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虫圭

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一章 前略

1月9日

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 気付いたのはいつだっただろう、思い出せない。
 そもそも初めから、片時も離れずずっとそうだったのかもしれない。
 それくらい、当たり前のように私の中に私は居た。
 もう一人の私。
 もう一人の自分。
 もう一人の人格。
 私は、私たちは、二重人格なのだ。

 世間は、多重人格に対しどんなイメージを持っているだろう。
 心に刻まれた深いトラウマから生まれた、傷を一心に受け止める堅牢な盾のような人格だろうか。
 それとも、心の内に秘めた根源的な欲望を満たすために現れた、狂暴な矛のような人格だろうか。
 幼児退行したような舌足らずな人格?
 異性の心を惑わし乱す蠱惑的な人格?
 廃人のように無気力で自堕落な人格?
 仙人のような達観した人格だろうか。
 私の場合は双子のような存在だった。
 ほとんど変わらない、もう一人の私。
 ほんの少しだけ違うもう一人の自分。
 それが私の中に居るもう一人の私だった。
 どちらが先かも分からない。
 どちらが本物なのかも知れない。
 どちらが主人格なのかも判別できない。
 私の中に居る、ほとんど私と変わらない、私。

 私たちは、私の身体を日替わりで共有している。
 記憶も、感動も、痛みも、その殆どを共有している。
 そこには、もう一人の私がそれを経験したのだという違いしかない。
 こう在るのが自然で、当然のことで、日常だ。
 切り替わるタイミングは日によってまちまちだけれど、夜、日付が変わる時間の前後で必ず交代する。
 そのタイミングを私たちがコントロールすることは出来ない。
 勿論、幾度かチャレンジはしてみた。
 変わるタイミングに法則性があるのではと日記を残し、体温などの数値を計り検証を試みたりもしたが、結果に繋がることはなかった。
 日付が変われば私たちは交代し、やるべきことをやり、どちらかがやり残したことがあれば、どちらかがその続きをやる。
 世界中の人々が毎日やっていることを、二人で一つの身体を使ってやっているだけだ。
 私たち自身は特殊であっても、そこに特別なことは一切なく、私たちは平々凡々な生活を送っているのだ。

 多重人格者、人格の切り替わりと言えば、波乱の人生や破綻した人格を矯正しようとする誰かとのラブロマンスなどなど、ドラマチックな日常と相場は決まっているけれど、私の場合はそんな特別なことは一つも起こらなかった。
 小中高と学校を出て、進学はせず地元の企業に就職し、数年で退職、間にアルバイトの時期を挟んだりしつつ今の仕事に再就職し、10年選手と呼ばれるくらいのキャリアを積んだ。
 ぶっちゃけ、高校時代の友人や職場の同僚は既に結婚している者も少なくない。
 それぞれに家庭を持ったり、出会いと別れを経験したり、育児に励んでいたり、バリバリと仕事に勤しんだり、私なんかよりもよっぽどドラマチックな日常を送っている人ばかりだ。
 それに比べて私は、と悲観的になる性格では私はないけれど、『あの日あの時あの場所で、ああしていれば』と過去を振り返り青かった自分に苦言を呈したくなる程度には小姑じみた年相応の精神の年老い方をしている。
 これはあくまで私自身の根本的な性格が原因で、私が二重人格であることとはきっと無関係である。
 中高時代の自分が、10年、20年後にどんな生活を送っているか詳細にイメージ出来なかったように、10年以上歳を取った私は、変えようのない過去を羨んだり恨んだり後悔するくらいしかできないのだ。
 後悔先に立たずと言うけれど、よほど満たされ充足した生活を営んでいない限り、誰しも自らの過去の生活やその態度を悔やんだりするものだろう。
 むしろここでは、その理不尽な矛先を私以外に向けず私自身のみに向けていることを自分で褒めてあげたいくらいである。
 とにかく、どれだけ私という人格が波風の少ない、山を越えず谷を渡らない生活でここまで生きてきたかという話だ。
 つまり、酸いも甘いも経験しなかった私は、私たちは、二重人格生活の中で気を病むこともなければ、二重人格そのものが幼少期からこれまでの人生で苦楽を経験したが故に誕生したのではない、ということである。
 特筆すべき過去が無い、それこそその特筆すべきエピソードが存在しないということが、私には唯一の特筆すべきことなのだ。

「……なんてね。フフッ」
 三連休の中日。
 ぬくぬくとした布団の中で我が身を振り返り妄想に耽る。
 昨日からばつばつと大きな雨粒の破裂音を響かせていた冷たい冬の雨は、いつの間にか雪へと姿を一変させていて、暖房の効いた部屋では全く感じないが、一度部屋の外に出ると足の爪先からジワジワと凍えるような底冷えが足を伝って登ってくるような有り様だった。
 が、そんな雪もいつの間にか止んでしまっていたようで、室内の寒さ(30℃)を堪え立ちあがり、わずかに晴れた外を窓越しに眺めると雲間からは光が差し込んでいた。
「このぶんなら夜はレイトショー観に行けちゃうねぇ。にひっ」
 スマホの液晶を照らし一番近い映画館の連携アプリを起動させる。
 滑らかに席の確保をし、支払い画面へと進むと『ケータイ代とまとめて支払い』ボタンをタップする。
 席は横軸中央からやや後ろの、縦軸ど真ん中。
 私が初見する際のベストプレイスである。
 レイトショーだからか世間では正月休み明けの平日だからか、席には余裕が有りすぎるくらいで、工業収入面が心配になるくらいだ。
「お風呂っ、お風呂っ、おっふっろ~」
 昨日は一日中両手両足の指の皺が治らないくらいの長湯をしたようだし、今日はサッとシャワーを浴びて、出掛けるまでの間にお正月に溜めておいた今期アニメを巡回しよう。そうしよう。

 平々凡々とした二重人格生活を営む私だけれど、案外私は充足感の中で生きていると思っているので、きっと幸せな部類の人間なのだろう。
……うん。詰まる所、私は二重人格で、幸せ者なのだ。
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