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第二章 シロガミ
九話 絵描き
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敷地面積である二百坪の半分ほどを、二階建ての家宅が占めていた。その建築様式においても、凝屋な連中の間では極めて有名なバロック建築を意識した様相を呈していた。
屋根は優美な曲線を描きつつ締りのある黒の漆喰で彩られ、外壁は乳白色を帯びた煉瓦で構成されており、中央玄関には白い真珠が変形したような特殊な玄関灯が備わっていた。
さらに、縁門を備えた家構えは、その対称性も相まって、およそ壮観と言えた。
「わぁ~、かっこいいねぇ」
「……しかし、他の家々と調和がとれているかと問われたら、そうは言いきれないな」
今更言うまでもなく、草壁町は山間部の僻地からなる農村地域である。その点を憂慮すると、浮いていると言えざるを得ない風情であった。
「そ、そう言われたら、そうだね」
それらはともかく、っと電子施錠されている外門の前に立ち、神薙は敷地内をさらに注視する。
動線部分の地面には栗石や玉石が敷き詰められており、中央には外構石材の床石が玄関まで伸びていた。
正面向かって右側には煉瓦造りの倉庫が、左側には鍵付きの大きな荷物受けがあった。外周には花壇があるものの花卉の類は見当たらず、耐乾性の高い橄欖が数本、寂しく植えられているだけであった。
「(敷地内は)――ふむ」
倉庫の傍に、ごみ袋らしき物が見える。中身の大半は見えないが、縛り口の辺りに、色彩感溢れる小箱が頭を出していた。
「あれは……」
手帳を開き、再び豪勢な洋の居宅を仰ぐ。その隣では――、
「う~ん、う~ん」
神薙を真似し、精一杯の背伸びを物理的に行い、星宮も敷地内を覗く。
――だが、前衛的な意匠の洋館、という事以外に特段変わった目星は付けられなかった。小さな唸り声と共に、仰々しく組んだ両の腕は、虚しくも自身の胸部の出っ張りを乗せているだけであった。
そして無駄と分かっていながらも、一丁前な様子で二階を見上げると――、
「! なな、なぎ、薙君!」
星宮の素っ頓狂な声に視線だけを投げる神薙は、だが鬱陶しそうに、
「何だ?」
「あっ、ぁ、あそ、あそこぉ!」
星宮の震える細い指の先を追うと、
「――ほぅ」
家屋の対面左側の二階出窓、柔らかい灰色のドレープカーテンのその僅かな隙間に、目、があった。
正確には室内が暗いであろうため、隙間から零れる陽が、人間の目の部分にのみ当たっているという説明が正しい、はずだ。
目玉が浮いているという超常的な現象で無いのなら、高さの位置から察するに、性別はわからないが大人が立っていると推察された。
「……」
神薙は手帳を仕舞い、窓の方へ向かって、腰を二十度ほど曲げてお辞儀をする。
「(へっ?)いぅ!」
奇声を漏らしつつ、慌てふためく星宮も、過度に腰を折って一礼する。
「――」
二人の動作を見たためとは考えにくいが、やがて目は背後の影へと埋もれるように消え、カーテンを微かに揺らせた。
それを見送った神薙は、
「……星。インターホンを鳴らしてくれ、名乗るだけでいい。後は俺がやる」
「えぇっ! え、ちょっ、えっ? ここ、この状況で?」
まず、先の人物が外場かどうかがわからない。
加えて事前の聞き取りから得られた情報の通りなら、外交的な人物では無いとのことなので、やはり歓迎されるとも思えない。
――そもそも、あの目が人のものかどうかすら――、
「(で、でも薙君が考えもなしに指示するとは思えないし)うぅ」
半信半疑の平均台の上で揺れ動く星宮は、だが意を決して、呼び鈴をそっと押し鳴らす。
ピンポーン。
「……――あ、あれ?」
十秒経っても開通の電子音は聴こえない。
「な、薙君?」
「まだ出ないとは限らない」
三十秒、四十秒と経過していく。
プッ。
「(あっ)え、えと」
五十秒を経った所で、音が鳴る。ただし、相手方の挨拶や返事は一切聞こえてこない。
「あっ、ぁ。あの、その! と、突然のご訪問すみません。ほ、星宮と言います!」
慌てふためきながらも何とか名乗る。神薙はその肩を軽く叩いて――、
「(な、薙君)っ」
目配せしつつ、星宮と立ち位置を交代する。
「事前連絡の無い訪問、大変恐縮です。今しがた挨拶した星宮の同伴者で、神薙、と申します」
丁寧な口調でインターホンのカメラ部分へ語りかける神薙であったが、依然として応答は無い。
「私共、市の方で絵画の買い取りを専門を、いわゆる画商を行っております。――もし宜しければ、外場先生の作品を何点か、お見せして頂くわけにはいきませんでしょうか?」
「(か、絵画の買い取り?)で、でしょうか!」
「……」
寸刻の沈黙の後、カチャン、っという電子錠が外れる音が小さく響き、次いでインターホンも途切れる。
「えぇっ! ななっ、薙君。ドユコト!」
仰天するような声を上げる星宮は、忙しげにインターホンと神薙を交互に見る。
ふぅ、っと神薙は軽く息を突き、やかましい相棒へ説明する。
「まず聞き取り調査で得た情報だが、都会での便利な生活を棄て、風光明媚で有名な草壁町に越してきたことが一つ挙げられる」
「う、うん」
「次は人付き合いの悪さだ。芸術家気質の人に時折見られる気性だと考えた」
「な、なるほど?」
「そしてこの家だ。バロック様式に憧れ、真似た家を注文住宅にて建てる人はいるにはいるが――あれを見ろ」
外壁についた玄関灯は、あたかも変易した真珠のような形状をしていた。
「曲がった真珠みたいな感じだね?」
「そうだ。一節によると、バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)から由来していると言われている。他にもただの注文住宅にしては凝った意匠が見て取れる。この配置といい、玄関灯といい、少なくとも建築史か美術史にある程度精通している人物と憶測される」
「おぉ~」
「そして極めつけは、あそこのゴミ袋の中身だ」
そう言われ、敷地内にある袋から覗く空箱へ目が行く。
「? 高そうな洋菓子の箱みたいなのが見えるけど」
「あれはパステルが入っていた空箱だ」
「ぱすてる?」
「絵画やデザインの際に使われる画材だ。絵具と比較し、柔らかい質感や触感を演出できる。遠目だが、あそこに捨ててあるのは確か海外製で、国内では認知度の低い物だ。一般人が趣味で扱うにはちと凝り過ぎだ」
なんでそんなことを知っているの? という言葉を飲み込みつつ星宮は、
「その四つの理由から、外場さんが画家って割り出したんだ!」
驚きと感嘆の入り混じった声をあげるが、神薙は冷静に返す。
「正確に言うと、絵画創作に強い意欲、あるいは執着と呼べるほどのものがあれば、画家でなくても、門戸を開けてくれる公算は高かったがな」
外門を静かに開ける。
「そ、そうなの?」
「専業者だろうが、愛好家だろうが、自身の作品の出来栄えを測る手段の一つとして、世界に投げかけ、その反響にて調べるというのは常套手段だ」
「世界に投げかけた反響で調べる?」
敷地内の研磨された石床へ足を踏み入れる。
「あぁ。その反響の尺度として、価格や賞典の授与、メディア露出、最近で言うところのSNSの評価数など多岐に渡るが、本質は全て他者からの評価だ」
「うんうん」
神薙に続き、星宮も敷地内へと入り、外門を閉める。
「自身の書いた絵画を買い取らせて欲しい、っというのは、絵画作成に熱中している人であればあるほど大変嬉しい。正の評価そのものだからな」
「はぁ~、なるほどぉ~」
絵画作製。手軽に始められるその一方、芸術の世界でその成り立ちは古く、深遠のごとき奥深さを秘めている。
星宮自身はあまりそういう創造的な事柄に興味は無いが、多くの知識や深い思考を持つ神薙は、今回の職務に活かすことに成功する。
「外門、きちんと閉めたな?」
「うん」
数歩歩き、外門と玄関口の間くらいの位置で神薙は立ち止まり、星宮もつられて止まる。
「……星、車で待っておかなくていいか?」
「ど、どうしたの? 突然」
谷間風が、艶のある長い髪を揺らす傍ら、不安気に聞き返す。
「今回の依頼、ただの騒音問題では無く、前回の築羽団地の時みたく幻核生物か、あるいはまた別の怪異が関与していないとも言い切れない」
「うっ。シ、シロガミ案件だもんね――」
十月、廃団地で汚泥のごとき幻核生物に詰め寄られた苦い記憶が脳内で再現される。道中の情報収集を除き、囮以外の意味においては役に立てず、神薙には迷惑をかけたと星宮自身は思っていた。
――でも、だが、あの時。踏み出したその一歩は、意志薄弱な星宮が絞り出した、意思そのものとも言えた。
星宮は震えそうな手を無理矢理に押しとどめて、
「む、むしろそうなら、薙君一人で行かせられないよ!」
「星?」
「薙君……」
正視し合う二人。二回ほどの瞬きの後に、神薙が静かに口を開ける。
「控え目に言って、有事の際にはお前を守らなければならなくなり、俺の戦術行動に大きな制約がかかるため御免被りたい所だが、そんなこと言おうものなら、またメソメソと泣いて鬱陶しいから仕方なく連れていくとするか(あぁ、背中は預けたぞ)」
「本音と建前が逆なんですけど! っていうか今ので控え目なの!」
悲哀に暮れ、恨み言を呟く星宮と、それを五月蠅と一喝する神薙は、件の外場邸を訪れる。
ガチャ。
軽い手応えと軽快な音と共に、艶のある木製の玄関扉を開ける。
「わっ、綺麗」
一般の家の倍くらいの空間を持つ玄関が、視界に飛び込んでくる。壁紙は柔らかな白妙で、床は無垢の楢であった。
全体的な雰囲気はモダンというよりはナチュラル寄りであり、小物の類はほとんど見当たらなかったが、丸机に配置された硝子の薔薇と花瓶は、嫌味の無い飾りとして心地よい印象を与えた。
「(少し主張に欠ける気がしないでもないが)悪くないセンスだ」
「うん。――あ、薙君。あっちに絵が」
来客をもてなすように、自動照明が緩やかに点灯する。玄関から伸びる広い廊下の壁には、大きな絵が二つ飾られていた。油彩と水彩の風景画と静物画であり、周囲の色や質感と見事に調和を成していた。
「にしてもまだかな? 外場さん」
「(確かに急な訪問ではあったものの、庭でそこそこの時間を潰していたはずだが)少し待とう」
玄関にある小さな調度品に星宮があれこれ神薙へ尋ねていると、廊下の奥から履物の音が響いてくる。
「いや~、お待たせしてすみません。妻が来客対応してくれているものとばかり」
身長は百七十センチメートルくらいで、やや痩身の、四十歳くらいの男性が慌てた様子でやって来る。髪はぼさぼさで、緩い上下の服装は、あまり身なりに気を遣っている印象を与えなかった。
「は、初めまして! し、新人の星宮です!」
星宮は色々な意味で本物のような新人の色を呈を示す。
「(結婚しているのか――)アート買取ユニオンの神薙です。本日は突然のご訪問で恐縮です。また、名刺を切らしており、真に申し訳ありません」
「(薙君。どうしてそんな息を吐くように嘘が言えるの!)も、申し訳ありません!」
そんなうら若き来客の含意を欠片と読み取れていない動静で、男性は口を開く。
「こちらこそ初めまして、外場です。……にしても、画商の方にわざわざ来て頂けるなんて、嬉しいなぁ」
「(あ、あんなに喜ばれると胸が痛いよぅ)ぃ、いえいえ」
破顔する外場と、委縮する星宮。だが神薙はにこやかに話を続ける。
「とんでもこざいません。新進気鋭である外場先生の作品のご商談に預かれることが出来、大変光栄です――こちらの星宮はまだ日が浅いので、勉強させて頂ければと、連れて来た次第です」
「よ、宜しくお願いします!」
「先生なんて大層な者ではありませんが、こちらこそ」
外場は快い笑みを浮かべて応対を続ける。
「では、アトリエへご案内します。二つありますが、とりあえずはこちらへ」
靴を脱ぎ揃え、会釈しつつ廊下を踏む神薙らは、
「(相当な広さだな)にしても、広い邸宅ですね」
「邸宅と言うほどのものでは、――ただ、作品の保管場所には専用の部屋を割いています。湿度や温度は作品へ大きく影響しますからね」
案内しながら美術品の保管状態について、外場は熱心に語り、神薙も上手く応じる。
「ですね。作品も製作者も、ベストコンディションの維持が不可欠です――そう言えば、芸術家の中には睡眠不足で悩む方もおられますが、先生は大丈夫ですか?」
「(し、自然な聞き方! す、すごい)よ、夜は大丈夫です?」
外場は表情も変えないまま、世間話に応対するように、
「夜は快眠ですよ? もっとも、遅くまで作品を手がけていることが多いので、就寝時間自体はそこまで長くありませんが」
「……――わかりました」
ほんの微かに、神薙は目を細めた。
「さぁさぁ、第一アトリエはこちらです。最近は自信のある作品も描けています」
廊下途中に設置された、やはり木製の扉の前にて三人は立ち止まる。
「――こちらになります」
屋根は優美な曲線を描きつつ締りのある黒の漆喰で彩られ、外壁は乳白色を帯びた煉瓦で構成されており、中央玄関には白い真珠が変形したような特殊な玄関灯が備わっていた。
さらに、縁門を備えた家構えは、その対称性も相まって、およそ壮観と言えた。
「わぁ~、かっこいいねぇ」
「……しかし、他の家々と調和がとれているかと問われたら、そうは言いきれないな」
今更言うまでもなく、草壁町は山間部の僻地からなる農村地域である。その点を憂慮すると、浮いていると言えざるを得ない風情であった。
「そ、そう言われたら、そうだね」
それらはともかく、っと電子施錠されている外門の前に立ち、神薙は敷地内をさらに注視する。
動線部分の地面には栗石や玉石が敷き詰められており、中央には外構石材の床石が玄関まで伸びていた。
正面向かって右側には煉瓦造りの倉庫が、左側には鍵付きの大きな荷物受けがあった。外周には花壇があるものの花卉の類は見当たらず、耐乾性の高い橄欖が数本、寂しく植えられているだけであった。
「(敷地内は)――ふむ」
倉庫の傍に、ごみ袋らしき物が見える。中身の大半は見えないが、縛り口の辺りに、色彩感溢れる小箱が頭を出していた。
「あれは……」
手帳を開き、再び豪勢な洋の居宅を仰ぐ。その隣では――、
「う~ん、う~ん」
神薙を真似し、精一杯の背伸びを物理的に行い、星宮も敷地内を覗く。
――だが、前衛的な意匠の洋館、という事以外に特段変わった目星は付けられなかった。小さな唸り声と共に、仰々しく組んだ両の腕は、虚しくも自身の胸部の出っ張りを乗せているだけであった。
そして無駄と分かっていながらも、一丁前な様子で二階を見上げると――、
「! なな、なぎ、薙君!」
星宮の素っ頓狂な声に視線だけを投げる神薙は、だが鬱陶しそうに、
「何だ?」
「あっ、ぁ、あそ、あそこぉ!」
星宮の震える細い指の先を追うと、
「――ほぅ」
家屋の対面左側の二階出窓、柔らかい灰色のドレープカーテンのその僅かな隙間に、目、があった。
正確には室内が暗いであろうため、隙間から零れる陽が、人間の目の部分にのみ当たっているという説明が正しい、はずだ。
目玉が浮いているという超常的な現象で無いのなら、高さの位置から察するに、性別はわからないが大人が立っていると推察された。
「……」
神薙は手帳を仕舞い、窓の方へ向かって、腰を二十度ほど曲げてお辞儀をする。
「(へっ?)いぅ!」
奇声を漏らしつつ、慌てふためく星宮も、過度に腰を折って一礼する。
「――」
二人の動作を見たためとは考えにくいが、やがて目は背後の影へと埋もれるように消え、カーテンを微かに揺らせた。
それを見送った神薙は、
「……星。インターホンを鳴らしてくれ、名乗るだけでいい。後は俺がやる」
「えぇっ! え、ちょっ、えっ? ここ、この状況で?」
まず、先の人物が外場かどうかがわからない。
加えて事前の聞き取りから得られた情報の通りなら、外交的な人物では無いとのことなので、やはり歓迎されるとも思えない。
――そもそも、あの目が人のものかどうかすら――、
「(で、でも薙君が考えもなしに指示するとは思えないし)うぅ」
半信半疑の平均台の上で揺れ動く星宮は、だが意を決して、呼び鈴をそっと押し鳴らす。
ピンポーン。
「……――あ、あれ?」
十秒経っても開通の電子音は聴こえない。
「な、薙君?」
「まだ出ないとは限らない」
三十秒、四十秒と経過していく。
プッ。
「(あっ)え、えと」
五十秒を経った所で、音が鳴る。ただし、相手方の挨拶や返事は一切聞こえてこない。
「あっ、ぁ。あの、その! と、突然のご訪問すみません。ほ、星宮と言います!」
慌てふためきながらも何とか名乗る。神薙はその肩を軽く叩いて――、
「(な、薙君)っ」
目配せしつつ、星宮と立ち位置を交代する。
「事前連絡の無い訪問、大変恐縮です。今しがた挨拶した星宮の同伴者で、神薙、と申します」
丁寧な口調でインターホンのカメラ部分へ語りかける神薙であったが、依然として応答は無い。
「私共、市の方で絵画の買い取りを専門を、いわゆる画商を行っております。――もし宜しければ、外場先生の作品を何点か、お見せして頂くわけにはいきませんでしょうか?」
「(か、絵画の買い取り?)で、でしょうか!」
「……」
寸刻の沈黙の後、カチャン、っという電子錠が外れる音が小さく響き、次いでインターホンも途切れる。
「えぇっ! ななっ、薙君。ドユコト!」
仰天するような声を上げる星宮は、忙しげにインターホンと神薙を交互に見る。
ふぅ、っと神薙は軽く息を突き、やかましい相棒へ説明する。
「まず聞き取り調査で得た情報だが、都会での便利な生活を棄て、風光明媚で有名な草壁町に越してきたことが一つ挙げられる」
「う、うん」
「次は人付き合いの悪さだ。芸術家気質の人に時折見られる気性だと考えた」
「な、なるほど?」
「そしてこの家だ。バロック様式に憧れ、真似た家を注文住宅にて建てる人はいるにはいるが――あれを見ろ」
外壁についた玄関灯は、あたかも変易した真珠のような形状をしていた。
「曲がった真珠みたいな感じだね?」
「そうだ。一節によると、バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)から由来していると言われている。他にもただの注文住宅にしては凝った意匠が見て取れる。この配置といい、玄関灯といい、少なくとも建築史か美術史にある程度精通している人物と憶測される」
「おぉ~」
「そして極めつけは、あそこのゴミ袋の中身だ」
そう言われ、敷地内にある袋から覗く空箱へ目が行く。
「? 高そうな洋菓子の箱みたいなのが見えるけど」
「あれはパステルが入っていた空箱だ」
「ぱすてる?」
「絵画やデザインの際に使われる画材だ。絵具と比較し、柔らかい質感や触感を演出できる。遠目だが、あそこに捨ててあるのは確か海外製で、国内では認知度の低い物だ。一般人が趣味で扱うにはちと凝り過ぎだ」
なんでそんなことを知っているの? という言葉を飲み込みつつ星宮は、
「その四つの理由から、外場さんが画家って割り出したんだ!」
驚きと感嘆の入り混じった声をあげるが、神薙は冷静に返す。
「正確に言うと、絵画創作に強い意欲、あるいは執着と呼べるほどのものがあれば、画家でなくても、門戸を開けてくれる公算は高かったがな」
外門を静かに開ける。
「そ、そうなの?」
「専業者だろうが、愛好家だろうが、自身の作品の出来栄えを測る手段の一つとして、世界に投げかけ、その反響にて調べるというのは常套手段だ」
「世界に投げかけた反響で調べる?」
敷地内の研磨された石床へ足を踏み入れる。
「あぁ。その反響の尺度として、価格や賞典の授与、メディア露出、最近で言うところのSNSの評価数など多岐に渡るが、本質は全て他者からの評価だ」
「うんうん」
神薙に続き、星宮も敷地内へと入り、外門を閉める。
「自身の書いた絵画を買い取らせて欲しい、っというのは、絵画作成に熱中している人であればあるほど大変嬉しい。正の評価そのものだからな」
「はぁ~、なるほどぉ~」
絵画作製。手軽に始められるその一方、芸術の世界でその成り立ちは古く、深遠のごとき奥深さを秘めている。
星宮自身はあまりそういう創造的な事柄に興味は無いが、多くの知識や深い思考を持つ神薙は、今回の職務に活かすことに成功する。
「外門、きちんと閉めたな?」
「うん」
数歩歩き、外門と玄関口の間くらいの位置で神薙は立ち止まり、星宮もつられて止まる。
「……星、車で待っておかなくていいか?」
「ど、どうしたの? 突然」
谷間風が、艶のある長い髪を揺らす傍ら、不安気に聞き返す。
「今回の依頼、ただの騒音問題では無く、前回の築羽団地の時みたく幻核生物か、あるいはまた別の怪異が関与していないとも言い切れない」
「うっ。シ、シロガミ案件だもんね――」
十月、廃団地で汚泥のごとき幻核生物に詰め寄られた苦い記憶が脳内で再現される。道中の情報収集を除き、囮以外の意味においては役に立てず、神薙には迷惑をかけたと星宮自身は思っていた。
――でも、だが、あの時。踏み出したその一歩は、意志薄弱な星宮が絞り出した、意思そのものとも言えた。
星宮は震えそうな手を無理矢理に押しとどめて、
「む、むしろそうなら、薙君一人で行かせられないよ!」
「星?」
「薙君……」
正視し合う二人。二回ほどの瞬きの後に、神薙が静かに口を開ける。
「控え目に言って、有事の際にはお前を守らなければならなくなり、俺の戦術行動に大きな制約がかかるため御免被りたい所だが、そんなこと言おうものなら、またメソメソと泣いて鬱陶しいから仕方なく連れていくとするか(あぁ、背中は預けたぞ)」
「本音と建前が逆なんですけど! っていうか今ので控え目なの!」
悲哀に暮れ、恨み言を呟く星宮と、それを五月蠅と一喝する神薙は、件の外場邸を訪れる。
ガチャ。
軽い手応えと軽快な音と共に、艶のある木製の玄関扉を開ける。
「わっ、綺麗」
一般の家の倍くらいの空間を持つ玄関が、視界に飛び込んでくる。壁紙は柔らかな白妙で、床は無垢の楢であった。
全体的な雰囲気はモダンというよりはナチュラル寄りであり、小物の類はほとんど見当たらなかったが、丸机に配置された硝子の薔薇と花瓶は、嫌味の無い飾りとして心地よい印象を与えた。
「(少し主張に欠ける気がしないでもないが)悪くないセンスだ」
「うん。――あ、薙君。あっちに絵が」
来客をもてなすように、自動照明が緩やかに点灯する。玄関から伸びる広い廊下の壁には、大きな絵が二つ飾られていた。油彩と水彩の風景画と静物画であり、周囲の色や質感と見事に調和を成していた。
「にしてもまだかな? 外場さん」
「(確かに急な訪問ではあったものの、庭でそこそこの時間を潰していたはずだが)少し待とう」
玄関にある小さな調度品に星宮があれこれ神薙へ尋ねていると、廊下の奥から履物の音が響いてくる。
「いや~、お待たせしてすみません。妻が来客対応してくれているものとばかり」
身長は百七十センチメートルくらいで、やや痩身の、四十歳くらいの男性が慌てた様子でやって来る。髪はぼさぼさで、緩い上下の服装は、あまり身なりに気を遣っている印象を与えなかった。
「は、初めまして! し、新人の星宮です!」
星宮は色々な意味で本物のような新人の色を呈を示す。
「(結婚しているのか――)アート買取ユニオンの神薙です。本日は突然のご訪問で恐縮です。また、名刺を切らしており、真に申し訳ありません」
「(薙君。どうしてそんな息を吐くように嘘が言えるの!)も、申し訳ありません!」
そんなうら若き来客の含意を欠片と読み取れていない動静で、男性は口を開く。
「こちらこそ初めまして、外場です。……にしても、画商の方にわざわざ来て頂けるなんて、嬉しいなぁ」
「(あ、あんなに喜ばれると胸が痛いよぅ)ぃ、いえいえ」
破顔する外場と、委縮する星宮。だが神薙はにこやかに話を続ける。
「とんでもこざいません。新進気鋭である外場先生の作品のご商談に預かれることが出来、大変光栄です――こちらの星宮はまだ日が浅いので、勉強させて頂ければと、連れて来た次第です」
「よ、宜しくお願いします!」
「先生なんて大層な者ではありませんが、こちらこそ」
外場は快い笑みを浮かべて応対を続ける。
「では、アトリエへご案内します。二つありますが、とりあえずはこちらへ」
靴を脱ぎ揃え、会釈しつつ廊下を踏む神薙らは、
「(相当な広さだな)にしても、広い邸宅ですね」
「邸宅と言うほどのものでは、――ただ、作品の保管場所には専用の部屋を割いています。湿度や温度は作品へ大きく影響しますからね」
案内しながら美術品の保管状態について、外場は熱心に語り、神薙も上手く応じる。
「ですね。作品も製作者も、ベストコンディションの維持が不可欠です――そう言えば、芸術家の中には睡眠不足で悩む方もおられますが、先生は大丈夫ですか?」
「(し、自然な聞き方! す、すごい)よ、夜は大丈夫です?」
外場は表情も変えないまま、世間話に応対するように、
「夜は快眠ですよ? もっとも、遅くまで作品を手がけていることが多いので、就寝時間自体はそこまで長くありませんが」
「……――わかりました」
ほんの微かに、神薙は目を細めた。
「さぁさぁ、第一アトリエはこちらです。最近は自信のある作品も描けています」
廊下途中に設置された、やはり木製の扉の前にて三人は立ち止まる。
「――こちらになります」
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【第四章 織田信長の愛娘】 清廉潔白な人々が、武器商人への憎悪を燃やす
【最終章 西上作戦】 武田家を滅ぼす策略に抗うべく、信長と家康打倒を決断す
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です))
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