鬼道ものはひとり、杯を傾ける

冴西

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散華

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「おーい、鏡椛。あの人の弟子同士ちょいと話そうや」

 紅い光を纏う楓を眺めていた鏡椛はその声に顔を上げ、ぱちりと瞬いた。

「お話は終わりましたか?」
「なんだ手前、俺に気ぃ使ってたのか? 大丈夫だよ。もう終わった」

 鏡椛の隣にドスンと腰を下ろして笑う亀櫻の顔は、どこかすっきりとしている。
 酒気の強さとどこかもの言いたげなこの男の表情を見て、そそくさと席を離れた鏡椛の判断は正しかったらしい。これまでの彼の快活さはその裏に陰りを帯びていたものだと、今の顔を見ればよくわかった。 
 ざぁっと風が吹き、桜色の髪がなびいた。精悍な横顔の中心で月光を受けた銀の目が、きらきらと輝いているのが見える。

「……亀櫻殿は、どのようにして先生の弟子に?」

 桜に酔わされたように鏡椛が問えば、亀櫻は首を傾げた。

「ア? 言ってなかったか?」
「たしか、何やらもめたというのは聞き及んでおりますが、詳しくは」
「そうかいそうかい。マア、簡単に言やあな。ごねた」
「ごねた」

 大の男から出て来たとは思えないような幼稚な単語に、鏡椛がきょとんと眼を瞠る。

「そ。あの人、俺を拾ったくらいになって弟子とるのはもうやめだーとか言うようになってたんだよ。でも、どーしてもあの人の弟子になりたかったからさ、三日三晩だか七日七晩だか暴れたんだよ」
「それは……凄まじい」
「ははははは、馬鹿って言ってもいいぜ。相談に乗ってくれてた兄さんたちにもさすがに怒られたしなあ」

 呵々と笑ってはいるが、たしかこの桜色の鬼道はここ数百年の中でも強い力を持っているお人ではなかったか。
 世間話程度に樹鶴が触れた言葉を思い起こし、当時の惨状を想像した鏡椛の顔からうっすらと血の気が引く。しかし、懐かしそうに笑う亀櫻は気づいているのかいないのか、笑うばかりで冗談と撤回する様子はない。
 気にしても仕方がないということか、と息をつき、鏡椛はふと首を傾げた。
 言葉の中に、聞きなれない単語があったことに気づいたからだ。

「兄さんたち、とは?」
「ん? 俺らの前に先生の弟子になった人たち……ああそうか、手前まだ彼岸に入った事ねえもんな。【塾】に行きゃ会えるよ」

 なんやかんや世話焼きな人ばっかだからなあ、と続いた言葉は、鏡椛の耳を素通りする。

「彼岸……」

 目に見えて【彼岸】という言葉に狼狽えた姿に、亀櫻はがりりと頭を掻いた。
 話したいことは別にあるのだが、この問題を除かないことにはどうにもならなさそうだ。

「……な、鏡椛よ。手前、なんで【塾】へ移らねえんだ?」
「それは……その」
「言ってみろよ。どうせ俺は今日で現世ともおさらばだからな。少しくらいなら荷物を持っていってやれるぜ?」

 精悍な顔立ちに乗せた人好きのする笑みを前に、少しの間逡巡するように目線をさまよわせ――こくりと、小さく顎を引いた。


「最初は、言いつけ通り、すぐにでも籍を移そうと思っておりました」

 そう言った鏡椛の声量は、怒られるのを恐れるように、ごくごく小さなものだった。
 ぽつりぽつりと、雨粒のように落ちたその言葉は、次第に本降りへと変わっていく。

「でも今は、それをしたら後悔するのではないか、と思うようになりました」
「へえ、どうしてだ?」

 力のこもった言い様に、相槌の如く言葉を入れてその背を押す。
 指南役として培ったこれだけは、樹鶴よりも上手い自信があるのだ。

 促されたことに気づくことなく、鏡椛は――ずっとその喉の奥につかえさせていたその言葉を、咳き込むように勢いづけて吐き出した。

「――ただ預かっているだけだのなんだのと、一線を引かれるのが悔しゅうて、悔しゅうて、仕方がないので御座います」

 小さな手がその甲に筋を浮き上がらせながら、幽世の黒い地面にぎりっと爪を立てた。

「わたくしに鬼道のいろはを教え、生き方を導いたのは先生だというのに、あの方はそれをお認めにならない。我が師と呼ぶことを許して下さらない。この敬愛を伝えることを、許して下さらない」

 それは、慟哭に似ていた。
 想いを殺すなと教えられた通りに、未だ風切り羽も整わない雛が鳴く。

「それが嫌だと――わたくしの心が、泣いて御座る」

 こちらを見ろと、叫んでいる。

「ふ、ははは」

 あまりにも見知ったその感情に、亀櫻の口から笑いが漏れた。

「なにが可笑しゅう御座いますか」
「いいや。あの人そういうところがあるよなあって、思ってさ」

 本人に禁じているつもりはないのだろうが、樹鶴は時折ひどく冷淡に物事を判断することがある。規則にうるさいわけではないし、時として誰より柔軟に物事を見る人なのだが――托卵に負けて巣から落とされた雛が生き抜くかどうかただ見守るに徹するような真似も、平気でするのだ。
 それこそ、必要だと判断したならば顔色一つ変えず、子を千尋の谷へと突き落とすことも厭わないだろう。

「俺も、俺の前の兄さんたちも、姉さんたちも。みんな、それ・・を喰らって大人になったんだぜ、末っ子」

 神代の鬼道との付き合いは亀櫻にもほとんどないから、あれが樹鶴特有の事なのか、それとも神代のものは皆そうなのかはわからない。
 しかし、ああいった判断を下すときの樹鶴の眼差しは――神がモノを裁くときに見せるそれに、よく似ているのだ。
 性質も性格も関係ない。しいて言うなれば、そうあるもの・・・・・・の視座、とでも呼ぶべきそれに。

 涙をぬぐいながら苦笑した亀櫻に、鏡椛はぐっと眉を寄せる。

「では、諦めろと?」
「まさか」

 肩をすくめた桜色の色男は、実に楽しげにその口角を吊り上げた。

「俺がここに入れてもらったのは、なにも玉砕するためだけじゃねえって話さ」

 桜の下でのんびりと杯を傾けている樹鶴へと目線をやって、亀櫻は金銀妖眼を笑みの下で鋭く細めた。


 樹鶴というあの古い鬼道が、なぜこうも長く現世にとどまり続けているのか。
 それは弟子の間でも長年謎とされていた。
 本人は聞けば答えてやるという程度のことだと認識しているらしいが、弟子からしてみればその一言を問うこと自体が難しいのだ。

 いつから生きているかもわからない、超然としたその人の深淵を覗いていいのかという迷いが、どんなに舌戦に強い弟子でも戸惑わせた。

 亀櫻のようにあの人へ恋情を向けた者がいなかったわけではないだろう。あるいは、憎んだものもいるかもしれない。
 けれど、師弟の間柄以上の感情をどれだけ寄せようと、夜の闇そのもののように樹鶴の実像は掴めないのだ。
 自分が感情を向けている先に本当にその人がいるのかという不安を抱きながら想いを捧げ続けるというのは、そう長く続けられるものではない。
 ましてや、鬼道の時間は常人のそれよりもはるかに長く、果てが遠いものだ。
 区切るもの、諦め秘めるもの、捨てるもの。それぞれ形は違えど、誰もが一定の年数とともに折り合いをつけることが当たり前になっていくのも、道理と言える。

 それゆえ――どんな弟子も、かの麗人の裾を掴むことはできなかったのだ。

(これまでは、な)

 樹鶴には、執着し続けているたった一人がいる。

 その事実を知った瞬間の亀櫻の胸中は、決して穏やかではなかった。
 当然、嫉妬があったし、衝撃もあった。勝手ではあるが裏切られたとすら思った――けれど、それ以上にその胸を満たしたのは、この上ない喜びだったのだ。
 歓喜、と言ってもいい。
 ついに掴んだ裾の先にあった実像が、肩を並べられるものであったことが、嬉しかった。
 あの美しいものにも欲があり、理屈から逸脱した情があり、空しい愛があった。
 ――自分と同じ生き物であったのだという喜びが、亀櫻の胸に嵐を呼んだのだ。
 
 もう、この狂い咲いた恋など散らしても構わないと、思えるほどに。

「なあ、鏡椛。俺たちの末っ子――ひとつ、頼まれてくれないか」

 鏡椛の目に映るその顔には、じつに意地の悪い笑みが浮かんでいた。

――――
――

「なんだ。もういいのかい」

 戻ってきた二人に、樹鶴はゆるりと視線を向けた。
 何を話していたのか聞くのは、さすがに無粋だろう。

「おう。もう終わったよ」
「そうかい」

 杯に残っていた酒を干せば、目の前に大きな体がざっと腰を下ろした。
 いよいよ、手だけではなく厚い胸板までが向こうを透かし始めているようだ。

「――何を企んでいるんだか知らねえけど、お前さんとの日々は間違いなく楽しいもんだったよ。亀櫻」
「俺もだよ、先生」

 微笑めば、幼いころに戻ったような爛漫の笑みが咲き返した。
 さあっ、と少し冷たい風が強く吹いた。酒気に火照った肌を撫であげたそれは、無数の花弁をまき散らして夜を駆けていく。

「ああ、そうだ。最後にひとつだけ」
「はいはい。言ってみな」

 彼岸に移住した鬼道の頼みは聞かないことにしているので、本当にこれが最後になるだろう。
 余程狂ったことでない限りはいくらでも聞いてやろうという心づもりで、樹鶴は軽く促した。

「なあ、先生。――――、」

 強く、強く、風が吹いた。
 すべての花びらを散らしてしまえと言わんばかりに、桜の花弁が赤い萼から離れ、ざあざあ音を立てて二人の周囲を吹き荒ぶ。

 少し離れた鏡椛には、きっともう言葉は聞こえていまい。けれど、常人よりずっと耳のいい樹鶴にはしかと届くだろう声で――亀櫻はそのとっておき・・・・・を告げた。
 無論、桜の花に負けないほど、咲き誇る笑顔で。

「……そ、れは」

 樹鶴が、目を見開いた。

 隠していたその心臓に一矢報いることができたのだと、この上なくわかった。

 ずっと見たかったその顔に、至極満足だとうなずいて――玻璃のように薄らいだ亀櫻の姿は、花嵐の中に呑まれていった。
 

 桜の散る量が猛吹雪のごとく増していく。
 いかに柔らかい花弁と言っても、これだけの量になれば相応の重みがある。目を開けていられなくなり、いよいよ体が押しつぶされそうになる。
 ――その瞬間、突然に花嵐は勢いを無くし、はらはらと細雪のような小ぶりへと姿を変えた。
 すべての花弁が落ちきる。目を開く。

 そこにはもう、桜花のような男の姿はない。

 代わり、と言わんばかりに、たった一つの杯だけがちょこんと置いてあった。
 なみなみと際まで注がれた酒のその上で、ひとひらの花筏がその存在を強調するようにくるりと回る。

「まったく、せっかちな奴だね」

 ため息交じりにそう呟く樹鶴の顔は、黒髪に半分隠れてよく見えない。

「……なにか無茶を言われたようだが、別に聞かなくても構わないんだよ」
「いいえ」

 傍に控えていた鏡椛は、亀櫻の頼み事・・・を思い返しながらゆるくかぶりを振った。
 清流のような声はよどみなく、樹鶴の甘い忠告を切り落とす。

「しっかり、悩んで決めようと思います」

 涼やかな目には、凛とした光が強く灯っていた。

「そうかい。マ、頑張んな」

 そう呟いて、樹鶴はそっと足元の杯を拾い上げた。
 月を映した酒の真ん中で、花筏が危なっかしく揺れる。

「またたっぷり入れていったもんだね。あの子らしいけどさ」

 呆れたような、それでこそ、とでもいうような声だった。

「――花に嵐とはまた、お前さんらしい幕引きだったよ。あっちでも楽しくやんな」

 笑いと共に杯を傾け、喉へ酒を花筏ごと流し込む。
 躊躇っていては零れると一気に干したが、溢れた酒がつう、と白い顎を伝った。
 手の甲で拭い、空になった杯を頭上へ掲げる。その向こうには、あれほど散ったというのにまだまだ見事に咲き誇る桜花がある。

 この夜から、桜花が消えることはない。
 望みどおりに、彼は夜に看取られ――その存在を、たしかに焼き付けたのだから。

 夜に馴染みながらも白く光るその花影を背に、未だ現世に在る二人の鬼道は帰路に就く。
 その姿を月だけが見下ろしていた。

 ――「なあ、先生。アンタの愛した女はさ、アンタに墓守して待てなんて――そんな、無粋なことを言うような奴だったのか?」

 冴え冴えとしながらもぬくもりのあるその月明かりが、そっと麗人の背に手を添える。
 それは、花嵐の中で手向けられた――まるで親を心配する子供のようなあのまなざしと声を、しかとその魂へと沁み込ませなさい、と告げているようでもあった。
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