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番外編(※記載ないものはすべて本編後です)
第二王子の婚約者は勘違いしている(中)
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数日後、王太子妃教育の手伝いとして訪れた月白色の髪をした麗人――サラージュを前に、ユリンのテンションは驚くほど上向いていた。
「お久しぶりです。ユリン様。お元気そうで何よりですわ」
ふわりと微笑む姿すら美しい。近くで見るととんでもない迫力美人だ。魂を持っていかれそう。
推しの驚くべき美麗新規スチルと新規立ち絵の連続に供給過多に、バクバクと激しい音を立てる心臓をどうにか飼いならしながら、ユリンはきゅっと背筋を伸ばした。これでも今生は侯爵令嬢。前世の記憶分庶民寄りではあるが、所作は完璧に仕込まれている。
「お久しぶりです! サラージュ様も、お元気そうで……!」
「肩の力をお抜きになって? 今の王太子妃は貴女なのだから」
「そんなことを言われましても……」
「まあ、少しずつ慣れていきましょう……なんて、わたくしの言っていい台詞ではないのですけれど」
小さな微苦笑が咲いた。
ユリンが王太子妃になるにあたって――つまり、レンが王太子に繰り上がるにあたって、兄夫婦の間になにかしらのトラブルがあったことは聞き及んでいる。
だが、それについての謝罪はとうに受けている。それに噂を聞く限り、サラージュに非があるとはどうしても思えなかった。本当のところは二人にしかわからない話なのだろうけれど、そんなに心苦しそうな顔をしないでほしい。
「いえ!! サラージュ様は憧れですから、その……ご指導いただけるのはうれしい、です」
「あらかわいい。あれには勿体無いくらいにいい子だわ……」
しみじみとした言葉に、ぱたりとドレスの下で尾が揺れた。バッスルスタイルのドレスはこのむやみやたらに感情を表現してしまう尾を隠せるので有難い。まあまあ重いけれど。
でも、あれとは? 文脈的には婚約者のことを示すのだろうが、彼らはそんなに親しいのだろうか。
そんなことを考えていると、ガチャリとドアが開いた。
「来ていたのか」
「来たわよ」
「レン様、お仕事は……!?」
「休憩中だ。仮にもネクタルの娘が来ているのにオレが挨拶しないわけにはいかないだろう」
「……ふうん」
挨拶、という割にタイを軽く緩めてくつろいだ様子でユリンの隣に腰かけたレンを見て、サラージュの赤い目がぱちんと瞬いた。そして、形のいい唇がなにやら面白いものを見つけたとでも言わんばかりに弧を描く。
「そのにやけたツラをやめろ」
「あら失礼? ふふ、挨拶。挨拶ねえ」
「やめろと言ってるだろうがこの阿呆」
「口が悪いわよ、義弟」
「――その呼び名は本当にやめろ」
「ふふ、すごい顔」
ぽんぽんと軽口を交わすふたりを見つめ、ユリンはハッとした。婚約者の冷たい美貌がこれまでになく活き活きとしている。しかも、義弟呼びを心底嫌がっているではないか。
兄君にそれほど執着しているようには見えなかったので、嫌がる理由があるとすればサラージュに弟として見られたくないということ。そして、この親しげな様子。
(……そっか、レン様が好きなのって)
ユリンはきゅっと唇を引き結び、二人の顔を見ないまま立ち上がった。
「も、申し訳ございません! 少し部屋に忘れ物をしたので、とって参りますね!」
礼節も忘れ、部屋を飛び出す。背中に呼び止める声が聞こえたが振り返る気にはなれない。
大好きなはずの二人を、今は見たくなかった。
*
「部屋って、……待て!」
ぱたぱたと廊下へと飛び出していったユリンの後姿に、レンが叫ぶ。この部屋こそが彼女の私室であり、今日はこの部屋以外に移動していないのだから。忘れ物をするような場所があるはずもない。
あっという間に遠ざかっていく小さな背中に、男はさっと立ち上がった。
「あれ、何か誤解していない?」
「しているな。追いかける」
「はい、行ってらっしゃい。口下手のお馬鹿さん」
めずらしく慌てた顔で走り出した乳姉弟を見送りながら、一人のこった客人は優雅に微笑んだ。
レンがユリンを溺愛していることを、散々惚気相手にされたサラージュはいやというほど知っている。
どうせこの部屋に休憩だとか挨拶だとか言ってやってきたのも、あの愛らしい少女と一緒にいたいからに決まっているのだ。あの無愛想は慰める時でさえ無言で剣を投げつけるような男である。私的な場で丁寧に挨拶をされた記憶など幼少期から一度もない。
いつにも増して眼光が鋭かったことからすると、ユリンがサラージュに憧れてくれていることを知ったというところだろうか。敬愛すら駄目とは恐れ入る。
唐突に当て馬にされたなと紅茶を口に含み一息ついて、はたと思い至る。
「……あの程度の会話で誤解されるって、もしかして好意を口に出したことないのかしら」
あれだけ惚気ていたのだから、すべてとは言わないまでも多少は伝えているとばかり思っていたが――あの挙動は何も知らないと考えた方がしっくりくる。
恥ずかしがるような性分ではないはずなので、伝わっていると思い込んでいると考えた方が正しいかもしれない。と、なればあのまま二人きりにすると拗れて第二のアレクシスとなる危険性がある。
「それは、さすがにまずいわよね……」
ため息とともに、麗人は従者に一つ問いかけた。
狩りの基本は、導線の把握である。
「お久しぶりです。ユリン様。お元気そうで何よりですわ」
ふわりと微笑む姿すら美しい。近くで見るととんでもない迫力美人だ。魂を持っていかれそう。
推しの驚くべき美麗新規スチルと新規立ち絵の連続に供給過多に、バクバクと激しい音を立てる心臓をどうにか飼いならしながら、ユリンはきゅっと背筋を伸ばした。これでも今生は侯爵令嬢。前世の記憶分庶民寄りではあるが、所作は完璧に仕込まれている。
「お久しぶりです! サラージュ様も、お元気そうで……!」
「肩の力をお抜きになって? 今の王太子妃は貴女なのだから」
「そんなことを言われましても……」
「まあ、少しずつ慣れていきましょう……なんて、わたくしの言っていい台詞ではないのですけれど」
小さな微苦笑が咲いた。
ユリンが王太子妃になるにあたって――つまり、レンが王太子に繰り上がるにあたって、兄夫婦の間になにかしらのトラブルがあったことは聞き及んでいる。
だが、それについての謝罪はとうに受けている。それに噂を聞く限り、サラージュに非があるとはどうしても思えなかった。本当のところは二人にしかわからない話なのだろうけれど、そんなに心苦しそうな顔をしないでほしい。
「いえ!! サラージュ様は憧れですから、その……ご指導いただけるのはうれしい、です」
「あらかわいい。あれには勿体無いくらいにいい子だわ……」
しみじみとした言葉に、ぱたりとドレスの下で尾が揺れた。バッスルスタイルのドレスはこのむやみやたらに感情を表現してしまう尾を隠せるので有難い。まあまあ重いけれど。
でも、あれとは? 文脈的には婚約者のことを示すのだろうが、彼らはそんなに親しいのだろうか。
そんなことを考えていると、ガチャリとドアが開いた。
「来ていたのか」
「来たわよ」
「レン様、お仕事は……!?」
「休憩中だ。仮にもネクタルの娘が来ているのにオレが挨拶しないわけにはいかないだろう」
「……ふうん」
挨拶、という割にタイを軽く緩めてくつろいだ様子でユリンの隣に腰かけたレンを見て、サラージュの赤い目がぱちんと瞬いた。そして、形のいい唇がなにやら面白いものを見つけたとでも言わんばかりに弧を描く。
「そのにやけたツラをやめろ」
「あら失礼? ふふ、挨拶。挨拶ねえ」
「やめろと言ってるだろうがこの阿呆」
「口が悪いわよ、義弟」
「――その呼び名は本当にやめろ」
「ふふ、すごい顔」
ぽんぽんと軽口を交わすふたりを見つめ、ユリンはハッとした。婚約者の冷たい美貌がこれまでになく活き活きとしている。しかも、義弟呼びを心底嫌がっているではないか。
兄君にそれほど執着しているようには見えなかったので、嫌がる理由があるとすればサラージュに弟として見られたくないということ。そして、この親しげな様子。
(……そっか、レン様が好きなのって)
ユリンはきゅっと唇を引き結び、二人の顔を見ないまま立ち上がった。
「も、申し訳ございません! 少し部屋に忘れ物をしたので、とって参りますね!」
礼節も忘れ、部屋を飛び出す。背中に呼び止める声が聞こえたが振り返る気にはなれない。
大好きなはずの二人を、今は見たくなかった。
*
「部屋って、……待て!」
ぱたぱたと廊下へと飛び出していったユリンの後姿に、レンが叫ぶ。この部屋こそが彼女の私室であり、今日はこの部屋以外に移動していないのだから。忘れ物をするような場所があるはずもない。
あっという間に遠ざかっていく小さな背中に、男はさっと立ち上がった。
「あれ、何か誤解していない?」
「しているな。追いかける」
「はい、行ってらっしゃい。口下手のお馬鹿さん」
めずらしく慌てた顔で走り出した乳姉弟を見送りながら、一人のこった客人は優雅に微笑んだ。
レンがユリンを溺愛していることを、散々惚気相手にされたサラージュはいやというほど知っている。
どうせこの部屋に休憩だとか挨拶だとか言ってやってきたのも、あの愛らしい少女と一緒にいたいからに決まっているのだ。あの無愛想は慰める時でさえ無言で剣を投げつけるような男である。私的な場で丁寧に挨拶をされた記憶など幼少期から一度もない。
いつにも増して眼光が鋭かったことからすると、ユリンがサラージュに憧れてくれていることを知ったというところだろうか。敬愛すら駄目とは恐れ入る。
唐突に当て馬にされたなと紅茶を口に含み一息ついて、はたと思い至る。
「……あの程度の会話で誤解されるって、もしかして好意を口に出したことないのかしら」
あれだけ惚気ていたのだから、すべてとは言わないまでも多少は伝えているとばかり思っていたが――あの挙動は何も知らないと考えた方がしっくりくる。
恥ずかしがるような性分ではないはずなので、伝わっていると思い込んでいると考えた方が正しいかもしれない。と、なればあのまま二人きりにすると拗れて第二のアレクシスとなる危険性がある。
「それは、さすがにまずいわよね……」
ため息とともに、麗人は従者に一つ問いかけた。
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