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【第三章】春日局襲撃計画(四)
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さて次の日の夜も明けぬ頃、春日局はわずかな供を連れて城を出た。そして日が暮れる頃には、鎌倉にたどりつく。
鎌倉は実に坂が多い。地理的に三方を山、もう一方は海である。この地形ゆえに、源頼朝により鎌倉幕府が置かれることとなったのである。
問題の英勝寺は、寺の多い鎌倉にあっても唯一の尼寺だった。かすかに小雨が降り続けている。そして周辺には、白藤が鮮やかに咲き乱れていた。英勝寺では、他にも紫陽花、彼岸花、柊、つつじ等が、それぞれの季節の象徴として花を咲かせるという。
ところがである。この日の春日局の行動は何故か、その命を狙う甲賀者達に筒抜けであった。甲賀者達の頭は無尽といった。無尽は、じっと春日局と周辺のわずかな供回りの者たちの様子をうかがった。
「それにしても、いかにお忍びの旅とはいえ、警護の者たちが貧弱にすぎるな」
確かに、春日局の護衛の者達はいずれもが老人や、非力そうな者たちばかりである。もしやしたら、何かの罠ではという不安も瞬時脳裏をよぎる。しかし今更計画を中断するわけにもゆかない。意を決して無尽は合図の口笛を吹く。
甲賀者たちは、たちまちのうちに春日局の輿に殺到。警護の者たちは抵抗するわけでもなく、春日局を守ろうとするわけでもなく、たちまち逃げ去った。甲賀者たちが拍子抜けするほど、事は順調に進んだ。そして、あっけないほど簡単に、忍びの一人が春日局の輿に刀を貫通させた。
しかしこの時、忍びはすでに異変に気付いていた。人を刺したにしては手ごたえがなさすぎる。そして刀を引き抜いてみると、はたして一滴の血も付いてはいなかった。輿の中を開けてみると、中に座っていたのは、春日局ではなくよくできた人形だった。
突如としてカラスが十数羽ほど、上空を鳴き声と共に勢いよく走りさった。そして次の瞬間に甲賀者たちが感じたのは、地の底から己等を招くかのような強い殺気だった。
「かかったな甲賀の者ども! ここに春日様はおられん!」
無尽はようやく、己等が罠にかかったことを察したが、もう遅かった。気がついた時には、圧倒的な数の敵に包囲されていた。次第、次第に白藤が甲賀者たちの血で朱に染まっていく……。
その日の夜遅く、春日局が鎌倉で何者かの襲撃を受けたという怪情報が、早馬で江戸城に流れた。その噂で大奥の女たちが右往左往する様を目の当たりにしながら、何故か葉月は密かに笑みさえうかべた。
ところが翌朝未明のことである。大奥の自らの部屋で、何事もなかったかのように茶をすすっている春日局を見た時には、葉月は夢でも見ているような心持がした。
「どうしたのじゃ葉月、かように亡霊でも見るような顔をして」
春日局が、微笑みを浮かべながら葉月の耳元で囁いた言葉は、葉月にとり幽霊を見るより衝撃的だった。
「そなたの仲間なら、皆ことごとく討ち取られるか、もしくは自害したぞ」
さらに春日局はいう。
「そなたが実は葉月ではなく、葉月の命を奪った甲賀者であること、わらわはとっくの昔に知っておったのじゃ。そなたはわらわの流した情報を、まんまと仲間の甲賀の者たちに伝えた」
葉月いや彩芽は、真っ青になり震えが止まらなくなった。
「全て調べはついておる。戻って夏に伝えるがよい。上様の命を宿した大事な体じゃ命は取らぬ。そなたごときが、わらわの命を奪おうなどと笑止千万。いつでもこの首取りにくるがよいとな。そしてここを出たなら、そなたも二度と戻ってくるでないぞ」
彩芽はかろうじて平伏すると、そのまま言葉通り、春日局の前から姿を消した。こうして、夏による春日局暗殺計画は見事な失敗に終わった。数か月して、夏は将軍の子を出産したが、結局は死産だった。そして春日局もこの年の九月、ついに病に倒れるのだった。
鎌倉は実に坂が多い。地理的に三方を山、もう一方は海である。この地形ゆえに、源頼朝により鎌倉幕府が置かれることとなったのである。
問題の英勝寺は、寺の多い鎌倉にあっても唯一の尼寺だった。かすかに小雨が降り続けている。そして周辺には、白藤が鮮やかに咲き乱れていた。英勝寺では、他にも紫陽花、彼岸花、柊、つつじ等が、それぞれの季節の象徴として花を咲かせるという。
ところがである。この日の春日局の行動は何故か、その命を狙う甲賀者達に筒抜けであった。甲賀者達の頭は無尽といった。無尽は、じっと春日局と周辺のわずかな供回りの者たちの様子をうかがった。
「それにしても、いかにお忍びの旅とはいえ、警護の者たちが貧弱にすぎるな」
確かに、春日局の護衛の者達はいずれもが老人や、非力そうな者たちばかりである。もしやしたら、何かの罠ではという不安も瞬時脳裏をよぎる。しかし今更計画を中断するわけにもゆかない。意を決して無尽は合図の口笛を吹く。
甲賀者たちは、たちまちのうちに春日局の輿に殺到。警護の者たちは抵抗するわけでもなく、春日局を守ろうとするわけでもなく、たちまち逃げ去った。甲賀者たちが拍子抜けするほど、事は順調に進んだ。そして、あっけないほど簡単に、忍びの一人が春日局の輿に刀を貫通させた。
しかしこの時、忍びはすでに異変に気付いていた。人を刺したにしては手ごたえがなさすぎる。そして刀を引き抜いてみると、はたして一滴の血も付いてはいなかった。輿の中を開けてみると、中に座っていたのは、春日局ではなくよくできた人形だった。
突如としてカラスが十数羽ほど、上空を鳴き声と共に勢いよく走りさった。そして次の瞬間に甲賀者たちが感じたのは、地の底から己等を招くかのような強い殺気だった。
「かかったな甲賀の者ども! ここに春日様はおられん!」
無尽はようやく、己等が罠にかかったことを察したが、もう遅かった。気がついた時には、圧倒的な数の敵に包囲されていた。次第、次第に白藤が甲賀者たちの血で朱に染まっていく……。
その日の夜遅く、春日局が鎌倉で何者かの襲撃を受けたという怪情報が、早馬で江戸城に流れた。その噂で大奥の女たちが右往左往する様を目の当たりにしながら、何故か葉月は密かに笑みさえうかべた。
ところが翌朝未明のことである。大奥の自らの部屋で、何事もなかったかのように茶をすすっている春日局を見た時には、葉月は夢でも見ているような心持がした。
「どうしたのじゃ葉月、かように亡霊でも見るような顔をして」
春日局が、微笑みを浮かべながら葉月の耳元で囁いた言葉は、葉月にとり幽霊を見るより衝撃的だった。
「そなたの仲間なら、皆ことごとく討ち取られるか、もしくは自害したぞ」
さらに春日局はいう。
「そなたが実は葉月ではなく、葉月の命を奪った甲賀者であること、わらわはとっくの昔に知っておったのじゃ。そなたはわらわの流した情報を、まんまと仲間の甲賀の者たちに伝えた」
葉月いや彩芽は、真っ青になり震えが止まらなくなった。
「全て調べはついておる。戻って夏に伝えるがよい。上様の命を宿した大事な体じゃ命は取らぬ。そなたごときが、わらわの命を奪おうなどと笑止千万。いつでもこの首取りにくるがよいとな。そしてここを出たなら、そなたも二度と戻ってくるでないぞ」
彩芽はかろうじて平伏すると、そのまま言葉通り、春日局の前から姿を消した。こうして、夏による春日局暗殺計画は見事な失敗に終わった。数か月して、夏は将軍の子を出産したが、結局は死産だった。そして春日局もこの年の九月、ついに病に倒れるのだった。
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