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【お絹という女―其ノ肆】
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彫吉の馬鹿野郎を追ん出してから暫くして、一人の男があたしの家を訪れた。
こつこつこつ、と戸を叩く音に、あたしは「あーい。空いてるよ。良いから入っとくんない」と返事をした。
戸を開けたのは総白髪の穏やかな目をした爺。
好好爺という言葉がよく似合う、品の良い爺だった。
よく研かれた艶のある杖を両手で突き、紋付きの半纏を肩にかけどっしりと構え、敷居を跨がず戸の前から家の中をぐるりと一眺めしてから、あたしをまっつぐ見詰めてきた。
おいおい、何だい何だいこの爺は。
うちに何か用だってのかい?
何処の誰だか知らねぇが、うちには紋付きの羽織を背負って歩くような御偉方に知り合いなんていねぇよ?
おとっつぁんおっかさんの知り合いかと二人の顔を見ると、二人も困ったような表情で顔を見合せている。どうやら知らない人のようだね。
はてさて、一体誰なんだいこの爺は。
あたしは上り框までそろそろとやって来ると、あたしをまっつぐ見詰めて目を逸らさない爺を訝しむ。
「じいさん、あんた一体どちらさんだい。見たところ立派な家の御隠居さんのようだが、うちにはそんな立派な家との親類付き合いはないよ。訪ねる家を間違えたんじゃないかい?」
あたしが何時もの調子で爺に話し掛けると、爺はずいっ、と一方歩を進め、敷居を跨いだ。
「嬢さん、儂は浜野矩随という。彫り師をしておる。この名に聞き覚えはあるか?」
あん? 何だって? 浜野矩随?、浜野っていやぁ、あの馬鹿野郎の名じゃねぇか。それに何だって? のりゆき? ん? のり……。
「!? お、おま! お前! あ、いや、こりゃ失礼。じいさんが、あ、じゃない。おじいさんが、おじさんか? いやどっちでも良いや。とにかく、あんたさんが、彫吉のお師匠さん、名人、浜野矩随だってんですかい!?」
あたしは慌てふためいてどすんと床板に尻餅を突いた。慌て過ぎて途中何言ってんだか訳分かんなくなっちまったよ。
「左様。儂が彫吉の師をしておる。確かに名人と、そう呼ぶ者もおるがな。この歳まで彫金しかやりたいことが見つからんかった、ただの老いぼれじゃ。皆が騒ぐような大したもんではないわい。じゃからそう畏まらんで良い。普通にせい。慣れておらんのじゃろ? 言葉が成っておらんわ」
爺、いや、じいさんは怒る風もなくあたしを宥めそう言うと、框に腰掛けた。
「お、おう。そりゃありがてぇ。助かったよじいさん。ご覧の通り、出来の悪ぃ奴なんだあたしは。どうか勘弁しとくれ。それよりもそんな所に腰掛けてねぇで上がっとくんな。汚ねぇし何も構えねぇが框よりは良いだろうよ。ささ、上がっとくんない」
じいさんを奥に通すと、あたしはとりあえず白湯を入れ、じいさんの前に湯飲みを差し出す。じいさんが何も言わないので、囲炉裏を挟んでじいさんの向かいにあたしも座った。
初めは何事かと様子を見ていたおとっつぁんとおっかさんも、あたしを挟んで囲炉裏の横に腰を下ろした。
「で、お師匠さんが、あたしに何の用だってんだい。ご覧の通り彫吉ならもう疾っくにあたしが追んだして帰しちまったぜ? まさか弟子の恨み言を言いに来たってんでもないんでしょう。どうなすったんです?」
じいさんは湯飲みを掴むと口に運び、ずずず、と白湯をゆっくり啜る。
「まあまあ嬢さん、そう急かすな。こちらさんに上がらせてもらった訳は今からちゃあんと話す」
何だいいやに勿体ぶるじゃねぇかい。
お国一番の彫りの名人が、一体何の用だってんだろうね。
(次話へ続く)
こつこつこつ、と戸を叩く音に、あたしは「あーい。空いてるよ。良いから入っとくんない」と返事をした。
戸を開けたのは総白髪の穏やかな目をした爺。
好好爺という言葉がよく似合う、品の良い爺だった。
よく研かれた艶のある杖を両手で突き、紋付きの半纏を肩にかけどっしりと構え、敷居を跨がず戸の前から家の中をぐるりと一眺めしてから、あたしをまっつぐ見詰めてきた。
おいおい、何だい何だいこの爺は。
うちに何か用だってのかい?
何処の誰だか知らねぇが、うちには紋付きの羽織を背負って歩くような御偉方に知り合いなんていねぇよ?
おとっつぁんおっかさんの知り合いかと二人の顔を見ると、二人も困ったような表情で顔を見合せている。どうやら知らない人のようだね。
はてさて、一体誰なんだいこの爺は。
あたしは上り框までそろそろとやって来ると、あたしをまっつぐ見詰めて目を逸らさない爺を訝しむ。
「じいさん、あんた一体どちらさんだい。見たところ立派な家の御隠居さんのようだが、うちにはそんな立派な家との親類付き合いはないよ。訪ねる家を間違えたんじゃないかい?」
あたしが何時もの調子で爺に話し掛けると、爺はずいっ、と一方歩を進め、敷居を跨いだ。
「嬢さん、儂は浜野矩随という。彫り師をしておる。この名に聞き覚えはあるか?」
あん? 何だって? 浜野矩随?、浜野っていやぁ、あの馬鹿野郎の名じゃねぇか。それに何だって? のりゆき? ん? のり……。
「!? お、おま! お前! あ、いや、こりゃ失礼。じいさんが、あ、じゃない。おじいさんが、おじさんか? いやどっちでも良いや。とにかく、あんたさんが、彫吉のお師匠さん、名人、浜野矩随だってんですかい!?」
あたしは慌てふためいてどすんと床板に尻餅を突いた。慌て過ぎて途中何言ってんだか訳分かんなくなっちまったよ。
「左様。儂が彫吉の師をしておる。確かに名人と、そう呼ぶ者もおるがな。この歳まで彫金しかやりたいことが見つからんかった、ただの老いぼれじゃ。皆が騒ぐような大したもんではないわい。じゃからそう畏まらんで良い。普通にせい。慣れておらんのじゃろ? 言葉が成っておらんわ」
爺、いや、じいさんは怒る風もなくあたしを宥めそう言うと、框に腰掛けた。
「お、おう。そりゃありがてぇ。助かったよじいさん。ご覧の通り、出来の悪ぃ奴なんだあたしは。どうか勘弁しとくれ。それよりもそんな所に腰掛けてねぇで上がっとくんな。汚ねぇし何も構えねぇが框よりは良いだろうよ。ささ、上がっとくんない」
じいさんを奥に通すと、あたしはとりあえず白湯を入れ、じいさんの前に湯飲みを差し出す。じいさんが何も言わないので、囲炉裏を挟んでじいさんの向かいにあたしも座った。
初めは何事かと様子を見ていたおとっつぁんとおっかさんも、あたしを挟んで囲炉裏の横に腰を下ろした。
「で、お師匠さんが、あたしに何の用だってんだい。ご覧の通り彫吉ならもう疾っくにあたしが追んだして帰しちまったぜ? まさか弟子の恨み言を言いに来たってんでもないんでしょう。どうなすったんです?」
じいさんは湯飲みを掴むと口に運び、ずずず、と白湯をゆっくり啜る。
「まあまあ嬢さん、そう急かすな。こちらさんに上がらせてもらった訳は今からちゃあんと話す」
何だいいやに勿体ぶるじゃねぇかい。
お国一番の彫りの名人が、一体何の用だってんだろうね。
(次話へ続く)
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