霊装探偵 神薙

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第二章 シロガミ

十話 あかグロいろ

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 カチャン。
 軽快な開錠の音を廊下に響かせて、ならで出来た木製の厚い扉を開ける。まず星宮が、次いで神薙が、
「――えっ?」
「……っ」
 声を、漏らす。
「どうぞ、時間が許す限り、ゆっくりとご閲覧らんください」
 外場がにこやかに、あるいは胸を張って興ずる空間は、十五畳ほどの広さで、一部は吹き抜けになっていた。へや彼方此方あちこちに描画材料やら筆やら紙がこれでもかと散乱していた。
 ――だが、よりも、絵画を乗せる三脚を含め、画材のどこもかしこも、赤と黒にまぶされただけの、とても絵画とは認識できない、さらに言うなれば、未体験の汚らしい素描そびょうが乱立していたのだ。
「っ、あ、――え、っと?」
 星宮の瞳孔は震え、焦点が定まらない。彼女らをここまで動揺させたのは、単純な色彩の異様性のせいではなかった。
 まずソれラは、まるで生きているように、あるいは、――向きがバラバラで異なっているはずが、まるで一様にこちらを睨んでいるかのような、錯覚をすら感じさせた。
 吹き抜けから差し込む光の中、奇妙な雰囲気オーラ陽炎かげろうのごとく揺れのぼり、不純で奇異な圧倒すら抱かせた。
「これ、は――なかなか」
 神薙ですら、疑問に思う。
 一体どんな精神状態であれば、こんな奇態な絵を、描けるのだろうか、と。
 だが外場は、二人が感銘を受けているとでも勘違いしたのか、にこやかな表情のままに、
「せ、せっかくなので、お茶でも飲みながら作品の説明を致しましょうか!」
 返事も待たずに扉を開けて、妻であろう人物の名前を呼ぶ。しかし、三人以外から物音が発せられる様子はなかった。
「す、すみません。二階にいるから聞こえにくいみたいで……私が淹れて来ますね」
「お、お気遣いなく」
 神薙の言葉に軽く会釈して、室を出る。五秒ほど経った後、星宮が顔を引きつらせつつ、
「なな、薙君。何か変だよ! 外場さんの作品」
 霊子の動きを視るように、目を細めつつ、
「あぁ。上手い言葉が見当たらないが、あまり感じたことの無い生理的嫌悪感とでも言うか(いや、この感覚はむしろ――)」
「こ、作品これらが、今回の睡眠障害と関係があるのかな?」
「今の所は音らしきものが聞こえない。昼夜などの環境条件が関与している可能性も否めないが」
 依然いぜんとして、まるで敵視するかのように、こちらへの悪意を発散させている気配があった。
 星宮は神薙の傍に半歩ほど寄りつつ、
「と、ところで、これで全部かな?」
「――まだあるとすれば、おそらく地下室だろう」
「地下室?」
 震えつつも、小首を傾げる。
「あぁ。外場は先程、作品の保管には気を遣い、専用の部屋を割いていると言っていたのは覚えてるか?」
「う、うん」
「例えばワインの保管だが、地下は風や直射日光の影響がほぼ無く、湿度も安定している。絵画についても、作品に極度に気を遣うなら可能性はある」
「な、なるほど?」
「それにもし、これらの怪画群が音の原因なら、住民達が二階より一階で不眠を訴えていることとも整合性がとれる」
 今更ながら、神薙がすでに霊子装甲を展開していることに、星宮が気づく。
「うぅ、地下室とか怖いなぁ(汗)」
 独り怯える彼女を余所に、神薙は思考を巡らせる。
「(もっとも、これらの絵が音とどう結びつくかは)依然不明だが――」
 そして再び扉が開く。外場が紅茶を人数分用意して、室へと戻って来たのだ。
「お待たせしました。砂糖やミルクはお好みに合わせて」
 近くの木製の机の上へ、そっと置かれる。
「あ、ありがとうございます」
 星宮が震える手を伸ばすと、
「どうしました? 星宮さん」
「え、ぁ」
 全方位からの不可思議な敵意の視線に、震える手を意図して止めるのは難しい――だがここで神薙が割って入る。
「……ヘレンドのティーカップで頂くのは久しぶりです」
 まだ熱を帯びる茶葉が踊る、紅茶の香りを注意深く嗅いだ後、口にする。
「おぉ! お若いのにさすがですね。妻が好きで色々な絵柄を集めていたもので」
 外場は笑いながら応じる。
「(薙君、ありがとう!)ほ、ほんといい香りですぅ」
 調子を得てか、外場は意気揚々と出来立ての作品に関して語り出す。一番、近くにあったを指し示して、
「この作品はです。構図はもちろん、時間帯等もかんがみて、色々と悩んで手がけました。……神薙さんの目から見て、どうお感じですか?」
 外場が語る作品は、赤と黒で塗り潰された抽象画であり、そこに空も森も鳥も、決して見ては取れなかった。
「(こ、これのどこが風景画なのっ!)な、薙君――」
「……」
 無言で指定された絵を見つめる神薙は顎に手を当てる。
「外場さん、質問に質問で返して申し訳ありませんが……」
 無表情のまま神薙が言い放った言葉は、
画題モチーフは国内の物でしょうか? 私の認識では異なるように思えるのですが――」
 困惑した表情にて言い放つ。それに対して、
「はははっ! あ、いやすみません。さすがの神薙さんでもわかりかねますよね。――これは昔、妻と旅行中に見聞した、グランド・ジョラス(※ヨーロッパのアルプス山脈モンブラン山塊にある山)を想起して描いたものです」
 動揺に動揺を重ねる星宮は、心の中で叫ぶ。
「(さすがも何も全くわかりませんよ!)な、なるほど~」
「(グランド・ジョラスか)――外場先生はフランスにもご滞在……あ、いや、イタリアの方ですかな?」
 確信を得ている顔を、神薙は巧みに隠して質問する。
「私が見たのはフランス側からです。結婚する前ですが、どうしても欧風の風景を、いくつか生で見たくてね」
 理解者を発見したことへ悦びか、饒舌じょうぜつになる外場に対して、神薙は、
うらやましいです。私も芸術を志していたのですが、いかんせん井の中の蛙タイプでして……」
「(初耳ですけど!)そ、そうだったねぇ~」
「わかりますよっ、神薙さん! 私も自分で【上手い】っと思って芸大に入って苦労したクチでね――」
 外場は和気藹々わきあいあいと神薙に芸術について語り出す。横で首を縦に振り続ける星宮の耳にはガッシュ、裏打ち、テネブリズムなど、およそ耳馴染みみなじみの無い単語ばかりであった。
 外場は残った紅茶を飲み干し、だが破顔したまま、
「いやぁ、素晴らしい。失礼ながらお会いした時は、そのお若さゆえ、少々疑念も抱いておりましたが、やはり芸術に年齢としなど関係ないと、感心するばかりです」
 奇妙な理解を示しながら語り掛け、神薙もまた応じる。
「玄関通路の油彩画は、ポール・セザンヌのサント・ヴィクトワール山の模写ですね。静物画の方は、三年前に美術新人賞を勝ち得た方の作品だったはず。題名は確か――」
「(薙君、何でそんなことまで知ってるのっ!)す、素晴らしい作品ですよね~」
 ものの二、三十分で、まるでかつての旧友のごとく、会話を弾ませる二人。
「神薙さんの博識さには舌を巻くばかりです。いやぁ、悔しいなぁ」
 言葉とは裏腹に、満足げな笑みを浮かべる外場であった。が、あえて気勢をぐかのごとく、
「先生。御存じの通り、いくら美術史や色彩学、解剖学を学んでも、結局はデッサンがそれまでですよ。教鞭を取るなら別ですがね」
 抑揚の無い、神薙の控えめな口調が逆に作用してか、二度ほど大きく、外場は頷く。
「いやー、そう、そうなんですよねぇ……」
 奇異な絵画群に囲まれ劣勢であるはずが、何やら情勢が不明瞭になってくる。むしろ場が温まって来たと言わんばかりに、神薙も探りを入れ始める。
「先生は油彩と水彩以外も描かれるのですか?」
「いえ、七対三くらいでもっぱら油彩画と水彩画ばかりです。……妻がパステルを使うため、一度だけ教えてもらいましたが、てんでダメでして――」
 思う所あってか、自身の作品の談義を他所に語り尽くす外場。神薙も巧みに応答しつつ、
「(ここからが正念場だ)……ところで先生、ここに在る作品が全てでしょうか?」
「いえ、先にお伝えした通り別室がございます。他の完成品はそちらで保管しています」
「作品にも細やかな気配りをされている先生のことです。保管環境を考え、地下にでも作品を安置されているのでは?」
 一瞬、外場の目が大きく見開かれる。そしてその後、会心の笑みを浮かべて、
「いやぁ、さすがです神薙さん。最初は妻のためにと用意しましたが、今は私が間借りさせてもらっています。防音仕様で、静かに作品を眺めることも出来るんですよ」
 すると沈黙を守っていた星宮が、ここに来て、思わず割って入ってしまう。
「あ、あの。せ、先生。奥様は大丈夫ですか? 先程から、二階から何も物音一つ聞こえませんが――」
「!」
 それは純粋に心配した星宮のことばでだった。だが、今まで上機嫌であった外場の顔色が、明らかに変わる。
「(っ、まずいか!)……いかがです。先生?」
 ここにきて、想定の範疇外の事案に、思考を再構築しかける神薙――であったが、
「ほ、星宮さんのおっしゃる通りです。……他の作品は通路左の地下室に保管していますので、先行して閲覧して頂けますでしょうか? 私は妻のようだ……様子を確認した後に伺いますので」
「(容態? いや、それより)――わかりました。では先に拝見させて頂きますね」
 慌ただしく室を出る外場に続き、保管所への入室を許可された神薙達も続く。
「……」
 沈黙のまま、廊下を歩く神薙へ、急な展開に臆してか、星宮がしょぼしょぼと口を開く。
「な、薙君。ご、ごめん。話しに割って入ったりして――」
 うつむきながら話す星宮は、まるで取返しのつか無いことをしてしまったかのように、頭を垂れる。
「星」
「――う、うん」
 感情を伴わない一言に、びくん、っと身体を震わせる。
「……悪く無い。むしろ良くやった」
 廊下の床が軋む微かな音が響く。
「そ、そうなの?」
 以外な答えに、思わず面食らう。
「外場がいないことで、音と絵画の因果関係を調べられる絶好の機会を得られた。そして、何より」
「何より?」
 ほんの僅かに目を細めて、
「……俺にはお前のような発想が、全く出来なかった」
「えっ?」
 小さな口を開け、相棒かんなぎの言葉を思わず聞き返した。
「何でもない。――それより、くだんの地下室だ。霊装の準備は怠るな」
「わ、わかった(こ、怖いぃ~)」
 地下へと続く階段を見つける。
 階段は十段ほどだが、燭台の役割であるライトが、何故か壁には一つも設置されていなかった。そのため一番下の段は、およそ目を凝らしても見えるかどうか、といった明度であった。
「く、暗すぎるんですけど~」
「(妙だな)足元、気をつけろよ」
 神薙の後ろへ隠れるようにして、階下へ進む。階段自体の作りはしっかりとした堅牢なものであったが、やはり何か、奇妙な感覚が付き纏う。
 階段下へと辿り着き、木製の古めかしい意匠デザインの扉の前に立った時、さすがに暗すぎる、っと携帯から光源を得ようと取り出した時であった。
「ひっ!」
 ボォ、っと壁の両側についてあった自動照明の洋燈が橙色に光る。神薙は無表情のまま携帯ライトをしまい、正面の扉の取っ手を握る。
 その裾を掴む星宮が、
「な、何かあったら守ってね?」
「あのなぁ、本当に俺を相棒と思ってるなら、背中は任せて、ぐらい言えよ」
 小声でうじうじと言い訳をする星宮をほったらかしに、鈍い蝶番がをあげる中、神薙達は地下室へと歩を進める。
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