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第一部

36:そもそもそんな権限がないと言う話(2)

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「寝てたんですか?まだ寝るには早いと思いますけど」
「な、なんで…?」

 目の前にいたのはエリザに車椅子を押されたジャスパーだった。
    彼はケロッとした顔で首を傾げる。
 エリザは空気を読んだのか、兄に何かを耳打ちして部屋を出た。
 いるはずのない彼が目の前にいることに、驚きと動揺が隠せないモニカ。何とか言葉を絞り出したが上手く話せる自信がない。

「…な、んで…まだ居るのよ…」
「何でって言われましても…」
「あ、貴方のことは、もう解雇したわ。騎士団に行ってきた。だから…」
「何言ってるんですか?解雇なんてできるわけないでしょ?」
「…へ?」

 何を言っているのだこいつは。今朝、解任の手続きをしてきたばかりだと言うのに。
 モニカは怪訝な目でジャスパーを見た。すると彼は、何故かニヤリと口角を上げる。

「いやぁ、俺も失念しておりました。だから思わず、姫様の言うことを聞いてしまいそうになっちゃいましたよ」
「な、何よ…何が言いたいのよ…」
「姫様。この城では第四皇女モニカの名義で出される申請は全て却下される仕組みになってるの忘れたんですか?」
「そ、そういえばそうだったかもしれない…」

   そういえば昔、ジャスパーが護衛についた頃。
 彼が自分にとって大事な存在になるのが怖くて、近くに置きたくなくてモニカは何度も解任の申請出したことがあった。だが、それが通ることは一度となかった。
 そのことを失念していたモニカは落胆したような、それでいて安心しだような大きなため息をついた。

「姫様には護衛の騎士を選ぶ権利もなければ、解雇する権利もないんですよ。ちなみに、俺には異動を願い出る権利も異動を拒否する権利もあります」
「…何それ。腹立つわね」

    つまり、ジャスパーが自分から辞めない限り、彼は永遠にモニカの騎士でい続けることができるわけだ。
    モニカへの嫌がらせのおかげでモニカの騎士をやめずに済んだと彼は言う。

    解雇だと言い張り、ジャスパーを拒絶したくせに、そもそもそんな権利すらなかったモニカは恥ずかしさのあまり、頭からシーツを被った。

「一応、騎士団に確認に行ってきたんですけど、残念ながら姫様の護衛はまだ俺のままですよ?」
「じゃあ、お願い。私の騎士を辞めて。貴方の意思で辞めて」
「嫌です」
「お願いよ。私はジャスパーを失いたくないの。お願い…」

    これ以上そばにいれば、また危険な目に遭うかもしれない。
 シーツの中で話すから、声がこもる。
 モニカの悲痛な声色にジャスパーは呆れたようにため息をついた。

「じゃあ、俺の目を見て言ってください」
「……」
「姫様。本当に俺の事、要りませんか?」
「…要るとか要らないとかじゃないの」
「俺は、俺のことが必要かどうかを聞いています」
「…言えるわけないじゃない。意地悪言わないで」
「姫様こそ、やめろなんて意地悪なことを言わないでください」

    なかなか頷かないジャスパーに、モニカは意を決してシーツから顔を出し、ジッと彼を見据えた。
    すると、ジャスパーのほうもジッと彼女を見つめる。

「やめてよ…そんな目で見ないでよ…」

 そんなに強い眼差しで見つめられたら言えなくなる。取り繕えなくなる。『要らない』なんて言えなくなる。

「姫様…」
「要らない…なんて、言えないよ。だってそんな事、本当は微塵も思ってない。言えるわけないじゃん」

 モニカはその宝石のような碧の瞳に涙を溜めて、震える声を絞り出した。
 そんな彼女にジャスパーはフッと優しい笑みをこぼした。

「じゃあ、そばにいても良い?」
「そばにいてほしいと思うよ。でも怖いの。そばにいて、貴方を失ってしまったらと思うと、怖いの…」
「大丈夫です。俺はそう簡単には死にませんし、仮に死ぬ時が来たら、その時は姫様も一緒です」
「わからないじゃない」
「わかりますよ。だって姫様の護衛は俺しかいないんだから、俺が死んだら姫様も必然的に死にます。守る人がいなくなるから」
「屁理屈よ。そういう問題じゃないわ」
「そういう問題でしょう?俺を失うのが怖いってことは、俺のいない世界で生きていくのが怖いってこととほぼ同義だ」
「拡大解釈しすぎよ」

   死ぬ時は一緒なのだから、何を怖がる必要があるのかとジャスパーは笑う。
 そんな彼につられて、モニカの顔も綻んだ。

「ねえ、姫様。俺は今、自分で姫様のところに行けません」
「そうね」
「だから、姫様が来てください」

 ジャスパーは大きく両手を広げた。
 モニカはゆっくりとベッドから足を下ろすと、一歩一歩、彼に近づく。
 そして彼の腕の中にすっぽりと収まった。

「姫様はもう少しわがままになってください」
「十分ワガママ姫だと思うわ。怪我をした貴方を手放してあげられないんですもの」
「手放してほしいなんて思ってないから、それはワガママにはなりません」

 中腰になり、いつもは見上げるジャスパーを見下ろすモニカ。
 ジャスパーは優しく彼女の頬に触れると、親指の腹でその血色の良い唇をなぞる。

「姫様、俺が今ものすごーく我慢してるのわかります?」
「……何となく」
「ご存知かと思いますけど、俺はそんなに我慢できる方じゃないんですよね」
「基本的にはカケラほどの理性しかないものね」
「だから、嫌なら殴り飛ばしてでも離れてもらわないと困るんですけど」
「……」
「逃げてくれないとキスしちゃいますよ?」

    悪戯をする前の子供のような笑顔で、ジャスパーはそう聞いた。
 これは冗談だろうか、それとも本気なのだろうか。判断がつかない。
 いや、判断がつかなかろうと今はまだノアと婚約中の身なのだから、ここは『馬鹿なことを言うな』と叱責するのが正解だ。
 けれど何故か、モニカは何も言えない。
 逃げなければならないのに、動けない。動きたくない。 

 心臓の音がうるさい。

「姫様?」

 真っ赤な顔をして固まるモニカにジャスパーは首を傾げる。
 このまま攻めればキャパオーバーで倒れかねない気もする彼は、少し残念そうに彼女に触れる手を離した。

「ははっ。冗談ですよ。何を期待して…」
「えっ…」
「え?」

    冗談だという言葉に、ひどく落胆したような表情を見せたモニカに、ジャスパーは大きく目を見開いた。

「冗談じゃ、嫌、ですか?」
「……それは、その…」
「ちゃんと言ってくれないとわからない。え?いいの?」
「……」
「姫様…ねぇ…」
「に、逃げてないのが答えには、その、なりませんか?」
「…なります」

    ジャスパーはもう一度彼女の唇に触れると、右手を首元に添え、自分の方へと引き寄せた。
 モニカもそれに抵抗はしない。彼女は自然に目を閉じた。

 日が落ちかけた頃、グーっという腹の音を聞きながら二人は何とも言えない残念な雰囲気の中、触れるだけのキスをした。
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