鬼道ものはひとり、杯を傾ける

冴西

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雛の行方と金無垢の華

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 恐ろしい話を聞いてしまった、と言わんばかりの顔色で立ち尽くす鏡椛に、樹鶴は顔をこわばらせた。

「鏡椛。お前さんどうして」
「筆を忘れて……。いえ、それは今は関係ありませぬ。お代さんになにが」
「お前さんにはどうしようもねえことだ。さっさと筆持って帰んな。守りの使役はつけてやるから、寄り道せずにな」

 もう雛はいないと思って花蜜の煙を散らしたのがあだとなったらしい。
 だが、聞かれていたとしても、この件に雛を関わらせる気は、樹鶴には毛頭なかった。場合によっては、むごいものを見せることになるのだ。
 やんわりと拒絶を申し渡した樹鶴に、鏡椛はぐっとこぶしを握り、食い下がる。

「受け入れられませぬ。お代さんはわたくしの最初の友に御座りますれば。友を作れと申されたのはどこのどなたか」
「聞いたらお前さん、猪みてぇに走り回るつもりだろう。教えないよ」

 噛みつくような鏡椛の姿を見ては、ますます教えられない。
 ぐっと顔をしかめて突っぱねるが、巌のような子供の意思は変わらないようで、むっとした表情で子供の顔が赤く染まった。――目上の者に、ただ道筋を示してもらうことを当たり前として動いていた子供が成長したという喜びを味わうには、修羅場が過ぎることが口惜しい。

「先生!」
「もう逢魔が時だ。お前さんの面倒まで見てる余裕はねえんだよ」
「でも」
「くどい」

 これ以上雛を危険にさらしてはならない。――ぴしゃりと断じ、ひりつく樹鶴の肩に、ぽんっと大きな手がかかった。
 爛漫の桜花に似た男が、場を緩めるように鷹揚な仕草で笑った。

「まーまー、いいじゃねえか。樹鶴。俺とアンタが揃ってんだ。それにやっと手前の意思で踏み出そうとしてる餓鬼を囲ってどうするよ」
「亀櫻殿……」

 感動したように目を見開く鏡椛とは裏腹に、樹鶴は舌打ちしたい気持ちを抑えながらギロリとその桜色を睨みつけた。
 余計なことを言いやがって。そんなことはわかってるんだよ。そんな相反する思いが混ざり合った苛立ちをむしろ心地よさそうに受け止めながら、亀櫻はにっと笑った。
 それは、【塾】で雛たちに見せる笑みと同じ、導くものとしての笑み。

「ただ約束だ。ついてくるんなら、これ以降は俺か先生の言うことを絶対に守れ。手前で歩かせて肉をつけさせるのが俺の流儀だが、餌にすんのは道義に反する。俺たちを外道にさせるなよ」
「! はっ。勿論に御座います」
「よし。決まりだな。っと、お代の反応はどうだい?」

 促すような視線に、樹鶴はすっと、深く息をした。
 ――思えば、先ほどから呼吸を忘れていた。
 冷たい空気が鼻腔を通り、肺に満ちる。沸騰しかけていた血が冷える。

 樹鶴は、そもそもは気性が穏やかなわけではない。どちらかといえば気まぐれに災厄を起こしていた方が楽な、気ままな性格をしている。
 亀櫻と出会ったころはまだそうした気性が出やすいころでもあった。だから、こうして頭を冷やす一拍を取らせたのだろう。

(こういうところが、師範に向いてるんだよねこの子は)

 百年二百年と生きていれば子供に教わることも多くなるものだな。と冷えた頭で考えながら、樹鶴は探索結果を告げた。

「現世にあるのは朝方に着いたのの名残だけだね」
「んじゃ、異界か」
「彼岸だか常世だかはわからねえが。そうだろうな」
「蛇の奴にさらわれたか?」
「どうだろうね。だが、蛇ばかり気にしていては他の肝喰らいのことを見落とすだろう。総ざらいするのが一番早い」

 言葉とともに、さらに使役を足す。
 無数の花びらが舞い上がり、さながら桜吹雪の中のような光景だ。

「それができるのは樹鶴せんせいくらいなんだよなぁ」

 苦笑いする亀櫻に、樹鶴の片目がぱちんと閉じた。

「伊達に生きてないからね」

 別に今さら恥とは思わないが、格好悪いところを見せてしまったのだから、これくらいはしたいだろう。 



 花弁のさなかで黒髪を舞い上げながら紙に何かを書きつけている樹鶴に、鏡椛がぱちくりと目を瞬かせた。

「先生は、何をしておられるので?」
「あれか? あれは使役が知覚した地形と道筋をそのまま紙に写してるんだろ。使役の数は――何匹出してるんだあれ」

 亀櫻の目が遠くなる。
 目の前で展開されている使役の数は、先ほどよりも増えている。桜花爛漫というのは自分の代紋のようなものではあるが、よほどそれらしい光景を繰り広げられては敵わない。
 多少熱くなったあの人を宥めることに成功したとは言えど、まだまだ背中は遠いことをひしひしと感じながら、亀櫻はその艶姿を目に焼き付ける。

 けれど、まだ鏡椛には目の前で繰り広げられていることの規格外さがわからないのだろう。不思議そうに、燐光を帯びた目が亀櫻を見上げた。

「大人になればああいうことができるようになりますか?」
「そりゃ手前の素質次第だろうが……マア、あれになるにはだいぶ骨が折れるだろうよ。俺は無理」
「そんなにも複雑なことをしておられるので?」

 あまりにも無垢な問いだ。力量差がありすぎるとわからないというのは、こういうことなのだろう。あんまりにも大きな力だから、雛ではあの力の奔流は感じ取るのが難しいのかもしれない。
 ガリリと頭を掻きながら、亀櫻は適した言葉を探す。

「あー……いや。複雑ではねえんだよ。道に迷ったときに周囲を探るくらいなら誰でもできるようになる。そういう術のちょっとした応用だからな」

 本当の事だ。あと三か月もすれば鏡椛だって周辺の地形や気配を探ることはできるようになるし、筋がよければさほど間を置かず紙にそれを描き出すことだって可能となる。

「? では何が無理に御座いますか?」
「規模」
「きぼ?」
「俺が知覚できる範囲で――両隣みっつ向こうの宿場のあたりまでかな。下手すると釜倉あたりまでいってそうな、でっかい網を広げてんだよ。あの人。そんなことしたら大体の奴は頭の中が焼き切れるっての」

 想像するだけで恐ろしい。
 今ほどではなかった先ほどの範囲であっても、あれほどの量の使役を展開しながら会話なんてしたら、まず目や耳から血が噴き出す。先ほどまで、少し怒りっぽくなっていたくらいで済んだことが、亀櫻からしてみれば不思議でならない。
 あれで老いたのなんだのと本人は言うが、ならば全盛期はどれほどであったというのだろうか。

「そのようなことが」
「あるんだなあ」

 驚愕に瞳を揺らす子供の頭を掴んで、ぐいと目の前で行われている、神代の残滓が如き荒ぶる御業へと顔を向けさせる。
 またとない教材だ。あれを当たり前と思わせず、なおかつ恐れさせないことが師匠役の務めというものだろう。

「さあ鏡椛、よく目ェかっぴろいて視とけよ。あの人の真骨頂は、術の器用さでも、配分のうまさでもねえ。――惚れ惚れするほど純粋な、力押しだってところをよ」

 無数の花弁。
 無数の閃光。
 火花が泳ぎ、風が逆巻き、花が踊る。
 白紙にしみ込んだ墨はぐるりとうねり、光が散り、花が触れるたびに形を変える。

 光と色彩が織りなす様は、正しく超常の光景だ。
 しかし――それを不自然と思う一切を、天が与えた異様な美貌が阻む。
 原初の美しさをそのままに、神代からあり続けたという圧倒的な存在強度が反発しようとするすべての理をねじ伏せる。

 ――我がこうすることを阻むほど、お前たちに価値があるのか。

 そう言い放つような威圧を余波で受け、弟子二人の背筋が震える。
 普段の穏やかさを嘘とは思わない。けれど、これを見てしまえば、思わずにはいられない。

「視つけた」

 この金無垢の瞳を持つ麗人は、荒魂あらみたまであるときこそが、もっとも輝かしい姿をしているのだ。
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