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第一部

26:印と髪留め

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 普通、皇女ともなればお抱えのデザイナーを城に呼びつけてドレスを一からオーダーメイドしたり、宝石商を呼びつけて買い物をするものだ。
 しかし、そんなお金もコネもないモニカは今日もせっせとドレスを縫う。

「婚約パーティーのドレスくらい、ノア様にプレゼントしてもらえばいいのに」
「生地はプレゼントしていただいたわ」

 そういってモニカが見せたのは、彼女が縫い上げたのは艶やかな光沢と流れ落ちるようなスカートが美しい、濃いめの紫のドレス。
 装飾などは一切ないがその生地に関しては誰が見ても一流品だとわかる。
 モニカはそれに慎重に針を通し、仕上げにウエストのあたりに細めの黒のリボンを縫いつけた。これを後ろで結べばそれだけでアクセントになるはずだ。
 元々、彼女はその花のかんばせがあるので、当日は化粧と髪型をどうにかすれば地味なドレスでも派手なものだと錯覚させることができる。
 こういう時にこの顔は本当に便利だとモニカは自嘲するように笑った。
 
「あとは中に履くパニエのほつれをどうにかして、手袋と髪留めを準備するだけね…」

 いそいそと明日の婚約パーティの準備をするモニカを手伝いながら、ジャスパーは小さくため息をこぼす。

「こんなことまで自分でしなくても…」
「そんなこと言ったって、ノア様名義でプレゼントされた品がこの部屋に届いたことなんて一度もないでしょう?」

 モニカに届く代物の大半はあの性悪双子姉妹に横取りされる。
 それは昔からよくあることで、二人目の婚約者とはプレゼントが届いたとか届いていないとかで喧嘩になったものだ。

「直接届けて貰えばいいじゃないですか」
「花束や小さな宝飾品みたいな小さなものならともかく、ドレス一式なんて運び込んだらすぐにバレるわ。また部屋を荒らされるなんてごめんだわ」
 
 モニカはドレスを壁にかけると、使えそうな宝飾品を探し始めた。
 どうせ奴らの目的はモニカを困らせることにある。
 過去に何度もそのような嫌がらせを受けていることからも、もしもノアからドレスを贈られたなどと知られたら、次の日にはそのドレスがビリビリに破かれていることだろう。

「婚約パーティー当日、お姉さまたちは私にこう言いたいのよ。『婚約者にドレスも贈ってもらえないなんて可哀想』ってね」
「本当、どうしようもない人たちですね」
「ええ、本当に」

 モニカは姉たちの行動をくだらないと吐き捨てた。

「でも…ほんと、惨めなものね…」

 クローゼットの中にあるのはシンプルなワンピースと学園の制服。
 あとはこの間、顔も見たくない母親から送られたサイズの合わないドレスが2着と、過去の婚約者から手渡しでもらった宝石。
 皇女のクローゼットにしては悲しいほどに何もない。
 クローゼットの中を眺めてモニカは大きなため息をついた。そんな彼女にジャスパーはスッと近づく。
 意識しないように意識しているせいか、彼の気配にモニカは体を硬らせた。

「…そんなに警戒しないでくださいよ」
「ごめん…つい…」
「まあ、意識されてないよりはいいですけど」
「そういうこと言われてもなんて返せばいいかわからない」
「別に無理して何か言わなくてもいいので、とりあえず今日の分を口説いてもいいですか?」

 そう言うと、ジャスパーは雑に一つに束ねられた彼女の髪に何かをぶっ刺した。
 モニカは痛いと言いつつ、刺されたそれを取る。
 彼女の頭に刺さっていたのは、天使の羽をモチーフにした銀製の髪留めだった。
 
「何?これ」
「髪留め」
「いや、そう言うことでなく、どうしたの?」
「通学中のわずかな隙を見て買いました。よって、そんなに高いものではないので安心してください」
「いえ、だからそう言うことでもなくて…」

 なぜこのタイミングでこれを渡すのかと言うことだ。
 何となくわかるが自分からは言いたくないモニカは髪留めを手に持ったまま、ジャスパーの返事を待った。

「姫様、好きですよ」
「………」
「だから明日、これをつけて欲しいです」
「ド、ドレスに合わないよ。こんな可愛い髪留め…」

 明日、ノアに当日まで預かってもらっている、彼が用意してくれたネックレスとイヤリングをつけることになっている。髪留めだけコンセプトが異なってしまうとモニカは言う。
 すると、ジャスパーは彼女の髪留めを持つ方の手に自分の手を重ねた。
 
「…お願い。本当は俺のなんだって、俺だけは知っていたいから」
 
 頭では分かっていても、また彼女が自分じゃない誰かとの婚約を宣言する場面で嫉妬してしまわないように、印をつけておきたい。
 ジャスパーは真剣な目で言うと、ギュッと手を握る。
 モニカは火照る顔をどうすることもできず、ただ俯いたまま、どう返事をするべきか迷った。
 心臓が壊れてしまいそうなほどに早く波打つ。
 今聞こえている鼓動は自分のものだろうか、それとも彼のものだろうか。

「……私は貴方のものではないわ」

 口をついて出た彼女の言葉に、ジャスパーは一瞬だけ悲しそうな顔をした。

「…ごめんなさい。調子に乗り過ぎましたかね…?」

 彼は笑顔を貼り付けて、モニカの手の中から髪留めを取ろうとする。
 しかし、彼女はそれを拒むかのように髪留めをぎゅっと握りしめた。

「あ、貴方のものではないけれど…、これは可愛いから、だから…つけることに、する…」

 口を尖らせ、不服そうにそう言うものの、耳まで赤く染めているモニカ。
 その表情にジャスパーもつられてしまい、自然と顔が火照る。

「好きですよ、本当に」

 無意識に出た告白の言葉に、モニカはビクッと体を震わせた。
 そして顔をあげるとジャスパーの方をキッと睨みつける。

「一日一回なんでしょ!?もうだめ!」
「一日一回口説くと言いましたが、一回とは言っていませんので」
「なっ!!」

 そう言われてみれば、確かにそんな気がするモニカは悔しそうに顔を歪めた。

「でも、もう本当にやめて!」
「どうして?そんなに嫌でしたか?」
「そうじゃなくて!もう心臓がもたないの!爆発しそうなの!早死にしてしまうでしょうが、ばかっ!!」

 彼女は『今日はもうお終いだから』と素行不良の騎士を叱りつけると、顔を洗ってくると言って洗面へと向かった。髪留めを握りしめたままで。
 ジャスパーは崩れ落ちるように、そのまま床に寝そべると天井を見上げてポツリとつぶやいた。

「期待しか持たせない反応すんなよ…」
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