鬼道ものはひとり、杯を傾ける

冴西

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鬼道ものの保護者面談 前

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「まったく、やっぱり仮とはいえ雛の面倒をみるなんて引き受けなきゃよかった」

 しゅるりと衣擦れの音がして、普段袖を通している墨染の衣も打掛もはぎとられ、白と銀とで織られた浄衣へと置き換えられる。
 げんなりとした様子で呟いた樹鶴の後ろから、呵々と笑う声があった。
 
「そう言うなって、俺は好きだぜ? 樹鶴の着飾った姿」

 麗人の美しい黒髪に緋色の紐を編み込み終わった亀櫻はそう言うと、今度はいくつもの玉を連ねた首飾りを樹鶴の長い首に絡めた。

「飾ってねえよ。はあ、どうして只人のお偉いさんってのはこう面倒かねぇ。いつもの格好でいいじゃないか」
「いやいや、ただの着物ならまだしも、最近のアンタはかぶきもんを取り入れてっからさァ……アイツら、俺は嫌いじゃねえが一応世間を騒がす乱暴者じゃん?」
「まあね。これを着替えるだけで余計な波を立てずに済むに越したこたぁない。そりゃわかるさ。でもね」

 爪紅を塗られた指先が頭痛を堪えるように自身のこめかみを押さえ、再び盛大なため息をついた。大きく肩と背が揺れて、飾りがずれたとか亀櫻から抗議の声が上がったが、樹鶴としては知ったことではない。

「なんで、こうもゴテゴテと飾りをつけなくちゃいけねえんだ。祭の日ならともかく」
「だって好きだろ? 連中、こういういかにも神らしいのがさ。なあ? 通いの」
「ええ。わっちもよう使う手でさぁ。なにより、樹鶴サンの顔なら一発で説得できますって」

 そういってケケケと妖怪じみた笑い声をあげたのは、鏡椛の家のあたりを縄張りにしている通いだ。
 異色も目立たない足の裏にある上に鬼道ものの中では素朴な造形の、そこらにひょいと生えている土筆つくしを思わせる、見かければちょっと嬉しくはなるがあくまで目立たない雰囲気の男である。
 しかしそれは姿だけのことで、中身はまあまあの変わり者だ。なにせ、さすがに只人相手には固定しておくらしいが、鬼道相手には名前をコロコロ変えてしまうのだ。嫌がらせというわけではなく、魂に名が定着しやすい性質をしているらしいから仕方がないのだが、それでも呼び名に困る事には変わりない。
 よって、長く付き合うことになる鬼道ものたちの間ではもう『通いの』とだけ言えばこの男を指すことになっていた。

 そして今回、樹鶴が着飾る羽目になっているのもまた、この男が原因である。

『一度、あの子の親にあっておきません? ほらほら、一応長年かけて勝ち取った信頼した相手であるわっち以外の手に御子が渡って、気を揉んでるみたいなんで、ね? 今後わっちがあの家に通いにくくなんねえように助けて下せえ』

 まったく、ニコニコ笑ってするりと懐に入ってくるぬらりひょんみたいな男である。一理あると頷いてしまったが最後、面倒にならないようにとかなんとか理由をつけてこの通り、いかにも・・・・という古代の神官にでもいそうな服装をさせられている。 
 ちなみに、この通いのは弟子でこそないが、樹鶴が拾って【塾】に投げ込んだ子供だ。亀櫻よりはずっと素直だと思っていたが、どうにもひねくれた子に育ったらしい。
 元弟子と拾った子供に挟まれて、樹鶴は疲れ切った様子で本日何度目になるかもわからないため息をついた。

「騙りの会話を聞いてるみてえだな……。だいたいね、通いの。お前さん、あの子をうちによこすときに相性だ何だと嘯いたみたいだが、あれも嘘だろうよ」

 あんな業の糸まみれ罅まみれの雛を見て、まったく気づかない指南役はいない。
 そう言った思いを込めてじろりと視線を落とせば、ヘラッと素朴な造りの顔が悪戯がバレた時のような笑みを浮かべた。こうして咎められるたびに至極楽しそうな顔をするのは小さなころと同じだ。内容はまったく可愛らしいものではなくなってしまったので、懐かしいというよりは呆れが先に来る。

「はっはは。勿論。わっちみてぇな若輩があんなややこしい状態の雛を指南するなんざ怖くて無理無理」
「マ、その判断は褒めてやらんこともないけどね。今度からああいう子を回したいときはきちんと事前に相談しな。いつまでもアタシがいるとも限らねえんだから」
「お、樹鶴サンもついにあちらへ?」

 あれやそれやと細かいところのこだわりを調整していた真っ黒な目が、ぱっと樹鶴を見上げた。背後からもじっと見つめる銀色の視線を感じる。
 この最高齢の鬼道ものがいつまで現世にいるのか、いつ彼岸に渡ってくれるのかというのは、樹鶴の子を自称する者たちにとってはもっぱらの賭けごとの対象なのだと、勿論樹鶴も知っている。

「さて、どうだろうね」

 にっこりと笑って「もういいだろう」と樹鶴が手を叩けば、しゅるりと空気に溶けるように姿が消える。目的地へと転移したのだ。
 歩けない距離ではないが、この服装で町を抜けて見世物になる趣味はない。
 答えが聞けなかったのが不満なのか、あるいはどこぞの神仏のような渾身の出来栄えの樹鶴を見せびらかせなかったのが不満なのか、ふたりの大きな子供の揃った落胆の声だけが見世の中でわんと響いた。
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