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第二章 シロガミ
十三話 その顛末を
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視覚よりも嗅覚が先んじて異常を感知する。恰も邪悪の香を焚いているかのごとき、むせかえる程の曲悪な異臭が鼻腔を冒す。
思わずしかめた細目に――眼を閉じていればと――星宮は後悔した。室内の情景が飛び込むは、第一アトリエの半分ほどの広さで、剥き出しの混凝土が内壁を構成していた。
灰がかった室内を、赤い四つの小さな照明灯が照らしていた。部屋の奥には小学校の黒板の倍ほどの大きさの額縁が飾られていた。
その手前には、背をこちらへ向けて直立する外場がいた。徐に振り返る彼は、午後に会った時とは明らかに情調が違っていた。
「あれ? 神薙さん。出来上がるのは今日の真夜中って言ったじゃないですか。! ――あ、そうかぁ、そんなに作品の完成が気になっていたんですね?」
不法侵入した神薙と星宮を咎め無い外場は、光を失った瞳のまま、マネキンのごとき笑顔を向けてくる。
「御覧ください。妻です。生きている間に欠け、――? 描けて本当に良かっタ」
指し示された大きな額物に描かれているのは、女性の人物画などでは無く、まるで巨大な蚯蚓が、蛭の沸きひしめく不浄な沼地にて、のたうち回っている様な怪画であった。
恐怖が肌へ浸透するも、吹き燈る想いが勝り、星宮は強く言い放つ。
「そ、外場さん! こんな事したら、本当の意味で奥さんに会えなくなっちゃいますよっ」
「? 妻ならココです、ヨ? ――あぁ、確かにまだ未完ですからね。閲覧されるのは、芸術家として心苦しいデスが」
外場の瞳孔は虚空を覗き、過呼吸のまま、横隔膜を小さく痙攣させ、次第次第に喘ぐ様に、その言葉全体が痩せ細っていった。
「先生。――いや、外場さん、まだ間に合います。黒い液体を、床へ置いてください」
その、その。絶対に許し得ない言葉に、条件反射のごとく口が開闢する。
「嫌だ! これっ、コレだけは手放さない。何を言ってるンだ。神薙さん。キミならわかってくれルだろう? ミノリ、ミノリがぁ!」
心友に裏切られたと倒錯する外場は激しく狼狽しながら、上着の衣嚢から、ナニかを取り出す。
透き通る様な綺麗な小瓶の中に潜む、ドス黒く、不浄な液体。
残量僅かなソレはあらゆる光を吸収し、決して手放さないでいた。まるで人間の恐怖を秘めているかのごとく、令和現代の科学ではおよそ認識出来ない、涜神的な結合と分離を、不規則に行う禍々しき闇の雫。
「か、神薙さんが、な、何て言おうと、こ、こうすれば、ミノリは元気になるンだ! そう言ってタ!」
神薙が飛び掛かるより、あるいは霊装を完了するより早く、外場は瓶に残った液体を怪画へ解き放つ。
「さぁ、さぁ! カミサマ、約束だ。ミノリを元気にっ、死テ!」
バタァン!
約束か、あるいは裏切りか。背後にある、廊下と室内を繋ぐであろう唯一の扉が、勢いよく力み閉まる。
そして、かつて聞き得たことの無いような狂音が、神薙と星宮の鼓膜を震え刺す。
アアアビイイヂヂヂビビビ。
これ、これこそが、不眠の元凶たる、腐れた異音であるのだろうか――。
「外場さん!」
「星っ、俺の後ろに下がれ!」
巨大な絵画のあちこちが、メキメキ、っと大きく隆起する。
そして同時に、水の波紋の様に波打つ表面は、あたかも生命の胎動を彷彿とさせた。
「さぁ、さぁ! 早苦! ミノリ、ミノリぃぃぃ!」
哄笑しながら絶叫する外場の眼前にある怪画から――ヌチャァ――っという耳障りな粘着音が響き伴い、同時に蠢く。
まるで苗床から、蛆が顔を擡げるかのごとく、二次元が三次元を浸蝕していくような、非常識が常識を侵食する!
「グゥゥガァァ!」
それは一見するに、軟体生物である蚯蚓を彷彿とさせる、土気色の幻核生物であった。が、全長は四メートルを優に超えていた。ボロボロの表面の所々に、白い紐状の、チンアナゴのごとき生き物が皮膚を食い破り、自在に伸び縮みしている様は、常人なら当に卒倒する情景であった。
吐き気を催す臭気と不浄な気配を飛散しつつ、籠玉よりさらに二回りほど大きな頭部と思しき部位が、不快な咆哮をあげつつ、産まれ堕ちそして、ものぐさに勃ち上がる。
「星、扉はっ?」
ガチャガチャ!
「ダメ、開かないよ!」
狂った様に取っ手を回す星宮だが、その次の瞬間、呼吸を忘れる驚嘆な出来事を目の当たりにする。
――ニチ、ニチャ。
奇怪な音と共に口が上下に開き割いたかと思うと、
ガボッ! ――ジュルジュル、チュポン。
眼前の外場を、一飲みにしたのであった。
「! 外場さぁん!」
「くそっ」
無論、神薙は幻核生物の行動をある程度は予想していたが、星宮と二メートル以上離れると、不測の事態が起こった際に護り切れないと判断し、その場を動けないでいた。
飲み込まれた外場は背を向けていたため、その表情は視認できなかったが、きっと最後まで、妻が生き返ると信じていたのであろう。
……謎の男なる人物の妄言を信じて。
「(筑羽団地の時とは情勢が違いすぎるっ)霊装、見えざる霊銃!」
「! ――れ、霊装っ」
霊子を纏い霊銃を召喚した神薙はすぐさま、星宮の腕を強引に引っ張り、怪画から最も直線距離が開く部屋の隅へ移動させる。
「グゥ~、ガァ~ッ」
夥しい不潔な液体を飛び散らし終えた蚯蚓型の幻核生物は、怪画からようやく抜けた出て、その全容を示す。
全長は五メートル以上であり、身体は弾力性に富んでいる風に見えた。胴体の横に不規則に付いている、昆虫の気門のごとき穴があるも、小さな線虫のごとき生物が沸き生えていた。
チャキ。
照準を頭部に合わせ、神薙は銃口を向けた。――だが、指は引き金へ掛けたままであった。
「う、撃たないの?」
「――俺の霊銃の一日の最大保有弾数は六発。つまりあと二発しか残っていない。幻核生物の体内構造は既知の生物と異なることが多く、残弾内で仕留め損ねると面倒だ」
あまたの幻核生物を撃滅してきた神薙はその経験則上、頭部を吹き飛ばしても殺しきれなかった存在を、嫌というほど見てきた。
「――それに」
「そ、それに?」
罪過の権化である巨大蚯蚓を、蒼い瞳でもって、睨みつける。
「……まだ外場を助けられる可能性は零では無い。逆に言えば、射撃箇所によっては巻き込みかねない」
「えっ! ――で、でも、飲み込まれちゃったんだよ!」
「咀嚼されていない以上、腹の中で生きている可能性はある。ならば、腕や足の一本や二本を喪ってでも、引き釣り出す!」
やや恐ろしい言葉を吐きつつも、普段から心情や感情を顕にしない神薙が、声を荒げて言い放つ。まるで、築羽団地の時を思い起こしているかの様に。
「な、薙くんっ」
巨大蚯蚓が、天井を仰ぐように頭部を持ち上げた。
「星!」
「えっ? ――ぁっ!」
神薙は左手で星宮の身体を最小限の力で押し飛ばし、自身は逆側へ横飛びして受け身すらも行う。
「グェッ、ゲロゲロゲロェ!」
ビシャビチャ! 奇怪な口より、やや薄緑がかった液体を、洗面器三杯分ほど吐き出される。
寸刻、二人が立っていた場所は、灼け付く様な音と異臭に満たされる事となる。最も液が降り注いだ床は、数センチメートルほど凹んでいた。
「(硫酸かそれ以上の強酸性の唾液か。直撃したら星の霊子装甲では厳しいかもしれん)――! 星っ」
巨大蚯蚓は、神薙に何かしらの脅威を感じとったのか、頭数を減らさんとする威勢で、まずはと星宮の方へ体を向ける。
「――あ、あぁ」
緊張の連続か、あるいは極度の疲労か、星宮は部屋の隅にて、スカートの具合も考えずにへたれ込む。
「(くそっ、仕方がない。頭部に外場の足が無いことを祈る)食らえっ」
パァン!
霊銃が火を吹く。胴体と頭部の明確な境界はわからないものの、神薙の射撃はおよそ精密で、頭部のおよそ三分の二が吹き飛ぶ。
聞くに堪えない絶叫をあげる幻覚生物をよそに、星宮へ叫ぶ。
「兎に角、移動しろ!」
その怒声で我に返り、慌てて別の隅へ逃げ走る。
一方、産まれて初めて受けた激痛による恐怖と憤怒のためか、胴体を――ヒクヒク――っと痙攣させた後、鞭のごとく撓らせて、壁の彼方此方へ巨体をぶつけ始める。
「きゃぁ!」
「(必要最低限の部分だけを吹き飛ばしたいのが仇になったか)くそ!」
バシン! ビタン! バキィ!
巨大蚯蚓が天井へ、壁へ、床へ胴体をぶつけ続ける。その度、腐りかけの肉片が飛び散る情景は、凄惨の一言に尽きた。
唯一の救いは、神薙への報復のためか、攻撃範囲がある程度は限定されて、星宮の無事が多少なりとも確保されたくらいであった。
出鱈目に繰り出される巨体の一撃を、二回ほど何とか躱した神薙は、それでも、っと醜怪な幻核生物の胴体を凝視しつつも、攻撃しない。
部屋の隅で子兎のごとく震える星宮は、余裕のない表情を灯しつつ思う。
「(さ、最後の残弾だから慎重になってるのかな、それともやっぱり、こんな状況でも)外場さんの無事を――」
「ガァッ!」
水平を薙ぐ巨体こと、不可避の一撃が神薙に襲い掛かる。
「な、薙君!」
「(霊子装甲全開っ)――こい!」
バァン!
巨大蚯蚓は神薙に体を直撃させた後、そのまま壁へ向かって全身を押し当てていく。
星宮から見て、まるで崩れるように膝が折れ、身を屈める様が見て取れた。
「え? う、そ。――なぎ、くん?」
ずるりと座り込むみたく蹲む神薙は、鼻を穿つかのごとき異臭を放つ胴体へ、肉薄してしまっていた。
――その位置から、醜悪な体を具に観察していたのは、彼以外に誰も気付かなかった。
叫ぶ。
「! そこかっ」
神薙の視線の先に、巨大蚯蚓の胴体中央部分の位置にて、僅かな膨らみを見つける。その膨らみを避けるかのごとく破壊目標を見定めて、さらにより多くの肉体を貫く位置へ銃口を付け、零距離射撃を行う。
パァン!
霊銃の最後の咆吼は、醜悪な化物の巨体を穿ち、溶かし、破壊し尽くした。それらはまるで銃弾に触れた部分の細胞が自壊するかのごとく、崩壊していく。
「アァ! ギィヤァ!」
肉体の四分の一以上を失った巨大蚯蚓は、まさに断末魔をあげつつ、力無くのたうっては肉片を飛ばしつつ、次第に動きが鈍くなり、止まった。
……三分前とは世界が変わったかのごとく沈黙が部屋をひしめて、嗅いだことのない異臭が、ただただ立ち込めていた。
「ふぅ。――相手が悪かったな」
思わずしかめた細目に――眼を閉じていればと――星宮は後悔した。室内の情景が飛び込むは、第一アトリエの半分ほどの広さで、剥き出しの混凝土が内壁を構成していた。
灰がかった室内を、赤い四つの小さな照明灯が照らしていた。部屋の奥には小学校の黒板の倍ほどの大きさの額縁が飾られていた。
その手前には、背をこちらへ向けて直立する外場がいた。徐に振り返る彼は、午後に会った時とは明らかに情調が違っていた。
「あれ? 神薙さん。出来上がるのは今日の真夜中って言ったじゃないですか。! ――あ、そうかぁ、そんなに作品の完成が気になっていたんですね?」
不法侵入した神薙と星宮を咎め無い外場は、光を失った瞳のまま、マネキンのごとき笑顔を向けてくる。
「御覧ください。妻です。生きている間に欠け、――? 描けて本当に良かっタ」
指し示された大きな額物に描かれているのは、女性の人物画などでは無く、まるで巨大な蚯蚓が、蛭の沸きひしめく不浄な沼地にて、のたうち回っている様な怪画であった。
恐怖が肌へ浸透するも、吹き燈る想いが勝り、星宮は強く言い放つ。
「そ、外場さん! こんな事したら、本当の意味で奥さんに会えなくなっちゃいますよっ」
「? 妻ならココです、ヨ? ――あぁ、確かにまだ未完ですからね。閲覧されるのは、芸術家として心苦しいデスが」
外場の瞳孔は虚空を覗き、過呼吸のまま、横隔膜を小さく痙攣させ、次第次第に喘ぐ様に、その言葉全体が痩せ細っていった。
「先生。――いや、外場さん、まだ間に合います。黒い液体を、床へ置いてください」
その、その。絶対に許し得ない言葉に、条件反射のごとく口が開闢する。
「嫌だ! これっ、コレだけは手放さない。何を言ってるンだ。神薙さん。キミならわかってくれルだろう? ミノリ、ミノリがぁ!」
心友に裏切られたと倒錯する外場は激しく狼狽しながら、上着の衣嚢から、ナニかを取り出す。
透き通る様な綺麗な小瓶の中に潜む、ドス黒く、不浄な液体。
残量僅かなソレはあらゆる光を吸収し、決して手放さないでいた。まるで人間の恐怖を秘めているかのごとく、令和現代の科学ではおよそ認識出来ない、涜神的な結合と分離を、不規則に行う禍々しき闇の雫。
「か、神薙さんが、な、何て言おうと、こ、こうすれば、ミノリは元気になるンだ! そう言ってタ!」
神薙が飛び掛かるより、あるいは霊装を完了するより早く、外場は瓶に残った液体を怪画へ解き放つ。
「さぁ、さぁ! カミサマ、約束だ。ミノリを元気にっ、死テ!」
バタァン!
約束か、あるいは裏切りか。背後にある、廊下と室内を繋ぐであろう唯一の扉が、勢いよく力み閉まる。
そして、かつて聞き得たことの無いような狂音が、神薙と星宮の鼓膜を震え刺す。
アアアビイイヂヂヂビビビ。
これ、これこそが、不眠の元凶たる、腐れた異音であるのだろうか――。
「外場さん!」
「星っ、俺の後ろに下がれ!」
巨大な絵画のあちこちが、メキメキ、っと大きく隆起する。
そして同時に、水の波紋の様に波打つ表面は、あたかも生命の胎動を彷彿とさせた。
「さぁ、さぁ! 早苦! ミノリ、ミノリぃぃぃ!」
哄笑しながら絶叫する外場の眼前にある怪画から――ヌチャァ――っという耳障りな粘着音が響き伴い、同時に蠢く。
まるで苗床から、蛆が顔を擡げるかのごとく、二次元が三次元を浸蝕していくような、非常識が常識を侵食する!
「グゥゥガァァ!」
それは一見するに、軟体生物である蚯蚓を彷彿とさせる、土気色の幻核生物であった。が、全長は四メートルを優に超えていた。ボロボロの表面の所々に、白い紐状の、チンアナゴのごとき生き物が皮膚を食い破り、自在に伸び縮みしている様は、常人なら当に卒倒する情景であった。
吐き気を催す臭気と不浄な気配を飛散しつつ、籠玉よりさらに二回りほど大きな頭部と思しき部位が、不快な咆哮をあげつつ、産まれ堕ちそして、ものぐさに勃ち上がる。
「星、扉はっ?」
ガチャガチャ!
「ダメ、開かないよ!」
狂った様に取っ手を回す星宮だが、その次の瞬間、呼吸を忘れる驚嘆な出来事を目の当たりにする。
――ニチ、ニチャ。
奇怪な音と共に口が上下に開き割いたかと思うと、
ガボッ! ――ジュルジュル、チュポン。
眼前の外場を、一飲みにしたのであった。
「! 外場さぁん!」
「くそっ」
無論、神薙は幻核生物の行動をある程度は予想していたが、星宮と二メートル以上離れると、不測の事態が起こった際に護り切れないと判断し、その場を動けないでいた。
飲み込まれた外場は背を向けていたため、その表情は視認できなかったが、きっと最後まで、妻が生き返ると信じていたのであろう。
……謎の男なる人物の妄言を信じて。
「(筑羽団地の時とは情勢が違いすぎるっ)霊装、見えざる霊銃!」
「! ――れ、霊装っ」
霊子を纏い霊銃を召喚した神薙はすぐさま、星宮の腕を強引に引っ張り、怪画から最も直線距離が開く部屋の隅へ移動させる。
「グゥ~、ガァ~ッ」
夥しい不潔な液体を飛び散らし終えた蚯蚓型の幻核生物は、怪画からようやく抜けた出て、その全容を示す。
全長は五メートル以上であり、身体は弾力性に富んでいる風に見えた。胴体の横に不規則に付いている、昆虫の気門のごとき穴があるも、小さな線虫のごとき生物が沸き生えていた。
チャキ。
照準を頭部に合わせ、神薙は銃口を向けた。――だが、指は引き金へ掛けたままであった。
「う、撃たないの?」
「――俺の霊銃の一日の最大保有弾数は六発。つまりあと二発しか残っていない。幻核生物の体内構造は既知の生物と異なることが多く、残弾内で仕留め損ねると面倒だ」
あまたの幻核生物を撃滅してきた神薙はその経験則上、頭部を吹き飛ばしても殺しきれなかった存在を、嫌というほど見てきた。
「――それに」
「そ、それに?」
罪過の権化である巨大蚯蚓を、蒼い瞳でもって、睨みつける。
「……まだ外場を助けられる可能性は零では無い。逆に言えば、射撃箇所によっては巻き込みかねない」
「えっ! ――で、でも、飲み込まれちゃったんだよ!」
「咀嚼されていない以上、腹の中で生きている可能性はある。ならば、腕や足の一本や二本を喪ってでも、引き釣り出す!」
やや恐ろしい言葉を吐きつつも、普段から心情や感情を顕にしない神薙が、声を荒げて言い放つ。まるで、築羽団地の時を思い起こしているかの様に。
「な、薙くんっ」
巨大蚯蚓が、天井を仰ぐように頭部を持ち上げた。
「星!」
「えっ? ――ぁっ!」
神薙は左手で星宮の身体を最小限の力で押し飛ばし、自身は逆側へ横飛びして受け身すらも行う。
「グェッ、ゲロゲロゲロェ!」
ビシャビチャ! 奇怪な口より、やや薄緑がかった液体を、洗面器三杯分ほど吐き出される。
寸刻、二人が立っていた場所は、灼け付く様な音と異臭に満たされる事となる。最も液が降り注いだ床は、数センチメートルほど凹んでいた。
「(硫酸かそれ以上の強酸性の唾液か。直撃したら星の霊子装甲では厳しいかもしれん)――! 星っ」
巨大蚯蚓は、神薙に何かしらの脅威を感じとったのか、頭数を減らさんとする威勢で、まずはと星宮の方へ体を向ける。
「――あ、あぁ」
緊張の連続か、あるいは極度の疲労か、星宮は部屋の隅にて、スカートの具合も考えずにへたれ込む。
「(くそっ、仕方がない。頭部に外場の足が無いことを祈る)食らえっ」
パァン!
霊銃が火を吹く。胴体と頭部の明確な境界はわからないものの、神薙の射撃はおよそ精密で、頭部のおよそ三分の二が吹き飛ぶ。
聞くに堪えない絶叫をあげる幻覚生物をよそに、星宮へ叫ぶ。
「兎に角、移動しろ!」
その怒声で我に返り、慌てて別の隅へ逃げ走る。
一方、産まれて初めて受けた激痛による恐怖と憤怒のためか、胴体を――ヒクヒク――っと痙攣させた後、鞭のごとく撓らせて、壁の彼方此方へ巨体をぶつけ始める。
「きゃぁ!」
「(必要最低限の部分だけを吹き飛ばしたいのが仇になったか)くそ!」
バシン! ビタン! バキィ!
巨大蚯蚓が天井へ、壁へ、床へ胴体をぶつけ続ける。その度、腐りかけの肉片が飛び散る情景は、凄惨の一言に尽きた。
唯一の救いは、神薙への報復のためか、攻撃範囲がある程度は限定されて、星宮の無事が多少なりとも確保されたくらいであった。
出鱈目に繰り出される巨体の一撃を、二回ほど何とか躱した神薙は、それでも、っと醜怪な幻核生物の胴体を凝視しつつも、攻撃しない。
部屋の隅で子兎のごとく震える星宮は、余裕のない表情を灯しつつ思う。
「(さ、最後の残弾だから慎重になってるのかな、それともやっぱり、こんな状況でも)外場さんの無事を――」
「ガァッ!」
水平を薙ぐ巨体こと、不可避の一撃が神薙に襲い掛かる。
「な、薙君!」
「(霊子装甲全開っ)――こい!」
バァン!
巨大蚯蚓は神薙に体を直撃させた後、そのまま壁へ向かって全身を押し当てていく。
星宮から見て、まるで崩れるように膝が折れ、身を屈める様が見て取れた。
「え? う、そ。――なぎ、くん?」
ずるりと座り込むみたく蹲む神薙は、鼻を穿つかのごとき異臭を放つ胴体へ、肉薄してしまっていた。
――その位置から、醜悪な体を具に観察していたのは、彼以外に誰も気付かなかった。
叫ぶ。
「! そこかっ」
神薙の視線の先に、巨大蚯蚓の胴体中央部分の位置にて、僅かな膨らみを見つける。その膨らみを避けるかのごとく破壊目標を見定めて、さらにより多くの肉体を貫く位置へ銃口を付け、零距離射撃を行う。
パァン!
霊銃の最後の咆吼は、醜悪な化物の巨体を穿ち、溶かし、破壊し尽くした。それらはまるで銃弾に触れた部分の細胞が自壊するかのごとく、崩壊していく。
「アァ! ギィヤァ!」
肉体の四分の一以上を失った巨大蚯蚓は、まさに断末魔をあげつつ、力無くのたうっては肉片を飛ばしつつ、次第に動きが鈍くなり、止まった。
……三分前とは世界が変わったかのごとく沈黙が部屋をひしめて、嗅いだことのない異臭が、ただただ立ち込めていた。
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