に数えないからな」
「大学のレポートですかっ!」
うわぁぁぁん! っと嘆く星宮。所長は時間とばかりに帰り支度を始め、せめてもの慰めか、小さなテレビだけを点けて帰る。神薙は星宮の贈り物をしまい、手酌で酒を続けた。
間もなく年の瀬、そして新年。何千回と行われた習慣が再び巡る。
穏やかな寒風は、平常運転とばかりに都市と田舎を泳ぎ揺蕩う。
やがて来訪する、春風が世界へ満ちるその日まで――。
「ハァ、ハァ。暑っつ、も、もう歩けへん」
「この程度でだらしないぞ」
神薙も軽く肩で息をしているとは言え、両者の間に体力と歩行技術の差があるのは歴然であった。
「はぁ――にしてもお前。ようあんだけ長時間、霊装して、こないに動けるな?」
「霊装はお前もしてただろ?」
オシダを踏みつつ、霊装の関係の話題のためか、一応の返しをする。
「俺のは一回発動したらある程度は自動で起動するからな。霊子装甲もお前ほど厚く展開して(でき)へんし。お前はあんなトンデモ性能の銃を振り回してるやん。相当な負担やろ?」
しゃべりながら残った水を飲み干す岸堂。寒さと放熱が相まって、薄い湯気が立っていた。
「……霊装を上達させる手段は主だって二つあるが、一つはやはり修煉だ」
「しゅ、修煉と申しますか」
「事実だ。霊装能力の維持・増進や霊子操作技術の向上は、全て修煉の賜物だ。俺も最初は十分と霊装状態を維持できず、弾も一発のみで射程も知れていた」
「えぇ! ほ、ほんまかいなそれ?」
神薙を生まれながらの秀才、言い過ぎるなら天才と思っていた岸堂は驚嘆する。
それもそのはず。神薙は文句や悪態をつくことはあっても、自身の弱音や過去の労苦を決して他人には語らない。
「今では、霊装中でも臨戦状態を一時間は維持できる。保有弾数も六発。射程も伸びた。――いいか、岸堂」
ガサガサ。
視界が開け、黄昏が終わる頃の星空が二人の目に映る。よくやく竹黙ヶ原から抜け出られたのであった。
聖夜であろうと、夜の帷は早々に周囲に点在する民家の上へ降り振りていく。
「研鑽の日々は自分を助ける。――少なくとも裏切りはしない」
岸堂に言い放っているのであろうが、まるで自身にも言い聞かせている様にも見えた。
「まぁ、お前がそう言うのならそうなんやろなぁ。二つ目は?」
……停留所に着いて間もなく、最終バスが到着する。寒さを感じ始めた二人は早々に乗り込む。貸し切り状態の車内にて、一番後ろの席に陣取った。
時計は十七時半を刻み、周囲はとっぷりと暮れていた。
「神薙、続き続き」
「ん? ――あぁ。精神論とも重なる部分があるが、目的を以って霊装を行使すること。つまりは意志の力だ」
「意志の力?」
「そうだ。誰か、もしくな何かを守りたい、強くなりたい、いい生活をしたい、なんでも構わない。霊装は意志に呼応する」
それは時として想像を超えた大きな力倆を産むことすらある。幾多もの荒事を乗り越えて来た神薙は、そのことについて実に良く理解していた。
「モテたいとかでも?」
「命を懸けるほどに一途ならばな。意志は霊装の根幹。願いや想いは何よりも重要だ」
「(こいつ自覚無いけど、こういうとこホンマ真面目やなぁ)ふぅ~ん」
次々に停留所へ停車するも、当然とばかりに誰も乗り降りしなかった。
整備できていない細い国道はしばらく続き、やがて遥か遠くに小さな街明かりが見えてくる。
「でもまぁ、だからこんだけ強いんやろなぁ」
「何がだ?」
「――なんでもあらへん。そういや今日の幻核生物って、危険度的になんぼくらいなん?」
「(星にしろこいつにしろ、なぜそこまで気にする)――地形が敵に利していたことを除けば、Cくらいじゃないか?」
「あの気色悪さでC+ですら無いんかぁ」
四つ目の停留所で、ようやく人が乗って来る。採算が取れているか怪しい路線であった。
「……俺からも質問だ」
「お、なんや?」
仕事終わりの解放感も手伝ってか、いつにもまして陽気に岸道は返答した。触りそうになった携帯の画面から、目を離す。
「霊魂は、実在して欲しいと思うか?」
「……へっ? なんや突然? ん~でも、まぁ。いてほしいかなぁ」
「どうしてだ?」
岸堂は人差し指で頬を軽く掻きながら。
「だって死んだ人にまた会えんねんぞ? お前だって、亡くなったけど会いたい人の一人くらいおるやろ?」
「亡くなって、会いたい人……?」
神薙にしてはひどく無警戒な表情のまま、薄汚れた窓へ視線を向ける。
「? どした神薙?」
「ボーッっとなどしていない。――おい、そっち詰めろ。他の人が座れないだろ」
街へと近づいて来て、ようやく乗客が増えてくる。
中には大きなプレゼントや持ち帰り用の、やや豪勢な食べ物を持っている人達が少なからずいた。
こと日本においては、一年でもっとも浮かれる日なのかもしれない。その雰囲気に感化された岸堂が、大仰に腕を組む。
「忘れてたけど、今日はクリスマスやな」
「浄土真宗の門徒が、何を言っている」
「何ゆーとんねん。ウチの寺なんて近所の子を呼んでクリスマスパーティーするで?」
「信教の自由……便利な言葉だな」
ふと、携帯の振動に気付いた神薙が左手で取り出すも、星宮からであった。
『チキンを予約し忘れていたからスーパーで買っていいか? ケーキはチョコレートでいいか?』などと、神薙にとって極めてどうでもいい連絡であった。
抜け目なく岸堂が、隣から覗き見る。
「女か?」
「(確かに生物学上は女か)そうだな」
「ホッシーか?」
「(星宮のことだったな)そうだな」
「夜、二人っきりか?」
「知らん。が、所長も一緒だと思うぞ」
許すっ! っと大きくえらそうに頷きつつ、やがて手を合わせながら、外へ目を移す。
「ああっサンタさんっ。どうかこの憐れ極まりない二十五歳♂に、優しくて可愛い彼女をくださいっ!」
周囲の客がクスクスと笑う。
「おい。次、車内でふざけたこと言ったら、窓から叩き落とすからな」
* * *
街へ入ると、キラびやかな聖夜の光が、店先から散見するのが見て取れた。若い男女は元より、家族も、学生達も、あるいは高齢者にすら、力を抜いた笑顔がこぼれていた。
岸堂と異なり、無表情の神薙は言葉を漏らす。
「宗教にこれほど関心があり、また無関心な国など、この国だけだろうな」
――どゆ意味? との問いかけに、だが何でもないと返す。
岸堂の突拍子もない雑談を適当にいなしている内に、事務所の最寄り停留所に着く。報酬については、協会から連絡があると、神薙は降り際に口にした。
「ほなな、探偵はん。メリークリスマス」
「じゃあな」
弱いビル風が神薙の回りをぐるりと一周する。襟元のボタンを留めたあち、携帯を取り出す。
「冷えるな。――さて、とりあえず琴船さんに報告だ」
事務所を目指しつつ、携帯にて琴船へ連絡を取る。
アプリによる数回のやり取りで、琴船も、早々に帰宅したいらしいのが感じ取れた。要点だけを説明し、後は報告書でと進める。
その間、すれ違う人々の顔には、やはり小さな笑顔の灯が幾つも見られた。
「……で、神薙君。報酬についてだけど」
ふと立ち止まって、思った。
――遥か昔、遠き西方の国に生まれた伝説の聖者は、数多の奇跡を起こしたという。ひょっとしたらその一つが、こんな極東の島国の住民にまで、喜びという名の奇跡を、配慮してくれたのかもしれないのでは? と。
「(聖誕祭)――か」
「え、なに? 神薙君?」
「あぁ、すみません。報酬は岸堂にも配慮してやってください」
「貴方が討伐したんでしょ? ……ふふっ、まぁいいわ。クリスマスプレゼント代わりね。じゃあ、メリークリスマス」
電話を終了し、事務所があるビルの角にて立ち、ふーっと白い息を吐きつつ。
「個人的には、先に報告書をまとめたいんだが――」
見上げると、窓辺から零れる事務所の光から――早く早く――っと急かす声が、聴こえる様であった。
「子供じゃあるまいし」
誰にも見られず、僅かに笑う神薙は建物へと入り、事務所を目指す。
ガチャ。
温かい空気と共に――。
「もどりました」
「おかえり神薙君! お疲れ様だったね」
「あっ、薙君!」
事務所内は、全て百円均一の飾りにて、こじんまりと、だが精一杯の装飾がなされていた。
去年買った雪だるまの小物がどこからか引っ張り出されて、部屋の隅には点灯する小さな樅の木の玩具が置かれていた。
「ったく。また盛大にやったな」
呆れる神薙は、だが肩の力が抜けていた。
「てか、薙君。帰ってくるなら、事前に連絡してよ~。せっかくクラッカー鳴らしてメリークリスマスしようと思ってたのに」
こいつ二十三歳ですよ? っという視線を所長へ向け――まぁまぁ――っと苦笑いする所長も、安っぽいパーティー用の帽子を被らされていた。
「所長、家族の方は大丈夫ですか?」
「あぁ、小一時間くらいなら大丈夫だよ。ウチは息子ももう大きいからね」
「薙君、見て見て!」
普段、応接用に使っている机の上には安っぽいクロスが引かれていた。一応は料理の盛り合わせが置かれており、さらに温かいスープや、切り分けられたライ麦パンも添えられていた。
「薙君はこっちの席だよ」
指定された席の前には、三割値引きシールが貼り付けてある、刺身の盛り合わせと、熱燗が配膳されていた。
「(セール品か、星らしいな)日本酒の熱燗とは、お前にしては気が利く。八十点」
「やった~! 高得点!」
「だが、次からは醸造アルコールの入っていない純米酒にしてくれ」
「――ははっ、外は寒かったろう。さぁ、ゆっくりしようか」
笑顔の望月所長、破顔する星宮、苦笑する神薙。
『楽しい心は良い薬である。押し潰された魂は骨を枯らしてしまう』
「(旧約聖書の箴言、十七章二十二節)だったろうか」
小声である書物の一節を神薙は思い出す。やがて、各人のグラスへ飲み物が注がれたのを確認した星宮が、満を持した様相で。
「二人とも、いい?」
「早くしろ。腹が減っているんだ」
「星宮さん。どうぞ――」
「では……メリークリスマス!」
鳴り響く祝音。皆が箸でもって、電子レンジで温められた料理をつつく。
……幸せとは何だろうか? 貨幣の様に、あればあるだけ喜ばしいものなのだろうか? それとも、失って初めて気付く、小さな不幸みたいなモノなのだろうか?
『どうした? 蒼一。手が止まってるぞ?』
……将棋の盤面を目の前にした、あり日しの記憶が、目蓋の裏の一コマにそっと潜む。答えはわからないままであった。
「あれ? 薙君なんで、左手でお箸持ってるの?」
「……今日は左手の気分なんだ。両利きなのは知ってるだろ?」
友をかばった右手の熱を、机の下で隠したまま冷ましていたのであった。
「おっと、そうだ。神薙君。夕方に一件依頼があってね」
控え目に飲み食いする所長が、タイミングを見計らって口にする。
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「ねぇねぇ、薙君。ケーキなんだけど~、やっぱりね~」
「どうせ二種類買って、それぞれ食べたいとかだろ」
「ぎくぅ」
雪は降らなさそうだが、室内、この街、この国、あるいはもっと広域で今日ほど笑顔があふれる日も、そうそう無いのであろうな。
神薙がゆるい相槌を打って進む中、所長へ目配せをした星宮は、何やら机の下から取り出し始める。
「え、えーっと、あ、あのね。薙君」
可憐な成人の彼女は、神薙へ向かって小さな包みを差し出す。
「こ、これっ。クリスマスプレゼント!」
「……」
既に五合ほど熱燗をあおっている神薙だが、全く酔いの動静を示さず、星宮の贈り物を静かに受け取り、開封する。
中には、神薙の名前が刻印されている、銀色の上質な栞が封入されていた。神薙は二つの指で大事そうに取り出し、室内の白色灯にそっとかざす。
「――ふむ、悪くない」
「よ、よかった! 喜んでもらえて」
「ははっ。良かったねぇ、星宮さん」
手を取り合う星宮と所長。どうやら星宮が所長に相談し、選び抜いた贈り物の様だ。
「――そうだ。俺もお前に渡す物がある」
「えっ!」
思わず星宮は両の手で口元を抑えてしまい、所長も少し驚いた後、にこやかな表情を取る。
「(なんだかんだ言って、神薙君はやっぱり星宮さんに優しいんだなぁ)ちょっとしたプレゼント交換会だねぇ」
「(薙君がプレゼントなんて、なんだろう?)ドキドキがやばい♪」
取り出した包装紙はA4ほどの大きさで、十センチメートルほどの厚みがあり、中々の重みを感じさせた。
笑みに溢れる星宮は、僅かに頬を紅潮させつつ、丁寧に包装を取り外す。
――それは本であった。丁寧な外装で、三百頁以上はありそう題目は【政治家と政治屋】
「「……」」
木枯らしの幻聴が、星宮と所長の外耳道を突き抜けた。
「一月末までに感想をまとめて俺に提出しろ。原稿用紙で三枚以上だ。あ、表紙は枚数に数えないからな」
「大学のレポートですかっ!」
うわぁぁぁん! っと嘆く星宮。所長は時間とばかりに帰り支度を始め、せめてもの慰めか、小さなテレビだけを点けて帰る。神薙は星宮の贈り物をしまい、手酌で酒を続けた。
間もなく年の瀬、そして新年。何千回と行われた習慣が再び巡る。
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