異世界の住人を見守るだけの簡単なお仕事です。

虫圭

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【ストレの憂鬱―其の五】

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 それは、まっさらなドレスだった。

 清廉潔白の象徴とも言うべき白色。
 その『白』を幾重にも積み、重ね、合わせたそれは、最早ドレスという言葉では貧相とも尠少せんしょうとも言えた。
 それはまるで大輪の花の様で、萼片がくへんと花弁を雄々しく、そして可憐に咲かせていた。

 私は寡聞にしてウエディングドレスという物の造りに疎いが、彼女が着ているそれは所謂『ベルライン』と呼ばれる形状に分類されるのではないだろうか。
 鐘型に似ていることからそう呼ばれるそのシルエットは本来であれば上部から中部に進む過程で広がり、中部から下部にかけてはストレートのラインを維持するのが常である。
 しかし、前述したようにそのドレスは花なのだ。
『花』そのものなのだ。
 足首に萼片を模した土台があり、萼片から花弁が悠然と拡がる様に足首から脛、脛から膝、膝から腿、腿から腰と、上に行くに連れて花弁は大きくなる様は、さながら薔薇だった。
 私はそのドレスのことを仮に白薔薇と呼ぶことにする。
 彼女はその白薔薇の中で白薔薇よりも白く咲いていた。
 妻になる女性をこのように表現すると、些か身内自慢のようで気恥ずかしいが、私には彼女をそう表現するしか、その様を形容する術を持たなかった。
 
 白薔薇の中央に咲く彼女は、まるでお伽噺に登場する悪戯好きな妖精族の姫君ようであり、そして神話に画かれる女神様のようでもあった。
 薄化粧。頬にうっすらと引かれた紅。柔らかそうなしっとりと湿った唇。凛とした瞳。
 甘い蜜で蝶を引き寄せるような。そんな、どこか蠱惑的な空気を漂わせていると同時に、畏れ多く手出しすること叶わない神秘さと荘厳さをその姿で語っていた。
 今世の詩人は、今日この日の彼女を白薔薇の妖精妃と吟うことだろう。

 今更ながら有り体に言って、彼女は美しかった。

「姫、とても、美しいと思います」
「あらそう? ストレに驚いてもらえるように自分でデザインしてみたのだけれど、気に入ってもらえたのならそれはそれで重畳」
 変わったドレスだとは思ったが、まさかご自分でデザイン為された物だったとは。
 相変わらず多才な人だ。
 それに、美しいと感じる前にその見事な造形と見栄えに驚いたのだから、まんまと彼女の思惑に嵌まったことになる。
 彼女の思い通りにことは進んだのだ。
 類い稀なる策士と呼んで語弊は無いだろう。
 少々、身内贔屓が過ぎると笑われてしまうかもしれないが。

 とある一室。私は姫の仕度が整うのを待ち、一人時間を潰していた。
 そしてこの後もう間もなく開かれる式と婚姻の儀を前に、姫のドレス姿に目を奪われ、私の心は高揚してしまう。
 部屋に置かれている木造の端整な丸椅子に腰掛け、思考に耽っていた私の心は大きく掻き乱されのだった。

「連日遅くまで彼の国の再建案を見直していたというのに、貴女は何時の間にそんな事までしていたのですか」
「その仕事と平行しながらよ。私は仕事も趣味も同時に行うのが好きなの。小難しい事を思案している時は、実に良い私事の案が生まれるわ。それをさらさらさらと紙に図案化して、いつも私の要望に合わせてドレスを作ってくれる職人に送ったのよ。私から再三やり直しを食らうと踏んで、試作品は図案を送った翌日に届いたわ。しつけ糸に縁取られた糸まみれの仮縫いドレスが。
 そしてお互いの思っていた通り、私から三度の作り直しの要求を送り、四度の試作品の往復の後にこのドレスは誕生したの。毎度の事だけれど、一張羅を作るのはくたびれるわ」

 実に可哀想な話である。
 いや、職人の本懐はそれなのだから、一着のドレスを満足のいく出来にまで辿り着かせたことは、職人にとっても甘心だったのかもしれない。

「ドレスのこともそうだけれど、あの国のことも簡単じゃなくて困るわ。いい加減、事を前進させたいのだけれど」
 白薔薇の妖精は、その咲き誇る大輪の中でその美に似つかわしくない溜め息を溢した。
「姫が溜め息とは。……頭痛の種は勇者の妻ですか?」
「そ。迷子の迷子の皇女様」
 姫は、彼の皇女ーーいや、『元皇女』か。ーーナターシャ・アインベル・ルーン・ブラムストカのことをそう呼ぶ。今は勇者の求婚に応じたため、姓が変わりナターシャ・アインベル・ジークフリートと呼ばれる女性のことを。
「迷子の皇女……ですか。人を支配する異能とは、正直、今でも信じ難い話ですね。それこそお伽噺のようです」
「それこそ? まあ、それについては未だ仮定の域を出ないしね。実際に会ってみないと何とも言えないわ」
 彼女は小さく首を傾げ私の瞳を覗く。
 私の中で補完された妖精の姫は、解っているのかいないのか、一瞬私から視線を外し何かを思い出すような瞳の動きをさせた後、私の瞳に焦点を戻した。
「仮にそうであれば、姫自らお会いになるのは危険なのでは? 姫が日常的に拾い抱えていらっしゃる様々な問題とは似て非なる問題かと思いますが」
「時間の問題よ。いずれ、何処かで合間見える立場だもの」

 私の皮肉をたっぷり込めた物言いなどまるで意に介さないと言わんばかりに、姫ははっきりと断言した。
 そして事実、姫の言う通りなのだった。
 遅かれ早かれ、姫は皇女と相対することになる。
 姫が拾ってくる日常的な問題は、中には時間が解決してくれるようなものもあるが(少し前の迷い犬の飼い主捜しなどがそれだ)、こればかりは時間に頼る訳にもいかない。
 むしろ時間に頼れば、酷いしっぺ返しを食うことになるのが明白な事案だった。

「ストレには内緒にしていたのだけれど。と言うか誰にも話していないのだけれど、実は三回ほど、私からのご挨拶として彼女に文を送ってみたの。結果、返事の文を持ち帰った使者は皆一様に彼女の魅力に取り付かれ、いえ、『魅了』されて帰って来たわ。一見では何もかも変化がない所が彼女の力の本当に恐ろしいところかもしれない。というのが率直な感想ね。三人には本当に悪いことをしてしまったわ。あくまでお手紙をやり取りして、彼女の性格の一端を知ろうと思っていただけなのに。まさかたった一度きりの、それも公に開示されない隙間を縫う様な文の受け渡しでさえ、彼女にとっては十分な機会になるだなんて。想定外も良いところだわ」
「…………」

 なんてことをしているのだこの人は。
『そうそう、そう言えばこの間こんなことがあったのよ』というような、まるで世間話をする様な軽い雰囲気で話し出したかと思えば、元とはいえ一国の皇女であり、現在唯一の存在である勇者の伴侶に極秘裏に手紙を送るなどと。
 知れる所に知れれば法的に処置されてしまいかねない大事ではないか。
 それも、結果的に三人もの国の力を奪われてしまっている。
 このような場で話されたからといって、軽く流されて良い案件ではない。

「姫様。こんな時・・・・に不穏な空気にするのは本意ではないのですが、お聞きしてもよろしいですか?」
 私はどっと肩に積まれた重たい空気を受け止め、姫の顔を正面から見る。
 姫はドレスなので容易に座ることさえ出来ず、私の前に佇んでいる。
 本来であれば特殊な造形のドレスを身に纏う姫のお世話をする為に居るべきお付きの侍女らは、姫が部屋に入る際に静かに去って行った。
 つまり、人払いがなされているのだった。
 そういうこと・・・・・・なのだ。

「ええ、勿論。今、必要だと思うのでしょう? ならそうするべきだわ。私ならそうするもの」
「では、失礼を承知で御尋ねします」
 私は硬くなった自分の顎に、さながら錆び付いた全舞を思いきり捩るような力を込めて懸命に動かす。
 自らの顎から骨を伝いギギギ、と音が響いてくるかのようだった。

「何故、そのような危険な事を、私を通さず、為されたのですか?」

 緊張ではなく、怒りで一句一句が堅く重くなる。

「話すべきではないと判断したからよ。私が独断で行い、責任を負うべきだと判断したから。だから、私独りで判断して、使者を見繕い、文を送ったわ。結果は最悪だったけれど」

 姫の言葉には、一切の迷いや憂いは無かった。
 姫は、自らの行いと結果に全責任を背負い、その失敗を私に報告したということだ。

「だからこそ、次は私が直接彼女と接触しようと思う・・・・・・・・・・・・・・・・・

「……それを、私が受け入れるとでも?」

「ええ。だからこうして話しているのよ? ストレ。貴方なら、解ってくれると確信しているから」

「私が、そんな危険を受け入れるとでも?」

「ええ。受け入れてくれる。ストレなら」

「そんな訳が」

 そう、そんな訳があるものか。
 そんな危険を犯させるものか。
 貴女は私の大事な女性ひとなのだ。
 そんな、死地に向かうような。
 死地へと、笑顔で送るような。
 そんなことが出来る訳あるか。

「そんな訳が……そんな訳があるか! 姫を、貴女一人を危険に晒すようなことが、この私に出来ると思っているのか!? 貴女はこの国になくてはならない人。民は貴女を慕い、機関は貴女を尊重し、王国は次期女王である貴女を護り、この王国に在るもの全てが王国に更なる繁栄と安寧をもたらす存在を冠する準備が出来ているというのに……! 貴女はその全てを投げ出すと言うのか! その勝算の無い戦いに身を投じると、そう言うのか!!」

 言葉を叩きつける。
 こんな事、一度も無かった。これまで一度も。
 彼女に対し、こんな言葉を使うのさえ初めてだった。
 それほど、私は怒りに満ちていた。
 憤らずにはいられなかった。

 何故、私を連れ立ってくれないのか。

 本当はただ、それだけが、悔しくて、腹立たしくて、悲しくて。
 辛かったのだ。

「ストレ」

 声を荒げ肩で息をする私に反して、姫はゆっくりと言葉を紡いだ。
 そう、聞き分けのない子供を諭すように。

「その役目を担うのは、貴方でも出来るわ」
「そんな!」
「でも、この役目は私にしか出来ないの」
「そ……そんな」
 姫の強い意志を湛えた眼差しが私に瞳に向けられる。
「貴方は私の伴侶となる男。私の傍らに立てる、唯一の存在。貴方なら、万一の時にこの国を正しく導いてくれるでしょう。貴方が道を踏み外すようなことがあれば、その時は機関だって黙ってはいないわ。……だから、この国は大丈夫なの。
 でもね。彼女の事は、今は、私にしか担えないのよ。
 彼女との、たった三度だけの文通。その中で解ったのは、彼女は興味が無いものには一切の容赦が無いということ。
 そして、興味を懐いている存在だけには、身の内に秘める近付くだけでむせ返り触れればたちまち身を焦がされるような熱量と、嫉妬と憎悪に狂ったような愛情を以て接するということ。
 そして、その狂喜を無意識に抑え、それでも抑えきれず洩れ出す感情に、彼女が無自覚だということ。
 彼女、ナターシャは、愛に飢えている。
 その異能ゆえに、一度だって、たったの一度だって満たされる愛を感じたことが無いのよ。
 きっと、彼女自身に何かを成したいという目的は無いわ。
 ただ満たされない心を凌いでいるだけなのですもの。
 そして彼女は今、私に興味を持っている。
 その熱が、執着が色褪せてしまう前に、私は彼女の心を満たしてあげなくちゃいけない。
 それが私が彼女にしてあげられること。
 そしてそれが、私がこの国を統治する者として、最初に成すべき事だわ」

 言い終え、じっと私の瞳を覗く姫様の瞳に、ハッと我に返る。
 私は、彼女の熱意を帯びた言葉を浴び、ただ呆然と彼女の顔を見つめてしまっていた。
 そしてそのほんの数秒が、私には数刻分にも感じられた。
 じぃっと、ずぅっと、私の瞳を、私の心を彼女に覗かれていたような気分だ。
 彼女の頬にうっすらと引かれた紅が、私を観察する彼女にまるで似つかわしくなくて、別の生き物を目の前にしているような錯覚すら覚える。
 きっと、彼女が感じた元皇女と、私の眼前にいる麗しい姫君は似ているのだろう。
 似て非なる存在でありながら、異曲同工の手練れに相違ないのだ。

 毎日接している姫とはまるで別人のような視線を向けてくる彼女に、私は複雑な感情を抱いていた。
 今、彼女の心はその殆どが元皇女へと向かっている。
 これから婚姻の儀を迎える私を差し置いて、だ。
 ある意味では浮気も甚だしいと言えるだろう。
 彼女は既に、心此処に在らずなのだ。
 どんな美しさを漂わせていても、どんな優れた造形のドレスを身に纏っていても、あらゆる喝采や祝福をその身に受けても、今、彼女の心は此処には無く、彼女の心を揺るがす者は此処には居ないのだ。

 私はすっと瞼を閉じ思考する。

 姫様は何時だって正しい。
 私が彼女の思考や、嗜好や、行為や、好意に、疑問を抱かないことが無いと言えば嘘になる。
 が、結果として彼女はこの国を正しく導いてきた。
 それは、王位を冠していないこれまでの成果がそれを実証している。
 彼女を慕う王国民らが証人だ。
 彼女を尊重する機関が証明だ。
 彼女を守護する王国が証拠だ。
 そう、思わせ信頼に価する繁栄と安寧を彼女は既に王国に齎してきたのだ。
 誰が彼女の好意を蔑むだろう。
 誰が彼女の行為を疑うだろう。
 誰が彼女の嗜好を蔑むだろう。
 誰が彼女の思考を疑うだろう。
 誰が彼女の覇道を阻むだろう。
 
 私だって同じだ。
 彼女に最も近い身として彼女に疑問を抱くことも私の役目だ。
 だが、それ以上に彼女を信頼し、支えるのが私の役目なのだ。

 ついさっきまでの怒りはもう無い。
 我ながら安易な部下だと思う。
 ついさっきまでの腹立たしさはもう無い。
 我ながら軽率な発言だったと思う。
 ついさっきまでの悲しみはもう無い。
 我ながら現金な男だと思う。
 ついさっきまでの辛さはもう無い。
 彼女の為に、私が為すべき事を成そうと思う。

 ゆっくりと、瞼を開く。
 姫は変わらず私を見つめていた。
 しかしその顔は、何かを達成した者のそれであり、いつも以上に美しく、そして今日見た表情で最も可愛らしかった。
「ほら。ストレは受け入れてくれた。私ってば、ストレのことは何でも解るのよ?」
 姫の頬は緩んでいる。ニヤニヤという表現がしっくりくる顔だ。
「もしや、姫にも、人心を操る能力が在るのですか?」
 私はニヤニヤと満足そうな笑みを浮かべる姫にそう尋ねる。
「あるわよ」
 一言、そう言って、姫は一層笑みを湛える。

「操れるのは、ストレだけだけどね」

 ひひひっ。
 と、はにかんだ姫様は、まるで悪戯好きの妖精の様だった。


(To be continued)
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