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絵島詣でと縁の糸 (1)
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秋も深まり、あちらこちらで銀杏のにおいがし始めたころ。
樹鶴の元に一人の男がやってきた。
「おぅい、樹鶴サン」
「おや。通いのじゃないか。お前さんからくるなんて珍しいね」
「痛いところを突きなさる。いやね。件の雛の親からちょいと書状を預かって来まして」
相も変わらず目立たない姿こそが特徴と言ったばかりの男は、くつくつと笑う樹鶴にそっと肩をすくめた。
ひらりとその手の中で揺れる長方形の紙には、見覚えのある筆跡で樹鶴の名が書かれている。これまで梨の礫であったのが、いったいどんな風の吹き回しだろうか。
「おや、ようやく返事をするつもりになったのか。お前さんはもう読んだのかい?」
「いえいえ。さすがに人宛のものを勝手に覗き見るなんざしませんよ。ご一緒しても?」
いいよ。と返せば、通いのはするりと身を寄せてきた。広げた書状には、いかにも質実剛健といった黒い文字が整然と並んでいる。
「……ふぅん。こうきたか」
「うわぁ……うん、穏やかな御仁だとばかり思っておりましたが、坂東武者の血筋って感じがしますねぇ」
いささか腰の引けた声で言う通いのに頷いて、樹鶴は深々とため息をついた。
「さてさて、吉と出るか凶と出るか……壊れないようにだけは、注意しないとね」
書面にはこれまでの問いかけへの答えとともに――崖を馬で駆け降りるような提案が、恐ろしいほど迷いのない字で、綴られていた。
「護衛に、御座いますか」
帰り支度をしていた背中にかけた言葉を鸚鵡返しにして、鏡椛は首を傾げた。
脚絆の綻びを繕っていた手元は止めぬまま、話しを進める。
「ああ。絵島の龍窟まで、姫君をな」
「姫……?」
流水のように清い声に、怪訝そうな色が乗る。大方、姫と呼ばれるような人間が自分の所に来る通いではなく、樹鶴を頼ったことに疑問を抱いているのだろう。そしてその疑念は正しい。
けれど、樹鶴はそれをおくびにも出さず、繕い終わった脚絆を脇に置き、笠の調子を確かめ始める。あくまで自分だけに来た依頼であると装うためだ。
「人を介しての頼まれごとだから素性は知らねえが、お前さんのところと張るくらいのお武家さんで、年の頃も同じくらいだとよ」
「娘の身で絵島詣でとは、熱心な」
「最近は多くなってきたようだよ。乱世も途切れを見せた上に、近頃は飢饉も軽いから民が富み始めているし」
疑念を露わにしたままそんなことを言う鼻をつついて樹鶴は苦笑してみせた。縄張り意識が強くなってきたのは、いいのか悪いのか。
笠を旅装の山の上に置き、改めて弟子に向き直る。
「というわけで一日か二日、留守にするよ。悪いがその間の手習いは休みだ。必要なら亀櫻あたりに代役を頼んでおくが……お前さんはどうしたい?」
「……ついてこい、と命じらるるところでは御座いませぬか?」
いかにも不満げだ。通い始めてからそこそこの月日を過ごし、幾分か幼さと武家らしさが抜けてきたと思っていたが、まだまだそうした気質は残っているらしい。
「馬鹿を言うんじゃないよ。確かに指南役は買って出たが、我はあくまで仮だ。そこまで師匠面するつもりはない」
きっぱりと言って、樹鶴は呆れた顔を作った。
大げさではあるが、本心も混ぜ込んでいるのでそう難しいことではない。
「それにね。お前さんはまだ一応あの家の所属だろう? この先、鬼道としてじゃなく武家として生きる道を閉ざしていない以上、主君以外にそう従う様を見せるのはよしな。格が落ちるよ」
「それは……。けれど、薬師殿のところへの遣いなどは、命じられたではありませんか」
「あれはお前さんが考える要素を増やすため。今回のはそういうのには使えなさそうだからね……で? 鏡椛。我がいつも言ってること、忘れたのかい」
「あ……。考えろ、と」
あえて意地の悪い笑みで促せば、不満げだった表情がハッとした。
これで気づかなかったら振出しに戻っていたところだ。樹鶴はしれっとした顔の下で胸を撫で下ろしながら、煙管を振る。
「ついてこいとも言わねえが、ついてくんなとも言わねえよ。さ、好きに選びな」
うんうん唸り始めたのを見るに、あれだけ食い下がっていた割に鏡椛自身は決めていなかったらしい。
くるりくるりと煙管を弄りながら待っていれば、ようやく決め終わったのか、おずおずと顔が上がった。
「わたくしは……。ついて、参りとう御座いまする」
「相分かった。じゃ、こっちがお前さんの分の旅装束。細々としたものは当日に渡すから着物だけ確かめな」
「えっ」
すっと先ほどまで繕っていた脚絆や笠を押し出せば、鏡椛の目が驚愕に見開かれる。
「なんだい? お前さんの気性ならついてくるだろうと思っていただけだよ。あとからバタバタするのは性に合わないしね」
「なんという慧眼……さすがに御座います」
「よしとくれ。それじゃ、出立は五日後だから」
「承知いたしました。よろしくお願いいたしまする」
そうして、鏡椛もこの依頼についてくることとなった。
――樹鶴からすれば、予定調和が一段目ですんなり終わって何より、といったところだ。
今回の依頼主は、目の前の雛の両親であり――護衛する姫とは、未だこの子供が思い出せずにいる、双子の片割れなのだから。
樹鶴の元に一人の男がやってきた。
「おぅい、樹鶴サン」
「おや。通いのじゃないか。お前さんからくるなんて珍しいね」
「痛いところを突きなさる。いやね。件の雛の親からちょいと書状を預かって来まして」
相も変わらず目立たない姿こそが特徴と言ったばかりの男は、くつくつと笑う樹鶴にそっと肩をすくめた。
ひらりとその手の中で揺れる長方形の紙には、見覚えのある筆跡で樹鶴の名が書かれている。これまで梨の礫であったのが、いったいどんな風の吹き回しだろうか。
「おや、ようやく返事をするつもりになったのか。お前さんはもう読んだのかい?」
「いえいえ。さすがに人宛のものを勝手に覗き見るなんざしませんよ。ご一緒しても?」
いいよ。と返せば、通いのはするりと身を寄せてきた。広げた書状には、いかにも質実剛健といった黒い文字が整然と並んでいる。
「……ふぅん。こうきたか」
「うわぁ……うん、穏やかな御仁だとばかり思っておりましたが、坂東武者の血筋って感じがしますねぇ」
いささか腰の引けた声で言う通いのに頷いて、樹鶴は深々とため息をついた。
「さてさて、吉と出るか凶と出るか……壊れないようにだけは、注意しないとね」
書面にはこれまでの問いかけへの答えとともに――崖を馬で駆け降りるような提案が、恐ろしいほど迷いのない字で、綴られていた。
「護衛に、御座いますか」
帰り支度をしていた背中にかけた言葉を鸚鵡返しにして、鏡椛は首を傾げた。
脚絆の綻びを繕っていた手元は止めぬまま、話しを進める。
「ああ。絵島の龍窟まで、姫君をな」
「姫……?」
流水のように清い声に、怪訝そうな色が乗る。大方、姫と呼ばれるような人間が自分の所に来る通いではなく、樹鶴を頼ったことに疑問を抱いているのだろう。そしてその疑念は正しい。
けれど、樹鶴はそれをおくびにも出さず、繕い終わった脚絆を脇に置き、笠の調子を確かめ始める。あくまで自分だけに来た依頼であると装うためだ。
「人を介しての頼まれごとだから素性は知らねえが、お前さんのところと張るくらいのお武家さんで、年の頃も同じくらいだとよ」
「娘の身で絵島詣でとは、熱心な」
「最近は多くなってきたようだよ。乱世も途切れを見せた上に、近頃は飢饉も軽いから民が富み始めているし」
疑念を露わにしたままそんなことを言う鼻をつついて樹鶴は苦笑してみせた。縄張り意識が強くなってきたのは、いいのか悪いのか。
笠を旅装の山の上に置き、改めて弟子に向き直る。
「というわけで一日か二日、留守にするよ。悪いがその間の手習いは休みだ。必要なら亀櫻あたりに代役を頼んでおくが……お前さんはどうしたい?」
「……ついてこい、と命じらるるところでは御座いませぬか?」
いかにも不満げだ。通い始めてからそこそこの月日を過ごし、幾分か幼さと武家らしさが抜けてきたと思っていたが、まだまだそうした気質は残っているらしい。
「馬鹿を言うんじゃないよ。確かに指南役は買って出たが、我はあくまで仮だ。そこまで師匠面するつもりはない」
きっぱりと言って、樹鶴は呆れた顔を作った。
大げさではあるが、本心も混ぜ込んでいるのでそう難しいことではない。
「それにね。お前さんはまだ一応あの家の所属だろう? この先、鬼道としてじゃなく武家として生きる道を閉ざしていない以上、主君以外にそう従う様を見せるのはよしな。格が落ちるよ」
「それは……。けれど、薬師殿のところへの遣いなどは、命じられたではありませんか」
「あれはお前さんが考える要素を増やすため。今回のはそういうのには使えなさそうだからね……で? 鏡椛。我がいつも言ってること、忘れたのかい」
「あ……。考えろ、と」
あえて意地の悪い笑みで促せば、不満げだった表情がハッとした。
これで気づかなかったら振出しに戻っていたところだ。樹鶴はしれっとした顔の下で胸を撫で下ろしながら、煙管を振る。
「ついてこいとも言わねえが、ついてくんなとも言わねえよ。さ、好きに選びな」
うんうん唸り始めたのを見るに、あれだけ食い下がっていた割に鏡椛自身は決めていなかったらしい。
くるりくるりと煙管を弄りながら待っていれば、ようやく決め終わったのか、おずおずと顔が上がった。
「わたくしは……。ついて、参りとう御座いまする」
「相分かった。じゃ、こっちがお前さんの分の旅装束。細々としたものは当日に渡すから着物だけ確かめな」
「えっ」
すっと先ほどまで繕っていた脚絆や笠を押し出せば、鏡椛の目が驚愕に見開かれる。
「なんだい? お前さんの気性ならついてくるだろうと思っていただけだよ。あとからバタバタするのは性に合わないしね」
「なんという慧眼……さすがに御座います」
「よしとくれ。それじゃ、出立は五日後だから」
「承知いたしました。よろしくお願いいたしまする」
そうして、鏡椛もこの依頼についてくることとなった。
――樹鶴からすれば、予定調和が一段目ですんなり終わって何より、といったところだ。
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