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【亡国のナターシャ―其の四】
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「ナターシャ。今度は私は、教国の特使としてアヴァロンへと赴き、彼の国の姫君との会談を設け故ブラムストカ帝国のこれからについて話し合わねばならなくなった。そこで、君にも一緒に来てほしいと思っているのだが、どうだろう。一緒に来てくれないか」
そう言って、ジークフリートは寝台に腰を下ろし、寝台の隣に在る化粧台の方を見遣った。
部屋に灯る明かりは二つ。
一つは寝台の枕元に灯る小型のランプ。
もう一つは化粧台上部の高い天井から垂れ下がる、すずらんの花弁を象った小振りのシャンデリア。
化粧台に備え付けられた背の高い三面鏡にシャンデリアの明かりが反射して、淡い橙色の明かりが化粧台の前に座る一人の女性を幻想的に照らし出していた。
「ジークフリート様。私などがそのような場に顔を出すのは、あまり好ましくないのではと思います。貴方様は勇者という立派な身分を以て、教国の特使という大役を果たすべく会談に臨まれるのです。いくら貴方様の妻になった身とは言え、私は帝国の血筋の者。会談に私が列席する事に、不快感を抱く者もおりましょう。故国を憂う気持ちはあれど、もう私が帝国の、いえ、故帝国の為に出来ることはありません。寧ろ私が余計な口を挟むことで教国の立場が悪くなることすらあるやも知れません。どうか、私の事など慮ることなく会談にお臨みください」
ナターシャは振り向き、ジークフリートを見詰め言った。
「……まだ、名を呼んでくれることはない……か。大義の為とは言え、血の繋がった父君を討ったのは私だ。当然か。愛してくれとは言わないが、信頼くらいしてくても良いと思うのだがな。しかしナターシャ、君が言うことは邪推と言うものだ。確かに君は先の皇帝の娘だが、だからと言って君は皇帝のように民を虐げたか? 寧ろ民の為を思い、皇帝を弑したではないか。誉れこそすれ、誰が君を嘲弄するだろうか。そう自らを卑下するものではない。君は、人に認められることをしたのだから。ナターシャ、アヴァロンへ、私と供に来てくれるな?」
「……はい」
(面倒な男はこれだから嫌い……)
ナターシャは心の内で呟いた。
周囲に支配を悟られないよう、段階的に心を支配すると、このようなことが度々起こる。
彼女の支配力は絶大だが、一度で全てを支配してしまうと支配された人間の行動にはどうしても違和感が生じ、いずれ何処かで綻びが出てしまう。
人一人を支配してしまうためには、その他の全ても支配してしまうか、幾つかの段階を踏む必要があった。
(帝国の時は楽だったのにな)
皇帝を、そして帝国を操るのはナターシャには容易な作業だった。
帝国の実権を掌握していたのは彼女の父親である皇帝であり、国の頂点さえ支配してしてしまえば、後は抵抗する者、あるいは逃げ出そうとする者を上から順に支配してしまえば良かった。
国外への情報操作こそ必要以上に慎重に時間を割いたが、国内の重臣や敵対勢力を支配し終えるのに、時間は掛からなかった。
ナターシャの支配力は絶対的かつ恒久的なものであり、一度でも彼女の姿を目にした者は支配度の差こそあれ、例外無く彼女のものとなった。
路傍に転がる石ころも、人や魔属など意思あるものも、『支配難度』においては全て等価であり、彼女にとっては同じ価値、同じ無価値の存在で、誰を見てもどれを見ても代わり映えしない『私以外の他のもの』でしかなかった。
(法皇のお婆ちゃんを五段階全部支配しちゃえば、こんな面倒な男の相手しなくてよくなるんだけれど。うーん……でもそれだとアヴァロンを侵蝕する時に別の問題が……あ、でもその時は支配度を下げちゃえば。……でも簡単よりは難しい方が楽しいかもしれない? でも結局結果は同じか……うーん。もう少し歯応えが欲しいような気も。……そう言えば、アヴァロンのお姫様、もうすぐ結婚するって話だったなぁ。相手は姫の右腕で執事と秘書も務める才人だったはず。……あぁ、そういう趣向も、悪くないかも)
「フフッ、ナターシャ、何だか楽しそうな顔をしているよ? アヴァロンに私と二人で赴くことが、本当は楽しみなんじゃないか?」
ナターシャの顔からは、いつの間にか笑みが溢れていた。
淑女と呼ぶには少し茶目っ気に富んだ、それは悪戯っ子の様な幼い表情。
「……えぇ。よく考えてみたら、公務とは言え貴方との新婚旅行ですもの。断ることこそ夫への不義となります。此度のアヴァロンへの往訪慎んでお請け致します」
「! ……私のことを貴方と呼んでくれるか。その言葉が義理から来るものだとしても、私は素直に嬉しいよ。益々、アヴァロン行きが楽しみになったな」
「えぇ。本当に」
(えぇ、本当に楽しみ。どんな新しい出逢いがあるのかしら。それは、きっとこれまでのどの出会いよりも素敵になるわ。これまでのどんな出来事より素敵に)
とっておきの悪戯を思い付いたような魅惑的な笑顔でナターシャは微笑んだ。
部屋に灯る仄暗い明かりは、彼女の影を色濃く映し出していた。
(To be continued)
そう言って、ジークフリートは寝台に腰を下ろし、寝台の隣に在る化粧台の方を見遣った。
部屋に灯る明かりは二つ。
一つは寝台の枕元に灯る小型のランプ。
もう一つは化粧台上部の高い天井から垂れ下がる、すずらんの花弁を象った小振りのシャンデリア。
化粧台に備え付けられた背の高い三面鏡にシャンデリアの明かりが反射して、淡い橙色の明かりが化粧台の前に座る一人の女性を幻想的に照らし出していた。
「ジークフリート様。私などがそのような場に顔を出すのは、あまり好ましくないのではと思います。貴方様は勇者という立派な身分を以て、教国の特使という大役を果たすべく会談に臨まれるのです。いくら貴方様の妻になった身とは言え、私は帝国の血筋の者。会談に私が列席する事に、不快感を抱く者もおりましょう。故国を憂う気持ちはあれど、もう私が帝国の、いえ、故帝国の為に出来ることはありません。寧ろ私が余計な口を挟むことで教国の立場が悪くなることすらあるやも知れません。どうか、私の事など慮ることなく会談にお臨みください」
ナターシャは振り向き、ジークフリートを見詰め言った。
「……まだ、名を呼んでくれることはない……か。大義の為とは言え、血の繋がった父君を討ったのは私だ。当然か。愛してくれとは言わないが、信頼くらいしてくても良いと思うのだがな。しかしナターシャ、君が言うことは邪推と言うものだ。確かに君は先の皇帝の娘だが、だからと言って君は皇帝のように民を虐げたか? 寧ろ民の為を思い、皇帝を弑したではないか。誉れこそすれ、誰が君を嘲弄するだろうか。そう自らを卑下するものではない。君は、人に認められることをしたのだから。ナターシャ、アヴァロンへ、私と供に来てくれるな?」
「……はい」
(面倒な男はこれだから嫌い……)
ナターシャは心の内で呟いた。
周囲に支配を悟られないよう、段階的に心を支配すると、このようなことが度々起こる。
彼女の支配力は絶大だが、一度で全てを支配してしまうと支配された人間の行動にはどうしても違和感が生じ、いずれ何処かで綻びが出てしまう。
人一人を支配してしまうためには、その他の全ても支配してしまうか、幾つかの段階を踏む必要があった。
(帝国の時は楽だったのにな)
皇帝を、そして帝国を操るのはナターシャには容易な作業だった。
帝国の実権を掌握していたのは彼女の父親である皇帝であり、国の頂点さえ支配してしてしまえば、後は抵抗する者、あるいは逃げ出そうとする者を上から順に支配してしまえば良かった。
国外への情報操作こそ必要以上に慎重に時間を割いたが、国内の重臣や敵対勢力を支配し終えるのに、時間は掛からなかった。
ナターシャの支配力は絶対的かつ恒久的なものであり、一度でも彼女の姿を目にした者は支配度の差こそあれ、例外無く彼女のものとなった。
路傍に転がる石ころも、人や魔属など意思あるものも、『支配難度』においては全て等価であり、彼女にとっては同じ価値、同じ無価値の存在で、誰を見てもどれを見ても代わり映えしない『私以外の他のもの』でしかなかった。
(法皇のお婆ちゃんを五段階全部支配しちゃえば、こんな面倒な男の相手しなくてよくなるんだけれど。うーん……でもそれだとアヴァロンを侵蝕する時に別の問題が……あ、でもその時は支配度を下げちゃえば。……でも簡単よりは難しい方が楽しいかもしれない? でも結局結果は同じか……うーん。もう少し歯応えが欲しいような気も。……そう言えば、アヴァロンのお姫様、もうすぐ結婚するって話だったなぁ。相手は姫の右腕で執事と秘書も務める才人だったはず。……あぁ、そういう趣向も、悪くないかも)
「フフッ、ナターシャ、何だか楽しそうな顔をしているよ? アヴァロンに私と二人で赴くことが、本当は楽しみなんじゃないか?」
ナターシャの顔からは、いつの間にか笑みが溢れていた。
淑女と呼ぶには少し茶目っ気に富んだ、それは悪戯っ子の様な幼い表情。
「……えぇ。よく考えてみたら、公務とは言え貴方との新婚旅行ですもの。断ることこそ夫への不義となります。此度のアヴァロンへの往訪慎んでお請け致します」
「! ……私のことを貴方と呼んでくれるか。その言葉が義理から来るものだとしても、私は素直に嬉しいよ。益々、アヴァロン行きが楽しみになったな」
「えぇ。本当に」
(えぇ、本当に楽しみ。どんな新しい出逢いがあるのかしら。それは、きっとこれまでのどの出会いよりも素敵になるわ。これまでのどんな出来事より素敵に)
とっておきの悪戯を思い付いたような魅惑的な笑顔でナターシャは微笑んだ。
部屋に灯る仄暗い明かりは、彼女の影を色濃く映し出していた。
(To be continued)
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