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27.アレクシスの星乙女
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その日は新月で、極北に輝く星が一等綺麗に見える夜だった。
不眠症気味だったぼくは強制的に入眠効果のある魔法香で眠りに落とされるのが日課になっていて、その日も早々に寝台の中に押し込まれ、香りに促されるまま眠ろうとしていた。
けれど、ぼくの意識が落ちることはなかった。
ドクンと強く波打った心臓に、叩き起こされたからだ。
「――また、この感じ」
東の空。今はとっくりと暗い夜の中に目を凝らす。
何も見えない。けれど、気のせいと断ずるにはあまりにも強烈な思慕がぼくの胸を突いた。
いかに狼人と言えど、ぽつりぽつりと灯された街灯だけを頼りにはたどり着けないほど遠いところ。きっと太陽が昇ったとしても視認するには難があるだろうほどに、遥か彼方。
「どうしたの。なにがつらいの」
姿の見えない『あなた』が泣いている。
名前も知らない。声も知らない。香りも、もちろん顔も。性別も、歳も、なにもわからない。
それでも、その暗闇の先にいるその子が苦しんでいることだけは手に取るようにわかった。
――その子が、ぼくの『運命』なのだと、本能が叫んだ。
ぼくのあなた。
掛け替えのないあなた。
魂の片割れたる、たった一人。
「泣かないで。泣くなら、ぼくの腕の中でだけにして」
届くはずもない懇願を宙に歌う。
そんな滑稽な自分を、幼いながらに聡明なヒトとしての自分が嗤った。
見ず知らずの、誰とも知らぬもののために眠れなくなるなど愚か極まりない。お前は王の子だ。やがては民草のために生きねばならぬものだ。本能の一つ御せずどうするのか。
(わかっているよ。煩いな。別にいいだろう、想うくらい)
――この恋が叶うとは思っていない。
致命的なまでに相性のいい相手である『運命の番』、それを迎え入れることの出来る確率の低さくらい理解している。
父ようなハレム型であればまだしも、自分はおそらく一人しか愛せないタチだ。『運命』にこだわって他を跳ね除け続けられる期間はそう長くない。だが、一度こだわってしまえばきっとそれ以外見えなくなる。
そうなれば、国は傾くだろう。
それは望むところではない。ぼくは国を維持するために生まれたのだから。
正直、向いているとは思えないけれど。そう生まれついてしまったのだから、仕方ない。
だからせめて、幼い初恋くらいは楽しんだっていいだろう。虚像の相手だ。手が届くはずもない星への恋だ。
そう、思っていたのに。
「――きみが、サラージュ?」
ぼくの星は、突然像を結んでこの手が届く場所に落ちてきた。
辺境伯の第三子にして長女。気高きエルフ種の末代。幼いながらに騎士としての鍛錬を積み、貴族令嬢としての基礎レッスンは当然習得済み。当人の頭脳も悪くなく、性格も実直。
おまけに、辺境伯は父の親友だ。
おあつらえ向きにも程がある。『運命』というのは相性だけじゃなかったのかと疑うほどに、王の子が手を伸ばすことを戸惑わずに済むものばかりで彼女は織られていた。
それどころか。
(は? 可愛すぎない??)
作り慣れた王子様の顔が思わず崩れかけるほど、サラージュはとんでもなく愛らしかった。『運命』のひいき目とかではなく、ただの事実として。
肩口よりも上で切りそろえられた月白色の髪は貴族令嬢としては見慣れない長さだが、よく手入れされているおかげもあって軽やかに風に揺れては光を弾いて煌めく。可愛い。
ぱっちりとした目は辺境伯と同じ色のはずだが、より不思議な赤色をしている。薔薇とベリーを朝焼けの空の下で煮詰めたらこんな色になるに違いない。可愛い。
幼さを残す頬は柔らかそうで、騎士見習いとしての鍛錬を思えば相当に日光に当たっているはずなのに不思議と星明りのように透き通っている。可愛い。
エルフ種の特徴であるしゅっと顔の横に伸びる長い耳も可愛い。感情が耳に出やすい体質なのだろう。こちらが少し褒めるとほんのり血色が透けてぴるぴると震える。可愛い。
小さな唇も、つんと上向いた鼻も、緊張したようにきゅっと寄った眉も、どこもかしこも一級の職人が仕上げたように丁寧な造りをしている。それでいて小動物めいた生気がそこかしこに満ちているものだから一挙手一投足がずぐんと心臓を穿つくらいに可愛い。
母親が親世代を虜にした傾国の美姫であることは聞き及んでいたけれど、それにしたってびっくりするほど可愛い。平静を装った顔の下で語彙が死滅するくらいに可愛かった。たぶん『運命』じゃなくても一目惚れしていたに違いない。そう確信できるくらいに幼いころからとんでもない美少女として完成されていた。
(あ、これ囲い込まなきゃ駄目だな)
決断するのは早かった。
こんなにも美しく愛らしい子だ。放っておいたらどこぞの馬の骨が寄ってくるに違いない。騎士団だって今は幼さと領主の娘という二点で『可愛い俺たちのお嬢さん』みたいな顔している連中ばかりだが、成長期に入るころには同年代も増えるだろう。そうなれば巷で流行っている恋愛小説めいた出会いもぐんと増えるはずだ。
だから、まだ誰も彼もが微笑ましく思うだろう今のうちに、ぼくのものとして周知することにした。
星のような君を穢すことになろうとも、欲する心を抑えることができなかった。
今思えば、ひどく幼く自分勝手で、傲慢で、小賢しい行いだった。
愛されなくても当然だ。
サラージュの忠義心に付け込んで、断れない状況を作ったのだから。彼女は優しいから、ぼくを愛していると言ってくれるけれど――その目に熱が灯ったことは一度だってなかった。
そんなことは、望んではいけないはずだった。
なのに、どうして。
どうして、今。
きみの目に熱が見えるのだろう。
不眠症気味だったぼくは強制的に入眠効果のある魔法香で眠りに落とされるのが日課になっていて、その日も早々に寝台の中に押し込まれ、香りに促されるまま眠ろうとしていた。
けれど、ぼくの意識が落ちることはなかった。
ドクンと強く波打った心臓に、叩き起こされたからだ。
「――また、この感じ」
東の空。今はとっくりと暗い夜の中に目を凝らす。
何も見えない。けれど、気のせいと断ずるにはあまりにも強烈な思慕がぼくの胸を突いた。
いかに狼人と言えど、ぽつりぽつりと灯された街灯だけを頼りにはたどり着けないほど遠いところ。きっと太陽が昇ったとしても視認するには難があるだろうほどに、遥か彼方。
「どうしたの。なにがつらいの」
姿の見えない『あなた』が泣いている。
名前も知らない。声も知らない。香りも、もちろん顔も。性別も、歳も、なにもわからない。
それでも、その暗闇の先にいるその子が苦しんでいることだけは手に取るようにわかった。
――その子が、ぼくの『運命』なのだと、本能が叫んだ。
ぼくのあなた。
掛け替えのないあなた。
魂の片割れたる、たった一人。
「泣かないで。泣くなら、ぼくの腕の中でだけにして」
届くはずもない懇願を宙に歌う。
そんな滑稽な自分を、幼いながらに聡明なヒトとしての自分が嗤った。
見ず知らずの、誰とも知らぬもののために眠れなくなるなど愚か極まりない。お前は王の子だ。やがては民草のために生きねばならぬものだ。本能の一つ御せずどうするのか。
(わかっているよ。煩いな。別にいいだろう、想うくらい)
――この恋が叶うとは思っていない。
致命的なまでに相性のいい相手である『運命の番』、それを迎え入れることの出来る確率の低さくらい理解している。
父ようなハレム型であればまだしも、自分はおそらく一人しか愛せないタチだ。『運命』にこだわって他を跳ね除け続けられる期間はそう長くない。だが、一度こだわってしまえばきっとそれ以外見えなくなる。
そうなれば、国は傾くだろう。
それは望むところではない。ぼくは国を維持するために生まれたのだから。
正直、向いているとは思えないけれど。そう生まれついてしまったのだから、仕方ない。
だからせめて、幼い初恋くらいは楽しんだっていいだろう。虚像の相手だ。手が届くはずもない星への恋だ。
そう、思っていたのに。
「――きみが、サラージュ?」
ぼくの星は、突然像を結んでこの手が届く場所に落ちてきた。
辺境伯の第三子にして長女。気高きエルフ種の末代。幼いながらに騎士としての鍛錬を積み、貴族令嬢としての基礎レッスンは当然習得済み。当人の頭脳も悪くなく、性格も実直。
おまけに、辺境伯は父の親友だ。
おあつらえ向きにも程がある。『運命』というのは相性だけじゃなかったのかと疑うほどに、王の子が手を伸ばすことを戸惑わずに済むものばかりで彼女は織られていた。
それどころか。
(は? 可愛すぎない??)
作り慣れた王子様の顔が思わず崩れかけるほど、サラージュはとんでもなく愛らしかった。『運命』のひいき目とかではなく、ただの事実として。
肩口よりも上で切りそろえられた月白色の髪は貴族令嬢としては見慣れない長さだが、よく手入れされているおかげもあって軽やかに風に揺れては光を弾いて煌めく。可愛い。
ぱっちりとした目は辺境伯と同じ色のはずだが、より不思議な赤色をしている。薔薇とベリーを朝焼けの空の下で煮詰めたらこんな色になるに違いない。可愛い。
幼さを残す頬は柔らかそうで、騎士見習いとしての鍛錬を思えば相当に日光に当たっているはずなのに不思議と星明りのように透き通っている。可愛い。
エルフ種の特徴であるしゅっと顔の横に伸びる長い耳も可愛い。感情が耳に出やすい体質なのだろう。こちらが少し褒めるとほんのり血色が透けてぴるぴると震える。可愛い。
小さな唇も、つんと上向いた鼻も、緊張したようにきゅっと寄った眉も、どこもかしこも一級の職人が仕上げたように丁寧な造りをしている。それでいて小動物めいた生気がそこかしこに満ちているものだから一挙手一投足がずぐんと心臓を穿つくらいに可愛い。
母親が親世代を虜にした傾国の美姫であることは聞き及んでいたけれど、それにしたってびっくりするほど可愛い。平静を装った顔の下で語彙が死滅するくらいに可愛かった。たぶん『運命』じゃなくても一目惚れしていたに違いない。そう確信できるくらいに幼いころからとんでもない美少女として完成されていた。
(あ、これ囲い込まなきゃ駄目だな)
決断するのは早かった。
こんなにも美しく愛らしい子だ。放っておいたらどこぞの馬の骨が寄ってくるに違いない。騎士団だって今は幼さと領主の娘という二点で『可愛い俺たちのお嬢さん』みたいな顔している連中ばかりだが、成長期に入るころには同年代も増えるだろう。そうなれば巷で流行っている恋愛小説めいた出会いもぐんと増えるはずだ。
だから、まだ誰も彼もが微笑ましく思うだろう今のうちに、ぼくのものとして周知することにした。
星のような君を穢すことになろうとも、欲する心を抑えることができなかった。
今思えば、ひどく幼く自分勝手で、傲慢で、小賢しい行いだった。
愛されなくても当然だ。
サラージュの忠義心に付け込んで、断れない状況を作ったのだから。彼女は優しいから、ぼくを愛していると言ってくれるけれど――その目に熱が灯ったことは一度だってなかった。
そんなことは、望んではいけないはずだった。
なのに、どうして。
どうして、今。
きみの目に熱が見えるのだろう。
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