鬼道ものはひとり、杯を傾ける

冴西

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もう一人の客人 (1)

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 子供が思考の淵に潜っていくのを確かめて、樹鶴は木戸の方へ目をやった。

 休みでもない限り開きっぱなしのそこに、目の前の子供と同じくらいの身の丈をした女童めのわらわが樹鶴の使役と手を繋いで立っている。
 背には大きな包みを背負っており、大人用の丈をつめたくすんだ赤色の薄っぺらな着物を着ている。いくら冬にはまだ遠いとはいえ、あまりに涼やか過ぎるようにも思えたが、きっと親がどうにかして一番いい着物を着せてやりたいと引っ張り出したのだろう。と薄いなりに状態はそこまで悪くない布地を見れば容易に想像できた。

 この子はさきほど――丁度煙管を消したあたり――から居たのだが、こちらにかかり切りで対応が遅れてしまったのだ。
 せめて人攫いがでないようにと小人型の使役を傍にやったが、客を放っておいたことには変わりない。
 
「すまない。待たせちまったか」
「えっと、その、おじゃましちまいましたか」

 女童の目がちらりと、黙り込んだ子供へと向いた。どうやら、そこそこ待たせただろうに声をかけず、視線もやらないようにしていたのは先客を気遣ってくれていたかららしい。

「いんや? 大丈夫だよ。この子はちぃと考えることが多くてね」

 そう言いながら女童をよく見れば、大きな丸い目を縁取る睫毛だけが羽毛に変じている。小鳥のように繊細なものが目頭側に生え、まなじりに向かって次第に長さを増していっているが、色は髪と同じ夜の色をしているからかそこまで目立たない。
 あやかしの気配はしないから鬼道の異色だろう。他にも怪しいところがないのをさっと確かめて、樹鶴は言葉を連ねた。
 
「お前さんも筆子になりに来たのかい?」
「あ、あい! おっかさんが、せんせならめんどうをみてくれんだろって」
「ん。待っときな。この子が終わったら……いや、お前さんを先にやっちまうとするか」

 なにせ、先ほど考え込み始めてから子供は時折まばたきをする以外の身じろぎを一切しなくなっている。考え終わるのを待っていては女童を今日中に【塾】へ渡せなくなってしまうだろう。
 樹鶴にとってはなんてことのない提案であったが、今回は二連続で本能が弱い雛であったらしい。
 女童の心配になるほど薄い肩が、蛇に後ろを取られた猫のようにびくぅっ! と跳ねた。

「ひぇ!? お、お侍様よりも先になんぞ、めっそうもねえ! 斬られちまう!」

 ブンブンと大きく短い腕が左右に振られる。まずそれを武家のものの前で口にするあたり、実はなかなかいい度胸をしているのかもしれない。よく見れば面白そうだと言わんばかりに口元が緩んで弧を描きかけているのが隠せずにいる。

(こういうのが雛だよなァ)

 何百年ぶりに予期せぬ緊張を強いられていた樹鶴はほっと息をつき、笑って女童を手招く。

「いいからいいから。鬼道もんが身分を怖がってどうするんだい。ほれ、お前さん。地蔵になってねえでちょいとズレておくれ。そこの隅を考え事の答えが出るまで貸してやっから」
「……はい」

 ちょんと頬を突けば、鬼道の鋭い聴覚でかろうじて聞くことができた程度にか細い声を出して、子供が百味箪笥のない角へ膝立ちで移動する。丁度日が当たっている場所だから、冷えてしまうことはないだろう。
 一つ頷いて、樹鶴は呵々と笑った。

「さ。座りな嬢ちゃん。日が暮れちまっちゃあ、具合が悪いからね」

 くるりと指先で宙を掻いて女童の手から小人の使役を回収する。
 頼りにしていたのか知らぬ間に仲良くなったのかは知らないが、随分と衝撃を受けた顔になって、女童は観念したように草履から足を引き抜いた。
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