わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西

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22.愛を食む獣

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 昼下がり。
 紗のような白い雲を透かす空から降る日差しは心地よく、ふっくらとした赤い薔薇の花びらがほのかに向こうを透かしてにおい立つ。春の終わりと夏の始まりのあわいに相応しいドレスを風に揺らしながら、美しい人が逢瀬の場へとやってくる。
 薔薇によく似たその瞳がこちらへ向いて、自分を認めて柔らかく細められるのが、好きだった。

「サラ」

 我ながら、蜜でも溶かし込んだような声で彼女を呼ぶ。
 閉じ込めようとして、失敗して――それから、仔犬の振る舞いをするのはやめにした。
 
 繊細な造りの指先を手のひらで掬い上げ、自分の元へと引き寄せる。とん、と胸にぶつかったサラの軽さと柔らかさは、何度味わっても慣れることはない。
 彼女と自分は骨格や筋肉の造り自体が違うのだと実感させられる。
 その身が弱さとは無縁であることを知ったうえでなお、容易に包み込める体に欲がうずく。

 自分以外に彼女を見せたくない。
 閉じ込めてしまいたい。

 そんなことを考えても、無意味だ。不意を打った一度目で成功できなかった以上、二度目はないだろう。
 エルフ種は狩人だ。自分よりも膂力で上回るモノを知恵と技術で仕留めることに何より長けている。ましてやサラージュは騎士として実際の戦場に赴いたこともあるのだから、本能だけで御せる相手ではない。
 それでも、いや、だからこそだろうか。

「――ああ、サラ。やはり、そなたは美しいな」

 その気になれば体格差などものともせずこちらを狩れる技量がある存在が、無防備に自分の腕の中にいる。
 その事実に、ひどく安心感を覚えた。

 愛されている。
 受け入れられている。
 享受されている。
 求められている。

 だから、大丈夫だ。

 安息を噛みしめていれば、くすくすとサラージュが笑った。
 首を傾げれば、「気を悪くなさらないでね」と言いながら薔薇色の瞳がこちらを見上げる。

「殿下の尾が、あんまり強く揺れているものですから……つい、愛らしくて」
「なんだ、そんなことか」

「サラに会えるのはいつだって嬉しいからな。本当なら、ずっとずっと傍にいたい。明けるも暮れるもそなたと共に過ごして、互いのことで知らぬことなど何もない日々を送りたい」
「殿下」
「わかっている。わかっているとも。それをそなたは望まない」
「ご期待に添えず、申し訳ございません」
「謝らずともよい。……我が願いは、叶えられずとも仕方のないものだ。先の日々を過ごせたことが奇跡なのだ」
「故に、そなたに触れていられる時間を堪能したい。尾に喜びが満ちていることの何を恥じようか」
「――、そうですね。殿下のご意志のままに」

 ふいに、鼻腔をくすぐるものがあった。

「……においが」

 海のにおいだ。内地に属するこの都ではまず嗅ぐことのないソレは、彼女の懐から零れてきている。
 なんだろう、と思うや否や、脳裏に昨日見かけたサラと見知らぬ男の横顔がよぎった。

 よく日に焼けた肌と筋肉が宮殿にない艶を放つ男だった。年嵩で、落ち着きがあり、色男という言葉がこの上なく似合う。どこかの群れの長をしているのだと一見してわかり、同性から見てもいかにも頼りがいがある立ち姿。年齢に見合わぬ沈着さを持つサラと並ぶ姿は嫌に絵になっていた。――自分が囲っていなければ、きっとこんな男が彼女の横にいたのだろうと漠然と思ったその不安が、今さらながらに体内で反響する。
 ああ、そういえば、ふたりは気安く、親し気に顔を寄せ合っていた、ような。

「? 殿下?」

 突然黙り込んだせいだろう、不思議そうな顔で、サラージュがこちらを見上げた。
 薔薇色の目が、何も知らぬ無垢な乙女のように見上げている。長い月白色の睫毛の影が映りこんだ瞳は澄んでいて、鏡か宝玉のよう。
 ――あの男も、この瞳を見たのか。

「……ああ、駄目だ。これは、駄目だな」

 悋気の炎が脳髄を焼く。
 不貞を疑っているわけではない。サラージュは真面目だ。王太子の婚約者という立場である以上、他の男とねんごろな間柄になるような軽率な真似は絶対にしないと確信できる。あの距離の近さだって、気安さだって、きっと顔なじみの情報屋か何かだろう。彼女がより多角的な情報を得るためにそういったものを多方面に飼っていることは知っている。
 故に、悋気と言えども怒りはない。――ただ只管に、縋るような不安だけでその炎は出来ていた。

「サラージュ」

 エルフの言葉で【天頂の星】を意味するのだと言うその名を呼ぶ。
 普段あだ名で呼んでいるからだろう、赤い瞳が不思議そうに瞬いた。

(きみが、本当に星だったらよかった)

 星であったならば、他の誰かに奪われることに怯えるような真似をしなくとも済んだ。この腕に閉じ込めることもできないけれど、こうも不安になることはなかったのだ。
 空の彼方に向けて叶わぬ恋をしていたほうが、よほどマシだった。
 
 覗き込むように体を倒して月白色の髪を梳けば、薄く血管の透ける細い首が露わになる。盆の窪からドレスへと消えていく背骨の細やかな凹凸をなぞる。

「でん、」
「ぼくを憎んで」

 遠い昔に置き去ったはずの一人称でささやいて、返事を聞かぬままがぱりと口を開けた。
 吠えたてる本能の手綱を放す。
 エルフあるじに従うべきだと利口にふるまう自分を食い殺す。
 つがいの一滴までも自分のものだと主張する己を甘やかす。

(――ああ、きれいだな)

 見開かれた瞳の赤は、蠍の心臓の如く。毒のよう。

 酩酊する頭のまま、ぼくだけの愛しい女の子のうなじに牙を立てる。
 深く、深く。決して消えることのない呪いを刻み込むように――ひとつに、融け合うように。

 口の中に溢れた彼女の血は、ひどく甘い味がした。
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