わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西

文字の大きさ
上 下
14 / 43

14.むかしのはなし(2)

しおりを挟む
「……あ」
「ラージェ?」

 それは、誕生日パーティーのさなか突如起きた。
 家族の真ん中で幸福そうに微笑んでいた少女がふいに窓の方を見つめ、メデューサに魅入られたように固まってしまったのだ。

 兄が、母が、父が、祖父が、祖母が――誰が語りかけても、少女は反応しなかった。

 何もできない家族の真ん中で、ただ大きな大きな赤い瞳を零れてしまいそうなほどに見開いて、どんどん肌から血の気をなくしていく。

「――――やだ」

 かちかちと、つくりものみたいに小さな乳歯が鳴る。
 ミルクのにおいがする薄桃色の唇が恐怖に溺れて青ざめる。
 涙がぼろぼろと大粒に連なってまなじりから溢れる。
 ひぅ、と喉が歪にすぼまる音がする。

 それは、まぎれもない恐怖の発露だった。

「ラージェ、ラージェ!!」
「どうしたの! 返事をして!」

 突然怯え始めた末っ子に二人の兄がわたわたと駆け寄った。
 尋常でない様子が次第に二人のまなじりにまで涙を膨らませていく。

「なにが怖いの、ラージェ!」

 見えず聞こえぬものへの恐怖が幼子の間で伝播する――その、一瞬前。

「――ああ、黒の森か」

 月のような﨟長けた声が、ひょいと喧騒を断つようにその場に落とされた。

「おばあ、さま」

 ぽつりと、誰かが呟いた。それに応えるがごとく、夜空の肌に星を煌めかせながらそのダークエルフはにっこりと場にそぐわぬ明るさで微笑む。

「ふふ、遅れてしまってすまないのう。どれ、かわいいひ孫ちゃんを抱かせておくれ」

 リコフォス・ネクタル。
 先々代ネクタル辺境伯との大恋愛により護国の一族ネクタルにダークエルフの純血を届けた張本人にして、夫亡きあともネクタル家を見守り続ける生き字引。
 『夜闇の貴婦人』を冠する高貴の化身はそう言って、軽やかに歩みを進めた。
 一歩進むごとに人垣が慄いたように割れていく。そうしてしまうだけの異質な迫力が彼女にはあった。

「ほれ、ラージェ。儂のかわゆいひ孫ちゃん。いつまでも泣いておると目が蕩けてしまうぞ」

 そんな守護神ともいえる主人は戸惑うこともなく泣きじゃくるひ孫の前に膝をつくと、ひょいとその腕に抱きあげた。浮世離れした年を取らぬ外見をしているが、仮にも今代に至るまでに十人以上の子らの面倒を見てきただけあって、その抱き方は実に堂に入っている。

「――ひ、ぅ」
「よしよし怖かったのう。大丈夫じゃよ。それはおぬしには届かぬからな」

 体をこわばらせるばかりだった幼子の目を見つめ、麗人が呵々と笑う。まなじりに溜まっていたいくつかの涙を彼女が掬い取れば、触れた端からたちまち花びらになって消えていった。
 ぱちくりと大きなベリー色の目が瞬いた。自分と同じ色をしたその人がいることにようやく気付いたようだ。

「ばぁ、ば?」

 ひ孫の恐る恐ると言わんばかりの声に、女主人は頷く。よしよしと小さな頭を撫でてやれば、幼児特有の細く柔らかな髪がしっとりと濡れているのが指先に伝わった。泣き続けたせいで汗をかいてしまったらしい。

「うむ。ばあばじゃ。偉いのう。まだこんなに小さいのに、熱も出ておらん。優秀優秀」
「あの、ね」
「ん、言うてみ」

 熱や怯えを吸い取るような、自分と同じはずなのに不思議と深い色をした目に見守られながら、サラージュはきゅむっと曾祖母の胸元を握りしめた。そして、内緒話をするように小さな声で囁いた。

「あかいの。あかくて、くるしそうなの」
「そうじゃの」
「『まもる』って、なに?」
「平和であるように、という意味かのう」

 断片的なその言葉に戸惑うこともなく頷くリコフォスの前に、一人の老人が進み出た。
 特徴的な月白色の髪は年月の経過を感じさせない艶やかさを帯びており、女主人たちと同じ生来のものだと一見してわかった。その面差しは性差や年齢差こそあれど、年齢不詳のダークエルフによく似ている。

「……母上。久方ぶりのご帰還、何よりです」
「おお、息子ちゃんか。老けたのう……加齢に関しては父親譲りか。よいよい」

 自身を置いて月日に絡め取られた姿をしている息子の姿を興味深そうに眺めながら、リコフォスは満足げに頷いた。
 その眼差しを受け、古木の如き老武人はどこか緊張した面持ちで口を開く。まるで、叱られるのを予感している子供のようなまごついた口調だった。

「サラージュは……その、もしや」
「はは、なんじゃ気づいておらんのかと思ったわ。そうそう、おぬしやそこの孫ちゃんと一緒じゃな。儂の血の発現その壱ってやつよ」

 腕の中のひ孫をあやしながら、女主人はからりと笑った。だが表情とは裏腹にその目は険しい。眼差しだけで生半可なトロール程度なら殺せそうだ。
 ダークエルフの血の濃さもあって尋常でなく威厳のある容姿をしている大の男二人が、割った壺が見つかった少年のようにしわしわとしょぼくれた表情になっていく。

「……申し訳ございません。シルヴァやセルジェに無かったので油断しておりました」
「儂に謝ってどうする戯け。苦しい思いをさせたのはひ孫ちゃんじゃろがい。だいたい発現種が違うんじゃからそんなの当たり前じゃド阿呆。お尻をぺんぺんしてやろうか」
「おやめください母上」
「幼子ではないからこそ効くじゃろ」

 呆れたと言わんばかりのリコフォスが息をつけば、その袂から扇がふわりと浮き上がった。鎌首をもたげる蛇の如く自身――正確にはその尻――へ向けて素振りをしながら進んでくるそれにじりりと老武人が後退する。
 そんな中、小さな影がぴょこんと飛び出した。
 シルヴァだ。

「ひ、ひいおばあさま!」
「ん? おお、ひ孫ちゃんその壱。どうした?」
「ラージェは、大丈夫……なんですか?」

 平時は穏やかな双眸を不安げに揺らしながら問うシルヴァの後ろでは、泣くのをぎゅっと我慢しているセルジェがその服の裾を掴んでいる。
 どちらも妹が心配でならないという表情だ。「いい男に育つに違いない」と一人満足して、リコフォスはひ孫たちの前に膝をついた。
 本当なら直接頭をよしよししてやりたいが生憎ダークエルフの腕は二本しかないので、宙に浮かせていた扇で代わりにぺそぺそと小さな二つの頭を撫でる。

「うむ。大丈夫じゃから安心してよいぞ。ほれ、おぬしらの背が伸びた時に関節が痛くなったじゃろ。あれと同じようなもんじゃな」
「よかった……」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

悪役令嬢カテリーナでございます。

くみたろう
恋愛
………………まあ、私、悪役令嬢だわ…… 気付いたのはワインを頭からかけられた時だった。 どうやら私、ゲームの中の悪役令嬢に生まれ変わったらしい。 40歳未婚の喪女だった私は今や立派な公爵令嬢。ただ、痩せすぎて骨ばっている体がチャームポイントなだけ。 ぶつかるだけでアタックをかます強靭な骨の持ち主、それが私。 40歳喪女を舐めてくれては困りますよ? 私は没落などしませんからね。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

将来を誓い合った王子様は聖女と結ばれるそうです

きぬがやあきら
恋愛
「聖女になれなかったなりそこない。こんなところまで追って来るとはな。そんなに俺を忘れられないなら、一度くらい抱いてやろうか?」 5歳のオリヴィエは、神殿で出会ったアルディアの皇太子、ルーカスと恋に落ちた。アルディア王国では、皇太子が代々聖女を妻に迎える慣わしだ。しかし、13歳の選別式を迎えたオリヴィエは、聖女を落選してしまった。 その上盲目の知恵者オルガノに、若くして命を落とすと予言されたオリヴィエは、せめてルーカスの傍にいたいと、ルーカスが団長を務める聖騎士への道へと足を踏み入れる。しかし、やっとの思いで再開したルーカスは、昔の約束を忘れてしまったのではと錯覚するほど冷たい対応で――?

忌むべき番

藍田ひびき
恋愛
「メルヴィ・ハハリ。お前との婚姻は無効とし、国外追放に処す。その忌まわしい姿を、二度と俺に見せるな」 メルヴィはザブァヒワ皇国の皇太子ヴァルラムの番だと告げられ、強引に彼の後宮へ入れられた。しかしヴァルラムは他の妃のもとへ通うばかり。さらに、真の番が見つかったからとメルヴィへ追放を言い渡す。 彼は知らなかった。それこそがメルヴィの望みだということを――。 ※ 8/4 誤字修正しました。 ※ なろうにも投稿しています。

この度、皆さんの予想通り婚約者候補から外れることになりました。ですが、すぐに結婚することになりました。

鶯埜 餡
恋愛
 ある事件のせいでいろいろ言われながらも国王夫妻の働きかけで王太子の婚約者候補となったシャルロッテ。  しかし当の王太子ルドウィックはアリアナという男爵令嬢にべったり。噂好きな貴族たちはシャルロッテに婚約者候補から外れるのではないかと言っていたが

処理中です...