霊装探偵 神薙

ニッチ

文字の大きさ
上 下
4 / 16
第一章 幻核生物

三話 築羽団地

しおりを挟む
 キキィー!
「あ、あれかな?」
 辛抱強く渋滞を耐え、走り抜けたその先、ようやく辿り着く。
「――あぁ。旧公団住宅こと、築羽団地だ」
 黄昏たそがれの僅かな狭間が、月桑市全体を赤く照らす。斜陽ゆうひを受けた団地群はあけに染まり、ボォ、っとあたかも見た目以上の大きさがあるように錯覚させた。
 時間帯のせいであろうが、四階建ての、築四十年を超える建物群は、まるであるじ達に放棄された悲哀と、用済みとばかりに唾棄だきされたことへの怨毒おんどくによる物恨ものうらみを抱いているようであった。
 軽く腕を組んだ神薙が何気に呟く。
「……逢魔おうまヶ時」
「いっ! な、何それ?」
 聞き慣れない不穏な言葉に、星宮は小さな肩を震えさせる。
「古い言い伝えだ。とりの刻、今でいう十八時前後は、魔なる存在に遭ったり、大きな災禍さいかに見舞われ易い時間帯だと言われている」
「どど、どうしてこんな時に、そんな怖いこと言うのっ!」
 郊外であることと時間帯が合間って、行き違う人々は皆無。星宮が神薙へ文句の一つも言いたくなることは容易に窺えた。が、
「これからたった二人で、人の(おそらく)いないであろうてられた団地に乗り込むには、いい場面選択シチュエーションだと思っただけだ」
 軽く首を鳴らす神薙に対して、
「改めて事細かな説明しないでって! そもそもは冗談じゃ済まないかもでしょ!」
 怒気を孕むその言葉に、それもそうか、っと軽く頷きつつも、さほど同意せずに、
「とりあえず、行くぞ」
 車から降り、立ち入り禁止のロープを乗り越え、敷地内に踏み入る。
「ま、待ってよ薙君!」
 行くも留まるも怖い。だが、日没後にこのような場所で独り車内に残るなど、考えただけでも肌が泡立つ。
 星宮はまるで、星無き闇夜にて、松明たいまつを追い求めるように、急ぎ神薙の後を追う。
「――さて、どう行くかな」
 築羽団地は三つの棟が三列の、つまり三×三の位置構造で建ち並んでおり、神薙達は西側方面から敷地内へと入る格好であった。脳内で様々な状況を想定しつつ、現場の状況に目線を飛ばす。
 敷地内の至る所にスゲ科の多年生草本が伸び荒れ、場所によっては土瀝青アスファルトを突き破ってあちこちに群生していた。それらの中に時折見かける、毒々しい色の大きく育った得体の知れない草は、特に不気味な印象を与えた。
 一定の距離をおいて設置された、ながらく役目を終えた電燈も、項垂うなだれるように下を向いていた。
「――あ、公園だね」
 その途中、棟の隙間すきまに小さな公園が見受けられた。
 砂場と、小さな滑り台がある程度で、柵と言った安全設備すら無い、容貌に応じてやむなく急配置された程度の規模ものであった。
「誰も使わなくなって、久しいのだろう」
 かつて夕餉ゆうげで賑わっていた頃、帰宅を促す親の叱責よびごえが各戸から溢れ、だがそれらを必死に掻き消そうと、子供達が大声で叫び、遊んでいたに違いない。
「……」
 ――だがその喧噪にぎわいも、影の海に沈むこの場所からは、永劫、聴こえることは無いのであった。
 沈黙に耐えかねた星宮が、
「と、ところで。本当にここに土萩君がいるの?」
友人かれらの話を信じるなら、可能性あるいは手掛かりくらいはあると思う。――昼間、お前が車で休んでいる間、俺がいなかったろ?」
「そう言えば、調べ物がどうとかって」
「あぁ、土萩君について調べていた」
 神薙の手帳が、夜風あきかぜで僅かにめくれる。
「重要な部分だけをかいつまむと、彼は小学校の頃まで築羽団地ここに住んでいたらしい」
「そ、そうなんだ。で、でも、それとさっきの子達との喧嘩に、どう関係しているの?」
「……例えば、自分が生まれ育った生家や居場所が、悪意が無くとも罵られたり、けなされたりしたら、どんな気分になる?」
「え? そりゃ、いい気分はしないし、腹も立つだろうけど。――あっ!」
 反射的に開いた口を、慌てて覆う。
「そうだ。多感な時期でもある彼に、幼少期の、いわば故郷を罵られたらどうだろうな。しかも、取り壊される未来が決まっているような現状だ。穏やかな気持ちでは無かったろう」
「だから躍起になって、さっき聞いたみたいなことを言ったんだね」
 うん、っと腕を組み、星宮は最もらしく頷きつつ、
「で、でももうすぐ丸一日だよ? 昨日の夜からずっとここにいるなんてありえるかな」
 常識的な意見を口にする星宮に対して、
「星。この依頼は所長経由で、が依頼してきた案件ものだ」
「あっ! う、え、っと。つまりは――」
 不意に周囲へ視線を振りまき、次いで星宮は両の手で自身をそっと抱きしめ、肩をそびやかす。
 陽が完全に傾く。
 押し寄せて来た肌寒さだけが、彼女の背を丸めさせたわけではなさそうだ。
「(土萩君、無事だといいけど)と、ところで、どの棟を調べるの? 全部?」
 団地に囲まれた二人の視界を照らすのは、月と星の輝き、そしてまばらに配置された頼りない街灯だけであった。
「星……お前の霊装能力リワインドは?」
「――あっ。そ、そうでした(汗)」
「無論、回数制限のある確認再現リワインドに頼りっぱなしという理由わけにはいかない」
 二人の反響する声と足音、そして時季外れになりつつある鈴虫の鳴き声だけが、静寂に抵抗しているようであった。
「じゃあ、ここらで霊装しよっか?」
 だが、不意に神薙が立ち止まる。同時に、星宮の進路を神薙の伸びた手が塞ぐ。余所よそ見をしていた星宮の胸先が軽く当たる。
「あっ。ご、ごめん」
「……」
「な、薙君?」
 返答しない神薙を察してか、黙りこく星宮。
 二人は立ち止まっている。――にも関わらず、敷地内から小さな足音が聞こえる。
「え? うっ、嘘。だ、誰。どこ?」
 星宮は半歩ほど横に移動し、神薙の後ろへ隠れるように寄り添う。
「――前からだ」
 暗闇に馴れた目を凝らすと、前方に、やや奇妙な歩方あるきかたの人影が認められた。
「な、なな、薙く、君!」
 微動だに動かない神薙の背に、震えながら引っ付く星宮。だがしかし、
「――なんだぁ、誰かいるのかぁ?」
 野太い、やや年のいった感じの声が、棟の間で反響する。
「えっ?」
 声を漏らす星宮を置き去りに、神薙は携帯の光源ライトを点けて前進する。
「(な、薙君!)ちょ」
 神薙の姿と光源ライトを見てか、人影は途中でだらしなく立ったまま、動かない。
 そして、あと三メートルっと近付いた所で、神薙は徐々に光源ライトの角度を上げていく。光の先には――。
「お、おい。眩しいって!」
 ボサボサで、白髪が混じった髪と浅黒い皮膚、六十歳くらいだろうか? 薄汚れた茶色の上着ジャケットをだらしなく羽織り、本当の意味でのダメージジーンズに履物サンダル、そんな出で立ちの男性が立っていた。
 神薙はライトを下げながら、
「急に光を当ててすみません。この辺りの方ですか?」
「あ? 誰だ、お前。いいかぁ? 人に物を尋ねる時はなぁ~」
 やや酒臭い息を放ちつつ、怒ったような素振りで神薙へ早口に言い放とうとする。
 ――が、まるで、それを予見していたかのように名刺を準備して、
「失礼しました。探偵業を営んでいる神薙と申します」
 その言葉を聞き、男は怒りの二の句を飲み込み、携帯で照らされた名刺と神薙を交互に見やる。
「はぁ、探偵さん? ――ほぉ、探偵さん? ほんとにいんだなぁ、探偵なんてよぉ!」
 目を丸くする男性は、強く興味を惹きつけられている様相であった。
「えぇ。――あと、こちらも同僚です」
 恐る恐るあとからやって来た星宮を手で示す。
「こ、こんばんは。ほ、星宮と申します」
「ほぁっ! こ、こんな別嬪さんも探偵かい!?」
「(べ、別嬪さん?)あ、ありがとうございます?」
 しげしげと星宮を眺める男性は、目の保養ができたためか、あるいは神薙らに脅威らしきものを感じなくなったせいか、気を緩める。見計らうように神薙は切り出す。
「話を戻しますが、我々はある事件を追って、ここら一帯を調査しています。――もし、良ろしければご参考までにお話を伺ってよろしいでしょうか?」
 くまで礼節を欠かさない神薙は、この身なりの崩れた男性へ丁寧に接する。
「おほっ。す、すげーすげー! ドラマの中みてーだぁ!」
「(さ、さすが薙君。上機嫌だし、協力してくれそう)お、お願いしますっ」
 星宮の予想は的中し、風浪者ホームレスと思しき男性は、興奮と喜びの中間くらいの表情を作りつつ、好意的な様相を示しつつ語り出す。
「俺ん名は戸金とがねだ」
 急に堂々と名を告げてくる戸金氏を、さらにと乗り気にさせるためか、神薙もそれっぽく手帳を開く。
「戸金さんは、築羽団地には良く来られるんですか?」
「いんや。ここいらはほとんど来ね~。仲間内でもこの辺りはいい噂が無ぇーからな」
「というと?」
「いやぁ。住民が退去した当初はよぅ、鍵の掛かっていない部屋とかがちょこちょこあったんだ。だから、取り壊されるまでの間、警察や近隣住民が目くじら立てない程度に間借りしようかな、って話してたんだよ。でな」
「……しかし、断念したと?」
 険難けんのんな会話の流れに対し、せめて常識的な理由であってほしい、っと星宮も口を挟む。
「け、警察にバレたから、とかですか?」
「それがよぅ、でけえ声じゃ言えないけどよぉ。なんつーのかなぁ、変なことばっかし起こってよぉ」
 神薙は目を細めつつ、
「変なこと、ですか?」
「(うぅ、聞きたくない聞きたくなぃ!)」
「夜に泊まろうとした奴の話だがよぅ。へやへ入ってしばらくしたら、同じ階のどこかから、なんか液体しる? みたいなのが落ちる音がさ、何時間もずーっと、聞こえたとか」
「ひぃっ!」
「星、声が大きい」
「他の諦めの悪い連中も試したんだけどよぉ。なんか、すげー変な臭いがしてきたり、上か下の階を、這いずるような音が聞こえたとかで、すぐに逃げ出して来たってわけよ」
 神薙は黙して書き込む。戸金は大きく腕を組みつつ、
「何の事件か知らんが、探偵の兄ちゃん達も早くここを離れな。俺だって、空き缶集めのためにたまたまここを横切っただけなんだからよ」
「実は俺達。ある男子高校生を探していまして……」
 外見や状況を出来るだけ簡素化して伝える。
「ん~、さっきも言ったけど、この辺りは滅多に来ねーからなぁ。どうしてもっつーなら、明日、この近くの奴らに聞いてやろうか?」
「(それだと遅いかもしれない)いえ、十分です。貴重なお話、ありがとうございました。――あと、お礼と言える程ではありませんが、今日は冷えるので、身体を温めるためにでも使ってください」
 神薙は一枚の紙幣を取り出し手渡す。
「えぇっ! い、いいのかい? いや~、わけぇのにしっかりした兄ちゃんだ。んじゃ、ありがたくもらっとくぜぃ」
 破顔して受け取り、紙幣に口づけをしながら、戸金は神薙達が来た西側へと進んで行く。
「……仕方ない。ある程度は当て推量ずいりょうで調べる。星、霊装リワインドの準備を」
「う、うん」
 すると、背後から、
「あ、そう言えばよぅ」
「ん?」
「えっ?」
 離れた位置から少し大き目の声にて、
「俺が横切ったB-2? の入口の所に、あんまり汚れていない男物の上着が落ちてたぜ。いやー、帰りに拾おうと思ってたんだけど、兄ちゃん達には特別に――」
「薙君!」
「あぁ! 戸金さん、ありがとうございました!」
 やにわに走り出す探偵とその助手を、戸金は見送りつつ、
「え? お、おう。いいってこと――よ?」
 肩で息をするより早く、B-2の棟の近くまで来る。
 完全に陽の光を失った団地内は、霊魂などの存在を信じていない人々であっても、不気味な印象を与える雰囲気が立ち込め始めていた。
 壁は年老いた老人の皮膚を想起させ、上階の廊下の手摺りからは、今にも手が生え出て、こちらへ伸ばすような奇怪な感想おもいを抱かせる。
「う、うぅ」
 そして、西側廊下および東側廊下の中央にあたる建物玄関エントランスのその手前に、白い上着が落ちている。
「これか」
 神薙が拾い上げて調べる。大きさや外装デザインから類推さっするに、高校生から成人男性くらいが落とし主と思われた。
 星宮へ手渡しながら、
「星。昨晩の二十一時くらいだ」
「う、うん。わかった!」
 静かに瞼を閉じ、手渡された上着を、両手で軽く握る。周囲の霊子が徐々に星宮の方へと引っ張られる。
「霊装、確認再現リワインド!」
 呟き、集中状態に入る星宮に背を向けて、神薙は周囲を警戒する。
 依然として不気味な廃団地は、時が進むにつれてさらに暗い活力を充足させ、神薙らをいぶかしむ攻勢を強めているように感じさせる。
 ――やがて時刻が十九時を刻んだ頃、星宮の目が見開かれる。
 片手で額を抑えながら、頭を軽く下げ、荒い呼吸を三度、徐々に屈み込む。唇は紫色に変色し、発汗もひどく、視線も地面へ落としたままだ。
 神薙もゆっくりと屈みつつ、
「(霊装による疲労だけでは無さそうだな)何が見えた?」
「――ど、どろ」
「泥?」
 神薙の差し出した水を飲む星宮は、震えながらも答えていく。
「ゴクッゴクッ――、ぅ。え、えっと。じゅ、順を追って説明するね」
「あぁ、少しずつでいい」
 一拍置いて、恐る恐る顔を上げた星宮は、重々しく口を開く。
しおりを挟む
1 / 4

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

君の心に花束を

ライト文芸 / 連載中 24h.ポイント:170pt お気に入り:0

人に化けるモンスター

ファンタジー / 完結 24h.ポイント:92pt お気に入り:0

いつもと違う・・・彼氏が豹変して私を恨む

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:1

森の導の植物少女

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:427pt お気に入り:10

カッターナイフ

大衆娯楽 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:0

処理中です...