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【カレンとミルテの義姉弟―其の五】
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ヴェルチは食堂に居た。
食堂には私とヴェルチの二人だけだ。
そんなの当然だ。とっくに座学は始まっている(本日の講義は、人体の急所を丸暗記するという私が欲している医療知識に通じる知識である。それに、我が身を守る上で非常に重要なものだ。勿論、対人間戦でも重要な知識となる)。
だと言うのに、私はこんな所で、こんな女と一体何をしているのだろう。
講堂でのヴェルチとの口論の後(お互い一方的な物言いだったから、実質的には口論でないが)、私に突き刺さる周囲の熱い眼差しに堪えきれなくなり、逃げ出す様にヴェルチの後を追って講堂を離れた。
ヴェルチの連れ合いであるサッシャが言っていた『私もあいつも、それに他の皆も、心に何かを抱いてると思うんだ。』という言葉。
その、抱いている『何か』が、養成兵である彼女達の心に熱い炎を灯したのだと思う。
私に向けられた熱い眼差しは、正しく言い換えれば私に対する『敵意』に他ならなかった。
まあ、私がミルテを守るために発した言葉には、幾許かの雑言が含まれていたし、多少の恨みを買ってしまったのは仕方ない。
針の蓆の中で座学を受けても一向に構わなかったのだけれど、居心地の悪い状況で学んだところで、私にも、周囲にも、果ては教官にさえ悪影響を及ぼすのでは、と私は考え、今回は自ら身を引こうという結論に至った。
ただ、そんな私や彼女らの関係性などは、私にとっては些事だった。
問題は、もっと即物的なことである。
座学を欠席、それも、理由もなく講義前に講堂を抜け出し、こんな場所で時間を無為に費やしていることだ。要は座学をサボってしまったことだ。
養成兵が座学ーー学びの時間をサボろうものなら、後でどんな仕置きを、もとい、どんな処罰を受けるか分からない。
怪我をしたり病気になって休むのならまだいい(叱咤されるが)。サボりは良くない。何故ならサボりには軽いも重いもない。『サボった』という事実がそこにあるだけだからだ。
私達二人は間違いなく厳罰を受けることになる。
最悪、養成所から追い出されることになるかもしれない。
まあ、しかし。
自慢になってしまうが、私はきっと追い出されることはないだろう。
同期の中でも群を抜いて秀でた知識と技能を身に付けている。そして自身の力量に溺れることなく、これまで常に本領を発揮してきたからだ。
それは私に敵意を向けてきた、同期の彼女らも一様の見解だろうと思う。
事実は、真実は決して覆ることはないのだから。
だが、この女。ヴェルチはどうだろうか。
自身でも口にしていたじゃないか。
『教わった事が解らない。出来ない』と。
個人的な、恣意的な悪意なく、真実のみを口にすれば、ヴェルチは劣等生だ。つまり落ちこぼれである。
なのに、いつも誰かと楽しそうに笑っている。
何時でも、何処でも。
私にそうして来たように、同期の連中にも所構わず絡み、その度に和やかな、言い換えると間抜けな笑い声が私の耳に響いて来ていた。
そんな、自身の不得手を棚上げし、へらへらと他人に媚びるような女が、教官から恩赦を受けられるとは思えない。
本当に追い出される可能性がある。
実に落ちこぼれらしい末路である。
とは言え。
今回にだけ関して言えば。
今回の一連の流れでヴェルチが強制退去となってしまっては、気持ちが悪い。
私に非は無かったと思っているが、ヴェルチの口論の相手が私であったことは事実だ。
覆しようのない真実である。
最悪この女は私との口論の末、養成所を去ることになる訳だ。
これは良くない。
私を邪魔する人間が居なくなるのは実に喜ばしいことだけれど、私にも責任の一端があると思われては甚だ迷惑だ。
だから、私はこうしてヴェルチの後を追いかけてここまで来たのだった。
私がヴェルチとの問題を解決し、私から教官への口添えがあれば、少なくとも強制退去だけは免れるだろう。
私と『同期の仲間』である彼女らとの信頼関係も、多少構築されることだろう。
「……カレン。どうして追いかけてきたの?」
食堂に並ぶ多くのテーブルからわざわざ選んだのだろう隅に設置されたテーブルにつき、腕組みして顔を伏せていたヴェルチから、くぐもった声が聞こえてくる。
私は応えない。
私は腰掛けずテーブルを挟んで真向かいに立って、彼女を見下ろしている。
こんな場所でこんな無為な時間を過ごすこの女を、私は心底見下していた。
「……ねえ、カレンってば」
ヴェルチが伏せていた顔を上げ、私を睨む。拗ねているのだとすれば、全く、堪え性のない女だと呆れてしまうほどの呆気なさだ。
だから私は応えない。
「ねえ、私に何か言うことがあって来たんでしょ? 言ってよ。何か言いたいことがあって来たんでしょ? じゃないとあんたが講義を放ってまで私の所に来るはずがない。私みたいな、取り柄のない人間の所に」
なんだ。この女、存外自身が他人からどう評価されているのか理解しているじゃないか。
落ちこぼれとは、自身を客観的に見れないものが多い。
だからこそ落ちこぼれと評価される。判定される。
そうじゃなかっただけ、ヴェルチはマシな部類かもしれないと私は評価をほんの僅かだけ見直す。
「ねえってば。何か無いの? それとも私のこと追いかけてまで馬鹿にしに来たの?」
何を言い出すかと思えば。
やはり落ちこぼれは落ちこぼれ。劣る人格か。
わざわざ他人を罵倒する為に重要な講義を処罰覚悟で欠席したとでも思っているのか。
被害者意識旺盛と言うか不合理思考と言うか、とにかく私の理解できる範疇の斜め下を地で行っているとしか思えない。
それはある意味では評価を上げる要因にならなくもないが、この場合はついさっき見直した評価を下方修正することにしか繋がらない。
とは言え。
私はそんな女をわざわざ救いに来たのだ。
これ以上邪険にされ、救う機会を失ってしまっては元も子もない。処罰のされ損だ。
さて、この剣呑な目付きで睨み付け、矮小なうなり声で私を威嚇するさながら獣の様な被害者意識の塊である女に、私は何と声を掛ければ正解なのだろうか。
どんな優しい言葉で丸め込めば、ヴェルチは私に好意を抱くだろうか。
どうすればこの場を丸く収めることができ、ヴェルチにこれ以上迷惑をかけられずに済むようになるだろうか。
まあ、一先ず。
「言い方が悪かったわ。ミルテは私にとってただ一人の家族なの。同時に大切なパートナーでもある。だから、過剰になってしまったの。……それに、あなたも少ししつこかったと思うし」
正直に、なるべく感情を出さないように、歯に衣を二枚くらい着せて、本心を伝えた。
しかし悪いのは私だけではないと、つけ足すことは忘れない。調子に乗られても困るからだ。
自分で言うのもなんだけれど、私にしては随分と妥協しヴェルチに阿った言葉だった。
媚びるつもりも諂うつもりも毛頭ないが、見下した言葉を使ってしまっては暗礁に乗り上げることは目に見えているし、こんなちっぽけなことで躓いている暇は私にはない。
第一声は謝るべきなのだ。
こちらから下手に出ていると、歩み寄る気持ちが私にはあると、そう思わせることが大事なのである。
「カレン、その言葉ってさ、あなたの本心じゃないでしょ。さっき講堂で私に、同期の仲間達に向けて言った、私達を罵った言葉があなたの本心で、今言ったのは私を安心させて丸め込む為の言葉でしょ。本当は、こんな無駄な時間とっとと終わらせて講義を受けたいって、そう思ってるんでしょ。本当は私達を仲直りしたいなんて、これっぽっちも思ってないんでしょ。私、分かるよ。教官から教わる戦いに関する知識も技術も正しく理解できてないけど、それでも私、解るよ。あなたが私を受け入れるつもりなんかないんだって。私達と仲間になるつもりなんかないんだって。私達に背中を任せて命を預けあうような信頼関係を築くつもりなんて、これっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぽっちもないんだって。ねえ、そうでしょ? カレン?」
予想外の返答。
いや、むしろ予定調和ってところか?
私の言葉なんて、『どの口が言う』くらいのものでしかなかったのだろうな。
こうして看破されたのがいっそ清々しいくらい。
私を睨むヴェルチは少し笑っているようで、ついさっきの剣呑な鋭さは少し和らいでいるようにも見える。けれど、その実さっきよりも尖った彼女の口調は、事が好転していないことを示していた。
牙を剥き、威嚇から臨戦態勢に、狩りの体勢に入った獣の様だ。
つまりは私は事も無げに失敗したということ。当たり前のように上手くいかなかったということ。
養成所の座学や訓練では優等生の私は、人付き合いでは昔と何一つ変わらず劣等生で敗者だということ。
ミルテと旅をした道中の、あの女と一緒にいた時間を何一つ活かせていないということ。
少しも変われていないということ。
あの日からずっと。何一つ。
両親を失ったあの瞬間から、ミルテしか頼れない、ミルテ以外の誰も信用できない、頼ることも寄り添うことも、背中を任せ命を預けることも、何一つできない、そういう人間だということ。
このうんざりするくらいしつこい女ーーヴェルチが吐いた私への罵詈雑言ーー叱咤激励の言葉通りの、何一つ上手くいかなかった人間だということ。
そして私は、それもちゃんと解っているってこと。
それでも、ミルテ以外の誰かを信用することが、私には出来ないということ。
だからこれは予定調和なのだ。
ただ、それだけのこと。だということ。
「ねえカレン。私、頭が悪いと思うのね。それは、ここで学んでいることを修得できていないとか、そういうことももちろん含めてなんだけど、そうじゃないの。そういうことが言いたいんじゃないのよ」
ヴェルチが両肘をテーブルについて、何かに祈る様に両手を組むと、額を拳に合わせまた顔を俯かせる。
何か私に言っておきたいことがあるんだろう。
その口調に普段の軽々な雰囲気は無く、口振りも重みを帯びていた。
「私は、どうしてあなたがそんなに一人に、独りでいることに固執するのか解らないの。他者を疎む気持ちは、それ自体は分からなくもない。それは他者を羨む気持ちと表と裏で繋がっているものだから。表裏一体だとは言わないけど、密接な関係だとは思う。だから、他人を寄せ付けたくない、他人を見たくない、目を逸らしたい、自分に無いもの、足りないものを羨みたくないって気持ちは、私にも解るの」
無い物ねだりは、自分でそうだと解っていると、ただそれだけで辛くなるよね。そうヴェルチは続ける。
「自分が矮小で、惨めなんじゃないか、って。酷く惨めで、他人を羨む自分の心の醜さが一番疎ましいのに。って、そう思っちゃうよね」
まるで私の全てを理解しているような口振り。
それもまた、疎ましい。
「……私にはミルテがいる。ミルテが居てくれる。ミルテが付いていてくれるから大丈夫なんだ。だから、ミルテは私の全てなんだ。たった一人の家族。たった一つの大切なもの。ミルテがいてくれたら私はそれで良いんだ。仲間なんて要らない。背中を任せられる存在なんて求めてない。端から要らないんだよ。命を預ける相手は、ミルテだけで良いんだ。ミルテさえ居てくれたらそれで良いんだ。だからーー」
「それは、ミルテくんが言ったことなの?」
ズキン。と胸の奥を太い何かで押し突き刺されたような鈍い痛みが走った。
そんな錯覚を本当に強く感じる。
私は答えない。
私はその問いに答えない。
「カレン、あなたは一人だよ。本当に独りぼっち。私には解るよ。ミルテくんのことを大切だと言うけど。ミルテは私の全てだと言うけど。ミルテくんにとって、貴女は全てじゃない。それを貴女は本当は解ってる」
ズキン。ズキン。ズキン。ズキン。
胸の奥が痛い。
「カレンも解ってるよね? 気付いてるよね? ここに入った時に、ここでのミルテくんの評価を耳にした時に、ちゃんと解ったよね?」
痛い、痛い、痛い、痛い。
「カレン、あなたは枷だよ。枷。ね? そうでしょ? あなたもそう思うでしょ?」
痛い。
痛い。
止めて。
お願い。本当に痛いの。
本当にこの痛みは耐えられないの。
お願い。私が壊れてしまう。
両親が死んでしまった過去の苦しみよりも。
ミルテを失ってしまうかもしれないという未来が、私には壊れてしまいそうなほど苦しいの。堪えられないの。
本当に、痛いの。
だから、その先は言わないで。
「カレン。ミルテくんは、あなたが居なくても、一人で立派に生きていけるんだよ。一人で生きていけないのは、本当に一人で居られないのは、カレンのほう。あなたは、ミルテくんの足枷になってるんだよ。それ、あなたはちゃんと解ってる? ねぇ、カレ」解ってるわよ!!!!」
私を下から睨め付けていたヴェルチの肩がビクンッと跳ねた。
私のあげた怒号に顔が引き攣っている。
「アンタに何が解るのよ……私とミルテのことを何も知らないアンタみたいな無能のクズに、私とミルテの何が解るって言うのよ……。アンタなんかに……」
肩が荒々しく上下する。
ふぅふぅと、必死に呼吸を落ち着ける。深く息を吸い込んで、ゆっくりと大きく吐き出す。
落ち着け。落ち着け私。
コイツの言うことなんて、私とミルテのことを何も知らない他人の言う戯言だ。私達姉弟の苦しみも、信頼も、何もかも知らない奴の宣う雑音にすぎないんだ。
こんな、私が揺さぶられるようなことじゃないんだ……!
なのに、何でまだこんなに胸が痛いのよ……!
ズキズキズキズキズキズキズキズキと、胸の奥がさっきよりも激しく痛い。貫かれるような苦しい痛み。
痛いよぉ……ミルテ……。
「カレン……な、泣いてるの?」
「……泣いて、なんか……なぃ……!」
「泣いてるじゃない……。あの、その、ご、ごめんなさい。私、言い過ぎたかも」
「……っぅ、ぅ、うるさい! 泣いてなんが、いない……! っふぐぅ……ひっ……ぐぅぅ……!」
乱暴に袖口で目を擦った。
ほら、涙なんか、流れていない。
コイツの言っていることは、見間違いだ。ヴェルチは嘘を吐いている。
「あ、あの、ね、カレン? 一旦、椅子座ろ?」
私の背中に手が添えられた感触。
「ざわるなっ!」
「良いから! 座って!」
手を払い除けようと身を捩ると、両肩を押さえられ無理矢理座らされた。
「ざわるなよぉ!」
「ちょっと落ち着きなってば! 顔見せて! ……目、真っ赤じゃない」
「見るなぁ!」
身を捩り、テーブルに突っ伏する。
両手で耳を塞ぎ、何もかもを遮断する。
小さい頃、毎晩悪夢に魘されていた私が癖でしていたポーズ。悪夢を見なくなってからは、すっかり忘れていたのに。
「…………! …………!」
ヴェルチが耳元で何か喚いていることだけが分かる。
聞きたくない。もうこの女と話すことなんて何も無い。コイツの言葉なんか聞きたくない。
追ってくるんじゃなかった。助けてやろうなんて思うんじゃなかった。落ちこぼれは落ちこぼれらしく退去されれば良かったんだ。
「……! ………………!! ーーーー!!!!」
うるさいうるさい煩い五月蠅い!!
「…………」
「…………」
何も聞こえなくなった。
ヴェルチが近くに居るのは気配で分かる。
クソ! 何処かへ行ってしまえば良いのに。
違う。私が離れたら良いんだ。
自室に戻ろう。体調が悪かったと教官に言っておけば、お咎めも少しで済む。そうだ。もうこんな所に居たくない。こんな奴と居たくない! こいつがこの先どうなろうが知ったことか。もう私には何も関係ない。二度とコイツと関わるのなんか御免だ。もう二度と!
私は両耳を塞いだまま立ち上がると勢いよく振り返り駆け出す。
が、走り出したと同時に、正面から両肩を掴まれ押し止められてしまった。
「誰よ! ……え……あ…………あ、あれ? ……何でぇ? 何で此処に……?」
そこにはミルテが立っていた。
「姉さん。その耳を塞ぐ癖、治ってないんだね。また、独りで泣いてたのかい?」
(To be continued)
食堂には私とヴェルチの二人だけだ。
そんなの当然だ。とっくに座学は始まっている(本日の講義は、人体の急所を丸暗記するという私が欲している医療知識に通じる知識である。それに、我が身を守る上で非常に重要なものだ。勿論、対人間戦でも重要な知識となる)。
だと言うのに、私はこんな所で、こんな女と一体何をしているのだろう。
講堂でのヴェルチとの口論の後(お互い一方的な物言いだったから、実質的には口論でないが)、私に突き刺さる周囲の熱い眼差しに堪えきれなくなり、逃げ出す様にヴェルチの後を追って講堂を離れた。
ヴェルチの連れ合いであるサッシャが言っていた『私もあいつも、それに他の皆も、心に何かを抱いてると思うんだ。』という言葉。
その、抱いている『何か』が、養成兵である彼女達の心に熱い炎を灯したのだと思う。
私に向けられた熱い眼差しは、正しく言い換えれば私に対する『敵意』に他ならなかった。
まあ、私がミルテを守るために発した言葉には、幾許かの雑言が含まれていたし、多少の恨みを買ってしまったのは仕方ない。
針の蓆の中で座学を受けても一向に構わなかったのだけれど、居心地の悪い状況で学んだところで、私にも、周囲にも、果ては教官にさえ悪影響を及ぼすのでは、と私は考え、今回は自ら身を引こうという結論に至った。
ただ、そんな私や彼女らの関係性などは、私にとっては些事だった。
問題は、もっと即物的なことである。
座学を欠席、それも、理由もなく講義前に講堂を抜け出し、こんな場所で時間を無為に費やしていることだ。要は座学をサボってしまったことだ。
養成兵が座学ーー学びの時間をサボろうものなら、後でどんな仕置きを、もとい、どんな処罰を受けるか分からない。
怪我をしたり病気になって休むのならまだいい(叱咤されるが)。サボりは良くない。何故ならサボりには軽いも重いもない。『サボった』という事実がそこにあるだけだからだ。
私達二人は間違いなく厳罰を受けることになる。
最悪、養成所から追い出されることになるかもしれない。
まあ、しかし。
自慢になってしまうが、私はきっと追い出されることはないだろう。
同期の中でも群を抜いて秀でた知識と技能を身に付けている。そして自身の力量に溺れることなく、これまで常に本領を発揮してきたからだ。
それは私に敵意を向けてきた、同期の彼女らも一様の見解だろうと思う。
事実は、真実は決して覆ることはないのだから。
だが、この女。ヴェルチはどうだろうか。
自身でも口にしていたじゃないか。
『教わった事が解らない。出来ない』と。
個人的な、恣意的な悪意なく、真実のみを口にすれば、ヴェルチは劣等生だ。つまり落ちこぼれである。
なのに、いつも誰かと楽しそうに笑っている。
何時でも、何処でも。
私にそうして来たように、同期の連中にも所構わず絡み、その度に和やかな、言い換えると間抜けな笑い声が私の耳に響いて来ていた。
そんな、自身の不得手を棚上げし、へらへらと他人に媚びるような女が、教官から恩赦を受けられるとは思えない。
本当に追い出される可能性がある。
実に落ちこぼれらしい末路である。
とは言え。
今回にだけ関して言えば。
今回の一連の流れでヴェルチが強制退去となってしまっては、気持ちが悪い。
私に非は無かったと思っているが、ヴェルチの口論の相手が私であったことは事実だ。
覆しようのない真実である。
最悪この女は私との口論の末、養成所を去ることになる訳だ。
これは良くない。
私を邪魔する人間が居なくなるのは実に喜ばしいことだけれど、私にも責任の一端があると思われては甚だ迷惑だ。
だから、私はこうしてヴェルチの後を追いかけてここまで来たのだった。
私がヴェルチとの問題を解決し、私から教官への口添えがあれば、少なくとも強制退去だけは免れるだろう。
私と『同期の仲間』である彼女らとの信頼関係も、多少構築されることだろう。
「……カレン。どうして追いかけてきたの?」
食堂に並ぶ多くのテーブルからわざわざ選んだのだろう隅に設置されたテーブルにつき、腕組みして顔を伏せていたヴェルチから、くぐもった声が聞こえてくる。
私は応えない。
私は腰掛けずテーブルを挟んで真向かいに立って、彼女を見下ろしている。
こんな場所でこんな無為な時間を過ごすこの女を、私は心底見下していた。
「……ねえ、カレンってば」
ヴェルチが伏せていた顔を上げ、私を睨む。拗ねているのだとすれば、全く、堪え性のない女だと呆れてしまうほどの呆気なさだ。
だから私は応えない。
「ねえ、私に何か言うことがあって来たんでしょ? 言ってよ。何か言いたいことがあって来たんでしょ? じゃないとあんたが講義を放ってまで私の所に来るはずがない。私みたいな、取り柄のない人間の所に」
なんだ。この女、存外自身が他人からどう評価されているのか理解しているじゃないか。
落ちこぼれとは、自身を客観的に見れないものが多い。
だからこそ落ちこぼれと評価される。判定される。
そうじゃなかっただけ、ヴェルチはマシな部類かもしれないと私は評価をほんの僅かだけ見直す。
「ねえってば。何か無いの? それとも私のこと追いかけてまで馬鹿にしに来たの?」
何を言い出すかと思えば。
やはり落ちこぼれは落ちこぼれ。劣る人格か。
わざわざ他人を罵倒する為に重要な講義を処罰覚悟で欠席したとでも思っているのか。
被害者意識旺盛と言うか不合理思考と言うか、とにかく私の理解できる範疇の斜め下を地で行っているとしか思えない。
それはある意味では評価を上げる要因にならなくもないが、この場合はついさっき見直した評価を下方修正することにしか繋がらない。
とは言え。
私はそんな女をわざわざ救いに来たのだ。
これ以上邪険にされ、救う機会を失ってしまっては元も子もない。処罰のされ損だ。
さて、この剣呑な目付きで睨み付け、矮小なうなり声で私を威嚇するさながら獣の様な被害者意識の塊である女に、私は何と声を掛ければ正解なのだろうか。
どんな優しい言葉で丸め込めば、ヴェルチは私に好意を抱くだろうか。
どうすればこの場を丸く収めることができ、ヴェルチにこれ以上迷惑をかけられずに済むようになるだろうか。
まあ、一先ず。
「言い方が悪かったわ。ミルテは私にとってただ一人の家族なの。同時に大切なパートナーでもある。だから、過剰になってしまったの。……それに、あなたも少ししつこかったと思うし」
正直に、なるべく感情を出さないように、歯に衣を二枚くらい着せて、本心を伝えた。
しかし悪いのは私だけではないと、つけ足すことは忘れない。調子に乗られても困るからだ。
自分で言うのもなんだけれど、私にしては随分と妥協しヴェルチに阿った言葉だった。
媚びるつもりも諂うつもりも毛頭ないが、見下した言葉を使ってしまっては暗礁に乗り上げることは目に見えているし、こんなちっぽけなことで躓いている暇は私にはない。
第一声は謝るべきなのだ。
こちらから下手に出ていると、歩み寄る気持ちが私にはあると、そう思わせることが大事なのである。
「カレン、その言葉ってさ、あなたの本心じゃないでしょ。さっき講堂で私に、同期の仲間達に向けて言った、私達を罵った言葉があなたの本心で、今言ったのは私を安心させて丸め込む為の言葉でしょ。本当は、こんな無駄な時間とっとと終わらせて講義を受けたいって、そう思ってるんでしょ。本当は私達を仲直りしたいなんて、これっぽっちも思ってないんでしょ。私、分かるよ。教官から教わる戦いに関する知識も技術も正しく理解できてないけど、それでも私、解るよ。あなたが私を受け入れるつもりなんかないんだって。私達と仲間になるつもりなんかないんだって。私達に背中を任せて命を預けあうような信頼関係を築くつもりなんて、これっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっぽっちもないんだって。ねえ、そうでしょ? カレン?」
予想外の返答。
いや、むしろ予定調和ってところか?
私の言葉なんて、『どの口が言う』くらいのものでしかなかったのだろうな。
こうして看破されたのがいっそ清々しいくらい。
私を睨むヴェルチは少し笑っているようで、ついさっきの剣呑な鋭さは少し和らいでいるようにも見える。けれど、その実さっきよりも尖った彼女の口調は、事が好転していないことを示していた。
牙を剥き、威嚇から臨戦態勢に、狩りの体勢に入った獣の様だ。
つまりは私は事も無げに失敗したということ。当たり前のように上手くいかなかったということ。
養成所の座学や訓練では優等生の私は、人付き合いでは昔と何一つ変わらず劣等生で敗者だということ。
ミルテと旅をした道中の、あの女と一緒にいた時間を何一つ活かせていないということ。
少しも変われていないということ。
あの日からずっと。何一つ。
両親を失ったあの瞬間から、ミルテしか頼れない、ミルテ以外の誰も信用できない、頼ることも寄り添うことも、背中を任せ命を預けることも、何一つできない、そういう人間だということ。
このうんざりするくらいしつこい女ーーヴェルチが吐いた私への罵詈雑言ーー叱咤激励の言葉通りの、何一つ上手くいかなかった人間だということ。
そして私は、それもちゃんと解っているってこと。
それでも、ミルテ以外の誰かを信用することが、私には出来ないということ。
だからこれは予定調和なのだ。
ただ、それだけのこと。だということ。
「ねえカレン。私、頭が悪いと思うのね。それは、ここで学んでいることを修得できていないとか、そういうことももちろん含めてなんだけど、そうじゃないの。そういうことが言いたいんじゃないのよ」
ヴェルチが両肘をテーブルについて、何かに祈る様に両手を組むと、額を拳に合わせまた顔を俯かせる。
何か私に言っておきたいことがあるんだろう。
その口調に普段の軽々な雰囲気は無く、口振りも重みを帯びていた。
「私は、どうしてあなたがそんなに一人に、独りでいることに固執するのか解らないの。他者を疎む気持ちは、それ自体は分からなくもない。それは他者を羨む気持ちと表と裏で繋がっているものだから。表裏一体だとは言わないけど、密接な関係だとは思う。だから、他人を寄せ付けたくない、他人を見たくない、目を逸らしたい、自分に無いもの、足りないものを羨みたくないって気持ちは、私にも解るの」
無い物ねだりは、自分でそうだと解っていると、ただそれだけで辛くなるよね。そうヴェルチは続ける。
「自分が矮小で、惨めなんじゃないか、って。酷く惨めで、他人を羨む自分の心の醜さが一番疎ましいのに。って、そう思っちゃうよね」
まるで私の全てを理解しているような口振り。
それもまた、疎ましい。
「……私にはミルテがいる。ミルテが居てくれる。ミルテが付いていてくれるから大丈夫なんだ。だから、ミルテは私の全てなんだ。たった一人の家族。たった一つの大切なもの。ミルテがいてくれたら私はそれで良いんだ。仲間なんて要らない。背中を任せられる存在なんて求めてない。端から要らないんだよ。命を預ける相手は、ミルテだけで良いんだ。ミルテさえ居てくれたらそれで良いんだ。だからーー」
「それは、ミルテくんが言ったことなの?」
ズキン。と胸の奥を太い何かで押し突き刺されたような鈍い痛みが走った。
そんな錯覚を本当に強く感じる。
私は答えない。
私はその問いに答えない。
「カレン、あなたは一人だよ。本当に独りぼっち。私には解るよ。ミルテくんのことを大切だと言うけど。ミルテは私の全てだと言うけど。ミルテくんにとって、貴女は全てじゃない。それを貴女は本当は解ってる」
ズキン。ズキン。ズキン。ズキン。
胸の奥が痛い。
「カレンも解ってるよね? 気付いてるよね? ここに入った時に、ここでのミルテくんの評価を耳にした時に、ちゃんと解ったよね?」
痛い、痛い、痛い、痛い。
「カレン、あなたは枷だよ。枷。ね? そうでしょ? あなたもそう思うでしょ?」
痛い。
痛い。
止めて。
お願い。本当に痛いの。
本当にこの痛みは耐えられないの。
お願い。私が壊れてしまう。
両親が死んでしまった過去の苦しみよりも。
ミルテを失ってしまうかもしれないという未来が、私には壊れてしまいそうなほど苦しいの。堪えられないの。
本当に、痛いの。
だから、その先は言わないで。
「カレン。ミルテくんは、あなたが居なくても、一人で立派に生きていけるんだよ。一人で生きていけないのは、本当に一人で居られないのは、カレンのほう。あなたは、ミルテくんの足枷になってるんだよ。それ、あなたはちゃんと解ってる? ねぇ、カレ」解ってるわよ!!!!」
私を下から睨め付けていたヴェルチの肩がビクンッと跳ねた。
私のあげた怒号に顔が引き攣っている。
「アンタに何が解るのよ……私とミルテのことを何も知らないアンタみたいな無能のクズに、私とミルテの何が解るって言うのよ……。アンタなんかに……」
肩が荒々しく上下する。
ふぅふぅと、必死に呼吸を落ち着ける。深く息を吸い込んで、ゆっくりと大きく吐き出す。
落ち着け。落ち着け私。
コイツの言うことなんて、私とミルテのことを何も知らない他人の言う戯言だ。私達姉弟の苦しみも、信頼も、何もかも知らない奴の宣う雑音にすぎないんだ。
こんな、私が揺さぶられるようなことじゃないんだ……!
なのに、何でまだこんなに胸が痛いのよ……!
ズキズキズキズキズキズキズキズキと、胸の奥がさっきよりも激しく痛い。貫かれるような苦しい痛み。
痛いよぉ……ミルテ……。
「カレン……な、泣いてるの?」
「……泣いて、なんか……なぃ……!」
「泣いてるじゃない……。あの、その、ご、ごめんなさい。私、言い過ぎたかも」
「……っぅ、ぅ、うるさい! 泣いてなんが、いない……! っふぐぅ……ひっ……ぐぅぅ……!」
乱暴に袖口で目を擦った。
ほら、涙なんか、流れていない。
コイツの言っていることは、見間違いだ。ヴェルチは嘘を吐いている。
「あ、あの、ね、カレン? 一旦、椅子座ろ?」
私の背中に手が添えられた感触。
「ざわるなっ!」
「良いから! 座って!」
手を払い除けようと身を捩ると、両肩を押さえられ無理矢理座らされた。
「ざわるなよぉ!」
「ちょっと落ち着きなってば! 顔見せて! ……目、真っ赤じゃない」
「見るなぁ!」
身を捩り、テーブルに突っ伏する。
両手で耳を塞ぎ、何もかもを遮断する。
小さい頃、毎晩悪夢に魘されていた私が癖でしていたポーズ。悪夢を見なくなってからは、すっかり忘れていたのに。
「…………! …………!」
ヴェルチが耳元で何か喚いていることだけが分かる。
聞きたくない。もうこの女と話すことなんて何も無い。コイツの言葉なんか聞きたくない。
追ってくるんじゃなかった。助けてやろうなんて思うんじゃなかった。落ちこぼれは落ちこぼれらしく退去されれば良かったんだ。
「……! ………………!! ーーーー!!!!」
うるさいうるさい煩い五月蠅い!!
「…………」
「…………」
何も聞こえなくなった。
ヴェルチが近くに居るのは気配で分かる。
クソ! 何処かへ行ってしまえば良いのに。
違う。私が離れたら良いんだ。
自室に戻ろう。体調が悪かったと教官に言っておけば、お咎めも少しで済む。そうだ。もうこんな所に居たくない。こんな奴と居たくない! こいつがこの先どうなろうが知ったことか。もう私には何も関係ない。二度とコイツと関わるのなんか御免だ。もう二度と!
私は両耳を塞いだまま立ち上がると勢いよく振り返り駆け出す。
が、走り出したと同時に、正面から両肩を掴まれ押し止められてしまった。
「誰よ! ……え……あ…………あ、あれ? ……何でぇ? 何で此処に……?」
そこにはミルテが立っていた。
「姉さん。その耳を塞ぐ癖、治ってないんだね。また、独りで泣いてたのかい?」
(To be continued)
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