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番外編(※記載ないものはすべて本編後です)
イリス・ガイナシウス・ファーレンは王様に向いてない
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現王アレンが長女、イリス・ガイナシウス・ファーレンは食に魅入られている。
それは国中どころか周辺各国にまで知れ渡っている噂だ。また、事実でもある。
風変わりな娘という評ももちろんあるが、食に関わる貢献度を加味すればそのような言説は妬み嫉みの類であることは、子供であってもわかるだろう。
なにせ、食という分野においてはもはや、彼女の名前を見つけないようにする方が困難である、と言われるほどなのだから。
ほぼ間違いなく、世間的な知名度で言えば最も広く名前が知られているのはイリスだろう。
彼女が王族であることを知る前に、ほとんどの民はその名を知ることになるのだから。
他国の王の名を知らずとも、毎日口にし目にする美味なるものの名を知らないものはそうはいない。
至極当然の摂理である。
さて、そんな知名度も抜群で広く深い人脈を持ち、人材育成も得意。要素だけ見れば『王様』業に対する適性が高いように見える彼女だが、兄・アレクシスがやらかし王位継承権を手放すことになるよりも随分前に、当時第二位であった継承権をさっさと返上している。
『食より優先できる自信がない』
なんて、前代未聞の理由で。
* * *
それは五年ほど前のこと。
ヒバリが歌う朝。王とその妻三人、そして彼らの子供たちが一堂に会し朝食をとっていたときの話だ。
「お父様。王位継承権の放棄ってどうすればいいの?」
苺を嚥下したイリスが、天気の話でもするようにそんなことを言った。
王の食後の珈琲は零れた。
「……放棄することはまあ、一旦預かっておく。だがなイリス。それは朝食の場で言うことか?」
「だって忘れてしまいそうだったんだもの」
「忘れるほど軽いのか……」
「姉様はいつも通り。食べ物以外は姉様にとって泡同然」
頭を抱える王に、イリスの向かい側で豆のポタージュをつついていた第三王子のミカエリスが冷めた口調でつぶやいた。
末弟の言葉を聞き、イリスが笑う。
「あら、家族のことも大事だから安心して?」
「継承権のことは否定しないあたりが姉上だな……」
「イリスは好き嫌いがはっきりしているのが美徳だからね」
「影響が大きいのはお前たちだろうに……」
レンとアレクシスがきょとんと顔を見合わせた。
「「いつものことなので」」
「子供たちが仲良しで結構なことだが、冠の重さを自覚してくれ」
イリスの世界は『食』を中心に回っている。
そのためならば秘境に自ら足を踏み入れ前人未到の山を踏破することも厭わないし、孤児から優れた味覚を持つモノを見つけ出し料理人として育て上げることもするのが、イリスという少女だ。
それらが巡り巡って慈善事業のように見えているだけであることは、年の近い兄弟である彼らが一番よく知っている。
幼いころからこういう性分だったので、もはやこういう生き物だと割り切っていると言ってもいい。上手い事立ち回って周囲からの印象を「ちょっと美味しいものが好きなお姫様」程度の認識に落ち着けているあたりは、少し憎らしいが。
「まあ、姉上はいつか言い出すとは思っていましたから。継承権繰り上がりの覚悟はしておりました」
「有能すぎる……ネクタルの影響か……?」
「否定しません」
「サラ、元気だろうか……」
「ラージェなら明後日うちの宮に来るけど」
「待て聞いてないぞ」
「アレクシス兄様、瞳孔開いてる」
「兄さんやばい」
「長兄こっわ」
「アレク兄に捕まったラジィ姉気の毒過ぎる」
「ええい話をズラすでない! イリス、念のため理由を聞かせてくれるか?」
わいわいと盛り上がる子供たちを一喝して改めて問う父に、にっこりと可愛らしい笑顔を返す。
「食より民を優先できる気がまるでしないからですね!」
「よい笑顔で言うことではないな……」
「お父様たちに申し訳ないとは思うのですけれど……にいさまもレンも居るなら私が控えておく必要はありませんし。その分、食の方で貢献したいです」
「姉様の思い切りの良さ、兄様方より為政者向き」
ミカエリスの淡々とした言葉に、イリスは瞬いた。
「あら、天才ちゃんともあろうものが読み違えちゃって珍しい。為政者に割り切りは必要だけれど、民を思わぬなら肥料に混ぜた方がいいんだよ?」
「訂正する。姉様は為政者に向いていない」
「わかればよろしい」
姉の言葉を真に受けたのか、人命を軽率に肥料として使おうとする姿勢に慄いたのか。それすら気に留めないまま、イリスは再度念押しする。
「私みたいなのはね、ヒトの王には向いてないし、万が一にも玉座に座っちゃいけないんだよ」
当世最高峰の『食の魔人』はそう言って、指に伝った苺の果汁をべろりと舐めとった。
それは国中どころか周辺各国にまで知れ渡っている噂だ。また、事実でもある。
風変わりな娘という評ももちろんあるが、食に関わる貢献度を加味すればそのような言説は妬み嫉みの類であることは、子供であってもわかるだろう。
なにせ、食という分野においてはもはや、彼女の名前を見つけないようにする方が困難である、と言われるほどなのだから。
ほぼ間違いなく、世間的な知名度で言えば最も広く名前が知られているのはイリスだろう。
彼女が王族であることを知る前に、ほとんどの民はその名を知ることになるのだから。
他国の王の名を知らずとも、毎日口にし目にする美味なるものの名を知らないものはそうはいない。
至極当然の摂理である。
さて、そんな知名度も抜群で広く深い人脈を持ち、人材育成も得意。要素だけ見れば『王様』業に対する適性が高いように見える彼女だが、兄・アレクシスがやらかし王位継承権を手放すことになるよりも随分前に、当時第二位であった継承権をさっさと返上している。
『食より優先できる自信がない』
なんて、前代未聞の理由で。
* * *
それは五年ほど前のこと。
ヒバリが歌う朝。王とその妻三人、そして彼らの子供たちが一堂に会し朝食をとっていたときの話だ。
「お父様。王位継承権の放棄ってどうすればいいの?」
苺を嚥下したイリスが、天気の話でもするようにそんなことを言った。
王の食後の珈琲は零れた。
「……放棄することはまあ、一旦預かっておく。だがなイリス。それは朝食の場で言うことか?」
「だって忘れてしまいそうだったんだもの」
「忘れるほど軽いのか……」
「姉様はいつも通り。食べ物以外は姉様にとって泡同然」
頭を抱える王に、イリスの向かい側で豆のポタージュをつついていた第三王子のミカエリスが冷めた口調でつぶやいた。
末弟の言葉を聞き、イリスが笑う。
「あら、家族のことも大事だから安心して?」
「継承権のことは否定しないあたりが姉上だな……」
「イリスは好き嫌いがはっきりしているのが美徳だからね」
「影響が大きいのはお前たちだろうに……」
レンとアレクシスがきょとんと顔を見合わせた。
「「いつものことなので」」
「子供たちが仲良しで結構なことだが、冠の重さを自覚してくれ」
イリスの世界は『食』を中心に回っている。
そのためならば秘境に自ら足を踏み入れ前人未到の山を踏破することも厭わないし、孤児から優れた味覚を持つモノを見つけ出し料理人として育て上げることもするのが、イリスという少女だ。
それらが巡り巡って慈善事業のように見えているだけであることは、年の近い兄弟である彼らが一番よく知っている。
幼いころからこういう性分だったので、もはやこういう生き物だと割り切っていると言ってもいい。上手い事立ち回って周囲からの印象を「ちょっと美味しいものが好きなお姫様」程度の認識に落ち着けているあたりは、少し憎らしいが。
「まあ、姉上はいつか言い出すとは思っていましたから。継承権繰り上がりの覚悟はしておりました」
「有能すぎる……ネクタルの影響か……?」
「否定しません」
「サラ、元気だろうか……」
「ラージェなら明後日うちの宮に来るけど」
「待て聞いてないぞ」
「アレクシス兄様、瞳孔開いてる」
「兄さんやばい」
「長兄こっわ」
「アレク兄に捕まったラジィ姉気の毒過ぎる」
「ええい話をズラすでない! イリス、念のため理由を聞かせてくれるか?」
わいわいと盛り上がる子供たちを一喝して改めて問う父に、にっこりと可愛らしい笑顔を返す。
「食より民を優先できる気がまるでしないからですね!」
「よい笑顔で言うことではないな……」
「お父様たちに申し訳ないとは思うのですけれど……にいさまもレンも居るなら私が控えておく必要はありませんし。その分、食の方で貢献したいです」
「姉様の思い切りの良さ、兄様方より為政者向き」
ミカエリスの淡々とした言葉に、イリスは瞬いた。
「あら、天才ちゃんともあろうものが読み違えちゃって珍しい。為政者に割り切りは必要だけれど、民を思わぬなら肥料に混ぜた方がいいんだよ?」
「訂正する。姉様は為政者に向いていない」
「わかればよろしい」
姉の言葉を真に受けたのか、人命を軽率に肥料として使おうとする姿勢に慄いたのか。それすら気に留めないまま、イリスは再度念押しする。
「私みたいなのはね、ヒトの王には向いてないし、万が一にも玉座に座っちゃいけないんだよ」
当世最高峰の『食の魔人』はそう言って、指に伝った苺の果汁をべろりと舐めとった。
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