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【第二章】お玉拉致監禁事件(一)

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  寛永十八年(一六四一)八月三日、蘭はついにたいへんな難産の末、将軍家の世継ぎ竹千代を産んだ。竹千代は家光の幼名であると同時に、あの徳川家康の幼名でもある。これで正式な側室、そして「お部屋様」として大奥でも至高の地位に君臨することとなり、名をお楽と改める。「蘭」は戦乱の「乱」に通じ不吉であるというのが理由だった。
 しかし生まれてきた竹千代は、大奥のしきたりにより、すぐに矢島局なる乳母のもとに預けられる。お楽は、我が子に乳を与えることさえ許されなかった。
 さらに、せっかく生まれてきた我が子が、あまりに病弱であることもお楽を悲しませた。竹千代すなわち後の徳川家綱は、生後間もない頃からしばしば病となり、そのたびごとに匙が大奥に呼ばれることとなる。
 これは春日局にとっても憂慮すべきことだった。当時、乳幼児死亡率は今日とは比較にならぬほど高い。将軍家に新たな次男、三男の誕生が待ち望まれた。ところがお楽は出産直後から体調を崩し、側室として将軍の夜の相手もままならない。そこで新たなる側室ということになるわけだが、その候補は、実は以外なところに存在した。

 お万は竹千代の誕生によって、事実上お楽より下の身分となってしまった。自らもまた子を授かるよう願う意味もこめて、お玉と共に上野寛永寺に参拝することにした。
 帰路、玉は万を先に城に帰した。そして自らは、下谷三味線堀りにあるいつか山中新三郎に案内された店へと赴いた。その日は八月二十五日で末尾に五がつく。もしかしたら新三郎に会えるかもしれないという、淡い期待をもったが、やはり新三郎はいなかった。
 店の者はまだ幼いところがある玉を、最初胡散臭い目で見たが、新三郎の名をだすとたちまち態度が豹変する。
「一体何者なのですか、あの新三郎という人は?」
 玉はそれとなく店の者にたずねてみたが、よほど恐れ多いのか、だれも真実を話そうとしない。
 玉は考えた。どうやら春日局の知る人物であるようだ。もしかしたら浪人を語りながらも、江戸城に出入りできる人物なのか? だが同じく江戸城に住んでいる自分が、一度も面識がないということはどういうことだろう? 考えられるとしたら、自分の身分では到底お目通りできないほど、高位の者なのであろうか……。
 やがて料理が運ばれてくる。この日の料理はまず鯨の刺身、次に木耳の煮物が登場する。味噌汁には新鮮な蛤が入っており、最後に葡萄やナシなどの果物が登場した。
 やがて腹いっぱいになった玉は店の外に出た。そしてそこで異変はおこったのである。
「ちょいと待ちなよ姉ちゃん。おめえさん山中新三郎の知り合いだそうだな」
 玉が振り返ると、いかにも柄が悪そうな侍が数人後ろに立っていた。恐らく先ほどの玉と店の者の会話を、近くの席で聞いていたのだろう。
「何よ! だったら何だというのよ!」
 玉は半ば恐れおののきながら、そのまま通りすぎようとした。ところが侍の一人が玉の腕を強く引っ張った。
「何をする!」
「こいつはちょうどいい! 奴をおびき出す餌に使えるかもしれねえ」
「ちょっと! やめて放して!」
 玉は手足をばたつかせるも、侍はさらに玉の口をもふさごうとする。
「俺ならここにいるぞ!」
 背後で声がした。侍たちが振り向くと、そこにあの新三郎が立っていた。
「その女は放してやれ。そいつは大奥に仕えていて、殺したりすると後々厄介だぞ」
「なぜ私の素性を……?」
 玉が疑念を抱く間もなく、侍たちは新三郎を取り囲んだ。
「うるせえ! 俺達はお前のせいで何もかも失った。もう恐ろしいものなんてねえ!」
 と侍たちは一斉に抜刀して、新三郎に襲いかかった。
 玉は新三郎が斬られるものと思い、瞬時目を背けたが、次に悲鳴をあげたのは侍たちのほうだった。鮮血が玉の小袖にもふりかかった。侍のうちすでに二人が、血しぶきと共にその場に倒されていた。
「馬鹿野郎どもが、俺はこう見えても柳生新陰流の免許皆伝だぜ!」
 凄まじい殺気に、侍たちは一歩二歩と後退する。その時侍たちの一人が、吹き矢を新三郎にむかって放った。恐らく神経毒なのだろう。さしもの新三郎もその場に昏倒した。
「新三郎さん!」
 叫ぶ間もなく玉もまた侍の一人に腹を殴られ、そのまま気絶した。
 次に気がついた時には、玉と新三郎は薄暗い蔵の中に放置されていた。
 
 

 
 


 


 
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