わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西

文字の大きさ
上 下
15 / 43

15.むかしのはなし(3)

しおりを挟む
 リコフォスの言葉に目に見えて胸をなでおろしたシルヴァとは対照的に、今度はセルジェがぐっと身を乗り出した。

「ねえ、なにがあったのさ。どうしてうちのお姫様が泣いたの」
「セルジェ!」

 目元に浮かんでいた涙の粒を乱暴に拭った勝気な表情は警戒心と同時に隠しきれない好奇心に満ちている。じっとこちらを見つめる目は子猫のように丸く瞳孔が開いている。
 そんな弟に「めっ」とでも言わんばかりの制止の声をシルヴァがあげた。
 好対照な兄弟の姿に、リコフォスは一層上機嫌にからから笑う。

「よいよい。小生意気な方がかわゆいわ。よくお聞き、ひ孫ちゃんその弐。儂らエルフ種は魔力がとーっても強いのは知っておるな?」

 腕の中のひ孫が少し重くなる。泣きつかれたのか眠ってしまったようだ。それを起こさぬように子守唄の如き声で問えば、セルジェがこくりとうなずく。

「うん。そのわりにラージェ、ボクより魔法へたっぴだけど」
「ははは。そらぁそうじゃろうな。今は使えぬもの」
「使えない……?」

 怪訝な顔で小さな頭が傾いだ。声には出さないまでも同じ疑問を抱いたらしいシルヴァもきょとんとした顔でリコフォスを見上げる。

「うむ。ちいちゃな器に無理やり大量の水を入れようとしても溢れたり、割れたりするじゃろ。儂らの魔力はその水で肉体は器。ひ孫ちゃんみたいな混血の肉体がちいちゃな器と言える」

 わかるか? と問われ、最初に頷いたのはシルヴァだった。

「ラージェは大きくなるまで、身体を守るために魔力を使えないってこと、でしょうか?」
「うむ。簡単に言えばそんなもんじゃの。今回のひ孫ちゃんの『こわいこわい』は大きくなるための下準備と考えればよい」
「下準備?」
「エルフの混血は魔力の覚醒の前に、感覚器官の拡張と肉体の強化が行われるのじゃよ。ひ孫ちゃんは三歳になったからのう、最初の成長である感覚器官の拡張が始まったというわけじゃ」

 魔力対応期と呼ばれるそれこそが、発現種と原種の最も大きな違いと言われている。
 本来魔力を持たず生まれてくる種族であった素人類プレーンの名残なのか、ヒトの身は生まれた時点では魔力に対して柔軟であるが、受け止めるだけの強さはない。
 生まれたばかりの赤子の骨が軟骨状態から完全に脱するまでに数年を要するように、魔力の受け皿としての強度は成長に応じて増していくのだ。
 ほとんどの場合は乳児の間に対応期を終えるが、エルフ種のような格段に魔力量が多い種族の場合は強化自体の負荷が大きい。そのためかかなり時間がかかり、ヒト本来の寿命では完全に対応期が終わるまでたどり着くことができないとさえ言われている。
 ――もっとも、ヒトとの交わりを疎むが故か、ネクタルのような直系以外でエルフ種が確認された事例はほとんどないのだが。

「それでなんで泣くのさ。びっくりしてるとかじゃなく、怯えてるんだけど?」

 謡うような曾祖母の解説を断ち切るように、眉を寄せたセルジェがふんすと鼻息荒く短い腕を組んだ。
 威嚇する子猫のようでいっそ愛らしくもある小生意気な態度を茶化すでもなく、リコフォスは一瞬の沈黙を挟んで自身が入ってきた大窓へと視線をやった。

「黒の森で諍いが起きていることは知っておるな?」
「……まさか」

 滔々と広がる暗闇の底を見透かすような曾祖母の視線を前に、兄弟は息をのんだ。

 黒の森。
 ネクタル領からさらに東へ進んだ、異種族の領域へと続く原始の森の名だ。
 緩衝地帯として機能するそこには様々な種族が生きているが、中にはヒトを忌み嫌う敵性種族も存在している。リコフォスダークエルフという高位種族が縄張りとしているため積極的に侵攻してくることはないが、領域の境界線を巡った諍いが起こることがある。

 ――今、この時のように。

「察しがよいのう。そうじゃ。ひ孫ちゃんには今その戦場が見えておるし、聞こえておる。優秀なのも考え物じゃの」

 エルフ種は総じて優秀な狩人だ。
 彼らは遠きを射抜く目を持ち、獲物の心音を聞き分ける耳を持つ。

 黒の森までの距離ならば、夜闇などものともしない。

「――ラージェは、どうなるんですか」

 シルヴァは妹の稚い寝顔に目をやって、痛みをこらえるような顔をした。
 まろい頬も柔らかな、ちいさな妹。
 目じりも鼻も赤いままですぴすぴと寝息を立てるこの子がどんなに怖い思いをしたのかと思うと、たまらなく苦しかった。
 せめて、これ以上苦しまないでほしいと祈るように問うた言葉に、曾祖母はただ静かな声を打ち寄せた。

「どうともならん。病ではないからの。受け入れる他に生きる術はない」

 月光のような声は、どこか諦観を孕んでいた。

「儂らは遠くを見、彼方を聞き、狩る者。そして、守れぬことを知る者。向こう数年は苦しむことになろうが……いずれは、折り合いがつくじゃろうよ」

 いずれって? それは、僕たちの寿命でどのくらい?

 セルジェは小さく唇を噛んで、出かかった言葉を飲み込んだ。
 曾祖母の深いベリー色の瞳が今まで見たこともないくらいに悲し気なのが――答えだと、わかってしまったから。

 泣き出す直前にかけてやったとびきりの祝福の呪文がせめて、あの子の道行を照らしますように。
 もう、セルジェに出来るのはそれだけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜

白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。 舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。 王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。 「ヒナコのノートを汚したな!」 「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」 小説家になろう様でも投稿しています。

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

竜王の息子のお世話係なのですが、気付いたら正妻候補になっていました

七鳳
恋愛
竜王が治める王国で、落ちこぼれのエルフである主人公は、次代の竜王となる王子の乳母として仕えることになる。わがままで甘えん坊な彼に振り回されながらも、成長を見守る日々。しかし、王族の結婚制度が明かされるにつれ、彼女の立場は次第に変化していく。  「お前は俺のものだろ?」  次第に強まる独占欲、そして彼の真意に気づいたとき、主人公の運命は大きく動き出す。異種族の壁を超えたロマンスが紡ぐ、ほのぼのファンタジー! ※恋愛系、女主人公で書くのが初めてです。変な表現などがあったらコメント、感想で教えてください。 ※全60話程度で完結の予定です。 ※いいね&お気に入り登録励みになります!

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです

白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。 ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。 「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」 ある日、アリシアは見てしまう。 夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを! 「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」 「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」 夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。 自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。 ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。 ※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

処理中です...