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第三章 協会
十六話 坊主と遺言
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冬に近しい秋風が荒ぶ中、重い面倒事を背負わされた神薙は、やや前屈みで協会建物を後にした。
最寄りのコンビニにて、おにぎり二つと水を買って店を出ようとするが。
『――薙君。野菜も食べないと! ――』
馬鹿げた回想が頭を擡げてしまう。それを振り払うための儀式代わりに、小さな漬物パックも追加購入し、竹黙ヶ原方面へのバスに乗り込んだ。
一番後ろの席に座り、車内と外気の寒暖差を感じつつ、職業柄、外へと視線を配る。
低く点在するビルが見えなくなったかと思うと、寂れた商店街を二つばかし乗り越えた後、似た様な田園景色が連続する。
乗客が少なかったため、換気のためにと窓を少し開けつつ、昼食を済ませる。十三時を回った頃、目的地の停留所にて一人降り立つ。
ブロロロロ。
普段は遠目に映っていた濃緑色の山々が身近に迫る。稲刈りが終わった田んぼが周囲を埋める中、山々は当に葉を落とし、冬の身支度を整えていた。
「――さて、そろそろ岸堂から連絡があっていい頃だが」
先に情報収集に動いた岸堂を慮っての一言であったが、早くも今後の対応について思考を巡らせていた。
電脳世界経由での電子情報が氾濫する中、調べる手立てが無いことも無いが、なるべくなら効率的かつ確実に進めたい。
そういう観点からも、同業者の情報は確実であった。手帳を開けつつ逡巡する神薙へ、遥か背後より、のほほんとした声が投げかけられる。
「おっ! やっと来よったか、神薙」
「――はっ?」
苛立ちを含んだ素の声が、思わず口から飛び出る。
隠れる場所など無さそうな場所であったが、広い敷地を持つ民家の塀の影にいた、岸堂が歩み出て来たのであった。
「えらい時間がかかったな――」
だがズイッ、と逆に大股で岸堂へ睨み寄る。
「お前の任務は、俺に探索地域の詳細を携帯で教えるだけのはずだ。――なぜここにいる必要がある?」
詰問する様な、見方によっては侮蔑とすら言える視線を示す神薙へ、やや気後れする岸堂だが、いつもの持ち前の明るさで応じる。
「やっ、いや――そうかもやねんけど、より精度の高い情報を提供するには、こうするのが一番と思ってんて」
髪の無い頭を掻く振りをして、引き攣る笑顔を作る。
「まさかとは思うが――付いていく――とは言わないだろうな?」
路傍のスゲが、呆れるように風に揺れた。
「えぇ~、あぁ――け、けどなぁ。に、任務をよりきちんとこなすためやねんで? ほ、報酬は別に上乗せいらんし。……あ、あかんか?」
軽トラが舗装されていない県道を走り去る中、左手で眉間を抑える神薙は。
「(星にしろコイツにしろ、なぜ俺の仕事の邪魔をする)……当然、霊媒は持っているんだろうな?」
小さな怒気を孕んだ、だがやや諦めた様な一言であった。
「あ、当たり前やろ! それ持ってへんかったらホンマ、何しに来てんって話やろっ」
かすれた一言が、留飲を下げるのに辛うじて成功する。だが神薙は岸堂へ目も合わせず、手帳片手に山際へ――竹黙ヶ原に向き直る。
「ついて来る以上、報酬は分ける。ただし、自分の身くらい自分で守れよ」
「お、おう。――って、いきなり置いて行なや!」
慌てふためきながら走り追う。
時刻は十三時十五分。年越しも迫りつつある降誕祭の日に、奇異な噂が陰る、竹黙ヶ原の山林を、二人の男が奥へと姿を消す。
* * *
「ハァ、ハァ。お、おい神薙、ちょっとは休憩を挟んでくれや」
林内へ入ってから四十分以上が経過していた。
高木層を構成するのは痩せ細った檜ばかりであり、林内は鬱葱としていた。低木層の落葉樹はおおよそ葉を落としているため、見通しが幾らか確保できているものの、群生する篠竹の背が高く、視界のあちこちを遮られる。
進む際、笹を払う手に注意を割くと、踏みしめが足らず足元の真砂土が崩れる。だが足下へ意を向けると、笹が竹槍のごとく眼前に迫り、進行する二人の意思を挫こうとする。
「ちょ。か、神薙ぃ!」
「何か言ったか? 聞こえなかったが」
「(絶対聞こえとったやろ!)な、なんでお前、そんなに速う歩けるねん!」
息も絶え絶えな岸堂に対して、斜面上部にいる神薙は、息を欠片も乱さずに直立していた。
「俺が速いんじゃない。お前が遅いだけだ」
「あっ、あー! お前、絶対ソレ言うために急いで歩いとったやろ!」
「そんなわけあるか……」
岸堂は水を飲んでは絶叫し、水を飲んでは絶叫した。十二月だというのに、汗がじわりと湧き出るほどに、二人は足早に急いだ。
耳に触れる音は、二人の歩行音と息遣いを除いてほとんど無かった。時折吹く弱い風に揺らされる、痩せ細った檜を除けば、遠方の椋鳥の微かな鳴き声くらいのものであった。
「ハァ、ハァ――しっかし、日本の山って、登山道以外なんでこんな歩き難いねん」
「戦後の拡大造林により、この国の山の半分以上は人工林だ。だが伐採適齢期に達しているにも関わらず、間伐や除伐は当然のこと、伐採がほとんど行われていない。林床の光環境の劣悪化により、下層植生が育っていないためであろう」
――なんでそんなこと知ってんの? ――と言わんばかりの岸堂は、立ち止まって息をするためもあって、改めて周囲を見る。
所狭しと林立する檜と、笹以外に目立った植生が見られない林床。剥き出しの地面は崩れ易く、地表に伸び出る檜の根が時折、足に引っかかった。
山全体で土が露出していたが、谷部にのみオシダが群生しており、緑は見て取れた。だがオシダの、その花のごとく両の手を開いた様な形状は、暗い林内にて無暗やたらと大きく見えて、不気味な印象を岸堂に与えた。
「日本人は、遠くの山を見れば木があると安心するが、その七割前後がこんな荒れ山だ。昨今の土砂災害も、この辺りの水土保全機能の不全が関係しているという説が多勢だ」
息でもって頷く岸堂を無視して、感情なく神薙は歩き進む。
「そろそろか? どうだ――岸堂」
尾根部にて立ち止まり、ようやく彼を待つ姿勢を神薙が示す。
「ゼェ、ゼェ――お、おぉ。ここいらでやるか。任せとけ!」
活力を取り戻して応じると、荷物から地味な緑色の帽子を取り出す。神薙は表情をそのままに問い掛ける。
「それが霊媒か?」
「そそ、五十四歳の林業試験場の技官さんこと、町盛さんの遺品や。たまたまウチの檀家さんやったから、何とか借り受けられたわ」
得意がる様相も無く、岸堂はしっかりと帽子を握り持つ。
「周囲の警戒は任せろ。霊装中は指一本触れさせん」
「お前にそう言われると、心底安心するわ」
笑いながら足を肩幅くらいへと広げる。やがて目を瞑り、呼吸を整えて口を開く。
「ほな……霊装【最期の伝言】!」
霊子が岸堂の周囲へと集まる。神薙は警守を保ちつつ、岸堂の霊装内容を思い出す。
「(【最期の伝言】は遺品(霊媒)を介して、亡くなった人物の魂――いや、思念の残差を読み取る能力)久々に見たな」
岸堂の能力を、今回の事件解決に選定した霊装協会の判断は、およそ正しいと言えた。
「(星宮も広い括りでは霊媒が必要だが、岸堂は遺品が必要な分、発動条件がやや厳しい)その反面、三ヵ月以上の前の出来事でも遡行して行える上、本人への負荷も少ない」
木々が二回ほど揺れた頃であった。うっすらと目を開ける岸堂は、誰もいない空間に向かって、頭を下げ出す。
「この度はご愁傷様でございます。お悔やみの言葉もございません」
岸堂には何かが視えているのだろうか? 姿勢を正し、言葉を選びながら話す姿に、思わず神薙が疑問の声をかける。
「ん? お前の霊装は、別に霊魂そのものが見えるわけではないんだろ?」
「ん、せやで。俺が視えているのはあくまで遺品に留まった残留思念であって、魂やない――けどやな」
複雑な、あるいは少し辛い表情のまま背筋を伸ばす。
「突発的な事故で気の毒やなぁ、って思ってまうねん。あかんことかな?」
両の手は、軽く擦り合わさられたままであった。
「――幻覚生物に善悪の定義は存在しない。現代日本では、神隠しに近いと言った説明の方がまだ近い」
否定的に会話を振る神薙であったが、あまり感情はこもっていなかった。
「そう、やな。ははっ。何、勝手に感傷に浸っとんねんな。――笑うとこやで」
くしゃ、っと恥ずかしそうに向き直る岸堂に対して。
「別に笑わないさ」
「――へ? なんか言った?」
なんでもない、っと神薙は水を一口含む。
「それよりどうだ。何かわかりそうか?」
「おっ、それについてやが」
相変わらず何もない空間に焦点を合わせる岸堂は、神薙と同様に、眉間に皺を刻みながら、説明する。
「知ってるかもやけど、俺の霊装で得られる情報の精度や量は、三つの条件に依存するねん。一つ目、霊媒体の遺品に愛着があったかどうか。二つ目、亡くなられた人物の悔恨や無念の解決へ向けて行動しているか。三つ目、亡くなってから日数経過が浅いかそうでないか」
岸堂が持つ帽子は、被害者が仕事中につけていた物で、一つ目の条件については並と言ったところであった。二つ目については、この竹黙ヶ原にて原因があるかに因る。三つ目については、一週間前の出来事なので、比較的要件を満たしていた。
「特に一つ目が大事やねんけど――おっ、来た。神薙、手帳開いてくれや」
「わかった」
岸堂にしか聞こえない波長? 音? ――霊子を通じての交信、あるいは交霊なる作業に入っていく。全神経を集中させていると言わんばかりに、岸堂は難しい顔を作る。
「――オガワ、ササ、ハリ、コントウ?」
言葉の通りに、神薙は手早く書き留める。
「最後にサル? と、とりあえずは以上や」
ふぅ~、っと軽く息を突く岸堂は、霊装を解除して腰に手を当てる。
「どや、霊装探偵?」
手帳を見返し、また周囲の景色に目をやる神薙は、顎に手を当てる。
「小川の近く、周囲は笹で見通しが悪い場所にて、針による刺突など損傷を受ける」
「あ~、なるほど。 ――コントウってなんや?」
「針に刺された際、昏倒したということだろう。琴船さんの資料から患部は紫色に変色したとあった。おそらく遅効性の毒で、心臓発作以外に記憶の混濁などを引き起こす作用が考えられる。それなら被害者が今の話を、家族らに説明出来なかったことも頷ける」
まるで答えを得たと言わんばかりに、岸堂は顔を上下に振り、聞き続ける。
「おそらく、サルとはそのまま猿のことだろう。もちろん実在のそれでは無く――」
「幻核生物、やな」
腕を組む岸堂に向かって、神薙が肝要な部分を説明し始める。
「これだけ情報があれば十分だ。岸堂、相手が幻核生物の可能性が極めて高い。来た道を戻って、早々に林外へ抜けろ。タクシーでも何でも呼んで、町へと戻れ」
その通りであろう、任務は十分に果たした。
「せやなぁ。俺がおることで、お前の負担が増えたら意味あらへんしなぁ」
この辺りは星よりも聞き分けがあるな、っと神薙が思ったその時であった。
ガサガサガサ。
「「!」」
……約五メートルほど先の、クマザサの群生地から突如、音が響いたのであった。
腰を落として身構える神薙に対し、ビクッ、っと身体を硬直させて動けない岸堂だったが。
「?」
笹の隙間から小型のニホンジカが顔を覗かす。
「な、なんやねん。脅かしよって!」
鹿は見慣れない人間である二人へ背を向けた後、森の奥へと飛び跳ねていった。
「ほ、ほな。悪いけど帰るわ。す、すまんな」
「――待て」
「へっ?」
間抜けな声をあげる岸堂へ、神薙は視線も合わせないままに問いかける。
「ここから林外までお前の足で二十分以上はかかる。起伏による高低差に加えて崩れやすい足場、疲労も考慮すると、さらに時間が加算されるのは必定だろう」
「お、おう。そ、それがなんなんや?」
「件の幻核生物が一ヵ所で動かない行動習性であればいいが、万が一、動き回っており、さらに鉢合わせして襲われでもしたら、お前の霊子装甲だけで切り抜けられるのか?」
「あっ」
口をぽかんと開ける。岸堂のせっかく閉じかけた汗腺が、再び忙し気に動き始める。
「――まぁ男なら何とかするというものか。じゃあな」
背を向けて、さらに深部へと歩き進む神薙の足が、ガシッ、と掴まれる。
「神薙っ、後生や。俺も連れて行くか、森の外まで送るか、どっちか頼む!」
「前者は足手まといになるため却下。後者は時間の浪費になるためやはり却下だ!」
「たのむぅ~! 神薙~! 童貞のまま死にとう無いんやぁぁぁ~!」
「ええぃ! 引っ付くな鬱陶しい!」
人気のない林地にて、激憤する男性の声と悲哀に暮れる男性の声が交錯し、空しく響いた。
最寄りのコンビニにて、おにぎり二つと水を買って店を出ようとするが。
『――薙君。野菜も食べないと! ――』
馬鹿げた回想が頭を擡げてしまう。それを振り払うための儀式代わりに、小さな漬物パックも追加購入し、竹黙ヶ原方面へのバスに乗り込んだ。
一番後ろの席に座り、車内と外気の寒暖差を感じつつ、職業柄、外へと視線を配る。
低く点在するビルが見えなくなったかと思うと、寂れた商店街を二つばかし乗り越えた後、似た様な田園景色が連続する。
乗客が少なかったため、換気のためにと窓を少し開けつつ、昼食を済ませる。十三時を回った頃、目的地の停留所にて一人降り立つ。
ブロロロロ。
普段は遠目に映っていた濃緑色の山々が身近に迫る。稲刈りが終わった田んぼが周囲を埋める中、山々は当に葉を落とし、冬の身支度を整えていた。
「――さて、そろそろ岸堂から連絡があっていい頃だが」
先に情報収集に動いた岸堂を慮っての一言であったが、早くも今後の対応について思考を巡らせていた。
電脳世界経由での電子情報が氾濫する中、調べる手立てが無いことも無いが、なるべくなら効率的かつ確実に進めたい。
そういう観点からも、同業者の情報は確実であった。手帳を開けつつ逡巡する神薙へ、遥か背後より、のほほんとした声が投げかけられる。
「おっ! やっと来よったか、神薙」
「――はっ?」
苛立ちを含んだ素の声が、思わず口から飛び出る。
隠れる場所など無さそうな場所であったが、広い敷地を持つ民家の塀の影にいた、岸堂が歩み出て来たのであった。
「えらい時間がかかったな――」
だがズイッ、と逆に大股で岸堂へ睨み寄る。
「お前の任務は、俺に探索地域の詳細を携帯で教えるだけのはずだ。――なぜここにいる必要がある?」
詰問する様な、見方によっては侮蔑とすら言える視線を示す神薙へ、やや気後れする岸堂だが、いつもの持ち前の明るさで応じる。
「やっ、いや――そうかもやねんけど、より精度の高い情報を提供するには、こうするのが一番と思ってんて」
髪の無い頭を掻く振りをして、引き攣る笑顔を作る。
「まさかとは思うが――付いていく――とは言わないだろうな?」
路傍のスゲが、呆れるように風に揺れた。
「えぇ~、あぁ――け、けどなぁ。に、任務をよりきちんとこなすためやねんで? ほ、報酬は別に上乗せいらんし。……あ、あかんか?」
軽トラが舗装されていない県道を走り去る中、左手で眉間を抑える神薙は。
「(星にしろコイツにしろ、なぜ俺の仕事の邪魔をする)……当然、霊媒は持っているんだろうな?」
小さな怒気を孕んだ、だがやや諦めた様な一言であった。
「あ、当たり前やろ! それ持ってへんかったらホンマ、何しに来てんって話やろっ」
かすれた一言が、留飲を下げるのに辛うじて成功する。だが神薙は岸堂へ目も合わせず、手帳片手に山際へ――竹黙ヶ原に向き直る。
「ついて来る以上、報酬は分ける。ただし、自分の身くらい自分で守れよ」
「お、おう。――って、いきなり置いて行なや!」
慌てふためきながら走り追う。
時刻は十三時十五分。年越しも迫りつつある降誕祭の日に、奇異な噂が陰る、竹黙ヶ原の山林を、二人の男が奥へと姿を消す。
* * *
「ハァ、ハァ。お、おい神薙、ちょっとは休憩を挟んでくれや」
林内へ入ってから四十分以上が経過していた。
高木層を構成するのは痩せ細った檜ばかりであり、林内は鬱葱としていた。低木層の落葉樹はおおよそ葉を落としているため、見通しが幾らか確保できているものの、群生する篠竹の背が高く、視界のあちこちを遮られる。
進む際、笹を払う手に注意を割くと、踏みしめが足らず足元の真砂土が崩れる。だが足下へ意を向けると、笹が竹槍のごとく眼前に迫り、進行する二人の意思を挫こうとする。
「ちょ。か、神薙ぃ!」
「何か言ったか? 聞こえなかったが」
「(絶対聞こえとったやろ!)な、なんでお前、そんなに速う歩けるねん!」
息も絶え絶えな岸堂に対して、斜面上部にいる神薙は、息を欠片も乱さずに直立していた。
「俺が速いんじゃない。お前が遅いだけだ」
「あっ、あー! お前、絶対ソレ言うために急いで歩いとったやろ!」
「そんなわけあるか……」
岸堂は水を飲んでは絶叫し、水を飲んでは絶叫した。十二月だというのに、汗がじわりと湧き出るほどに、二人は足早に急いだ。
耳に触れる音は、二人の歩行音と息遣いを除いてほとんど無かった。時折吹く弱い風に揺らされる、痩せ細った檜を除けば、遠方の椋鳥の微かな鳴き声くらいのものであった。
「ハァ、ハァ――しっかし、日本の山って、登山道以外なんでこんな歩き難いねん」
「戦後の拡大造林により、この国の山の半分以上は人工林だ。だが伐採適齢期に達しているにも関わらず、間伐や除伐は当然のこと、伐採がほとんど行われていない。林床の光環境の劣悪化により、下層植生が育っていないためであろう」
――なんでそんなこと知ってんの? ――と言わんばかりの岸堂は、立ち止まって息をするためもあって、改めて周囲を見る。
所狭しと林立する檜と、笹以外に目立った植生が見られない林床。剥き出しの地面は崩れ易く、地表に伸び出る檜の根が時折、足に引っかかった。
山全体で土が露出していたが、谷部にのみオシダが群生しており、緑は見て取れた。だがオシダの、その花のごとく両の手を開いた様な形状は、暗い林内にて無暗やたらと大きく見えて、不気味な印象を岸堂に与えた。
「日本人は、遠くの山を見れば木があると安心するが、その七割前後がこんな荒れ山だ。昨今の土砂災害も、この辺りの水土保全機能の不全が関係しているという説が多勢だ」
息でもって頷く岸堂を無視して、感情なく神薙は歩き進む。
「そろそろか? どうだ――岸堂」
尾根部にて立ち止まり、ようやく彼を待つ姿勢を神薙が示す。
「ゼェ、ゼェ――お、おぉ。ここいらでやるか。任せとけ!」
活力を取り戻して応じると、荷物から地味な緑色の帽子を取り出す。神薙は表情をそのままに問い掛ける。
「それが霊媒か?」
「そそ、五十四歳の林業試験場の技官さんこと、町盛さんの遺品や。たまたまウチの檀家さんやったから、何とか借り受けられたわ」
得意がる様相も無く、岸堂はしっかりと帽子を握り持つ。
「周囲の警戒は任せろ。霊装中は指一本触れさせん」
「お前にそう言われると、心底安心するわ」
笑いながら足を肩幅くらいへと広げる。やがて目を瞑り、呼吸を整えて口を開く。
「ほな……霊装【最期の伝言】!」
霊子が岸堂の周囲へと集まる。神薙は警守を保ちつつ、岸堂の霊装内容を思い出す。
「(【最期の伝言】は遺品(霊媒)を介して、亡くなった人物の魂――いや、思念の残差を読み取る能力)久々に見たな」
岸堂の能力を、今回の事件解決に選定した霊装協会の判断は、およそ正しいと言えた。
「(星宮も広い括りでは霊媒が必要だが、岸堂は遺品が必要な分、発動条件がやや厳しい)その反面、三ヵ月以上の前の出来事でも遡行して行える上、本人への負荷も少ない」
木々が二回ほど揺れた頃であった。うっすらと目を開ける岸堂は、誰もいない空間に向かって、頭を下げ出す。
「この度はご愁傷様でございます。お悔やみの言葉もございません」
岸堂には何かが視えているのだろうか? 姿勢を正し、言葉を選びながら話す姿に、思わず神薙が疑問の声をかける。
「ん? お前の霊装は、別に霊魂そのものが見えるわけではないんだろ?」
「ん、せやで。俺が視えているのはあくまで遺品に留まった残留思念であって、魂やない――けどやな」
複雑な、あるいは少し辛い表情のまま背筋を伸ばす。
「突発的な事故で気の毒やなぁ、って思ってまうねん。あかんことかな?」
両の手は、軽く擦り合わさられたままであった。
「――幻覚生物に善悪の定義は存在しない。現代日本では、神隠しに近いと言った説明の方がまだ近い」
否定的に会話を振る神薙であったが、あまり感情はこもっていなかった。
「そう、やな。ははっ。何、勝手に感傷に浸っとんねんな。――笑うとこやで」
くしゃ、っと恥ずかしそうに向き直る岸堂に対して。
「別に笑わないさ」
「――へ? なんか言った?」
なんでもない、っと神薙は水を一口含む。
「それよりどうだ。何かわかりそうか?」
「おっ、それについてやが」
相変わらず何もない空間に焦点を合わせる岸堂は、神薙と同様に、眉間に皺を刻みながら、説明する。
「知ってるかもやけど、俺の霊装で得られる情報の精度や量は、三つの条件に依存するねん。一つ目、霊媒体の遺品に愛着があったかどうか。二つ目、亡くなられた人物の悔恨や無念の解決へ向けて行動しているか。三つ目、亡くなってから日数経過が浅いかそうでないか」
岸堂が持つ帽子は、被害者が仕事中につけていた物で、一つ目の条件については並と言ったところであった。二つ目については、この竹黙ヶ原にて原因があるかに因る。三つ目については、一週間前の出来事なので、比較的要件を満たしていた。
「特に一つ目が大事やねんけど――おっ、来た。神薙、手帳開いてくれや」
「わかった」
岸堂にしか聞こえない波長? 音? ――霊子を通じての交信、あるいは交霊なる作業に入っていく。全神経を集中させていると言わんばかりに、岸堂は難しい顔を作る。
「――オガワ、ササ、ハリ、コントウ?」
言葉の通りに、神薙は手早く書き留める。
「最後にサル? と、とりあえずは以上や」
ふぅ~、っと軽く息を突く岸堂は、霊装を解除して腰に手を当てる。
「どや、霊装探偵?」
手帳を見返し、また周囲の景色に目をやる神薙は、顎に手を当てる。
「小川の近く、周囲は笹で見通しが悪い場所にて、針による刺突など損傷を受ける」
「あ~、なるほど。 ――コントウってなんや?」
「針に刺された際、昏倒したということだろう。琴船さんの資料から患部は紫色に変色したとあった。おそらく遅効性の毒で、心臓発作以外に記憶の混濁などを引き起こす作用が考えられる。それなら被害者が今の話を、家族らに説明出来なかったことも頷ける」
まるで答えを得たと言わんばかりに、岸堂は顔を上下に振り、聞き続ける。
「おそらく、サルとはそのまま猿のことだろう。もちろん実在のそれでは無く――」
「幻核生物、やな」
腕を組む岸堂に向かって、神薙が肝要な部分を説明し始める。
「これだけ情報があれば十分だ。岸堂、相手が幻核生物の可能性が極めて高い。来た道を戻って、早々に林外へ抜けろ。タクシーでも何でも呼んで、町へと戻れ」
その通りであろう、任務は十分に果たした。
「せやなぁ。俺がおることで、お前の負担が増えたら意味あらへんしなぁ」
この辺りは星よりも聞き分けがあるな、っと神薙が思ったその時であった。
ガサガサガサ。
「「!」」
……約五メートルほど先の、クマザサの群生地から突如、音が響いたのであった。
腰を落として身構える神薙に対し、ビクッ、っと身体を硬直させて動けない岸堂だったが。
「?」
笹の隙間から小型のニホンジカが顔を覗かす。
「な、なんやねん。脅かしよって!」
鹿は見慣れない人間である二人へ背を向けた後、森の奥へと飛び跳ねていった。
「ほ、ほな。悪いけど帰るわ。す、すまんな」
「――待て」
「へっ?」
間抜けな声をあげる岸堂へ、神薙は視線も合わせないままに問いかける。
「ここから林外までお前の足で二十分以上はかかる。起伏による高低差に加えて崩れやすい足場、疲労も考慮すると、さらに時間が加算されるのは必定だろう」
「お、おう。そ、それがなんなんや?」
「件の幻核生物が一ヵ所で動かない行動習性であればいいが、万が一、動き回っており、さらに鉢合わせして襲われでもしたら、お前の霊子装甲だけで切り抜けられるのか?」
「あっ」
口をぽかんと開ける。岸堂のせっかく閉じかけた汗腺が、再び忙し気に動き始める。
「――まぁ男なら何とかするというものか。じゃあな」
背を向けて、さらに深部へと歩き進む神薙の足が、ガシッ、と掴まれる。
「神薙っ、後生や。俺も連れて行くか、森の外まで送るか、どっちか頼む!」
「前者は足手まといになるため却下。後者は時間の浪費になるためやはり却下だ!」
「たのむぅ~! 神薙~! 童貞のまま死にとう無いんやぁぁぁ~!」
「ええぃ! 引っ付くな鬱陶しい!」
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【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
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