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10.躾
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躾だの調教だのといっても、大したことをするわけではない。
少なくともサラージュはそう思っている。
ようは眷属としての形をよく教え込むこと、そしてこちら側が相手の形質を理解しなおすこと。そうしてわかり合うことで、彼らがそれらしい振る舞いを『したい』と思うように仕向ける技術なのだ。曾祖母が『躾』と呼んでいたからそれに倣った呼び方をしているが、やっていることは相互理解の範疇だろう。
ただ、眷属としての本能を呼び覚ますために使用する言語がやたらと被虐趣味を呷るらしく、その素質があるものにしかけると時折ハマってしまうことがあるだけで。
(まあ、陛下には念のため許可をいただいたけれど……、殿下は征服欲強い方ですし。大丈夫よね)
散々うなじを噛まれたり組み敷かれた相手だ。その気質はよくよく理解している。
サラージュはゆるりと肩に垂れた髪を払い、アレクシスのライトグリーンの瞳を見つめた。じっとりとした不穏な色に変わりはないが、ほんの少し理性の光が戻ってきているように見える。
はじめても? と声をかければ、アレクシスは一拍置いて、ゆるりと頷いた。
**
明るくなった部屋の中でサラージュは数度瞬いた。久々の明るさに適応が追い付かないのかひどく眩しく感じる。
(殿下ったら、いつでも明るくできたのにわざと暗くしていたのね)
躾には、いくつか動いてもらわなくてはならない手順が存在する。それゆえいくら夜目が効くとはいえ暗闇で行うのは危険だと伝えたところ、アレクシスがさらりと照明魔法で部屋を明るくしてみせたのだ。
魔法が得意だとは聞いていたが、繊細に編まなくてはスタングレネードもどきになりかねない術を無杖無詠唱でこなすほどだったとは。
それ自体は素直に関心するが、照明器具を物理的に破壊したのがただのパフォーマンスであったことを見抜けなかった自身の未熟さは恨めしい。
サラージュ自身の才能は体術に寄っているので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
(少し、悔しいわね)
そんなことを思いながら、サラージュは口を開いた。
「レクシア、『立って』」
躊躇う様子もなく、長身が立ち上がる。
先ほどの激昂で血が頭のほうに移ったのだろうか。いまだに昂らせていたら躾の邪魔になりそうだな、と心配していたサラージュはひそかに胸をなでおろした。
壁際に移動するよう指示を出し、自分はベッドの際に足をおろす。イニシアチブを握っているのはサラージュの方だというのに相も変わらず重苦しい音を立てる鎖はどこか滑稽だ。
灯りがある状況をようやく思い出したらしい目で、指示通り壁際に寄ったアレクシスを見やる。
(……本当、大型犬よね)
公的な場で気を張っているときは凛々しい黄金色の狼に見えるのだが、サラージュの前ではふにゃふにゃになってばかりなので、どうしても印象がそちらに寄ってしまう。体を重ねる時は多少野生に帰るものの、やはり千切れんばかりに揺れる尾などで喜びを溢れさせていることがほとんどだ。
(まあ、可愛いからいいのだけれど)
気分は飼い主だ。普段ならば不敬だろうとブレーキがかかる思考だが、もう種族を盾に従えている時点で手遅れだろうと内心開き直る。
人間の指揮を執るならまだしも、従順な下僕に育て上げるような趣味はないので愛玩動物の相手をしていると思った方が幾分ましだ、という内心もほんの少しあるが。
そんなことを思いながら、サラージュはかつて曾祖母に手慰み程度に教え込まれた命令を口ずさんだ。
「『おいで』」
手招くことすらなく、ただ手のひらを差し出して示せば、てくてくとアレクシスが歩み出でる。ご機嫌とまでは言わないが、嬉しそうに軽やかに揺れる尻尾を見るに、抵抗感は薄いようだ。
ベッドから一、二歩離れたところまで彼が辿りついたところで、再び口を開く。
「『お座り』」
ぴくりと逞しい肩が跳ねた。一瞬の戸惑いの後、普段は地べたに座ることなどないだろうトラウザースがすとんとその場に腰を下ろす。絨毯の長い毛足を尾が撫でると同時に「褒めてくれ」と言わんばかりにくっと顎があがり、ライトグリーンの瞳がこちらを見つめる。
無言だというのに何より雄弁なその仕草に、思わず笑いが込み上げた。
「ふふ、よくできました」
こしょこしょと頤をくすぐってやれれば、アレクシスの薄い唇から熱のこもった息が零れた。
褒められること自体が快楽になっているのか、頬は上気し瞳も熱に浮かされたように蕩けてふにゃふにゃと力が入っていない。発情期に見慣れたぎらついた眼差しとも違う、愛玩を乞うような甘さに、なにか見てはいけないものを見てしまったような心地になる。
背徳感と世間的には呼ばれるその感覚の居心地の悪さに思わず目が泳ぎそうになるが、ここで動揺を悟られては優位が崩れかねない。毅然とした態度こそが肝心なのだ。
気まずさを堪えて女主人然とした表情を保つサラージュに気付いているのかいないのか、アレクシスがすりすりと手のひらに頬を寄せる。
「さら……」
くぅん、と鼻にかかった甘えた声で、乞うように彼が鳴いた。
少なくともサラージュはそう思っている。
ようは眷属としての形をよく教え込むこと、そしてこちら側が相手の形質を理解しなおすこと。そうしてわかり合うことで、彼らがそれらしい振る舞いを『したい』と思うように仕向ける技術なのだ。曾祖母が『躾』と呼んでいたからそれに倣った呼び方をしているが、やっていることは相互理解の範疇だろう。
ただ、眷属としての本能を呼び覚ますために使用する言語がやたらと被虐趣味を呷るらしく、その素質があるものにしかけると時折ハマってしまうことがあるだけで。
(まあ、陛下には念のため許可をいただいたけれど……、殿下は征服欲強い方ですし。大丈夫よね)
散々うなじを噛まれたり組み敷かれた相手だ。その気質はよくよく理解している。
サラージュはゆるりと肩に垂れた髪を払い、アレクシスのライトグリーンの瞳を見つめた。じっとりとした不穏な色に変わりはないが、ほんの少し理性の光が戻ってきているように見える。
はじめても? と声をかければ、アレクシスは一拍置いて、ゆるりと頷いた。
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明るくなった部屋の中でサラージュは数度瞬いた。久々の明るさに適応が追い付かないのかひどく眩しく感じる。
(殿下ったら、いつでも明るくできたのにわざと暗くしていたのね)
躾には、いくつか動いてもらわなくてはならない手順が存在する。それゆえいくら夜目が効くとはいえ暗闇で行うのは危険だと伝えたところ、アレクシスがさらりと照明魔法で部屋を明るくしてみせたのだ。
魔法が得意だとは聞いていたが、繊細に編まなくてはスタングレネードもどきになりかねない術を無杖無詠唱でこなすほどだったとは。
それ自体は素直に関心するが、照明器具を物理的に破壊したのがただのパフォーマンスであったことを見抜けなかった自身の未熟さは恨めしい。
サラージュ自身の才能は体術に寄っているので、仕方ないと言えば仕方ないのだが。
(少し、悔しいわね)
そんなことを思いながら、サラージュは口を開いた。
「レクシア、『立って』」
躊躇う様子もなく、長身が立ち上がる。
先ほどの激昂で血が頭のほうに移ったのだろうか。いまだに昂らせていたら躾の邪魔になりそうだな、と心配していたサラージュはひそかに胸をなでおろした。
壁際に移動するよう指示を出し、自分はベッドの際に足をおろす。イニシアチブを握っているのはサラージュの方だというのに相も変わらず重苦しい音を立てる鎖はどこか滑稽だ。
灯りがある状況をようやく思い出したらしい目で、指示通り壁際に寄ったアレクシスを見やる。
(……本当、大型犬よね)
公的な場で気を張っているときは凛々しい黄金色の狼に見えるのだが、サラージュの前ではふにゃふにゃになってばかりなので、どうしても印象がそちらに寄ってしまう。体を重ねる時は多少野生に帰るものの、やはり千切れんばかりに揺れる尾などで喜びを溢れさせていることがほとんどだ。
(まあ、可愛いからいいのだけれど)
気分は飼い主だ。普段ならば不敬だろうとブレーキがかかる思考だが、もう種族を盾に従えている時点で手遅れだろうと内心開き直る。
人間の指揮を執るならまだしも、従順な下僕に育て上げるような趣味はないので愛玩動物の相手をしていると思った方が幾分ましだ、という内心もほんの少しあるが。
そんなことを思いながら、サラージュはかつて曾祖母に手慰み程度に教え込まれた命令を口ずさんだ。
「『おいで』」
手招くことすらなく、ただ手のひらを差し出して示せば、てくてくとアレクシスが歩み出でる。ご機嫌とまでは言わないが、嬉しそうに軽やかに揺れる尻尾を見るに、抵抗感は薄いようだ。
ベッドから一、二歩離れたところまで彼が辿りついたところで、再び口を開く。
「『お座り』」
ぴくりと逞しい肩が跳ねた。一瞬の戸惑いの後、普段は地べたに座ることなどないだろうトラウザースがすとんとその場に腰を下ろす。絨毯の長い毛足を尾が撫でると同時に「褒めてくれ」と言わんばかりにくっと顎があがり、ライトグリーンの瞳がこちらを見つめる。
無言だというのに何より雄弁なその仕草に、思わず笑いが込み上げた。
「ふふ、よくできました」
こしょこしょと頤をくすぐってやれれば、アレクシスの薄い唇から熱のこもった息が零れた。
褒められること自体が快楽になっているのか、頬は上気し瞳も熱に浮かされたように蕩けてふにゃふにゃと力が入っていない。発情期に見慣れたぎらついた眼差しとも違う、愛玩を乞うような甘さに、なにか見てはいけないものを見てしまったような心地になる。
背徳感と世間的には呼ばれるその感覚の居心地の悪さに思わず目が泳ぎそうになるが、ここで動揺を悟られては優位が崩れかねない。毅然とした態度こそが肝心なのだ。
気まずさを堪えて女主人然とした表情を保つサラージュに気付いているのかいないのか、アレクシスがすりすりと手のひらに頬を寄せる。
「さら……」
くぅん、と鼻にかかった甘えた声で、乞うように彼が鳴いた。
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