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番外編(※記載ないものはすべて本編後です)
とある騎士の願い(時系列:過去)
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姫様が幸せでありますように。
その騎士の願いは、本当にただそれだけだった。
呪うつもりはおろか、彼女自身に届くとすら思っていない。ただ純粋な祈りだった。
どうか、あの砂糖菓子のように愛らしく優しい幼子の誕生日が平穏に終わり、明日からも健やかであってほしい。
家族を亡くした彼にとって無垢な姫君の誕生日にそれを祈ることはなにもおかしい事ではなかった。
姫君はいつだって眩しくて、時々失ったものを思い返して痛む傷口にそっと手を当ててくれるような――そう、あの夜空に浮かぶ小さな一番星のような、尊く守るべきものであったから。
だから、祈った。
そして彼は――何も知ることなく死んだ。
* * *
野イチゴみたいに真っ赤な目と、銀砂糖のように真っ白な髪をしたお姫様。
それが、サラージュ・ネクタルという少女の第一印象だった。
「あなた、あたらしいひとね。おなまえは?」
舌足らずな言葉に、騎士は目を瞬かせた。
汗臭い鍛錬所にあまりにも似合わない、光の粒が舞うみたいな可愛らしい声の主がちょこんと足元に立っている。
動きやすくはあるが甘やかなフリルとレースが品よくあしらわれた子供用ドレスが上等な砂糖菓子のようで、場所とのギャップに頭が混乱する。
「え、えっと……?」
「おいおい新入り。騎士が姫君の問いかけに応えないとは何事だ?」
「いいのよ。じゃっく。らーじぇがびっくりさせちゃったの」
「おお、なんとお優しい!」
「先輩。あの、この子……この方は……?」
「馬鹿! 貴人に先に名乗らせる気かお前!?」
「いっ! いえ!」
わくわくとこちらを見上げながらも名乗られるのを当然のように待つ姿に、かなりの高位貴族の子供だなと悟り、緊張で背筋が伸びる。見下ろしたまま名乗るわけにもいかず膝をつくが、それでも幼い彼女を見上げることはできない。
「――失礼しました。私はジャン・ハート。本日よりこちらの騎士団でお世話になっております。レディ」
「おなまえをおしえてくれて、ありがとう。じゃん」
舌足らずな発音でころころと呼ばれた自分の名前は、なんだか上等なものに思えた。何の変哲もなかった石ころが、童話に登場する宝石にでもなったような。
お姫様というのはすごいなあ、と馬鹿みたいに口を開けていれば、小さな手がドレスの端っこをこれまたちょんと摘まんで綺麗な礼をした。
後で知ったが、カーテシー、という貴族の礼らしい。
「らーじぇはさらーじゅ。さらーじゅ・ねくたる。いご、よろしくね。じゃん」
ネクタル、という姓にぎょっとして思わず先輩を振り仰げば、「姫様に答えてからコッチ向けや!」と殴られた。
仕方がないだろう。だってこのネクタル領の領民にとっては、王様とそう違いがない存在だったのだから。
*
それからお姫様に見初められ、護衛の騎士に――などという夢物語は起きなかった。
ネクタルのお姫様が鍛錬所にやってきたのは日課のお散歩コースに入っていたからだし、声をかけたのも躾も教育も行き届いた彼女にしてみれば『見慣れない者が居たら挨拶をして名前を覚える』という習慣の一部に過ぎなかった。
冷たいとは思わなかった。
天上人だと思っていた方が一時でも気にかけてくださっただけで値千金だ。
そうでなくたって、職務中に出会うたびにニコニコ笑って良い子のご挨拶をしてくれる小さな女の子を嫌う方が難しいだろう。
数年前に流行り病で死んだ家族の、一番小さかった妹を思い出すというのは、あるけれど。
挨拶を繰り返すうちに、少しだけ姫君と親しくなった。
そんなある日のことだった。
「おはようございます。姫様」
「おはよう。ジャン。いまうたっていたのは、なあに?」
「ああ……すみません、お耳汚しを」
「いいの。ねえ、なんのおうた? きいたことないおうた。きになるの」
「私の母の故郷に伝わるものですね。子守唄で、妹によく母が歌っていたんです」
「わぁ! すてきねぇ」
大きな目いっぱいにキラキラした光を蓄えたお姫様に、ふいに思い出した。
明日はこの子の誕生日だ。
「姫様。よろしければこの歌、お教えいたしましょうか?」
「! いいの?」
「ええ、勿論」
昼頃には黒の森へ出てしまうし、帰りも明日中には間に合わない。
それでも何かしてあげたかった。
それに、この歌も自分の記憶の中だけで寂れさせるくらいなら、この可愛らしい声で歌ってもらった方が幸せだろう。なんて笑いながら、最初のメロディーを口に乗せた。
* * *
姫様。どうか、健やかに。
あなたを守れてよかった。
黒い森の中、青年は小さく呟いて瞼をおろした。
帰れないことは、知っていた。
黒の森の奥にいる異種族は手ごわく、凶暴だ。
武勇を買われて選抜されたし、もしも潰走を余儀なくされるならば命だけでも拾って帰ってこいとさえ言われていた。
けれど、誰も退かなかった。
だって、黒の森の延長線上。我らがネクタルの城では今、一等可愛いお姫様の誕生日会が行われているのだ。逃げ出して、それで城まで侵攻されれば騎士の名が泣くだろう。
あの方の、あの子の――我らが星の、幸せな一日は何としてでも守らねばならない。
この命に代えても、必ず。
必ず、あなたに幸せな誕生日を、お贈りしますから。
誰も彼もが、そう願った。
青年も――騎士もまた、違うことなく。
大切な人の幸せだけが、願いだった。
その騎士の願いは、本当にただそれだけだった。
呪うつもりはおろか、彼女自身に届くとすら思っていない。ただ純粋な祈りだった。
どうか、あの砂糖菓子のように愛らしく優しい幼子の誕生日が平穏に終わり、明日からも健やかであってほしい。
家族を亡くした彼にとって無垢な姫君の誕生日にそれを祈ることはなにもおかしい事ではなかった。
姫君はいつだって眩しくて、時々失ったものを思い返して痛む傷口にそっと手を当ててくれるような――そう、あの夜空に浮かぶ小さな一番星のような、尊く守るべきものであったから。
だから、祈った。
そして彼は――何も知ることなく死んだ。
* * *
野イチゴみたいに真っ赤な目と、銀砂糖のように真っ白な髪をしたお姫様。
それが、サラージュ・ネクタルという少女の第一印象だった。
「あなた、あたらしいひとね。おなまえは?」
舌足らずな言葉に、騎士は目を瞬かせた。
汗臭い鍛錬所にあまりにも似合わない、光の粒が舞うみたいな可愛らしい声の主がちょこんと足元に立っている。
動きやすくはあるが甘やかなフリルとレースが品よくあしらわれた子供用ドレスが上等な砂糖菓子のようで、場所とのギャップに頭が混乱する。
「え、えっと……?」
「おいおい新入り。騎士が姫君の問いかけに応えないとは何事だ?」
「いいのよ。じゃっく。らーじぇがびっくりさせちゃったの」
「おお、なんとお優しい!」
「先輩。あの、この子……この方は……?」
「馬鹿! 貴人に先に名乗らせる気かお前!?」
「いっ! いえ!」
わくわくとこちらを見上げながらも名乗られるのを当然のように待つ姿に、かなりの高位貴族の子供だなと悟り、緊張で背筋が伸びる。見下ろしたまま名乗るわけにもいかず膝をつくが、それでも幼い彼女を見上げることはできない。
「――失礼しました。私はジャン・ハート。本日よりこちらの騎士団でお世話になっております。レディ」
「おなまえをおしえてくれて、ありがとう。じゃん」
舌足らずな発音でころころと呼ばれた自分の名前は、なんだか上等なものに思えた。何の変哲もなかった石ころが、童話に登場する宝石にでもなったような。
お姫様というのはすごいなあ、と馬鹿みたいに口を開けていれば、小さな手がドレスの端っこをこれまたちょんと摘まんで綺麗な礼をした。
後で知ったが、カーテシー、という貴族の礼らしい。
「らーじぇはさらーじゅ。さらーじゅ・ねくたる。いご、よろしくね。じゃん」
ネクタル、という姓にぎょっとして思わず先輩を振り仰げば、「姫様に答えてからコッチ向けや!」と殴られた。
仕方がないだろう。だってこのネクタル領の領民にとっては、王様とそう違いがない存在だったのだから。
*
それからお姫様に見初められ、護衛の騎士に――などという夢物語は起きなかった。
ネクタルのお姫様が鍛錬所にやってきたのは日課のお散歩コースに入っていたからだし、声をかけたのも躾も教育も行き届いた彼女にしてみれば『見慣れない者が居たら挨拶をして名前を覚える』という習慣の一部に過ぎなかった。
冷たいとは思わなかった。
天上人だと思っていた方が一時でも気にかけてくださっただけで値千金だ。
そうでなくたって、職務中に出会うたびにニコニコ笑って良い子のご挨拶をしてくれる小さな女の子を嫌う方が難しいだろう。
数年前に流行り病で死んだ家族の、一番小さかった妹を思い出すというのは、あるけれど。
挨拶を繰り返すうちに、少しだけ姫君と親しくなった。
そんなある日のことだった。
「おはようございます。姫様」
「おはよう。ジャン。いまうたっていたのは、なあに?」
「ああ……すみません、お耳汚しを」
「いいの。ねえ、なんのおうた? きいたことないおうた。きになるの」
「私の母の故郷に伝わるものですね。子守唄で、妹によく母が歌っていたんです」
「わぁ! すてきねぇ」
大きな目いっぱいにキラキラした光を蓄えたお姫様に、ふいに思い出した。
明日はこの子の誕生日だ。
「姫様。よろしければこの歌、お教えいたしましょうか?」
「! いいの?」
「ええ、勿論」
昼頃には黒の森へ出てしまうし、帰りも明日中には間に合わない。
それでも何かしてあげたかった。
それに、この歌も自分の記憶の中だけで寂れさせるくらいなら、この可愛らしい声で歌ってもらった方が幸せだろう。なんて笑いながら、最初のメロディーを口に乗せた。
* * *
姫様。どうか、健やかに。
あなたを守れてよかった。
黒い森の中、青年は小さく呟いて瞼をおろした。
帰れないことは、知っていた。
黒の森の奥にいる異種族は手ごわく、凶暴だ。
武勇を買われて選抜されたし、もしも潰走を余儀なくされるならば命だけでも拾って帰ってこいとさえ言われていた。
けれど、誰も退かなかった。
だって、黒の森の延長線上。我らがネクタルの城では今、一等可愛いお姫様の誕生日会が行われているのだ。逃げ出して、それで城まで侵攻されれば騎士の名が泣くだろう。
あの方の、あの子の――我らが星の、幸せな一日は何としてでも守らねばならない。
この命に代えても、必ず。
必ず、あなたに幸せな誕生日を、お贈りしますから。
誰も彼もが、そう願った。
青年も――騎士もまた、違うことなく。
大切な人の幸せだけが、願いだった。
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