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夢の通い路
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目を開けて、これは夢だなと思った。
いつもは現世の重たい空気に取られてしまう足が神代のころのようにすいすいと動くし、もう絶えて久しい動植物がそこかしこで生き生きとしている。とてもわかりやすい夢だ。
なにより、あの女が目の前にいる。
葦原を往く彼女の存在に呆けていれば、くるりと長い髪がひるがえった。風にあおられた黄金色が、ほのかに白く光る。
「■■■、どうしたんだい。突然足を止めたりして」
冬の日のほっとするような陽だまりに似た声を発した顔は、やはり美しい。
散々多くの人間に造りがよいと言われた顔を自分も持っていることはいい加減自覚しているが、自然の中で輝くものすべてを集めたような天然美を持つ彼女に敵うとは到底思えなかった。
惚れた欲目と言われればそれまでであるし、そうである可能性を否定する気もないけれど。
「――なんでもない。ただ、風が強いと思って」
「おや、そうだね。雲も流れているし、一雨来るかも」
なんてことない会話。いつか交わした眼差し。今は失くしてしまった時間。
それをまざまざと見せつけてくるなんて、なんていやな夢だ。いっそ決定的にかつてと違う、理想化された姿を映し出して笑い話に仕立てればいいものを。
このころはまだ肩甲骨までしかなかった髪が風にあおられて、頭皮がわずかに引っ張られる。細かな感覚まで再現しきっているということは、頬をつねった程度では目が覚めることはなさそうだ。
それならばいっそ、楽しんでしまってもいいだろう。そう思って、口を開く。
「■■」
彼女の名前を呼ぶ。
自分と彼女以外誰も知らない、魂につけられたほんとうの名を呼ぶ。ただそれだけで渇いた魂が潤い、熱を帯びていく。
我が最愛。我が幸福。永遠を形に成した人。輝かしくあたたかな我がつがい。
夢だとわかっていても、その体温に触れたくなってしまって、そっと手を伸ばす。頬から耳の裏へと手のひらをあてがえば、くすぐったそうに愛しいひとが笑う。
「今日は本当にどうしたんだい、■■■」
「――お前が生きていることが嬉しいんだ」
魂だけになろうと、形がなかろうと、遠くへ逝ってしまおうと。どんなことになっても己の想いに陰りが見えないことなど、この千余年で嫌というほどわかった。けれど、それと同時にこうして体温を感じられることは別格なのだと痛感する。
寂しいと常に思っているわけではない。待ち焦がれることすら愛おしい。
それでも、常に更新されていく生きた彼女こそが、なによりも心を満たすのだ。
そんな思いを込めて告げた言葉は、ただの記憶の再現であるならば彼女には届かないはずだ。彼女がいたころに、こんなことを言う必要はなかったのだから。
けれど。
「ありがとね。■■■。あんな言葉を千年も守ってくれて」
花のように笑って、彼女は応えた。
「まさ、か」
思わず、唇が震えた。
その言葉は、生きた響きをしている。やりとりが成立したということは――鬼道の夢でこのようなことが起きるということは、目の前に居るのは、自分の記憶が作り出したものなどではないのだ。
そう察するよりも前に、腕がひとりでにその細くも柔らかな体を思いきり抱き締めていた。
(魂の形がある――ここに、居る)
頽れてしまいそうな自分を叱咤して、足に力を入れる。けれど、頬を伝う涙を止めることはできない。
――このまま夢の中で永遠を過ごしたって構うものか!
そんな狂喜で、内臓すべてを焼き切ってしまいそうだ。
腕の中で砕け散った最愛との再会にすべての思考を投げ出そうとした唇を、細く柔らかな指がそっとつついた。
「駄目だよ■■■。妾はいつか必ず約束通りアンタの所に還るからさ、今は夢から醒めなくちゃ」
そう言って彼女の指さした先に、何か細長い影が見える。
暗闇に白く浮かび上がるそれは、決して尋常のものではない。なるほど、アレを知らせるためにわざわざ夢に出てきたのか。
(ということは、この触れ合いは先払いされた褒美といったところか。――敵わないな)
腕の力を弱めれば、待っていたかのように甘い夜の影が蕩け出した。そしてそれは、無数の青い蝶へと姿を変えていく。
「本当にお前は、我に厳しいな」
「フフ、叱れるのは妾くらいなもんだからね。みんなアンタに甘いし。ね、■■■――可愛い雛たちを、任せたよ」
「お前に頼まれたら、断るわけにいかねえなぁ」
苦笑した頬にあたたかな手が触れて、顔が寄せられる。
長い睫毛が頬に影を作っているのが見える。つられるようにして目を伏せ、
――そうして、夢は終わった。
ぱちりと目を開けて、樹鶴はあたりを見回した。
葦原などどこにもない。見慣れた褥だ。髪も、あの頃の彼女のように長く伸びて引きずるほどの今のものに戻っている。
最愛の姿は、どこにもない。
「――まったく、夢枕に立つ元気があるんなら、さっさと帰ってきてほしいよ」
ため息をつくその横顔は、まるで惚気るように緩んでいた。
いつもは現世の重たい空気に取られてしまう足が神代のころのようにすいすいと動くし、もう絶えて久しい動植物がそこかしこで生き生きとしている。とてもわかりやすい夢だ。
なにより、あの女が目の前にいる。
葦原を往く彼女の存在に呆けていれば、くるりと長い髪がひるがえった。風にあおられた黄金色が、ほのかに白く光る。
「■■■、どうしたんだい。突然足を止めたりして」
冬の日のほっとするような陽だまりに似た声を発した顔は、やはり美しい。
散々多くの人間に造りがよいと言われた顔を自分も持っていることはいい加減自覚しているが、自然の中で輝くものすべてを集めたような天然美を持つ彼女に敵うとは到底思えなかった。
惚れた欲目と言われればそれまでであるし、そうである可能性を否定する気もないけれど。
「――なんでもない。ただ、風が強いと思って」
「おや、そうだね。雲も流れているし、一雨来るかも」
なんてことない会話。いつか交わした眼差し。今は失くしてしまった時間。
それをまざまざと見せつけてくるなんて、なんていやな夢だ。いっそ決定的にかつてと違う、理想化された姿を映し出して笑い話に仕立てればいいものを。
このころはまだ肩甲骨までしかなかった髪が風にあおられて、頭皮がわずかに引っ張られる。細かな感覚まで再現しきっているということは、頬をつねった程度では目が覚めることはなさそうだ。
それならばいっそ、楽しんでしまってもいいだろう。そう思って、口を開く。
「■■」
彼女の名前を呼ぶ。
自分と彼女以外誰も知らない、魂につけられたほんとうの名を呼ぶ。ただそれだけで渇いた魂が潤い、熱を帯びていく。
我が最愛。我が幸福。永遠を形に成した人。輝かしくあたたかな我がつがい。
夢だとわかっていても、その体温に触れたくなってしまって、そっと手を伸ばす。頬から耳の裏へと手のひらをあてがえば、くすぐったそうに愛しいひとが笑う。
「今日は本当にどうしたんだい、■■■」
「――お前が生きていることが嬉しいんだ」
魂だけになろうと、形がなかろうと、遠くへ逝ってしまおうと。どんなことになっても己の想いに陰りが見えないことなど、この千余年で嫌というほどわかった。けれど、それと同時にこうして体温を感じられることは別格なのだと痛感する。
寂しいと常に思っているわけではない。待ち焦がれることすら愛おしい。
それでも、常に更新されていく生きた彼女こそが、なによりも心を満たすのだ。
そんな思いを込めて告げた言葉は、ただの記憶の再現であるならば彼女には届かないはずだ。彼女がいたころに、こんなことを言う必要はなかったのだから。
けれど。
「ありがとね。■■■。あんな言葉を千年も守ってくれて」
花のように笑って、彼女は応えた。
「まさ、か」
思わず、唇が震えた。
その言葉は、生きた響きをしている。やりとりが成立したということは――鬼道の夢でこのようなことが起きるということは、目の前に居るのは、自分の記憶が作り出したものなどではないのだ。
そう察するよりも前に、腕がひとりでにその細くも柔らかな体を思いきり抱き締めていた。
(魂の形がある――ここに、居る)
頽れてしまいそうな自分を叱咤して、足に力を入れる。けれど、頬を伝う涙を止めることはできない。
――このまま夢の中で永遠を過ごしたって構うものか!
そんな狂喜で、内臓すべてを焼き切ってしまいそうだ。
腕の中で砕け散った最愛との再会にすべての思考を投げ出そうとした唇を、細く柔らかな指がそっとつついた。
「駄目だよ■■■。妾はいつか必ず約束通りアンタの所に還るからさ、今は夢から醒めなくちゃ」
そう言って彼女の指さした先に、何か細長い影が見える。
暗闇に白く浮かび上がるそれは、決して尋常のものではない。なるほど、アレを知らせるためにわざわざ夢に出てきたのか。
(ということは、この触れ合いは先払いされた褒美といったところか。――敵わないな)
腕の力を弱めれば、待っていたかのように甘い夜の影が蕩け出した。そしてそれは、無数の青い蝶へと姿を変えていく。
「本当にお前は、我に厳しいな」
「フフ、叱れるのは妾くらいなもんだからね。みんなアンタに甘いし。ね、■■■――可愛い雛たちを、任せたよ」
「お前に頼まれたら、断るわけにいかねえなぁ」
苦笑した頬にあたたかな手が触れて、顔が寄せられる。
長い睫毛が頬に影を作っているのが見える。つられるようにして目を伏せ、
――そうして、夢は終わった。
ぱちりと目を開けて、樹鶴はあたりを見回した。
葦原などどこにもない。見慣れた褥だ。髪も、あの頃の彼女のように長く伸びて引きずるほどの今のものに戻っている。
最愛の姿は、どこにもない。
「――まったく、夢枕に立つ元気があるんなら、さっさと帰ってきてほしいよ」
ため息をつくその横顔は、まるで惚気るように緩んでいた。
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