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岩の子供と (2)

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「――悪い、待たせたね」
「いいえ。よろしくお願い申し上げます」

 思うところはあれど、いつまでも待たせておくわけにはいかない。気を取り直して体勢をもとの位置に戻して声をかければ、いかにも自分はおのこであると言わんばかりに格式ばった礼が返ってきた。
 作法通りの振る舞いをしてみせる子供は立派だ。よく只人に交じれるようにしつけられた大人びた子だと言えよう。樹鶴だってなにもすべてを跳ね除けるような暴れ馬こそが子供のいい例とするつもりはない。中にはそうした仕草をするのが楽しくてやってみせる子だっている。

(この子は、この振る舞いが好きなわけじゃあ……ねえよなァ)

 いかにも教えた者の手本通りになぞらねばならないと気を張っているもの特有の四角四面さであったり、仕草を終えた直後に小さく安堵を覚えたかのように息を吐き出していたことであったりと、そう判じるに足る要素はいくらでもあった。
 そして、そんな子供の一挙手一投足を目にするたびに、わざわざ堰き止めた水で紅葉の錦を織っては称賛する人々を前にしたときと同じような苦しさが胸を塞ぐ。

 鬼道ものが縛られることを厭うのは、何も気ままだからというだけではない。掴もうとしても捕まえることのできないモノであることこそが本質だからだ。

 雲のように、水のように、霞のように、風のように。
 また、光のごとく、影のごとく、時のごとく。
 なにより、夢幻ゆめまぼろしめいて在るモノ。
 
 その理を阻まれた鬼道ものは、往々にして魂が壊れる・・・・・

 糸に絡めとられて軋む魂は、その報せだ。
 さすがに雛と呼べる年齢でこれほどまでに糸が絡んでいる子供は初めて見たから混乱もしたが、まず間違いないだろう。
 【塾】で保護すべきものであり、直感が『この子は無理だ』と示す。もう看取るしかない――生きていくことのできない、雛鳥。

 それが、目の前にいる子供の頭上で輝く星が示すものであった。

 虚空を映した瞳のまま帰るべき場所にも帰れなくなって、霧散して、あとには涙の滲み一つ残せなかったヒトの姿は、今でも忘れることはできない。
 だというのに、こんな頑是ない子供にまでそれが降りかかると思うと心が痛んだ。
 けれど、この鬼道もの特有の瑕疵から他の結末が生まれたという話は、千余年を生きる樹鶴も知らない。この痛みばかりは、飲み込むしかないのだ。
 ――どうしようもないのだから。

 そこまで思って、不意に樹鶴は息をつめた。金色の瞳にちりりと燃え立つものが生まれる。

(……ああ、嫌だねえ)

 無理だよ、ああなっちまったらもうダメだ――そう、間違いなくわかっている。
 この子供を糸から逃がすことなどできない。自力で解けない鬼道ものはもうそういうさだめなのだ。寿命と思って看取ってやるのが無理に苦しめずに済む最良の方法。
 大樹によく似ていると言われる魂をもつ樹鶴は、葉が風にざわめくように感情が揺れることはあれど、根と幹自体がひどく頑丈にできているから存在自体は揺るがない。それゆえに、いつだって心苦しくとも見送ってきた。
 見送ることができてしまっていた・・・・・・・・・・・・・・・
 
アタシも耄碌したか。――どうしようもねえもんから雛を守るのが、気ままな鬼道アタシらが唯一守らなきゃなんねえ約束事だろうが)

 舌打ちしたい衝動を堪えて、樹鶴は改めて雛の顔をまじまじと見た。
 幼さ故にあちこち丸みを帯びながらも細やかな造りをした、すっと涼しい目をした雛だ。瞳孔の底に青い燐光が見えるのが、この子の異色なのだろう。

「さて。まず確認するよ。お前さんは筆子になりたいってんでいいんだね」
「はい。この身に鬼道の力が宿っている自覚は……その、ありませぬが、何も備えずに有事の際に周囲の者を危うくすることが万一にも無きようにと」
「……ふぅん、立派だ。で、次。どの程度扱えるようになりたいんだい」
「どの程度、とは」
「最低限魔性に魅入られることのないように筆子全員に教え込んでる基礎だけでいいのか、それともちっとは術を使えるようになりてぇのか、立派にアタシみたいな化外になりてぇのか、って話さ」
 
 くるりと樹鶴の長い指が宙を掻けば、その軌跡をたどって光で出来た小人や蝶や花が陽炎のようにじゃれつき、百味箪笥の引手が一斉にかちゃかちゃと楽し気に上下しながら笑い声をあげる。鬼道ものが子をあやしたり、村人に昔話を語るときによく使う戯れのような術だが、この程度でもこの子供にはよく効いた。

「わあっ……! ぁっ、これは、……その、」
「さっきの言い分だと基礎だけって聞こえたが、どうにもそれはお前さんの本心じゃあ、なさそうに視えてね」
「わたくしは、そんな」

 一寸前にはっとした声と共にその顔に浮かべた表情には微かな希望が浮かんでいた。けれど、無邪気な自分に気づいた瞬間それは四散してしまい、今はもうその光は震えながら引き結ばれた唇にも、伏せられた目元にも存在しない。
 唯一あるとすれば、白くなるほど握りしめた拳の中だろう。

(さて、どうやって天岩戸を開けようかね)

 運命さえも惑わすほどに魅力的な笑みを浮かべて、美貌の鬼道ものはゆるりと口を開いた。
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