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15.むかしのはなし(3)
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リコフォスの言葉に目に見えて胸をなでおろしたシルヴァとは対照的に、今度はセルジェがぐっと身を乗り出した。
「ねえ、なにがあったのさ。どうしてうちのお姫様が泣いたの」
「セルジェ!」
目元に浮かんでいた涙の粒を乱暴に拭った勝気な表情は警戒心と同時に隠しきれない好奇心に満ちている。じっとこちらを見つめる目は子猫のように丸く瞳孔が開いている。
そんな弟に「めっ」とでも言わんばかりの制止の声をシルヴァがあげた。
好対照な兄弟の姿に、リコフォスは一層上機嫌にからから笑う。
「よいよい。小生意気な方がかわゆいわ。よくお聞き、ひ孫ちゃんその弐。儂らエルフ種は魔力がとーっても強いのは知っておるな?」
腕の中のひ孫が少し重くなる。泣きつかれたのか眠ってしまったようだ。それを起こさぬように子守唄の如き声で問えば、セルジェがこくりとうなずく。
「うん。そのわりにラージェ、ボクより魔法へたっぴだけど」
「ははは。そらぁそうじゃろうな。今は使えぬもの」
「使えない……?」
怪訝な顔で小さな頭が傾いだ。声には出さないまでも同じ疑問を抱いたらしいシルヴァもきょとんとした顔でリコフォスを見上げる。
「うむ。ちいちゃな器に無理やり大量の水を入れようとしても溢れたり、割れたりするじゃろ。儂らの魔力はその水で肉体は器。ひ孫ちゃんみたいな混血の肉体がちいちゃな器と言える」
わかるか? と問われ、最初に頷いたのはシルヴァだった。
「ラージェは大きくなるまで、身体を守るために魔力を使えないってこと、でしょうか?」
「うむ。簡単に言えばそんなもんじゃの。今回のひ孫ちゃんの『こわいこわい』は大きくなるための下準備と考えればよい」
「下準備?」
「エルフの混血は魔力の覚醒の前に、感覚器官の拡張と肉体の強化が行われるのじゃよ。ひ孫ちゃんは三歳になったからのう、最初の成長である感覚器官の拡張が始まったというわけじゃ」
魔力対応期と呼ばれるそれこそが、発現種と原種の最も大きな違いと言われている。
本来魔力を持たず生まれてくる種族であった素人類の名残なのか、ヒトの身は生まれた時点では魔力に対して柔軟であるが、受け止めるだけの強さはない。
生まれたばかりの赤子の骨が軟骨状態から完全に脱するまでに数年を要するように、魔力の受け皿としての強度は成長に応じて増していくのだ。
ほとんどの場合は乳児の間に対応期を終えるが、エルフ種のような格段に魔力量が多い種族の場合は強化自体の負荷が大きい。そのためかかなり時間がかかり、ヒト本来の寿命では完全に対応期が終わるまでたどり着くことができないとさえ言われている。
――もっとも、ヒトとの交わりを疎むが故か、ネクタルのような直系以外でエルフ種が確認された事例はほとんどないのだが。
「それでなんで泣くのさ。びっくりしてるとかじゃなく、怯えてるんだけど?」
謡うような曾祖母の解説を断ち切るように、眉を寄せたセルジェがふんすと鼻息荒く短い腕を組んだ。
威嚇する子猫のようでいっそ愛らしくもある小生意気な態度を茶化すでもなく、リコフォスは一瞬の沈黙を挟んで自身が入ってきた大窓へと視線をやった。
「黒の森で諍いが起きていることは知っておるな?」
「……まさか」
滔々と広がる暗闇の底を見透かすような曾祖母の視線を前に、兄弟は息をのんだ。
黒の森。
ネクタル領からさらに東へ進んだ、異種族の領域へと続く原始の森の名だ。
緩衝地帯として機能するそこには様々な種族が生きているが、中にはヒトを忌み嫌う敵性種族も存在している。リコフォスという高位種族が縄張りとしているため積極的に侵攻してくることはないが、領域の境界線を巡った諍いが起こることがある。
――今、この時のように。
「察しがよいのう。そうじゃ。ひ孫ちゃんには今その戦場が見えておるし、聞こえておる。優秀なのも考え物じゃの」
エルフ種は総じて優秀な狩人だ。
彼らは遠きを射抜く目を持ち、獲物の心音を聞き分ける耳を持つ。
黒の森までの距離ならば、夜闇などものともしない。
「――ラージェは、どうなるんですか」
シルヴァは妹の稚い寝顔に目をやって、痛みをこらえるような顔をした。
まろい頬も柔らかな、ちいさな妹。
目じりも鼻も赤いままですぴすぴと寝息を立てるこの子がどんなに怖い思いをしたのかと思うと、たまらなく苦しかった。
せめて、これ以上苦しまないでほしいと祈るように問うた言葉に、曾祖母はただ静かな声を打ち寄せた。
「どうともならん。病ではないからの。受け入れる他に生きる術はない」
月光のような声は、どこか諦観を孕んでいた。
「儂らは遠くを見、彼方を聞き、狩る者。そして、守れぬことを知る者。向こう数年は苦しむことになろうが……いずれは、折り合いがつくじゃろうよ」
いずれって? それは、僕たちの寿命でどのくらい?
セルジェは小さく唇を噛んで、出かかった言葉を飲み込んだ。
曾祖母の深いベリー色の瞳が今まで見たこともないくらいに悲し気なのが――答えだと、わかってしまったから。
泣き出す直前にかけてやったとびきりの祝福の呪文がせめて、あの子の道行を照らしますように。
もう、セルジェに出来るのはそれだけだった。
「ねえ、なにがあったのさ。どうしてうちのお姫様が泣いたの」
「セルジェ!」
目元に浮かんでいた涙の粒を乱暴に拭った勝気な表情は警戒心と同時に隠しきれない好奇心に満ちている。じっとこちらを見つめる目は子猫のように丸く瞳孔が開いている。
そんな弟に「めっ」とでも言わんばかりの制止の声をシルヴァがあげた。
好対照な兄弟の姿に、リコフォスは一層上機嫌にからから笑う。
「よいよい。小生意気な方がかわゆいわ。よくお聞き、ひ孫ちゃんその弐。儂らエルフ種は魔力がとーっても強いのは知っておるな?」
腕の中のひ孫が少し重くなる。泣きつかれたのか眠ってしまったようだ。それを起こさぬように子守唄の如き声で問えば、セルジェがこくりとうなずく。
「うん。そのわりにラージェ、ボクより魔法へたっぴだけど」
「ははは。そらぁそうじゃろうな。今は使えぬもの」
「使えない……?」
怪訝な顔で小さな頭が傾いだ。声には出さないまでも同じ疑問を抱いたらしいシルヴァもきょとんとした顔でリコフォスを見上げる。
「うむ。ちいちゃな器に無理やり大量の水を入れようとしても溢れたり、割れたりするじゃろ。儂らの魔力はその水で肉体は器。ひ孫ちゃんみたいな混血の肉体がちいちゃな器と言える」
わかるか? と問われ、最初に頷いたのはシルヴァだった。
「ラージェは大きくなるまで、身体を守るために魔力を使えないってこと、でしょうか?」
「うむ。簡単に言えばそんなもんじゃの。今回のひ孫ちゃんの『こわいこわい』は大きくなるための下準備と考えればよい」
「下準備?」
「エルフの混血は魔力の覚醒の前に、感覚器官の拡張と肉体の強化が行われるのじゃよ。ひ孫ちゃんは三歳になったからのう、最初の成長である感覚器官の拡張が始まったというわけじゃ」
魔力対応期と呼ばれるそれこそが、発現種と原種の最も大きな違いと言われている。
本来魔力を持たず生まれてくる種族であった素人類の名残なのか、ヒトの身は生まれた時点では魔力に対して柔軟であるが、受け止めるだけの強さはない。
生まれたばかりの赤子の骨が軟骨状態から完全に脱するまでに数年を要するように、魔力の受け皿としての強度は成長に応じて増していくのだ。
ほとんどの場合は乳児の間に対応期を終えるが、エルフ種のような格段に魔力量が多い種族の場合は強化自体の負荷が大きい。そのためかかなり時間がかかり、ヒト本来の寿命では完全に対応期が終わるまでたどり着くことができないとさえ言われている。
――もっとも、ヒトとの交わりを疎むが故か、ネクタルのような直系以外でエルフ種が確認された事例はほとんどないのだが。
「それでなんで泣くのさ。びっくりしてるとかじゃなく、怯えてるんだけど?」
謡うような曾祖母の解説を断ち切るように、眉を寄せたセルジェがふんすと鼻息荒く短い腕を組んだ。
威嚇する子猫のようでいっそ愛らしくもある小生意気な態度を茶化すでもなく、リコフォスは一瞬の沈黙を挟んで自身が入ってきた大窓へと視線をやった。
「黒の森で諍いが起きていることは知っておるな?」
「……まさか」
滔々と広がる暗闇の底を見透かすような曾祖母の視線を前に、兄弟は息をのんだ。
黒の森。
ネクタル領からさらに東へ進んだ、異種族の領域へと続く原始の森の名だ。
緩衝地帯として機能するそこには様々な種族が生きているが、中にはヒトを忌み嫌う敵性種族も存在している。リコフォスという高位種族が縄張りとしているため積極的に侵攻してくることはないが、領域の境界線を巡った諍いが起こることがある。
――今、この時のように。
「察しがよいのう。そうじゃ。ひ孫ちゃんには今その戦場が見えておるし、聞こえておる。優秀なのも考え物じゃの」
エルフ種は総じて優秀な狩人だ。
彼らは遠きを射抜く目を持ち、獲物の心音を聞き分ける耳を持つ。
黒の森までの距離ならば、夜闇などものともしない。
「――ラージェは、どうなるんですか」
シルヴァは妹の稚い寝顔に目をやって、痛みをこらえるような顔をした。
まろい頬も柔らかな、ちいさな妹。
目じりも鼻も赤いままですぴすぴと寝息を立てるこの子がどんなに怖い思いをしたのかと思うと、たまらなく苦しかった。
せめて、これ以上苦しまないでほしいと祈るように問うた言葉に、曾祖母はただ静かな声を打ち寄せた。
「どうともならん。病ではないからの。受け入れる他に生きる術はない」
月光のような声は、どこか諦観を孕んでいた。
「儂らは遠くを見、彼方を聞き、狩る者。そして、守れぬことを知る者。向こう数年は苦しむことになろうが……いずれは、折り合いがつくじゃろうよ」
いずれって? それは、僕たちの寿命でどのくらい?
セルジェは小さく唇を噛んで、出かかった言葉を飲み込んだ。
曾祖母の深いベリー色の瞳が今まで見たこともないくらいに悲し気なのが――答えだと、わかってしまったから。
泣き出す直前にかけてやったとびきりの祝福の呪文がせめて、あの子の道行を照らしますように。
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