異世界の住人を見守るだけの簡単なお仕事です。

虫圭

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【カイくんとユリちゃんの遭遇】

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 これまで見たことも、図鑑の類いや旅人がもたらす噂ですら聞いたことのない巨大な化け物がそこに居た。
 大きな獣の胴体。そこから生える女の肢体。獣の背中から巨大な翼が広がり、尾には大人の腕の数倍は太いであろう大蛇が生えていた。
 焦げ茶色の体毛で覆われた獣の前脚が爪を研ぐように大地をがりがりと掻き鳴らし、尾から生える大蛇はその長く太い胴を女の背中から覗かせ、頭部についている蛇は舌をチロチロと出し入れしながら僕を品定めするように見詰めている。
 僕に話し掛けた女が、背中まで伸びる波打つ様に癖の付いた金髪を右手の指先でくるくると弄りながら舌なめずりをしている。整った顔立ちに浮かぶ表情はなまめかしく、どこか楽しげで、目をうっすら細めて僕の全身をじろじろと眺めていた。
 化け物は衣服を一つも身に纏っておらず、たおやかな胸部の膨らみがあられもなく露になっている。
 ただ、本来であれば女性特有の魅力を感じさせる筈のその姿に扇情的な魅力は一切無く、野性的な、ともすれば原始的な。威圧感さえ覚えるような脅迫に近い迫力があった。
 それが女の異様な艶かしさと合間って、美味しそうな餌を前に食欲という本能的な興奮を全身で醸しているようにしか、僕には感じられなかった。

 僕は戦慄する。
 ただでさえ勝ち目の無い化け物なのに、姿、放たれる魔力、立ち上る威圧感、その全てが僕に危険信号を発している。
 こいつは、一方的な捕食者だと。
 お前には、生き残る術は無いと。

「あぁん。そんなに怯えないでぇ。私ぃ、これでもうぶなのぉ。そんな怯えた目で見られると、おねぇさん傷付いちゃうわぁ」
 女がうぇーんとわざとらしく泣き真似をしながら、両手を胸の前で組み、上半身ごと身体を左右に揺らす。
「坊やったら、年上の女に馴れてないのね。そんな初なところ、私と相性とっても良さそう。おねぇさん嬉しいっ」
 今度は急に笑顔になり、頭だけを左右に傾けながらころころと微笑む。
 得体の知れない化け物との遭遇で、ただでさえすくんでしまっているのに、その上精神的に困惑させられ、僕の思考はほぼ停止してしまっていた。
 逃げるべきか、無謀と解っていても突撃すべきか、はたまた言葉が通じる事に望みを賭けて交渉を持ち掛けるべきなのか。
 一瞬頭をよぎったそんな考え達もとっくに霧散してしまった。
「坊や、おねぇさんとお話しするの、嫌?」
 こてん、と首を傾げて人差し指を口元に当てる女。
 唇を尖らせ眉をハの字にする表情など、まるで人間のそれで、とても獣の胴を持つ化け物と思えない。
 話を持ち掛けてくるなんて……。交渉の可能性はあるの……か?
「……あの、一つ、聞いても、良いですか?」
 恐る恐る言葉を紡ぐ。
「ん? 良いわよっ?」
 きゃっ、と嬉しそうに女が笑う。腕を胸の前で寄せ合わせ、両の拳を口元まで運び恥ずかしがる様が、人間らしくもあり、また、意図的な演出にも見え、どうにも気持ちが悪い。
 有り体に言って、わざとらしい。
「この……火事の原因は、あなたなんですか?」
 僕は、女の背後で燃え盛る森を指差し問う。
 間違いなく愚策だけど、僕には聞かずにいられなかった。
 僕らが長年過ごして来た村を。森を。こんな風にしたのがこの化け物なのか、僕には確認せずにはいられなかった。
「…………」
 女は急に真顔になり、つまらなそうに沈黙した。
 それが、肯定を意味するのだと僕は察する。
「どうして、こんな酷いことをするんですか? 何故森を、僕らの村を、こんな目に遭わすんですか」
 自然、言葉が刺々しくなる。尖った言葉で責める僕に、女がゆっくりと口を開いた。
「……別に、理由なんて無いわぁ。強いて言うなら、私が魔属だからかしらぁ。私ぃ、この辺りに来たの初めてなんだけどぉ、人間の住む小さな村が見えたから、どんな風にちょっかい出したら面白いかなぁーって、そう思っただけよぉ。ほらぁ、魔獣も魔属も、人間のこと嫌いじゃない? 人間が私達を嫌いなよぉにさぁ。だからかなぁ」
「……それだけ……?」
 そんな理由で、僕らの生活の全てが今、失われているのか……?
「えぇ、それだけよぉ? これで質問の答えになったかしらぁ」
「っ……!」
 ぶるぶると震えながら、拳を握る。
 怒りでどうにかなりそうだ。
 許せない。
 僕らが何かこいつにした訳でも、こいつが人間に何かされた訳でもない。
 ただ・・そうだから・・・・・という理由で、僕らの全てが奪われなくちゃいけないだなんて。
「ふ、ふざけるな……! こんな酷いこと、許される訳ない!」
 ぎりっと歯を噛み締め女を睨み付ける。
 握り締めた拳は、今にも出血しそうなくらい力が入っている。痛みを感じるような余裕は今の僕には無いけれど。
「あらぁぁん。坊やぁ、急に男らしくなっちゃってぇ。おねぇさん、濡れちゃうわぁ。可愛い男の子の、そういう勇ましい目付き、おねぇさん大好きよぉ。あぁぁん、ゾックゾクキちゃうっ」
 とろぉんと目の端を垂らし、恍惚とした表情を浮かべる女。両手を自身の乳房に宛がい強く揉むように動かす。胸部の肉が押し潰された風船の様に大きく形を変化させた。
「はあぁんっ。あぁっ、気持ちイイわぁ。気持ちイィ。こんなに興奮するんなら、もっと早く手を出しても良かったかもぉ。それもこれも、女王が古臭い規則なんか持ち出すから。んなっちゃうわぁ。こぉんな気持ちイイ事ォ。我慢できなイじゃない……」
 そしてピタリと動きを止め、僕を見下す。
「じゃあ、っちゃう? 坊やァ」
 女の目付きが変わる。
 大きく見開かれた目には蛇のように大きな瞳孔が浮かび、真っ黒な瞳が僕を捉えている。 整った顔立ちが醜く崩れ、口が大きく横に裂けると顔と同じ幅まで広がり耳まで届くほどパックリと分かれる。その口からべろりと長い舌を剥き出してチロチロと舌先を上下させた。
「私ハ狩人でェ、坊ヤが獲物ネぇ。追イかけっこシましョぉ? 坊やとナら、キっと楽シィわぁ。あァ、そうダ。イイ事思い付いた。おネェさんが満足スルまで逃げキレたラ、他の住人ハ見逃してあげてもイいわ。逃げキレたとしてもォ、坊ヤだケは連れてっちャうケドねぇ。でモ、坊やが先に捕まっタラ、住人は皆殺しにしチャウ。みぃんナ私ガ食べちゃうゥ。どォ? ヤル気、出ルでショウ? ヤる? ヤるわよねェ? ヤりましょウ? ヤるってイイなサイよ。 ヤるでショぉ? ヤらなキャ今スグ丸呑みニシテやるンだカラぁ」
 さっきから化け物の言葉が聞き取りずらい。
 口が裂け顔の形が変化しているせいで音が上手く出せていないみたい。それに化け物の本性を現して、理性が抑えきれなくなってるみたいだ。僕の言葉を聞くより自分のやりたいことをただやりたがっているようにしか見えない。まるで動物と変わらない。
 今なら、上手く誘導して村の人達に手を出さないように言いくるめることが出来るかもしれない。いや、機会は今しか無い!
 僕は震える両腕にもう一度力を込め、ゆっくりと立ち上がる。尻餅を突いて汚れたズボンをわざと大仰に払いながら、有る筈もない余裕を無理に作って、化け物に答えた。
「分かった。やるよ。そのお遊びに、付き合ってあげる」
「ハアァァァ。イイ子ね坊ヤァ。ヤりマショ。ヤりマショ。ヤリマショオォ」 
 もう化け物には理性は残って無いかもしれないな。どう見ても、普通じゃない。
 約束の意味すら無いかもしれないけど、少しでも望みが有るなら、それに縋らない訳にはいかない。
 村のみんなを守るんだ。それが、この事態を回避できなかった僕の責任だ。
「お姉さん、約束だよ。僕が逃げきったら、絶対に村の仲間には手を出さないこと。絶対に約束を守ってね」
 化け物の顔をしっかりと見詰めて約束を迫る。
 べろべろと自分の顔を長い舌で舐めながら、化け物が何度も何度も頷いた。
「ヤクソク、約ソク。マモルワァ。ダカラ、ダカラ、早ク、ハヤク、ネェ、殺ロォ?」
 化け物の息が異常なくらい荒い。もう自分の欲望を抑えるのも限界のようだ。僕を捕まえたくて捕まえたくてうずうずしているのが手に取る様に分かる。
 これで、大丈夫だろうか。
 僕は化け物から無事に逃げ切って村のみんなを守ることが出来るだろうか。
 やるしかない。
 やるしかないんだ!

 狩人の僕が逃げる立場になるなんて。化け物に狩られる側に回るなんて、冗談みたいで少し可笑しいけど、ちっとも洒落になってないな。
 大丈夫。きっと大丈夫。僕は狩人だ。対象に気取られない様に隠れるのには自信がある。
 強くなる為に、何時かもう一度旅立つ時の為にこれまで磨いてきた技術を、今ここで最大限発揮するんだ。
 絶対に、逃げ切ってやる。

 僕と化け物の狩りが始まった。

(To be continued) 
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