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【第一章】少女の頃(二)
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屋敷と仁右衛門を失ったおくるは、本庄太郎兵衛の屋敷に転がりこむ。すでに太郎兵衛の先妻は他界しており、ほどなくおくるが本妻におさまる。太郎兵衛には先妻との間に数人子供があったが、それら全てがおくるより年長だった。
お玉にとり幼少時代の記憶は漠然としている。
恐らく三歳ほどの頃のことだった。玉は西陣に母親と一緒に赴いたことがあった。おくるにとり西陣は実家である。ところが母親が少し目をはなしたすきに、玉は迷子になってしまう。涙ながらに、ふらふらと知らぬ土地をさまようお玉、すると背後から声がした。
「お玉、お前はお玉じゃないか」
それはかって、おくると愛人関係にあった若い舎人の武光だった。武光はお玉をかかえあげると、懸命にあやしはじめた。一度は泣きやんだお玉であったが、間近で武光の顔を見ると、あれいは父親であるとも知らず再び泣き出す。
その後の記憶は曖昧だった。気がつくと玉はどこぞの屋敷で寝ていた。目を覚ましたのは、隣りの部屋で男女が言い争う声を聞いたからである。
「おまえがしっかり見張っておらんから、大変なことになるとこやった! またどこぞの男に見とれておったんやろ!」
玉は襖ごしにその光景を目撃した。おくるは、かすかに目に涙をためていた。
「なあ! 正直に教えてくれ、お玉は本当は誰の子なんや!」
おくるの胸をつかんで迫る武光に対し、おくるもまた声を荒げた。
「私かてわからへん!」
びしっと、平手打ちがおくるの美しい顔にとんだ。そして、右手をおくるの着物ごしに股の下へと差し入れた。
「何をしなはる!」
「ここや! おまえのここが悪いんや!」
「やめなはれ! 人が来たらどないするん!」
「今日は、おまえとわての他にだれもおらん。この狐め! 今日こそは成敗してくれる!」
そのまま武光は、おくるをその場に押したおした。玉はあまりのことに思わず目をそむけた。やがて尋常ではない、おくるの唸る声が聞こえてくる。母親の唸り声に、玉は目だけでなく耳もふさいた。
玉の姉のこんは、生まれて間もなく母親の実家に預けられたが、五歳の時に本庄太郎兵衛の屋敷に引き取られた。西陣の機織りの家から、貴族の家人の屋敷へと生活環境が大きく変わったわけである。
玉にとってこの姉との事もまた、決して記憶に残るものではなかった。かすかではあるが一緒にカルタをしたこと、ささいなことでの喧嘩くらいしか覚えていない。しかし七つ、八つ、九つと成長にしたがい、こんには周囲の人間の様子から薄々わかりはじめる。自分と玉は父が違うかもしれないということをである。
自分は青物売り仁右衛門の娘。しかし玉は太郎兵衛か、あれいはいずこに父があるかもわからない。それを知ってからは、ろくに玉と口をきくこともなくなった。そして十の時に他家へ奉公に赴くこととなる。
別れの夜、こんは密かに玉の寝所の襖を開けた。
「例え父が違おうと、わてらは姉妹や。またいつか機会があったら会おうな」
その言葉を玉が聞いたかどうかはわからない。こんはこの後、公卿日野家に奉公に赴く。そして同じ家の家人と夫婦になり、二人の子をもうける。しかし玉との再会は、これより六十数年のはるか後、江戸城三の丸でのことだった(また本庄太郎兵衛には、おくるの目をはばかりながら、別の女に産ませた隠し子がいた。この玉の腹違いの弟というより、まことの弟であるかどうかは疑わしいしいわけであるが、名を本庄宗資といった。両者がはじめて顔をあわせるのもまた、この時よりおよそ三十年後のことであった)。
お玉にとり幼少時代の記憶は漠然としている。
恐らく三歳ほどの頃のことだった。玉は西陣に母親と一緒に赴いたことがあった。おくるにとり西陣は実家である。ところが母親が少し目をはなしたすきに、玉は迷子になってしまう。涙ながらに、ふらふらと知らぬ土地をさまようお玉、すると背後から声がした。
「お玉、お前はお玉じゃないか」
それはかって、おくると愛人関係にあった若い舎人の武光だった。武光はお玉をかかえあげると、懸命にあやしはじめた。一度は泣きやんだお玉であったが、間近で武光の顔を見ると、あれいは父親であるとも知らず再び泣き出す。
その後の記憶は曖昧だった。気がつくと玉はどこぞの屋敷で寝ていた。目を覚ましたのは、隣りの部屋で男女が言い争う声を聞いたからである。
「おまえがしっかり見張っておらんから、大変なことになるとこやった! またどこぞの男に見とれておったんやろ!」
玉は襖ごしにその光景を目撃した。おくるは、かすかに目に涙をためていた。
「なあ! 正直に教えてくれ、お玉は本当は誰の子なんや!」
おくるの胸をつかんで迫る武光に対し、おくるもまた声を荒げた。
「私かてわからへん!」
びしっと、平手打ちがおくるの美しい顔にとんだ。そして、右手をおくるの着物ごしに股の下へと差し入れた。
「何をしなはる!」
「ここや! おまえのここが悪いんや!」
「やめなはれ! 人が来たらどないするん!」
「今日は、おまえとわての他にだれもおらん。この狐め! 今日こそは成敗してくれる!」
そのまま武光は、おくるをその場に押したおした。玉はあまりのことに思わず目をそむけた。やがて尋常ではない、おくるの唸る声が聞こえてくる。母親の唸り声に、玉は目だけでなく耳もふさいた。
玉の姉のこんは、生まれて間もなく母親の実家に預けられたが、五歳の時に本庄太郎兵衛の屋敷に引き取られた。西陣の機織りの家から、貴族の家人の屋敷へと生活環境が大きく変わったわけである。
玉にとってこの姉との事もまた、決して記憶に残るものではなかった。かすかではあるが一緒にカルタをしたこと、ささいなことでの喧嘩くらいしか覚えていない。しかし七つ、八つ、九つと成長にしたがい、こんには周囲の人間の様子から薄々わかりはじめる。自分と玉は父が違うかもしれないということをである。
自分は青物売り仁右衛門の娘。しかし玉は太郎兵衛か、あれいはいずこに父があるかもわからない。それを知ってからは、ろくに玉と口をきくこともなくなった。そして十の時に他家へ奉公に赴くこととなる。
別れの夜、こんは密かに玉の寝所の襖を開けた。
「例え父が違おうと、わてらは姉妹や。またいつか機会があったら会おうな」
その言葉を玉が聞いたかどうかはわからない。こんはこの後、公卿日野家に奉公に赴く。そして同じ家の家人と夫婦になり、二人の子をもうける。しかし玉との再会は、これより六十数年のはるか後、江戸城三の丸でのことだった(また本庄太郎兵衛には、おくるの目をはばかりながら、別の女に産ませた隠し子がいた。この玉の腹違いの弟というより、まことの弟であるかどうかは疑わしいしいわけであるが、名を本庄宗資といった。両者がはじめて顔をあわせるのもまた、この時よりおよそ三十年後のことであった)。
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