わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西

文字の大きさ
上 下
23 / 43

23.赤色

しおりを挟む
 ぶつり、と鈍く大きな音が耳の後ろを叩いた。
 一拍遅れて、冷たさと熱さが神経をかき回すように走る。

「――あ」

 噛みつかれている。

 零れた声に意味はない。ただ、この身を襲った衝撃が音を口へと押し出しただけだ。
 真後ろから噛みつかれて見えるはずもないのに、自分に何が起こったのかだけは不思議と理解できた。
 誰かの叫ぶ声、悲鳴、怒号――それらすべてが幕の向こうにあるように遠い。ただひとつ、獣のように唸る婚約者の声だけがはっきりと聞こえた。

(なんて、ひどいおこえをしているの)

 「これは自分のだ」と主張して泣いているようなその声に、サラージュは笑った。
 うなじから溢れて頬をどろりどろりと滑り落ちる鉄臭い液体の正体も、自分の肉体の自由がどんどん利かなくなっていっていることも、背に縋るように覆いかぶさる人のせいで周囲が処置できずに混乱に陥っていることも、――このまま放っておけば、自分は死ぬことも。
 はっきりと、理解できている。
 それでも、こみ上げる感情の渦を前にして、少女はその口元に笑みを浮かべずにはいられなかった。

 否――玉の緒が切れてしまいそうな今だからこそ、サラージュは自分のためだけに笑うことができた。
 それは自嘲であり、喜びの笑み。

 ――いたい
 うれしい
 ――やめて
 やめないで
 ――はなして
 はなさないで
 ――どうして
 まってた

 ――なかないで

 ――あなたのなみだは、ひどくくるしい
 わたくしだけにみせて

 まったく、こんな土壇場で、我ながらあさましく、理性の欠片もない。
 濁流となって襲う感情は、とても今更で。

「……でん、か」

 それでも、手を伸ばさずにはいられない星のような――燃える恒星に似た、その感情を。 
 与えられた傷の痛みを上回る、締め付けるようなその想いを。
 散々口にしてきたそれが、上っ面のものでしかなかったと突き付けられるこの熱を。

 伝えなくては。

「――あれくしす」

 貴方に恋をしました。

 続けようとした言葉は口の中に溢れた血に呑まれ、上手に音にできなかったけれど。
 何とか一番大切なことは伝わっただろうか。今更過ぎて、ますます貴方を傷つけただろうか。
 もしもそうだとしても、悔やむつもりはないのだから、救いようがない。

 ごめんなさい。ひどい女で。これはわたくしのエゴです。
 あなたにだけは、産声のような拙い恋を聞いてほしかったのです。

 視界が黒に落ちる寸前、嗅ぎ慣れたシトラスが怯えたようにびくりと震えて、遠ざかって――頬を濡らした血が、涙に一筋融けるのがわかった。

 ああ、ひどく、寒い。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...