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第二部
26:指輪(3)
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取り残された二人の間にはさらに気まずい空気が流れていた。
雲の動きに合わせて、部屋は次第に暗くなっていく。
そういえば夕方からは雨が降るかもしれないも、庭師のおじいさんが言っていたとジャスパーはふと思い出した。
(…とりあえず、俺はどうすべきなんだ?)
今考えるべきは庭師の天気予報ではなく、指輪の処理についてだ。ジャスパーはとりあえず指輪を取り返そうとモニカに近づいた。
「これは、どう捉えたらいいの?」
くりくりとした眼を大きく見開いたモニカは手元にある指輪に視線を落としたまま、ジャスパーに尋ねる。
これが誰に贈られたものか、確信しているのだろう。
こんな形で渡すつもりではなかった彼は複雑な心境から大きなため息をこぼした。
そしてモニカの手から箱を取り上げると指輪を取り出し、彼女の前に跪いて指輪を左手の薬指に嵌める。
その姿はまるで求婚だった。
「本当は何か、もうちょっと、ちゃんとした形で渡すつもりでした」
例えば、田舎の教会で二人だけの結婚式を挙げてみるとか。
例えば、部屋中に薔薇の花びらを敷き詰めて、ラグジュアリーな空間を演出してから渡すとか。
例えば、朝起きたら枕元に置いてあるとか。
そういうプランを色々と考えていたらしい。
恥ずかしそうに顔を伏せて白状したジャスパーの顔は耳まで赤かった。
「意外とロマンチストなのね」
「…姫様の反応が楽しみで浮かれてました」
「意外すぎるわ。可愛いけれど」
モニカは恥ずかしそうにする彼に、クスッと笑みをこぼした。
そして同時に、左手の薬指に輝くピンクダイヤを見て、小さくため息をつく。
「何で…」
「何でこのタイミングで、とか思ってます?」
「…思ってる」
今ここで指輪をもらって求婚されたところで、現状は何一つ変わらない。
いくらジャスパーがもう待てないと主張しようとも、3年という期限はどうにもならない。モニカは『少し困る』とつぶやいた。
すると、ジャスパーは握っていた手を軽く解き、今度は指を絡めてくる。
手のひらを合わせるようにして絡み合った指にぎゅっと力を入れる彼の目は、いつになく真剣だった。
「もうね、嫌なんですよ。俺は我慢できない」
モニカがノアの横に立つ姿を見るのも、ブライアンと仲良くする姿を見るのも、社交場でノアの足元にも及ばない程度の男に言い寄られる姿を見るのも、全部耐えられないのだと彼は言う。
「でも、私は今求婚されても答えることができないわ」
「知ってます。だから、これはただのプレゼントです…。今は」
「今はって…薬指につけてたら、ただのプレゼントに見えないけれど…」
「そこはノア様からのプレゼントってことにしておいてください」
いつかの日の予約だから、どうか外さないでくれと言うジャスパーにモニカはどうすれば良いのかわからなかった。
「意味あるの?ノア様からもらった体で指輪をつけるのって」
「俺にとっては意味があります。どんな場面でも、姫様は俺のだってわかるから」
「わかるのはジャスパーだけじゃない」
「俺がわかっていればいいんです。これはただの自己満足」
印をつけておかないと不安で仕方がない。
自分たちの関係に特別な名前がつけられないからこそ、目に見える形で印が欲しい。
そう懇願するジャスパーの声色は少し震えていた。
「…私、そんなにジャスパーの事を捨てそうに見えるの?」
「見えないけど、何と言うか…、そうじゃなくて…。まあ、言うなれば独占欲みたいなものです」
「独占欲ねぇ…」
その言葉にモニカはフッと笑みを浮かべる。
「何がおかしいんですか?」
「だって、可愛いから」
「可愛いって…。からかわないでくださいよ」
クスクスと笑うモニカに、ジャスパーは口を尖らせた。
こんなに軽薄で軽率でとにかく軽く見える男が、実はかなり重いというギャップがツボに入ったのだろう。
不服だが事実なので抗議しようもないジャスパーは、絡めていた指を解いて無礼なほどに豪快にモニカの隣に腰掛けた。
「…別に、嫌なら外してくれて構いません」
「外したら拗ねるくせに」
「まあ拗ねますけど…」
モニカが嫌なら仕方がないと言いつつも、すでに口調が拗ねている。
そんな彼がたまらなく愛おしくなったモニカは、隣に座る彼の首筋に噛み付いた。
そして軽く首の皮膚を吸う。
ちくりと弱い痛みとともにつけられたのは見事な鬱血痕だった。
「私も独占欲」
モニカは舌を出して悪戯っぽい笑顔をジャスパーに向けた。
突然のことに驚いた彼は首元を押さえて顔を真っ赤にしている。
「な、何を…!?」
「心配しなくても、ちゃんとつけるわよ。ありがとう」
すごく嬉しいとモニカは天に左手をかざして薬指に光るピンクダイヤを眺めた。
花が綻ぶような笑顔で微笑んだ彼女の横顔は、雲の隙間から漏れ出した太陽の光によっていつもよりもずっと神々しく見える。
「本当ずるい…」
そうつぶやいたジャスパーはその後、勢い余ってモニカをソファへと押し倒したらしい。
雲の動きに合わせて、部屋は次第に暗くなっていく。
そういえば夕方からは雨が降るかもしれないも、庭師のおじいさんが言っていたとジャスパーはふと思い出した。
(…とりあえず、俺はどうすべきなんだ?)
今考えるべきは庭師の天気予報ではなく、指輪の処理についてだ。ジャスパーはとりあえず指輪を取り返そうとモニカに近づいた。
「これは、どう捉えたらいいの?」
くりくりとした眼を大きく見開いたモニカは手元にある指輪に視線を落としたまま、ジャスパーに尋ねる。
これが誰に贈られたものか、確信しているのだろう。
こんな形で渡すつもりではなかった彼は複雑な心境から大きなため息をこぼした。
そしてモニカの手から箱を取り上げると指輪を取り出し、彼女の前に跪いて指輪を左手の薬指に嵌める。
その姿はまるで求婚だった。
「本当は何か、もうちょっと、ちゃんとした形で渡すつもりでした」
例えば、田舎の教会で二人だけの結婚式を挙げてみるとか。
例えば、部屋中に薔薇の花びらを敷き詰めて、ラグジュアリーな空間を演出してから渡すとか。
例えば、朝起きたら枕元に置いてあるとか。
そういうプランを色々と考えていたらしい。
恥ずかしそうに顔を伏せて白状したジャスパーの顔は耳まで赤かった。
「意外とロマンチストなのね」
「…姫様の反応が楽しみで浮かれてました」
「意外すぎるわ。可愛いけれど」
モニカは恥ずかしそうにする彼に、クスッと笑みをこぼした。
そして同時に、左手の薬指に輝くピンクダイヤを見て、小さくため息をつく。
「何で…」
「何でこのタイミングで、とか思ってます?」
「…思ってる」
今ここで指輪をもらって求婚されたところで、現状は何一つ変わらない。
いくらジャスパーがもう待てないと主張しようとも、3年という期限はどうにもならない。モニカは『少し困る』とつぶやいた。
すると、ジャスパーは握っていた手を軽く解き、今度は指を絡めてくる。
手のひらを合わせるようにして絡み合った指にぎゅっと力を入れる彼の目は、いつになく真剣だった。
「もうね、嫌なんですよ。俺は我慢できない」
モニカがノアの横に立つ姿を見るのも、ブライアンと仲良くする姿を見るのも、社交場でノアの足元にも及ばない程度の男に言い寄られる姿を見るのも、全部耐えられないのだと彼は言う。
「でも、私は今求婚されても答えることができないわ」
「知ってます。だから、これはただのプレゼントです…。今は」
「今はって…薬指につけてたら、ただのプレゼントに見えないけれど…」
「そこはノア様からのプレゼントってことにしておいてください」
いつかの日の予約だから、どうか外さないでくれと言うジャスパーにモニカはどうすれば良いのかわからなかった。
「意味あるの?ノア様からもらった体で指輪をつけるのって」
「俺にとっては意味があります。どんな場面でも、姫様は俺のだってわかるから」
「わかるのはジャスパーだけじゃない」
「俺がわかっていればいいんです。これはただの自己満足」
印をつけておかないと不安で仕方がない。
自分たちの関係に特別な名前がつけられないからこそ、目に見える形で印が欲しい。
そう懇願するジャスパーの声色は少し震えていた。
「…私、そんなにジャスパーの事を捨てそうに見えるの?」
「見えないけど、何と言うか…、そうじゃなくて…。まあ、言うなれば独占欲みたいなものです」
「独占欲ねぇ…」
その言葉にモニカはフッと笑みを浮かべる。
「何がおかしいんですか?」
「だって、可愛いから」
「可愛いって…。からかわないでくださいよ」
クスクスと笑うモニカに、ジャスパーは口を尖らせた。
こんなに軽薄で軽率でとにかく軽く見える男が、実はかなり重いというギャップがツボに入ったのだろう。
不服だが事実なので抗議しようもないジャスパーは、絡めていた指を解いて無礼なほどに豪快にモニカの隣に腰掛けた。
「…別に、嫌なら外してくれて構いません」
「外したら拗ねるくせに」
「まあ拗ねますけど…」
モニカが嫌なら仕方がないと言いつつも、すでに口調が拗ねている。
そんな彼がたまらなく愛おしくなったモニカは、隣に座る彼の首筋に噛み付いた。
そして軽く首の皮膚を吸う。
ちくりと弱い痛みとともにつけられたのは見事な鬱血痕だった。
「私も独占欲」
モニカは舌を出して悪戯っぽい笑顔をジャスパーに向けた。
突然のことに驚いた彼は首元を押さえて顔を真っ赤にしている。
「な、何を…!?」
「心配しなくても、ちゃんとつけるわよ。ありがとう」
すごく嬉しいとモニカは天に左手をかざして薬指に光るピンクダイヤを眺めた。
花が綻ぶような笑顔で微笑んだ彼女の横顔は、雲の隙間から漏れ出した太陽の光によっていつもよりもずっと神々しく見える。
「本当ずるい…」
そうつぶやいたジャスパーはその後、勢い余ってモニカをソファへと押し倒したらしい。
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