鬼道ものはひとり、杯を傾ける

冴西

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岩の子供と (1)

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「失礼いたします」
「おや」

 表土間に凛と佇む小さな袴姿の子供を認めて、店主は金の目を瞬かせた。

「こちらで、鬼道の指南を行っておられると聞かされました」

 物おじはしないが緊張はしているといった様子で、子供は張り詰めた声を発した。年のころは9つか、あるいはもう少し下だろう。形のいい額にかかる前髪と頬はあどけないが、涼やかな目元といやにまっすぐな背筋がいかにも武家の子供らしい。
 そう、武家の子供である。
 着物の程度を見るに大きな城の殿様の嫡子というわけではないだろうが、かといって先の戦で負けきって落ちぶれた家の子というようにも見えない。ここらの地頭の一門の子といったところだろうが、それでも町人からしてみれば上役だ。腹の底で何を思おうと、ひとまず平身低頭して迎えるのが世の常である。それはたとえ大人と子供であろうと変わらない。
 しかし、樹鶴は特に姿勢を正すわけでも畏まるわけでもなく、ふうっといつものように泰然として煙管でふかした花蜜の煙を吐き出した。

 鬼道ものは、あらゆる人の理の外にある。

 身分は効かず、親の人となりに縁らず、罪にも善にもよらず、どんな場所にも実る。それが乞食でも武家でも、どこにでも。血潮を持つものの胎に不意に宿るのが、鬼道もの。人の世の身分に留め置くには手に余ると僧や神職などよりも遠い場所に置かれたのは、もう随分と古い出来事だ。
 ――それをわかっているか?
 そう問うような態度に子供は気を悪くするでもなく、「貴殿が指南役のお師様で?」と姿勢通りのまっすぐさで問いを重ねた。
 鈍いのか聡いのか今一はかりかねて、「いいや」と樹鶴は緩くかぶりを振った。

「もののふの雛が暖簾を潜ってくるとは珍しいね。お前さんらはたいてい、通いをやってるのが面倒を見て回っているだろう」

 鬼道ものは、同種の子供――彼らは「雛」と呼ぶ――を放置することを良しとしない。
 そうした行動から同族意識が強いと只人に言われることもあるが、樹鶴に言わせれば「そんなわけがあるか」だ。
 そも、縁もゆかりもないものを同族と思うかと言われれば首をかしげてしまうだろう。只人と鬼道ものが同時に目の前で傷ついていても、どちらを助けるかはその時の相手の態度次第、それぞれとの関係次第で、そこはやはり只人と大差がないように思えた。
 ――力を操る術を知らぬがゆえに無闇に傷つく雛がいるのなら、只人だって自分の手の届く範囲で助けて回るだろう。ただそれだけのことだ。

 さて、そのように雛の養育に手を貸して回る鬼道ものたちは当然というべきか、稽古をつけるに相応しい場所を作った。
 それを【塾】といい、只人がそれがどこにあるかを知る術はない。だが鬼道ものに声をかければ特に金子や物を要求してくることもなくひょいと請け負って、鬼道の妖し気な術だけではなく読み書きそろばんの手習いもつけてくれるというから、農民や町人の家に生まれた鬼道ものはこれ幸いにと【塾】へと通わされる運びとなっていった。
 だが、身分の意味するところの大きな時代だ。そのようなどこの馬の骨とも知れぬ者たちと机を並べさせるなんて、と言い募る家も確かにあった。けれど、鬼道ものはそうした家にも気兼ねなく生まれて来る。

 そうした家の子らの面倒をみているのが、俗に【通い】と呼ばれる鬼道ものだ。

 定住こそしないものの人の世と関わるのは嫌いじゃないと言って、行商の真似事をしている鬼道ものは割に多い。
 そういったものを通いといい、市井に降りることを厭う親のもとに生まれた鬼道の子供たちのもとへ行き、鬼道としての生き方を指南する役割を担う様式は平安頃には確立していた。かつては鬼道ものを騙る不届きものも居たが、そこは鬼道ものの長寿のなせる業。何代にもわたって顔を覚えさせるのはそう難しいことではなく、自然と騙りは淘汰されていく運びとなった。
 そして、武家はよほどの変わり者の血族でもなければ、信の置ける通いに己の血筋に生まれた雛を託し、己らの目の届く範囲での養育を頼む。

(子供が歩ける範囲にある武家筋に、『よほどの変わり者』はいなかったはずだけどねぇ。何も教えずに飛べる子には見えねえし)

 樹鶴の柳眉が怪訝そうに寄ったのを見て、子供はやはりやたらとよい姿勢のまま口を開いた。

「わたくしも当初は屋敷にて指南を受けるとばかり思っておりましたが、我が門の通い曰く【相性が悪い】とのことで」
「そうかい。マ、そういうこともあるだろう」

 鬼道同士にも相性というものがある。なにせ技術というよりは魂に根差した体質に近い。基礎ならばともかく、個々の性質に依存する本格的な力の運用は師弟の相性が肝心になる。【塾】で指南役をするような器用なものであっても、段階を見てより適した相手に託していくのだからこれはもう仕方のないことと言えた。

 納得のいった顔で頷いた樹鶴に、今度は子供の方が不思議そうな顔をする。

「それで、貴殿が指南役でないならば、誰が務めておいでか」

 なるほど、当然の疑問だ。
 一つ頷いて、樹鶴の長い指が肩越しに続く部屋の奥をぬっと示した。まだ昼間と言えど木戸から一等遠い上に少しばかり棚の影にかかったそこは、只人ならばまず見えはしないだろう。

「そら、あそこに姿見があるだろう」
「――、はい」

 当たり前のように言われた言葉に一瞬子供が息をのんだ。そしてじっと目を凝らし、小さな頭が縦に揺れる。
 奥の方に、陽光の欠片が跳ね返る場所がわずかにある。形がはっきり分かるわけではないが、ああして光るものなんてそう在りはしない。そんなふうにあたりをつけての回答だった。
 粗相があってはいけないとばかりにこわばった子供の様子を受け取って、樹鶴はちいさく自身の頬を掻く。

(鬼道としての眼より、人としての目の方が勝っちまってるのか……。岩みたいな子だね)

 思案すべきことは多々あれど、緊張させることは本意ではない。そう思いなおして、孫を迎えた老爺のように柔らかな笑みを浮かべる。
 樹鶴もずいぶん長く生きてきた身だ。自身の顔が硬い表情を取れば氷でできた鬼神のように恐ろしく思え、柔い表情を取れば花を抱いた天女のように温かに思える造りであることを重々承知している。進んで利用しようとは思わないが、あえて遠ざける理由もない。
 狙いはうまくいったようで、すっと子供の肩からわずかながらに力が抜けた。

アタシはあれを通じて現世と彼岸を繋ぐ……そうだね、門番ってトコか。ここいらの雛が無事彼岸に行くときに見送って、また帰ってくるときに数がきちんと揃っているのを確かめる役をしてる」
「何故そのようなことを?」

「食われちまうことがあるから」

 しれっとしたその目に冗談を言っている様子はない。樹鶴はあくまで本当のことを伝えているのだと一拍遅れて気づいた子供の口から「は?」と唖然とした声が零れた。

「物の例えでも脅しでもないよ。アタシらみたいのは『一歩向こう』の住民たちにはえらく美味そうに見えるらしくてね。早い子だともう身に覚えがあったりするもんだが、どうだい」
「……暗がりに、父母らには見えぬものを見たことならば」
「ハハ、それで五体満足に生きてきたんなら立派なもんだよ」

 どんなモノだったのかは知らないが、よほど恐ろしい体験だったのだろう。袖口から覗く腕の産毛が立っているのが見える。目を凝らして無理に返事を絞り出した時とは違う、実感の伴った反応があったことに満足して、樹鶴はからりと笑った。

「店主殿、笑い事では御座いません!」
「そうかい? じゃ、早々にお前さんが【塾】に行けるように準備してこようかね」
「よろしくお願いいたします」

 樹鶴はこの通り見世を構えて長い。思えば、変わり者ではない武士の家に生まれた雛を見るのは随分と久しぶりであるような気がした。
 だからだろうか、袴に手を当て深々と礼をする子供の姿勢はやはりいやにまっすぐで、どうにも不思議な感じがしてならない。
 
「そこに腰かけておきな」
「はい」

 折り目正しい所作のまま頷いた子供が上がり框をまたぎ、板敷にすっと腰を下ろす。
 幸いというべきか、この子供の抽斗ひきだしは壁を二面埋めている百味箪笥の中で丁度、樹鶴の頭の後ろにあった。立ち上がることもなく体を軽くひねれば指先で目的の抽斗を引っ張り出せる位置だ。行儀は悪いが、身の丈の都合でこの方が早いのだから仕方がない。
 よいせ、と引き戸に指をかけて抜き出したその中身を確かめる。
 本当は、樹鶴が相対している相手の星のめぐりや風の定めに応じて必要なものを引き出せる、という珍品であるため、この行動に特に意味はない。現に、引き出しの中には【塾】へ行く雛たち皆に手渡しているような道具がいつも通りに揃っていた。
 鬼道ものを騙るものと相対せばまず樹鶴がその身の虚を暴き、仮にすり抜けたとしてもこの箪笥がそれを阻む。そういうふうに出来ているのだ。

 けれど、樹鶴にはやはりどうしても、この子供が鬼道ものとして生きていけるようには思えなかった。

 鬼道ものではある。力や魂がそう出来ている。樹鶴も一目見て『同じ』だと判断した。箪笥もこの子供をそうだと言っている。――それでも、鬼道ものが何より信じるべき直感が『この子は無理だ』と叫ぶのだ。
 理由は、なんとなくだがわかっている。

(歪な子だね、色々と)

 鬼道ものは、個体差はあれど縛られることをひどく嫌う。
 通いが面倒をみている雛にしても、自分でそれを良しとしなければあらゆる静止を振り払って出奔し、野山に帰ってみせたという類の話は枚挙にいとまがない。樹鶴が珍しく定住している鬼道ものであるというのだって、誰かに乞われたわけではない。皆が放浪を選ぶように樹鶴にとっては腰を下ろすのが一番心地よかっただけ。

 だというのに、この子供は雁字搦めなことにすら無自覚であるようだ。

(鬼道なら、あの程度の暗がりも角度も習う前から視えるもんだってェのに、そういうのは見えない。そのくせ、鬼道でもほとんどのやつが教えられてから開くような見鬼は、恐怖がぶり返すほどはっきり根付いてる……まあ、あんなに絡みつかれてりゃあ、誰だって魂も軋むってもんか)

 視えるだけでも百を超す想いの糸が、子供に絡んでいる。
 ――それはもう、呪いと言ったほうがいい有様だった。
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